ボッチ同盟を組んだだけなのに、どこか彼の距離感がおかしい

 次は長座体前屈。
 マットの上に座り、足を伸ばす。

「どこまで伸ばせばいいんだっけ?」
「できるだけ前」
「それはわかってる」

 今も体育教師の目がキラリと光っている。
 早くやらないと注意されるだろう。
 だが、黒瀬が隣に座っているため、前に置かれた測定器が動かしづらい。

「……黒瀬」
「ん?」
「近くない?」

 歩いているわけでもないのに、肩が触れそうな距離にいる。
 別に嫌というわけではない。
 ただ、さっきから思っていたけど、黒瀬の距離感が近い。
 最初は人と関わるのが苦手そうだったのに、今では普通に俺の隣にいる。
 むしろ近すぎて俺が驚いているぐらいだ。

「そうか?」

 黒瀬は自分の位置を確認するように少しだけ横を見る。

「うん。結構近い」

 黒瀬は少し黙った。
 もしかしてまた気に触ることを言ったのだろうか?

「嫌か?」

 予想していなかった言葉に俺は一瞬黙った。

「別に嫌じゃない――」
「ならいい」

 その返事が妙に早かった。
 黒瀬は動くこともなく、そのままの距離にいた。

「いや、離れる選択肢は?」
「必要ないだろ」

 思わず笑ってしまう。
 昨日までは絶対にこんな距離で隣に座るようなタイプには見えなかった。
 それだけ心を開いてくれたのか?

「お前ら早くしろよー」

 先生の声が体育館に響く。

「やべっ!」

 前に置かれた測定器を押しながら、体を曲げて行く。
 その結果をすぐに黒瀬が記載する。

「次は黒瀬の番だな」

 俺は立ち上がると、黒瀬の邪魔になると思い少しだけ距離を空ける。

「遠くないか? そんなところだと目盛りが見えないだろ」
「……いや、そんなことないよ」

 別に測り終えてから目盛りを見に行けばいい。
 だけど、黒瀬は少しムッとしながら体を前屈する。
 ……あれ?
 今、前屈したのか?

「早く見てくれ」
「えっ、今前屈した?」

 俺の言葉に黒瀬はすぐに頷いた。
 思わずその姿に俺はクスッと笑ってしまう。

「だから近くで見て欲しかったのか」

 きっと体が硬いことを他の人に見られたくなかったのだろう。
 それに少ししか測定器が動いてないから、近くで見ないと動いたかどうかも分かりづらい。

「黒瀬って体が硬いんだな」
「別に硬くはない」

 そう言って、黒瀬は測定器を動かして立ち上がった。

「次に行くぞ」
「ちょ、まだ紙に書いてないって」

 そんなに人に見られるのが嫌なのか。
 黒瀬は俺の腕を掴んで歩いていく。
 今回は勝手に一人で歩くわけじゃないんだな。
 確かに次から次へと他の生徒たちが集まってくるから、ずっといたら邪魔になっちゃう。
 長座体前屈の測定を終え、俺たちは次の種目へ向かう。

「次は反復横跳びか」
「そうみたいだな」

 記録用紙を見ながら、体育館の中央へ向かう。
 ただ、さっきから少し気になっていることがある。
 黒瀬との距離がやたら近い。
 さっき一組のやつらと話したあとから、明らかに近くなっている気がする。
 歩く速度もそうだ。
 俺に合わせているというより、ほとんど真横に張りつくように歩いている。

「黒瀬」
「なんだ?」
「やっぱり近くない?」
「……そうか?」
「うん」

 俺の言葉に黒瀬は首をかしげる。

「邪魔?」

 さっきから邪魔かと聞いてくるが、それでうんと答えられたら結構傷つくだろう。
 俺だってそんなこと言われたくないからな。

「いや、別に」

 俺がそう言うと、黒瀬は少しだけ安心したような顔をした。
 やっぱりよくわからないな。

「じゃあ、これでいいな」

 黒瀬は満足したのか、特に話すこともなく体育館の真ん中へ移動する。

「次は俺たちの番だな」
「ああ」

 先生がやり方を説明している間、俺は足元の線を確認する。

「黒瀬、これ何回くらいいけそう?」
「普通」
「またそれ? 絶対普通じゃないと思う」

 握力はあったが、体は極端に硬い。
 動きは素早いから、反復横跳びはたくさんできそうだな。

「……じゃあ、黒川よりはできる」
「それは俺よりできるだけじゃん」

 先生がスタートの合図をすると、俺は線をまたいで左右に動く。

「くっ……」

 思ったよりきつい。
 左右に動くだけなのに、何度も繰り返していると脚が重くなる。

「黒川、もっと速く」
「わかってる!」

 隣から黒瀬の声が飛んでくる。
 俺は必死に足を動かした。

「止まれー!」

 体育教師から終了の合図が鳴る。

「はぁ……はぁ……」

 息を整えながら、その場に立つ。

「何回だった?」
「四十五回」
「まあまあじゃない?」
「普通だな」
「黒瀬、これが普通ってやつだからな」

 俺が平凡なのはわかっている。
 次は黒瀬の番だ。
 俺は記録用紙を持って、その姿を見る。

「じゃあ、いくぞ」

 開始の合図とともに、黒瀬が動いた。

「速っ……」

 さっきまでの話は何だったんだ。
 左右に身体を切り返すたび、大きくぶれることなく、足元の線を正確に踏んでいる。
 普通なら上半身まで振られるはずなのに、黒瀬は腰の位置がほとんど変わらない。
 長い脚だけが伸び縮みして、最低限の動きで左右の線を踏んでいた。
 まるで脚だけが動いているように見える。
 普通って言ってたのに、動きが明らかに普通ではない。
 それにとにかく脚が長い。
 自慢しているかのように脚を見せつけてくる。
 ……いや、反復横跳びをしているだけか。

