「今日は疲れたな」
「そうだな」
相槌はしてくれているが、相変わらず疲れた様子は感じない。
今日一日一緒に行動してわかったけど、こいつは本当に運動ができるし体力がある。
本人はずっと〝人並み〟や〝普通〟と言っていたが、どう考えても人並みでもないし、普通でもなかった。
握力だって俺よりかなり強かったし、走るのも速かった。
なのに本人は最後まで大したことではないような顔をしている。
「じゃあ、帰ろうぜ」
「ああ」
教室から出ようと思ったら、俺のリュックサックがひょいっと持ち上がった。
「えーっと……返してくれる?」
これは新手のいじめだろうか。
一組のやつらが心配していたのはこれのことか?
「いや、疲れているなら俺が持ってくぞ」
そう言って、黒瀬は昇降口へ向かう。
ただ、黒瀬は優しいだけだった。
だけど相変わらずスタスタと歩くから、追いつける自信がない。
それにすでに筋肉痛になっているからか体が痛い。
「おい、待てよ!」
そう言った瞬間、黒瀬は急いで戻ってきた。
「ごめん」
「くくく、怒られた熊みたいだな」
「熊……?」
「ああ、黒瀬ってどこか大型犬風の熊に似ているからな」
「なんだそれ」
説明するのは難しいけど、大型犬風の熊が黒瀬にはピッタリだ。
今も気づいてすぐに戻ってきたからな。
まるで散歩が楽しくて先に歩いたけど、飼い主を置き去りにしたことに気づいて戻ってきた犬にそっくりだ。
今度は俺に合わせて、黒瀬も歩いていく。
ただ、普段よりはかなり遅いけどな。
「おーい、湊!」
振り返ると、そこにいたのは一組の友達だった。
「お疲れー」
「やっぱり筋肉痛か?」
「わかってるなら聞くなよ」
「ははは、去年も動けなかったからな」
確かに去年もゆっくり帰った記憶がある。
すると、友達は俺に指をさして黒瀬を見ていた。
「湊を頼むよ。きっと駅まで倍近くかかるからな」
笑いながら先に昇降口へ向かって行った。
「黒瀬も早く帰りたい――」
「いや、予定はない」
また俺が話し終える前に黒瀬は答えた。
相変わらず自分を犠牲にして優しいやつだな。
「それなら鞄を頼む」
「おう!」
黒瀬は返事をすると、嬉しそうに俺の隣を歩く。
そのまま俺たちは昇降口へ向かった。
「ほら、靴」
「助かる」
下駄箱が隣だから一緒に靴を出してくれた。
疲れているのを配慮してくれたのか、黒瀬はそれ以上何も話さなかった。
ただ、昨日より少しだけ俺との距離が近い。
靴を履く時もずっと隣にいるからな。
俺たちは学校を出て、駅に向かっていく。
駅までは徒歩で十分ほどだ。
だが、今回は駅まで二十分もかかった。
その時もずっと黒瀬は俺の隣を歩いていた。
ひょっとしたら黒瀬にしたら、俺を介抱しているような感じかもしれない。
「荷物助かった」
駅に着いた俺は黒瀬から荷物を受け取ろうとしたが、そのまま改札口を歩いていく。
「おい、荷物」
「持っていく」
「いやいや、さすがに悪いだろ」
まさか家まで着いてくる気か?
