ボッチ同盟を組んだだけなのに、どこか彼の距離感がおかしい

「次、上体起こしだって」
「ああ」
「俺苦手なんだよな」

 次はマットの上で一斉に上体起こしが始まっていた。
 前にやっていた生徒たちが終わると、今度は俺たちの番だ。

「えーっと……足を押さえればいいのか?」

 体育館の端にあるマットに俺は膝を曲げて寝転ぶ。
 黒瀬が俺の足元にしゃがみ込むと、両足をしっかりと押さえる。

「無理するなよ」
「黒瀬って意外と心配性だな」

 黒瀬なりに心配してくれたのだろう。
 でも、ある程度は頑張らないと補講になるからな。

「じゃあ、始めるぞー! よーい、スタート!」

 体育教師の声を合図に一斉に体を起こしていく。
 みんなの速度に合わせてついていくが、すぐに限界が見えてきた。

「きつい……」
「まだ十五回しかできてないぞ」
「もう無理かもしれない」

 俺の腹筋は小刻みに震えている。
 すでに腹筋は限界寸前だ。

「早いって」
「だって腹筋苦手なんだよ」
「まるで打ち上げられた魚みたいだな」

 黒瀬が小さく笑った。

「やめてくれ……」

 まさか黒瀬がそんな冗談を言うとは思わず、俺も笑ってしまう。

「ほら、先生が見てるぞ」
「鬼……」

 体育教師からの視線を感じて、すぐに上体を起こしを続けていく。

「黒川、頑張れ」
「言われなくても頑張ってるって」

 俺は息を切らしながら身体を起こす。
 黒瀬が足を押さえてくれているおかげで、勢いよくなんとか回数を重ねられた。

「終わりだ!」
「はぁー」

 俺はそのまま力を抜いて、マットに倒れ込んだ。
 だが、二十回できただけでも十分だろう。

「疲れた……」
「大丈夫か?」
「大丈夫。まだ生きている」

 どこか心配そうに見てくる黒瀬に少し嬉しくなる。

「次は黒瀬な」
「ああ」

 今度は俺が黒瀬を笑わせる番だな。
 交代して俺が黒瀬の足を押さえる。

「乗った方がいいぞ」
「乗る?」

 黒瀬が仰向けになる。
 俺は言われた通りに、黒瀬の足に乗って、腕をふくらはぎに巻きつけるように抱きつく。

「じゃあ、始めるぞー」

 体育教師の一声を合図に黒瀬はすぐに身体を起こした。

「おっ……ちょっ……」

 黒瀬が体を起こそうとすると、俺の体がわずかに浮く。
 ジーッと視線が刺さる。
 言われた通りに乗ったが、俺の体重が軽かったようだ。
 だが、黒瀬はすぐに修正したのか、足が浮かないように上体を起こしてくれた。
 臨機応変にできるってことは、やはり運動ができる証拠だろう。
 俺が必死になってやったのと同じ回数を、黒瀬はほとんど息も乱さずに越していく。

「黒瀬、速すぎない?」
「そうか? 黒川が遅いだけだろ」

 冗談を言う余裕すらあるのだろう。

「それを言うなよ」

 黒瀬の口元が少しだけ緩む。
 数日前はずっと無表情だったのに、最近は黒瀬が笑うところをよく見る気がする。
 もしかしたら、俺といることにも慣れてきたのかもしれない。

「終わりだ!」

 終わりの合図とともに黒瀬が起き上がる。
 自然と足に乗っていた俺と距離が近くなる。
 視線を感じるから俺の顔は見えているのだろう。

「いらっしゃいー!」

 俺はそんな黒瀬の前髪をお店の暖簾のようにかき分ける。
 やっぱり俺をジーッと見ていた。

「やっぱり余裕そうだな」
「普通だ」
「三十秒で三十六回もできて何が普通だよ」

 黒瀬は困ったように頭を掻いた。
 途中でやり方を変えたのに、俺よりも十回以上多い。

「さすがに何回聞いても普通じゃないからな」
「そうか」

 そう言って、黒瀬は顔を振って再び前髪を元に戻した。
 そんなに目を見られたくないのだろうか。
 目つきが悪いならわかるが、特にそんな印象はないけどな。

「じゃあ、次行こうぜ」
「ああ」

 俺たちは記録用紙を持って、次の種目へ向かう。
 
「次は長座体前屈だって」
「体育館の奥か」
「じゃあ行こう」

 俺が先に歩き出すと、黒瀬もすぐ隣に並んだ。
 さっき階段で俺に合わせてくれたときと同じように、歩く速度は俺とほとんど変わらない。

「黒瀬って慣れたら距離感近くなるタイプ?」
「いや、そんなこともない」

 そう言っても、ほぼベッタリと俺の隣を歩いている。
 たまに俺の腕が黒瀬の体に当たるぐらいの距離感だ。
 特に気にはならないけど、一緒の幅で歩こうとしたら寄ってくるのかな?

