〇 銀鈴館・舞台脇(朝)
小夜が鞄から新聞を取り出す。
その下から、台本。
二つを卓へ置く。
清玄は新聞の見出しを見る。
「九条映画の新女弁士――専務の寵愛が生んだ抜擢か」
清玄「読みました」
小夜がうなずく。
小夜「私の稽古も、先生が教えてくださったことも、なかったように書かれています」
清玄は台本を開く。
小夜が書いた印。
直した言葉。
何度も戻った場面。
清玄「ここには、残っています」
小夜の目が潤む。
小夜「でも、これをご覧にならない方には……」
清玄「ええ。だから、記事は、そのままにはできません」
小夜は新聞へ目を落とす。
水野が入ってくる。
小夜は慌てて台本を持つ。
小夜「今日は、最初から――」
声が引っかかる。
水野が足を止める。
小夜は、もう一度息を吸う。
声が出ない。
清玄「今日は、語る前に、話をしましょう」
小夜は台本を胸へ寄せる。
小夜「来れば、できると思いました」
清玄「来たことと、今すぐ語れることは、別です」
小夜の肩が、ゆっくり落ちる。
小夜「……今日は、怖いです」
清玄が椅子を引く。
小夜は座る。
台本は、手放さない。
〇 九条映画・仮ではない本社応接室(午前)
卓に、新聞と契約書の控え。
蓮太郎、大迫、会長付の秘書。
蓮太郎「記者に、資料を渡しましたね」
秘書「上映会の参考に、求められたものを」
大迫「出演者の紹介に、篠宮家の借金が必要でしたか」
秘書が口を閉じる。
蓮太郎「渡した物を、すべて確認します。口頭で話したことも」
秘書「会長から、専務の起用について調べるようにと――」
蓮太郎「調べることと、外へ出すことは違う」
秘書「記事の書き方までは、指示しておりません」
蓮太郎「そこは分けて確認する」
蓮太郎が、新聞を指で押さえる。
蓮太郎「だが、この家の事情は、こちらから出た資料がなければ書けなかった」
秘書は、視線を下げる。
大迫が記録を取る。
秘書「専務と篠宮さんが、人前で誤解を招くような――」
蓮太郎が身を乗り出す。
蓮太郎「彼女に、何をやめさせるつもりだった」
秘書が息をのむ。
大迫「専務」
蓮太郎は口を閉じる。
握っていた手を、卓から離す。
大迫「事実を確かめましょう」
長い間。
蓮太郎が椅子へ座り直す。
蓮太郎「……篠宮君に、直接連絡はしないでください。退職を勧めることも、説明を求めることも」
秘書「会長のお許しが――」
蓮太郎「父には、私から話します」
〇 九条家・書斎(昼)
宗一郎が新聞を読む。
蓮太郎が入ってくる。
蓮太郎「秘書が渡した資料の内容を、確認しています」
宗一郎「聞いた」
蓮太郎「新聞社へ訂正を求めます。出演の判断と、家の事情を混ぜた記事です」
宗一郎「騒げば、さらに名前が出る」
蓮太郎「だから、何を訂正するのか、本人にも確認します」
宗一郎が新聞を置く。
宗一郎「お前が昨夜、あれほど庇わなければ、記事も違ったかもしれん」
蓮太郎の顔が硬くなる。
蓮太郎「私の対応に問題があったとしても、彼女の仕事を偽ってよい理由にはなりません」
宗一郎「お前の対応だけではない。気持ちの話だ」
蓮太郎は黙る。
宗一郎「鷹司家との縁談を曖昧にして、あの娘には、人前で特別な扱いをする」
蓮太郎「……彼女には、何も伝えていません」
宗一郎「では、なおさら無責任ではないか」
蓮太郎が父を見る。
宗一郎「お前が何も決めない間にも、周りは動く。守るつもりなら、まず自分が何をしているか考えなさい」
蓮太郎は、返す言葉を失う。
宗一郎は稽古記録を手に取る。
宗一郎「資料の件は、調べさせる。新聞社への説明も、私に見せなさい」
蓮太郎が頭を下げる。
蓮太郎「はい」
〇 銀鈴館・事務室(午後)
小夜、大迫、蓮太郎。
大迫が、説明案を小夜へ渡す。
大迫「契約の経緯と、出演までの記録です。記事と違う点を、こちらから伝えます」
小夜が読む。
蓮太郎「家の事情を含む資料は、会長付の秘書から出た」
小夜の指が止まる。
蓮太郎「父の指示が、どこまでだったかは確認している」
小夜は顔を上げる。
蓮太郎「会社から出た資料で、君を傷つけた。申し訳ない」
蓮太郎が頭を下げる。