このままじゃ介抱じゃなくて介護になりそうだ。
だが、黒瀬は気にすることなく、俺に定期券を見せてきた。
「えっ……この駅って?」
「ああ、俺も帰る方向が同じ」
初めて帰った時は黒瀬は反対の乗車口に向かった。
だが、黒瀬の定期券に書かれている駅は俺の最寄り駅のさらに奥だった。
「この前はこっちじゃなかったよな?」
「……」
黒瀬が黙り込んだ。
「もしかしてわざと?」
「……」
久しぶりに何も言わずに黒瀬が黙ったままだ。
視線も合わせようとしない。
顔を覗こうとするが、そっぽ向いたまま。
まるで怒られるのを恐れた犬じゃないか。
「おーい、俺を無視するのか……。ボッチ同盟解散――」
「無視はしてない」
よほどボッチ同盟は解散したくないようだ。
さすがにまだ一週間も経ってないのに解散はないか。
だが、こっちを見た瞬間、俺は黒瀬の顔を両手で掴む。
「わざと」
黒瀬はしばらく黙ったあと、小さな声で答えた。
「なんで?」
「警戒してたから」
「えっ?」
黒瀬の言葉に俺は時間が止まったように感じた。
まさか警戒されているとは思わなかった。
まだ高橋を警戒するならわかるが、俺を警戒していたって……。
「いや、なんで俺を警戒するんだよ」
「急に話しかけてきたから」
「それだけ?」
「ああ、それだけ」
真顔で答える黒瀬。
俺はしばらく黒瀬の顔を見つめた。
「ぷっ……はははっ!」
堪えられず俺は笑ってしまった。
「ちょっと待って。じゃあ、初めて帰った時はどうしたんだ?」
「次の駅で降りて戻ってきた」
「そこまで警戒してたのかよ!」
俺は腹を抱えて笑う。
だが、黒瀬は少しだけ顔をしかめていた。
「笑うな」
「いや、だって……!」
黙って立っているだけなら、近寄りがたいというか、むしろこっちが警戒したくなるくらいだ。
それなのに――。
「めちゃくちゃ警戒心強いじゃん」
「……」
「まるで森から出てきたばかりの熊だな」
「俺は熊じゃないぞ。ほら、そんなに毛も生えてない」
黒瀬は必死に腕や脚を見せてくる。
真剣に熊じゃないことを伝えようとするから、さらに笑ってしまう。
黒瀬は不満そうにしているけど、怒っているというよりどこか困っているようにも見えた。
「冗談だって!」
「冗談かよ……」
さすがに人間と熊を間違えることはない。
むしろ俺が熊と人間の見分けがつかないやつだと思われているのか?
それはそれでボッチ同盟どころではないだろう。
「今日は逃げないんだな」
「もう警戒してないから」
「そっか」
なんだか少し嬉しくなった。
ボッチ同盟を組んでから、黒瀬との距離は少しずつ近くなっている。
最初は挨拶を返すだけだったのに、今では普通に話せる。
こうやって冗談を言いながら、一緒に帰ることもできる。
当の本人は冗談かどうかわかってなさそうだけどな。
「じゃあ、もう俺は怪しい奴じゃないってことだな」
「ああ」
「よかった」
俺は笑ってまた歩き始めた。
黒瀬も隣を歩いていく。
長い脚のくせに、俺に合わせるように歩く速度はゆっくりだ。
「そういえば、一組のやつらに湊って呼ばれてただろ?」
「うん」
「俺も湊って呼んだほうがいいか?」
「え?」
また唐突な質問だった。
「別にどっちでもいいけど」
「そうか」
「黒川でも湊でも好きなほうでいいよ」
俺がそう答えると、黒瀬は少し考えるように黙った。
「なら……湊で」
黒瀬が俺の名前をボソッと呼ぶ。
今までは黒川だったから、聞き慣れないな。
「じゃあ、俺も蓮って呼ぶわ」
「……」
また黒瀬……いや、蓮は静かになった。
冗談だと思っているのか?
「冗談じゃないぞ?」
「いや」
黒瀬は前を向いたまま答える。
「それでいい」
「じゃあ、よろしくな。蓮」
「……ああ」
返事はいつもと変わらない。
だけど、耳がまた少し赤くなっているような気がする。
照れているのだろうか。
まあ、俺もいきなり名前で呼ぶのは少し恥ずかしい。
「蓮」
「なんだ?」
「いや、呼んでみただけ」
「……」
俺も練習がてら蓮の名前を呼んでみる。
だけど、蓮はまた静かになる。
きっと名前で呼ばれて戸惑っているのだろう。
「もう一回呼んでいい?」
「好きにしろ」
「じゃあ、蓮」
「……ああ」
明らかにまだ戸惑っているのが見えるから、見ていて面白い。
俺は笑いながら電車に乗っていく。
「あっ、そういえば俺あそこの喫茶店で働いているぞ」
途中の駅で停車した際に、俺が働いている喫茶店が目に入った。
学校と家の間にあり、駅近だから選んだ。
ただ、そんな理由だったけど、こじんまりとしているから、働きやすいんだよな。
「いつ働いているんだ?」
「基本は土日の朝から昼過ぎにいるかな」
「そうか……。また寄ってみる」
「ああ、売り上げに貢献してくれ」
ちゃっかりバイト先の宣伝をしていると、俺の最寄り駅に到着した。
「荷物ありがとね! じゃあ、蓮また来週!」
「おう。また明日!」
蓮の言葉を聞いた瞬間、少しだけ胸が温かくなった。
俺は蓮に向けて手を上げて電車から降りた。
「そういえば、蓮のやつまた明日って言ってたよな……」
まだ蓮と呼ばれ慣れてないのだろう。
名前を呼んだ瞬間、ビクッとしていたからきっと間違えたんだな。
「そうだな」
相槌はしてくれているが、相変わらず疲れた様子は感じない。
今日一日一緒に行動してわかったけど、こいつは本当に運動ができるし体力がある。
本人はずっと〝人並み〟や〝普通〟と言っていたが、どう考えても人並みでもないし、普通でもなかった。
握力だって俺よりかなり強かったし、走るのも速かった。
なのに本人は最後まで大したことではないような顔をしている。
「じゃあ、帰ろうぜ」
「ああ」
教室から出ようと思ったら、俺のリュックサックがひょいっと持ち上がった。
「えーっと……返してくれる?」
これは新手のいじめだろうか。
一組のやつらが心配していたのはこれのことか?
