追放された祈祷師は、辺境の姫騎士様に拾われる。〜戦えない僕の祈りで〝呪われ姫〟を最強の神剣使いに。戻ってこいと言われても、もう遅い〜

 詮議の朝は、よく晴れていた。
 雪を頂いた王宮の尖塔が、冬の陽を弾いて、皮肉なほど白く輝いている。
 大広間へ通されたランド=アンセルムは、その中央に一人、立たされていた。
 左右には、諸侯が居並んでいる。あの敗戦の日、沿道で自分を憐れみ、嘲笑した貴族どもだ。今日は、その視線が憐れみですらない。冷えた、値踏みの目。次代の王の器を、もう一度量り直そうとしている。
 そして、正面の上座に。
 国王が、座していた。
 伯父の姿をこれほど間近に仰ぐのは、久しぶりだった。老いた、痩身の男。玉座に深く身を沈め、何も言わず、ただランドを見下ろしている。その顔からは、怒りも、失望も、何一つ読み取れなかった。
 ランドはその沈黙を、都合よく解した。

(……聞いてくださる。そうだ。伯父上は、身内の言葉に耳を貸そうとしておられるのだ)

 列の隅には、長官の姿もあった。他人行儀な礼を残して去った、あの男。そして反対の隅に、聖騎士団長。森で兵の半ばを失い、それでも口を噤み続けている、あの武人。
 二人とも、証人としてこの場に呼ばれている。
 好都合だ、とランドは思った。
 目の前に、被害者の物語の登場人物が揃っている。長官の讒言、辺境の反逆、妖術使いの呪い。それを、伯父の前で一息に語り切ればいい。
 勝算は、まだ、数えられる。

「陛下」

 ランドは一歩、前へ出た。声に力を込める。

「……いえ。伯父上。畏れながら、申し上げます。私は、嵌められたのでございます」

 国王は、答えない。ただ、見ていた。
 その沈黙に、ランドは勢いを得た。

「長官の讒言。辺境の、あからさまな反逆。そして……あの、追放された祈祷師の、妖しげな呪い。私は、その、すべての被害者に過ぎませぬ。哀れな駒に過ぎぬのです」

 語りながら、確信を深めていく。

(そうだ。伯父上は、聞いてくださっている。身内の、この私の言葉を。……いける。この場は、切り抜けられる)

 柱は、三本。順に立てていけばいい。
 ランドはまず、一本目の柱に手をかけた。

「あの祈祷師は」

 ランドは、声を張った。

「我らの遠征を、呪ったのです。去り際に、敗北の神託などと、縁起でもない言葉を吐き……あの呪いのせいで、聖騎士団は壊滅したのでございます!!」

 言い切って、伯父の反応を待った。
 だが、口を開いたのは国王ではなかった。

「……恐れながら」

 列の中から、進み出た者がいる。祈祷庁の装束をまとった、祈祷師たちだった。あの大聖堂で、列の後ろからあの男を無能と嗤っていた顔ぶれ。

「あれは、呪詛では、ございませぬ」

 ランドの背が、ぴくりと強張った。

「な……何を言う」
「聖杯には映らぬ、真の神託。……それが、あの者の力にございました。あの神託は、あの壊滅を、寸分違わず、言い当てておりました。日付も、場所も、崩落の刻限までも」

 祈祷師は、淡々と続ける。保身のために口を開いているのは明らかだった。だが、その口から出てくるのは、皮肉にも、動かしようのない事実ばかりだ。

「呪いの痕跡は、どこにもございませぬ。……ただ、正確な、警告にございました。そして、それを退けた記録だけが、残っております」

 別の祈祷師が、それに続いた。

「あの者の神託を、我らも初めは信じられなんだ。なれど、今にして思えば……あれは、まことの予言にございました」

 証言が、重なっていく。
 一枚、また一枚と、ランドの一本目の柱から板が剥がれ落ちていく。

(違う。違う……!!)

 ランドは胸の内で喚いた。

(あれは、呪いだったのだ。そうでなければ……そうでなければ、俺が正しい警告を嗤って退けた愚か者になってしまうではないか……!!)

 いつもの蓋を、閉めようとする。この思考の続きへ、進んではならない。
 だが、証言の声はその蓋の隙間からじわじわと染み込んでくる。
 一本目の柱が、音を立てて傾いだ。
 ランドは二本目の柱へ逃げた。

「……長官だ!」

 列の隅のあの男を、指さす。

「そこにいる、祈祷庁長官! 連れ戻せと入れ知恵したのは、この男。あの祈祷師を無能と査定し、追放を、誰より熱心に囃し立てたのも、この男だ!! 私は、この讒言に、踊らされたに過ぎませぬ!!」

 長官が、歩み出た。
 そして国王へ、深々と一礼する。ランドのほうは見もしない。

「畏れながら、陛下へ、申し上げます」

 その声は、この期に及んで、少しも揺らいでいなかった。

「私は、聖杯の示す査定をそのまま読み上げたに過ぎませぬ。数字が、そう出た。ゆえに、そう申し上げた。……それは、祈祷官の務めにございます」
「貴様……ッ」
「追放をご決断なされたのは、殿下。遠征を、お決めになったのも、召還の使者を、お放ちになったのも……すべて、殿下の御名においてなされたこと。記録がそれを示しておりましょう」