小夜は、しばらく黙っている。
小夜「私の家のことを、これ以上、説明に使わないでください」
大迫「使いません」
小夜「征二郎さんのことも」
蓮太郎の目が動く。
小夜は説明案へ戻る。
小夜「起用の理由が違うことは、直していただきたいです。でも、私が立派に語れる人だという説明にも、しないでください」
大迫がうなずく。
小夜「失敗します。昨日も、先生に何度も直していただいたところです」
台本を取り出す。
小夜「それでも、この仕事をするために、ここへ来ています」
蓮太郎は小夜を見つめる。
大迫「そのとおりに伝えます」
小夜が説明案を返す。
大迫は書類をまとめる。
大迫「新聞社には、私から連絡します」
立ち上がり、部屋を出る。
戸が閉まる。
小夜と蓮太郎が残る。
〇 銀鈴館・事務室(午後・続き)
蓮太郎「今日、稽古は?」
小夜「声が、うまく出ませんでした」
蓮太郎の表情が変わる。
小夜「でも、先生とお話しできました」
蓮太郎「しばらく休んでもいい。仕事は、なくならないようにする」
小夜が顔を上げる。
蓮太郎「ここへ来るのがつらいなら、別の場所で稽古を――」
小夜「九条様」
蓮太郎が止まる。
小夜「まだ、そこまで決めないでください」
蓮太郎は口を閉じる。
小夜「辞めたいとは、申し上げていません」
蓮太郎「……分かっている」
小夜「本当に?」
蓮太郎が彼女を見る。
小夜の声が、少し強くなる。
小夜「昨日も、私が答える前に、お話しになりました。今日も、私がどうしたいか、まだ――」
小夜自身が、その声に驚く。
鞄へ手を伸ばす。
小夜「すみません」
蓮太郎「謝らなくていい」
小夜は手を止める。
蓮太郎「俺が、先に決めようとした」
小夜は目を伏せる。
蓮太郎「……三条氏から、何か言われた?」
小夜の指が固くなる。
小夜「この記事のことですか」
蓮太郎は答えない。
小夜「結婚を、申し込まれました」
部屋が静まる。
蓮太郎の手が、椅子の肘掛けを握る。
小夜「仕事も、続けてよいと」
蓮太郎「そうか」
小夜は彼を見つめる。
蓮太郎「返事は……」
言葉が止まる。
小夜「まだです」
蓮太郎が、息を吐く。
小夜はその息を聞く。
小夜「私が、ここを辞めないと分かれば、それで安心なさるのですか」
蓮太郎が顔を上げる。
小夜の目が潤んでいる。
小夜「征二郎さんにも、そのお話をしました。仕事を続けたいと。でも、九条様には、それしか聞かれない気がして――」
蓮太郎「違う」
思ったより強い声。
小夜が黙る。
蓮太郎は立ち上がりかける。
座り直す。
蓮太郎「君が、あの人のところへ行くことが、嫌なんだ」
小夜は動けない。
蓮太郎も、自分の言葉に息を詰める。
蓮太郎「……仕事の話にして、引き留めようとした」
小夜の手が、ゆっくり鞄から離れる。
蓮太郎「卑怯だった」
廊下を、人の足音が通る。
二人とも、何も言わない。
蓮太郎が立ち上がる。
小夜の方へは近づかない。
蓮太郎「ここではなく、話したい。君が、聞いてくれるなら」
小夜が顔を上げる。
蓮太郎「今夜、少し、会えますか」
小夜は唇を開く。
一度、息を吸う。
小夜「……はい」
〇 花月堂・奥の小部屋(夕方)
小夜が鞄を開く。
台本。
新聞。
稽古の帳面。
借りていたハンカチを、二枚、取り出す。
洗って畳んだもの。
一枚には、鈴蘭の刺繍。
小夜はその白い花へ指を添える。
戸口に、ふみ。
ふみ「帰るのかい」
小夜「その前に、お返しに行きます」
ふみがハンカチを見る。
小夜は包みを作ろうとして、紙の角を何度も折り直す。
ふみ「包むだけで、そんなに難しい?」
小夜が手を止める。
小夜「……手が、落ち着かなくて」
ふみが小夜のそばへ座る。
小夜「会いたいと、思ってしまいます」
ふみは黙って聞く。
小夜「記事を読んで、傷ついたのに。九条様にも、腹が立ったのに」
小夜の目に涙が浮かぶ。
小夜「それでも、今夜、会えることが嬉しいんです」
ふみが包みの角を押さえる。
ふみ「腹が立つ相手には、会いたくならないとでも?」
小夜は顔を上げる。
ふみ「会って、お言い。嬉しいことも、嫌だったことも」
小夜がうなずく。