「いや、疲れているなら俺が持ってくぞ」
そう言って、黒瀬は昇降口へ向かう。
ただ、黒瀬は優しいだけだった。
だけど相変わらずスタスタと歩くから、追いつける自信がない。
それにすでに筋肉痛になっているからか体が痛い。
「おい、待てよ!」
そう言った瞬間、黒瀬は急いで戻ってきた。
「ごめん」
「くくく、怒られた熊みたいだな」
「熊……?」
「ああ、黒瀬ってどこか大型犬風の熊に似ているからな」
「なんだそれ」
説明するのは難しいけど、大型犬風の熊が黒瀬にはピッタリだ。
今も気づいてすぐに戻ってきたからな。
まるで散歩が楽しくて先に歩いたけど、飼い主を置き去りにしたことに気づいて戻ってきた犬にそっくりだ。
今度は俺に合わせて、黒瀬も歩いていく。
ただ、普段よりはかなり遅いけどな。
「おーい、湊!」
振り返ると、そこにいたのは一組の友達だった。
「お疲れー」
「やっぱり筋肉痛か?」
「わかってるなら聞くなよ」
「ははは、去年も動けなかったからな」
確かに去年もゆっくり帰った記憶がある。
すると、友達は俺に指をさして黒瀬を見ていた。
「湊を頼むよ。きっと駅まで倍近くかかるからな」
笑いながら先に昇降口へ向かって行った。
「黒瀬も早く帰りたい――」
「いや、予定はない」
また俺が話し終える前に黒瀬は答えた。
相変わらず自分を犠牲にして優しいやつだな。
「それなら鞄を頼む」
「おう!」
黒瀬は返事をすると、嬉しそうに俺の隣を歩く。
そのまま俺たちは昇降口へ向かった。
「ほら、靴」
「助かる」
下駄箱が隣だから一緒に靴を出してくれた。
疲れているのを配慮してくれたのか、黒瀬はそれ以上何も話さなかった。
ただ、昨日より少しだけ俺との距離が近い。
靴を履く時もずっと隣にいるからな。
俺たちは学校を出て、駅に向かっていく。
駅までは徒歩で十分ほどだ。
だが、今回は駅まで二十分もかかった。
その時もずっと黒瀬は俺の隣を歩いていた。
ひょっとしたら黒瀬にしたら、俺を介抱しているような感じかもしれない。
「荷物助かった」
駅に着いた俺は黒瀬から荷物を受け取ろうとしたが、そのまま改札口を歩いていく。
「おい、荷物」
「持っていく」
「いやいや、さすがに悪いだろ」
まさか家まで着いてくる気か?