「すご……」

 思わず呟いてしまう。
 目を見開き数えるのも必死だ。

「何回?」

 測定時間を終えると、黒瀬は声をかけてきた。
 全く息切れもしていない姿を見ると、耐久性もあるのだろう。

「六十八回」
「普通だな」
「いやいや、なわけないだろ!」

 ついつっこんでしまった。
 六十八回が普通なら俺は雑魚でしかない。

「黒瀬、これは普通じゃないぞ」
「そうか? 脚の長さが違うからな」
「それは俺を慰めてる?」
「ああ」

 どうやら俺の脚が短いと言っているわけではないようだ。
 まあ、そこまで俺の脚が長いわけではないけどさ。

「ならいいけど」

 俺は黒瀬の記録用紙に数字を書き込む。
 そのまま次の種目へ向かう。
 だけど、やっぱり距離が近いんだよな。

「次は立ち幅跳びだって」
「わかった」
「今度は黒瀬が先にやる?」
「いや、黒川からでいい」
「そうか」

 きっと黒瀬から測定して、俺を落ち込ませないようにでもしてるのか。
 立ち幅跳びって明らかに黒瀬の方が飛びそうだもんな。
 次はグラウンドで測定になるため、一度昇降口で靴に履き替えて測定場所へ向かう。
 立ち幅跳びを終えると、今度はソフトボール投げ。
 そこでも黒瀬はやっぱり普通じゃなかった。
 立ち幅跳びは三百十cmでソフトボール投げは六十mを超えていた。
 あまりのかけ離れた結果に、陸上部の顧問をしている体育教師に「部活に入らないか」と声をかけられていた。
 断りづらそうにしていた黒瀬に俺が声をかけて助けたぐらいだ。
 ちなみに俺は立ち幅跳びは二百cmもないし、ソフトボール投げに至っては二十mもなかった。
 これじゃあ、平凡よりただの運動音痴だな。

「最後が持久走か……」

 一番苦手な競技がやってきた。
 俺たちは門から出て、体育教師が立っているところまで向かう。

「黒川は走るのが嫌いなのか?」
「かなり」

 走るのが嫌いだから、運動部の選択がなかったぐらいだ。
 持久走に関しては、真面目に走らないと補講になるかもしれない。

「そうか。いざとなったら俺が教室まで運んであげる」

 黒瀬を見ると片方の口元がニヤリと上がっていた。

「ならそうしてもらおうか? 言ったことはちゃんと守れよ?」

 持久走の後は本当に死んでるぐらいぐったりしているからな。
 ただ、こうやって冗談を言っていると本当に仲の良い友達みたいだ。
 ボッチ同盟ってその場で考えた言葉だけど、良い選択だったのかもしれない。

「そういえば、黒瀬は一組の友達と昼食べるんだろ?」
「ああ、そんな話をしていたな」

 あとでメッセージを送るって返事していた。
 でも、俺が行ったら黒瀬が一人で食べるのだろうか。
 ポツンと教室で食べている姿は、どこか胸にくるものがある。
 それもこうやって普通に話せるようになった友達だからこそ、見てはいられないだろう。

「黒瀬も一緒に行くか?」

 せっかくなら黒瀬も連れて行けばいい。
 あいつらなら黒瀬がいても何も思わないはずだ。
 そう思ったが、黒瀬はその場で黙った。
 やっぱり人見知りだから、急に色んな人と食べるのは嫌なのかもしれない。
 立ち止まった黒瀬を俺は見つめる。

「嫌だったら――」
「俺は黒川と二人で食べたい」
「え?」
「ボッチ同盟だから……」
「ああ、そういうことか」

 確かに一緒に昼飯を食べるのはボッチ同盟の特典みたいなものだからな。
 別に一組で絶対食べたいわけでもないし、黒瀬が嫌なら仕方ない。

「じゃあ、今日も一緒に食べる?」
「ああ」
「でも、少しだけ一組の友達に顔を出してくるからな」

 せっかく誘ってもらえているから、一組のやつらにも説明はしておいた方がいいだろう。

「……わかった」

 黒瀬は少しだけ残念そうな顔をした。

「どうした?」
「いや」
「何かあるなら言ってくれよ」
「……別に」

 黒瀬は突然歩き出す。
 それもさっきより歩くのが速くなっている。

「ちょっと、また速くなってるって」
「あっ……」

 黒瀬が急に立ち止まる。

「悪い」
「せめて置いていかない程度にしてくれよ」
「わかった」

 そう言って、黒瀬は俺の隣に戻ってきた。
 今度は俺の歩幅に合わせるように、ゆっくり歩いている。

「黒川」
「んっ?」
「昼一緒に食べるから」
「うん」
「絶対な」
「わかってるって」

 なんでそこまで念を押すんだ。
 まるで俺が一組に顔を出して、取られないように言っているみたい。
 俺そんなに頼りないんかな?
 ちゃんと言ったことは守る男だぞ。

「ボッチ同盟だもんな」

 俺は笑いながら答えた。

「そうだな」

 黒瀬は小さく頷く。
 その声はさっきより少し嬉しそうだった。
 持久走を終えれば、体力テストは終わりだ。

「最後まで頑張ろうな」
「黒川がな」
「なっ……また運動音痴の俺をバカにしたな」

 確かに俺が頑張るのは間違いない。
 気を抜くと補講になりそう持久走だからな。