二人で、包みを閉じる。
〇 銀座・橋のたもと(夜)
川面に灯りが揺れている。
蓮太郎が待っている。
小夜が近づく。
蓮太郎は、すぐに気づく。
二人は少し離れて立つ。
小夜「お待たせしました」
蓮太郎「いや」
小夜が包みを差し出す。
小夜「ハンカチを、ありがとうございました」
蓮太郎が受け取る。
鈴蘭の刺繍が、包みの隙間から見える。
蓮太郎「二枚とも、返してしまうんだな」
小夜が目を上げる。
蓮太郎は、自分でも驚いたように包みを見る。
蓮太郎「……すまない。変なことを言った」
小夜の口元が、少し緩む。
すぐに、また静かになる。
蓮太郎は包みを内ポケットへ収める。
蓮太郎「昼の言葉は、君を困らせたと思う」
小夜「驚きました」
蓮太郎「そうだろうな」
小夜は、彼の次の言葉を待つ。
蓮太郎が川へ目を向ける。
蓮太郎「昨夜、三条氏が君を迎えに来たところを見た」
小夜「叔母が、お願いしたそうです」
蓮太郎「分かっている」
蓮太郎は小夜へ向き直る。
蓮太郎「君が、あの人の前では安心しているように見えた。俺の前では、泣いていたのに」
小夜の目が揺れる。
蓮太郎「それが、悔しかった」
沈黙。
蓮太郎「君を傷つけた日の終わりに、そんなことを考えていた」
小夜「……征二郎さんは、昔から私を知っています」
蓮太郎がうなずく。
小夜「今日のような私を、ご存じです。何もできずに、泣いているところも」
蓮太郎は黙って聞く。
小夜「九条様は、私が語ったところを見て、声をかけてくださいました」
小夜の指が、鞄の持ち手を握る。
小夜「だから、分からなかったんです」
蓮太郎「何が?」
小夜「語れなくても、会いたいと思ってくださるのか」
蓮太郎の顔が変わる。
小夜は目を伏せる。
蓮太郎「思う」
小夜が顔を上げる。
蓮太郎「今日、君がここへ来るまで、仕事のことなど、考えられなかった」
小夜の唇が、わずかに開く。
蓮太郎「初めて会ったときは、語る力のある人だと思った。それは、今も変わらない」
蓮太郎が一歩近づく。
小夜は動かない。
蓮太郎「でも、今は、それだけではない」
橋の向こうを、人が通り過ぎる。
蓮太郎は小夜だけを見ている。
蓮太郎「小夜さん。あなたが好きです」
小夜の目に、涙がたまる。
蓮太郎「仕事が終わっても、会いたい。語らない日も、声の出ない日も」
小夜が息を吸う。
蓮太郎「三条氏のところへ行ってほしくない。君に、俺を選んでほしい」
言い終える。
蓮太郎は、握っていた自分の手を開く。
蓮太郎「……だが、それは、君が決めることだ」
小夜は、しばらく何も言えない。
蓮太郎も待つ。
小夜「ずるいです」
蓮太郎の表情が止まる。
小夜の頬を、涙が伝う。
小夜「そんなふうにおっしゃるなら、昨日も、一昨日も……」
言葉が続かない。
蓮太郎「……すまなかった」
小夜は首を振る。
小夜「謝っていただきたいのでは、ありません」
蓮太郎は口を閉じる。
小夜は涙を拭こうとして、鞄へ手を伸ばす。
返したばかりのハンカチを探してしまう。
手が止まる。
蓮太郎が包みを取り出す。
二人の目が合う。
小夜が、泣きながら笑う。
小夜「また、お借りすることに」
蓮太郎も、少し笑う。
鈴蘭のハンカチを差し出す。
小夜が受け取る。
目元を押さえる。
小夜「征二郎さんに、申し込まれたとき、嬉しかったんです」
蓮太郎の笑みが静まる。
小夜「大事にしてくださることが、分かりました。安心しました」
蓮太郎は、その言葉から目をそらさない。
小夜「でも、帰る道で、九条様の顔が浮かびました」
ハンカチを、胸の前で握る。
小夜「どうして、その方ではないのかと、自分でも思いました」
蓮太郎の喉が動く。
小夜「九条様といると、分からなくなることがたくさんあります。嬉しくなったり、寂しくなったり、腹が立ったり」
小夜が顔を上げる。
小夜「それでも、会いたいのです」
蓮太郎が息を吐く。
小夜「私も、あなたをお慕いしています」
蓮太郎は動けない。
小夜も、言ったまま彼を見る。
蓮太郎「……今、触れてもいいだろうか」
小夜がうなずく。
蓮太郎が両手を伸ばす。
小夜の肩へ触れる。