「離れた方がいいか?」
「いや、別にいいんじゃない。あんな感じじゃないし」

 目の前にはクラスメイトに肩を組んでもたれかかる高橋がいた。
 いや、あれはもはや運ばれているのに近いか。

「俺がもたれたら黒川潰れるだろ」
「はぁん!? 俺だってあれぐらいできるぞ!」

 黒瀬の腕を俺の肩に回してみたが、すぐに無理だと気づいた。
 明らかに肩に乗る腕が重いし太い。
 それに俺の頭が黒瀬の顎に当たるから、そのまま潰れる自信しかない。

「うん、やめておこう」
「その方がいい」

 チラッと見た黒瀬の口角は少し上がっていた。

「俺があと5cm身長伸びたらできるからな。また来年だ」
「来年か」
「あっ、絶対伸びないと思ってるだろ。俺も成長期――」
「悪くない」
「えっ……何が?」
「そう言われるの」
「もたれる気満々かよ」

 黒瀬は思ったよりもノリがいいようだ。
 普段はあまり喋らないのに、俺が話しかけるとちゃんと返してくれる。
 ボッチ同盟で同じボッチだけど、かなり付き合いやすい相手だ。
 騒ぎすぎずに静かなところも一緒にいやすい。
 そんなことを考えながら歩いていると、前方から見覚えのある顔が見えた。

「あれ?」

 向こうから歩いてきた男子が、俺に気づいて手を上げる。

「おーい、湊!」
「あっ」

 前を歩いてきたのは一組の連中だ。
 長座体前屈を測り終えたのだろう。

「湊、上体起こしできたか?」
「おいおい、去年の俺からレベルアップしたんだぞ!」
「去年、十九回ぐらいだったよな?」
「今回は二十回だ!」
「一緒じゃん」
「いや、一回増えたわ!」

 前のクラスメイトとは久しぶりに話すような気がする。
 クラス替えをしてからまだ数日しか経っていないのに、こうやって会うと少し懐かしい。

「そういや、昨日のメッセージ見た?」
「見た見た。昼飯のやつだろ?」
「そう。一緒に食おうぜ」
「えー、そっちまで遠いじゃん!」
「寂しいこと言うなよ」

 じゃれてくる友達を俺は必死に引き剥がす。
 相変わらず馴れ馴れしいノリは嫌いじゃない。

「じゃあ、またメッセージ送るわ」
「ああ、またな!」

 友達はそう言って、俺たちがやっていた上体起こしの場所へ向かって行った。

「……」

 隣から何も聞こえない。

「黒瀬?」

 隣を見ると、黒瀬はその場にはいなかった。
 俺はキョロキョロすると、後ろの方で立ち止まっていた。
 いつのまに後ろへ下がったのだろうか。
 ……いや、俺があいつらに向かって行ったのか。
 黒瀬は一組の連中が去っていく方向を見ていた。

「どうした?」
「……別に」
「そう?」
「ああ」

 なんとなく様子がおかしい。
 さっきまで普通に話していたのに、急に口数が少なくなった。

「俺が前いたクラスの友達」
「うん」
「昼飯を一緒に食べる約束してたんだな」
「んー、そうだったんだけど教室が遠いからさ」

 黒瀬の返事が返ってこない。
 怒っているわけではなさそうだけど、どこか機嫌が悪いような気もする。

「黒瀬?」
「……黒川」
「どうした?」
「お前、友達いたんだな」

 まさかボッチ同盟を組んだのは、俺が本当に友達がいないと思っていたのか?
 詳しくは話してはなかったけど……。

「クラスではボッチだよ?」
「そうか」

 クラスでボッチなのは事実だ。
 友達が六組には一人もいなかったからな。

「ボッチじゃないじゃん」

 黒瀬はそれだけ言って歩き出した。

「何が?」

 俺は思わず聞き返す。

「いや、俺たちボッチ同盟だろ?」
「そうだな。俺はこのクラスには友達はいないし、黒瀬も一人だろ?」
「そうだな」

 やっぱり俺に友達がいたことに、黒瀬は気にしているのだろう。
 せっかく仲良くなったのに、なぜか黒瀬から距離を感じる。

「だから成立してるじゃん」
「そうか」

 黒瀬は小さく呟いた。
 なんとなく納得していないように見える。
 その証拠にさっきよりも少しだけ歩くのが速くなっている。

「ちょっと待ってって!」

 俺が追いつこうとすると、黒瀬はすぐに歩く速度を落とす。
 どこか怒っていても、やはり黒瀬は優しい。
 すぐに黒瀬は俺の隣に戻ってきた。
 ただ、さっきよりも少しだけ近い。
 時折腕が当たるぐらいだったのが、今は常に腕同士が触れている。

「近くないか?」
「そんなことない」
「まあ、いいけど」

 俺はそのまま歩くが、黒瀬も同じ速度で歩き離れない。
 んー、やっぱりさっきより近い気がするけど気のせいか。