追放された祈祷師は、辺境の姫騎士様に拾われる。〜戦えない僕の祈りで〝呪われ姫〟を最強の神剣使いに。戻ってこいと言われても、もう遅い〜

 村は、地獄だった。
 黒い魔物の群れが、家々の間を埋め尽くしている。先の黒狼など、比ではない数。そして、その中央に、見上げるほどの大型の魔物がいた。オーガだ。丸太のような腕を振るい、逃げ惑う村人を、家ごと薙ぎ払おうとしている。

「させません!」

 イリアが、飛び込んだ。錆びた剣が、群れを裂く。村人を庇い、退路を作り、一体、また一体と斬り伏せていく。緩んだ鎖の分だけ戻った剣技は、確かに鋭かった。
 しかし──。
 ルカには、視えていた。
 彼女が剣を振るうたびに、その身体に巻きついた黒い鎖が、ぎちぎちと食い込んでいくのが。戦えば戦うほど鎖はきつく締まり、彼女自身を痛めつけている。力を振るうことそのものが、呪いを煽っているのだ。

「はぁッ!」

 オーガの一撃を、イリアが剣で受ける。
 膝が、沈んだ。

「くっ……これしきのことでッ」

 剣先が、震えている。あの大型を仕留めるには、あと一歩の力が要るのだ。その一歩を、鎖が阻んでいた。
 村人が、崩れかけた家の陰で身を寄せ合っている。

「お、おい! 姫様、ピンチじゃないか!?」
「だ、だけど、あんな化け物、俺たちじゃ、どうにも……」

 守るべき人がいて。届かない一撃があって。その狭間で、イリアが軋んでいた。

(でも、僕は……)

 戦えない。剣も魔法も使えない、無能。
 この群れの中で自分にできることなど、何ひとつないはずだった。

(そんなことない。僕にだって、できることはあるはずだ!)

 真実から逃げなかった、あの日のように。
 無力でも祈った、あの雪原のように。
 ルカは、雪と土の上に膝をついた。
 震える指先を、口元へ運ぶ。

「──ぐッ」

 歯を立て、浅く傷をつけた。
 ぷつり、と朱い滴が一粒。その血を、雪の上へ落とす。

「お、お客人。何をなさるつもりですか?」

 ルカの奇行を見て、ヨナスが訊いてきた。

「僕は、僕のできることをやるまでです」

 答えつつ、指で円を描き、文様を刻んでいく。
 ──祈祷陣。
 血の朱が生き物のように陣の溝を走り、雪の中に、紋様が浮かび上がった。
 成功するかなんて、わからない。でも、さっきルカの祈りは、彼女の鎖を解いた。
 ならば、もっと強い祈祷術を使えば。彼女の力を、解放できるかもしれない。
 ルカは目を閉じ、祈りの言葉を紡ぎ始めた。

「──聞きたまえ。名も知らぬ神々よ。天の淵にて、耳を澄ます者よ。
 我が手は、空し。癒す力もなく、守る術もなく、捧ぐべき何も持たぬ。
 されど──空しき器なればこそ、他者の誓いを、この身に容れよう」

 紡がれた祈りが、一言ごとに淡い金の文字となって、宙へ立ち昇っていく。

「見よ。ここに、一つの誓いあり。
 己が誉れのためならず、民のために剣を抜きし者。
 凍える者に、己が衣を脱ぎ与えし者。
 名も無き命を、見捨てざりし者。
 その誓い、偽りなし。
 ──我、これを、保証する」

 この祈りが、また空を切っても構わない。
 どこにも届かなかった祈りだ。今さら、期待などしていない。
 それでも、この人のために祈りたかった。

「砕けよ──魂を縛る、黒き鎖。
 目覚めよ──錆に朽ちたと偽られし、真の刃。
 顕れよ──封ぜられしその力に、いざ、神の名を。
 我は、戦えず。剣も、術も、持たず。
 持てるは、ただ──祈りのみ。
 どこにも、届かぬこの祈り。
 されば、今──汝にのみ、届け。
 ──祝祷。〈誓約祈祷(オラティオ・フェーデリス)〉!」

 祈りが、一気に周囲へ広がった。
 そして、ルカの言葉がイリアの誓いに触れると──パキンと硝子の割れるに似た、硬質な音が戦場に響いた。
 黒い鎖の一本が、砕けたのだ。
 次の刹那。
 イリアの手の中で、錆びた剣が変わり始めた。
 赤茶けた錆の層が、光の粒となって剥がれ落ちていく。ぱらぱらと、雪に散る錆の下から現れたのは、白銀の、刃。

(やっぱり……あれは、神剣(グラディウス・レガリア)だったんだ……!)