このままじゃ介抱じゃなくて介護になりそうだ。
だが、黒瀬は気にすることなく、俺に定期券を見せてきた。
「えっ……この駅って?」
「ああ、俺も帰る方向が同じ」
初めて帰った時は黒瀬は反対の乗車口に向かった。
だが、黒瀬の定期券に書かれている駅は俺の最寄り駅のさらに奥だった。
「この前はこっちじゃなかったよな?」
「……」
黒瀬が黙り込んだ。
「もしかしてわざと?」
「……」
久しぶりに何も言わずに黒瀬が黙ったままだ。
視線も合わせようとしない。
顔を覗こうとするが、そっぽ向いたまま。
まるで怒られるのを恐れた犬じゃないか。
「おーい、俺を無視するのか……。ボッチ同盟解散――」
「無視はしてない」
よほどボッチ同盟は解散したくないようだ。
さすがにまだ一週間も経ってないのに解散はないか。
だが、こっちを見た瞬間、俺は黒瀬の顔を両手で掴む。
「わざと」
黒瀬はしばらく黙ったあと、小さな声で答えた。
「なんで?」
「警戒してたから」
「えっ?」
黒瀬の言葉に俺は時間が止まったように感じた。
まさか警戒されているとは思わなかった。
まだ高橋を警戒するならわかるが、俺を警戒していたって……。
「いや、なんで俺を警戒するんだよ」
「急に話しかけてきたから」
「それだけ?」
「ああ、それだけ」
真顔で答える黒瀬。
俺はしばらく黒瀬の顔を見つめた。
「ぷっ……はははっ!」
堪えられず俺は笑ってしまった。
「ちょっと待って。じゃあ、初めて帰った時はどうしたんだ?」
「次の駅で降りて戻ってきた」
「そこまで警戒してたのかよ!」
俺は腹を抱えて笑う。
だが、黒瀬は少しだけ顔をしかめていた。
「笑うな」
「いや、だって……!」
黙って立っているだけなら、近寄りがたいというか、むしろこっちが警戒したくなるくらいだ。
それなのに――。
「めちゃくちゃ警戒心強いじゃん」
「……」
「まるで森から出てきたばかりの熊だな」
「俺は熊じゃないぞ。ほら、そんなに毛も生えてない」
黒瀬は必死に腕や脚を見せてくる。
真剣に熊じゃないことを伝えようとするから、さらに笑ってしまう。
黒瀬は不満そうにしているけど、怒っているというよりどこか困っているようにも見えた。
「冗談だって!」
「冗談かよ……」
さすがに人間と熊を間違えることはない。
むしろ俺が熊と人間の見分けがつかないやつだと思われているのか?
それはそれでボッチ同盟どころではないだろう。
「今日は逃げないんだな」
「もう警戒してないから」
「そっか」
なんだか少し嬉しくなった。
ボッチ同盟を組んでから、黒瀬との距離は少しずつ近くなっている。
最初は挨拶を返すだけだったのに、今では普通に話せる。
こうやって冗談を言いながら、一緒に帰ることもできる。
当の本人は冗談かどうかわかってなさそうだけどな。
「じゃあ、もう俺は怪しい奴じゃないってことだな」
「ああ」
「よかった」
俺は笑ってまた歩き始めた。
黒瀬も隣を歩いていく。
長い脚のくせに、俺に合わせるように歩く速度はゆっくりだ。
「そういえば、一組のやつらに湊って呼ばれてただろ?」
「うん」
「俺も湊って呼んだほうがいいか?」
「え?」
また唐突な質問だった。
「別にどっちでもいいけど」
「そうか」
「黒川でも湊でも好きなほうでいいよ」
俺がそう答えると、黒瀬は少し考えるように黙った。
「なら……湊で」
黒瀬が俺の名前をボソッと呼ぶ。
今までは黒川だったから、聞き慣れないな。
「じゃあ、俺も蓮って呼ぶわ」
「……」
また黒瀬……いや、蓮は静かになった。
冗談だと思っているのか?
「冗談じゃないぞ?」
「いや」
黒瀬は前を向いたまま答える。
「それでいい」
「じゃあ、よろしくな。蓮」
「……ああ」
返事はいつもと変わらない。
だけど、耳がまた少し赤くなっているような気がする。
照れているのだろうか。
まあ、俺もいきなり名前で呼ぶのは少し恥ずかしい。
「蓮」
「なんだ?」
「いや、呼んでみただけ」
「……」
俺も練習がてら蓮の名前を呼んでみる。
だけど、蓮はまた静かになる。
きっと名前で呼ばれて戸惑っているのだろう。
「もう一回呼んでいい?」
「好きにしろ」
「じゃあ、蓮」
「……ああ」
明らかにまだ戸惑っているのが見えるから、見ていて面白い。
俺は笑いながら電車に乗っていく。
「あっ、そういえば俺あそこの喫茶店で働いているぞ」
途中の駅で停車した際に、俺が働いている喫茶店が目に入った。
学校と家の間にあり、駅近だから選んだ。
ただ、そんな理由だったけど、こじんまりとしているから、働きやすいんだよな。
「いつ働いているんだ?」
「基本は土日の朝から昼過ぎにいるかな」
「そうか……。また寄ってみる」
「ああ、売り上げに貢献してくれ」
ちゃっかりバイト先の宣伝をしていると、俺の最寄り駅に到着した。
「荷物ありがとね! じゃあ、蓮また来週!」
「おう。また明日!」
蓮の言葉を聞いた瞬間、少しだけ胸が温かくなった。
俺は蓮に向けて手を上げて電車から降りた。
「そういえば、蓮のやつまた明日って言ってたよな……」
まだ蓮と呼ばれ慣れてないのだろう。
名前を呼んだ瞬間、ビクッとしていたからきっと間違えたんだな。