一度、止まる。
小夜が、自分から彼の上着へ手を添える。
蓮太郎は、小夜を抱き寄せる。
小夜の額が、彼の胸元へ触れる。
小夜は息を詰める。
やがて、上着を握っていた指が緩む。
蓮太郎「会いたかった」
小夜が、目を閉じる。
小夜「今日も、会っていらしたのに」
蓮太郎「こんなふうに、会いたかった」
小夜は何も答えられない。
代わりに、彼の上着をもう一度握る。
川面の灯りが、二人のそばで揺れている。
〇 篠宮家へ続く道(夜)
二人が、手をつないで歩いている。
小夜は、つないだ手を見る。
蓮太郎が気づく。
蓮太郎「嫌ではない?」
小夜が首を振る。
小夜「……嬉しいです」
蓮太郎が、少し笑う。
小夜も笑う。
しばらく歩く。
小夜「征二郎さんには、私から、お返事をします」
蓮太郎がうなずく。
小夜「今のお話を、ほかの方から聞いてほしくありません」
蓮太郎「分かった」
小夜「九条様にも、縁談のお話が……」
蓮太郎が足を止める。
小夜も止まる。
蓮太郎「綾乃様には、曖昧な返事をしてきた。父が形を作ろうとすることには反対して、俺自身の答えは、言わなかった」
小夜は聞いている。
蓮太郎「断る。綾乃様と父へ、俺から話す」
小夜が、ゆっくりうなずく。
蓮太郎は、つないだ手を持ち直す。
蓮太郎「それから、一つ、お願いがある」
小夜が顔を上げる。
蓮太郎「蓮太郎と、呼んでくれないか」
小夜の頬が赤くなる。
小夜「今、ですか」
蓮太郎「……今でなくてもいい」
小夜は目を伏せる。
少しだけ、彼の手を握る。
小夜「蓮太郎様」
蓮太郎の表情が、ほどける。
小夜はその顔を見て、さらに赤くなる。
二人は、また歩き始める。
〇 篠宮家・小夜の部屋(夜)
小夜が机へ座る。
稽古の帳面を開く。
「嬉しかった」
「寂しかった」
昨日の文字。
その下へ、鉛筆を置く。
何度か、書きかけて止める。
やがて、一行。
「今日は、仕事ではない話をした」
隣に、鈴蘭のハンカチ。
小夜はそれを畳み直す。
畳み終えてから、自分の肩へそっと手を置く。
抱き寄せられた感触を思い出す。
顔を伏せる。
誰もいない部屋で、小さく笑う。
〇 九条家・書斎(翌朝)
宗一郎の前に、蓮太郎が立っている。
蓮太郎「鷹司家との縁談は、お断りします」
宗一郎が書類を置く。
宗一郎「決めたのだな」
蓮太郎「はい。綾乃様にも、私からお伝えします」
宗一郎「篠宮さんには?」
蓮太郎は父を見る。
蓮太郎「気持ちを伝えました。彼女も、同じ気持ちだと言ってくれました」
宗一郎が、長く黙る。
蓮太郎「仕事の評価には、関わらせません」
宗一郎「言葉で分けたところで、人は、そう見るとは限らない」
蓮太郎「それでも、こちらが混ぜてよいことにはなりません」
宗一郎は、卓の引き出しから書類を取り出す。
蓮太郎の前へ置く。
宗一郎「英国の取引先との交渉だ」
蓮太郎が書類を見る。
宗一郎「輸入作品の契約と、今後の取引について、現地で話を進める必要がある」
蓮太郎「これを、私に?」
宗一郎「会社の仕事を引き受けると言うなら、引き受けなさい」
蓮太郎は、出張の項目を見る。
滞在期間は、交渉の進み方による。
蓮太郎「……いつから、お考えでしたか」
宗一郎「お前が行くのが、適任だとは考えていた」
蓮太郎が顔を上げる。
宗一郎は視線を外さない。
宗一郎「行きたくないか」
長い沈黙。
蓮太郎の手が、書類の上に置かれる。
蓮太郎「仕事は、引き受けます」
宗一郎がうなずく。
蓮太郎「ただし、離れれば気持ちが変わると、お考えなら――」
宗一郎「変わらないと言い切れるか」
蓮太郎は、父を見つめる。
蓮太郎「変えさせるための仕事には、しません」
宗一郎の顔が硬くなる。
蓮太郎は書類を持ち、頭を下げる。
〇 九条家・廊下(朝)
蓮太郎が書斎の戸を閉める。
手元には、英国出張の書類。
内ポケットから、小さな包みを取り出す。
戻ってきたハンカチは、一枚だけ。
蓮太郎は、しばらく包みを見る。
小夜の声(回想)「語れなくても、会いたいと思ってくださるのか」
蓮太郎が顔を上げる。
書類と包みを持ち直す。
小夜へ伝えるために、歩き出す。