 ルカの直感通りだ。やはり、あれはただの剣ではなかった。錆に偽られていた、その正体。白銀に燃える、神の剣。
 イリア自身が、その刀身を見つめて息を呑んでいた。
 この剣が王家の神剣だと、彼女は知っていたのだろう。継ぐ資格を持つ、王女なのだから。
 その本当の姿を。白銀に輝く刃を、生まれて初めてのもののように、見開いた瞳で追っていた。
 どうして王族の彼女があんな錆びた剣を使っていたのか、ずっと疑問だった。
 ただ、ルカは知っていた。彼女が〝呪われ姫〟以外に〝錆び姫〟とも呼ばれていたことを。
 それは、神剣(グラディウス・レガリア)を錆びさせてしまったことが原因だと噂で聞いたことがある。
 どうして神剣(グラディウス・レガリア)がその姿になってしまったのか、詳細は知らされていなかった。何か原因があるのかもしれないし、彼女が呪われたことによってあの剣の力も失われてしまっていたのかもしれない。
 それが今、目を覚ました。追放された、無能の祈祷師の祈りで。

「はぁぁぁぁッ!」

 イリアが白銀の刃を振り上げたのと、オーガが丸太の腕を振り下ろしたのは、ほぼ同時だった。
 交錯は、瞬きにも満たない。
 白銀の剣閃が雪を裂き、大気を裂いてオーガの巨体を袈裟懸けに両断した。
 どう、と二つに割れた巨体が雪煙を上げて崩れ落ちる。
 あとには、静寂だけが残った。
 村人たちが、呆然とその光景を見上げていた。
 蔑まれていた〝呪われ姫〟が。錆姫と嗤われていた人が。今、白銀の神剣を握って、化け物を、たった一太刀で屠ったのだから。

「あれが……呪われの、姫様?」
「いや、違う。あれは──王家の、神剣だ!」
「姫様は、遂に本物の神剣使いになられたのだ!」

 ざわめきが、畏れから別のものへと変わっていく。
 イリア自身も、まだ信じられないというように、手の中の白銀に見入っていた。その手が、微かに震えている。
 そして、白銀の刃を握ったまま、イリアはゆっくりとルカを振り返った。

「これは……あなたの祈り、なのですか?」

 その声は、震えていた。
 ルカがこくりと頷くと。イリアの唇が、柔らかくほどけた。泣きそうな、それでいて、この上なく晴れやかな笑顔で。

「ありがとうございます」

 彼女は言った。

「……私の、祈祷師様」

 その言葉が照れ臭くて、ルカは雪の上に膝をついたまま、天を仰いだ。
 三年間、聖杯を一度も動かせなかった祈り。無能と嗤われ、白を剥がされ、何の値もつかなかった祈り。
 それが今、人ひとりの神剣を目覚めさせた。

(僕が祈れば……この人は、誰にも負けない)

 胸の奥に、満ちてくるものがある。誇りと呼ぶにはまだ小さかった。けれど確かに温かい、その芽のようなものが、自分の中に芽生えていた。
 自分の祈りに、意味があった。
 それが、何よりも嬉しかったのだ。
 戦いの終わった村に、雪が静かに降っている。
 イリアが白銀の刃を鞘に納め、ルカのもとへ歩み寄ってきた。そして、雪に膝をつくルカへ、先程と同じく、もう一度手を差し伸べる。

「私の祈祷師様。どうか……私と一緒に、この地を支えてくれませんか?」
「僕でよければ、喜んで」

 その手を取って立ち上がり、ルカは答えた。
 今度は迷わなかった。
 自分の祈りが、彼女には通じる。
 彼女だけが、自分の祈りを必要としてくれる。
 それを、確信できたから。
 それに──。

(この呪いのことも、気になるしね)

 そう。砕けた呪いの鎖は、たった一本だけだった。彼女の魂を縛る黒い鎖は、まだ幾重にも残っている。
 白銀の神剣を取り戻して、尚。イリアは、呪われたままなのだ。

(もし、僕に役目というものがあるのなら)

 この鎖を、全部断ち切ることだろう。
 できるだろうかと不安になって、やってみせるとすぐに言い聞かせた。
 まだ始まったばかりの、その誓いのために。
 雪の降る空の下で、ひとつルカも誓いを立てる。
 この人のために祈ろう、と。