 記録。
 その一語に、喉が締めつけられた。
 残っているのは、ランドの決断ばかりだ。遠征の勅も、追放の命も、使者を放った下知も。すべてランドの名で、紙に刻まれている。だが、あの夜の、二人きりの入れ知恵は。あの、口約束は。
 どこにも、残っていない。

「……ぐ」

 ランドは、言葉に詰まった。
 この男は、それを最初から見越していた。決して紙に残さなかった。口先だけで私をこの失態の淵へ突き落とし、自分は涼しい顔で、記録の外へ逃げおおせたのだ。
 そして長官は、畳みかけるように、国王へ新たな餌を差し出した。

「陛下。あの祈祷師の力は……本人が、戻らずとも。祈祷庁が聖杯にてその術式を解き明かし、技として再現いたしまする。辺境の力とて、いずれは王家の管理下へ。庁の威信にかけて、必ずや」

 国王はそれを、退けなかった。ただ、頷いたようにも見えた。
 ランドはその光景を、剥ぎ取られる側から見ていた。
 共にあの無能を嗤い、共にあの男を雪の中へ捨てた。その相棒が、今、その捨てたはずの男の力を手柄の種にして、生き延びようとしている。この王太子を、踏み台にして。

(……なぜだ。この男が、俺を、嵌めたのだ。それを、なぜ、誰も、裁かぬ)

 二本目の柱も、ランドの手を離れて崩れ落ちた。
 残るは、一本。
 辺境の、反逆。
 ランドは最後の柱に、すべての重みをかけた。

「……ならば、辺境はどうなのですッ!?」

 声が、上ずっている。

「あの田舎砦は、王命を正面から蹴ったのです! 王家の召還に、剣を向け、牙を剥いた! これが反逆でなくて、なんだと言うのですか!?」

 そして、ランドは藁を掴む思いで、最後の一人へ顔を向けた。

「団長! 貴様ならわかるはずだ。貴様もあの場にいた。……いや、あの砦の増長を、伝え聞いたであろう! 武人なら、王家への反逆を断じて許せぬはずだ。そうであろう!?」

 聖騎士団長が、ゆっくりと顔を上げた。
 その顔はいつもと変わらず、感情を映していない。

「……私は」

 団長は、言った。

「見た事実しか、申せませぬ」

 縋るようなランドの視線を、団長は受け止めなかった。ただ、国王のほうへ身体を向けている。

「辺境は、救援を拒まれました。にもかかわらず、自力で、あの大群を退けた。王命を拒んだのは、それが召還を装うた、私命であったがゆえ。反逆の意は……あの地には、ございませぬ」
「団長、貴様まで……ッ!!」

 だが、団長はランドを見なかった。
 そして、しばし、逡巡するように口を噤んでから。武人は、腑に落ちぬ、という顔で続けた。

「……ひとつ。今もって、解せぬことが、ございます」

 その声が、わずかに低くなる。

「あの森の、退却。我らは、兵の半分を失いました。なれど、全滅は免れた。あの混乱の中で。なぜ、我らは生き残れたのか」

 団長の目が、遠くを見た。

「見えぬ手が、兵の背をかばうたかのようでございました。あの祈祷師が王都を去った、あの日を境に。我らの、運は……確かに、傾いたように思えてなりませぬ」

 言いさして、団長はまた、口を噤んだ。
 それ以上は、言わない。確信までは至っていないのだろう。ただ、武人の勘だけが何ごとかを掴みかけている。その気配だけを、そこへ残して。
 だが、ランドには、その述懐がとどめだった。
 三本目の柱も、折れた。
 誰も、味方しない。血縁の伯父も。共犯の長官も。武人の団長も。
 この大広間に、ランド=アンセルムの側に立つ者は、もうただの一人もいなかった。
 柱は、すべて、折れた。
 被害者の物語は、もう語り続けられない。
 それでも、ランドはいつものように蓋を閉めようとした。この思考の先へ進んではならない。あの結論にだけは、辿り着いてはならない。
 だが。
 その蓋に、手をかけたとき。

「ランド」

 国王が、初めて口を開いた。
 静かな、しかし大広間の隅々まで染み渡る声だった。

「呪いではない」

 ランドの動きが、止まる。

「天のせいでもない。辺境でも、長官でもない」

 国王は玉座から、ゆっくりとランドを見据えた。その目に初めて、色が宿っていた。怒りではない。もっと深く、静かな、悲しみに似た色だった。

「正しき警告を、そなたは嗤うた。それを告げた者を、辺境に捨てた。勝てぬ戦を諸侯への見栄のために、強いた。そして、わが娘に……」

 わが、娘。
 その一語が、ランドの胸を貫いた。
 イリア。あの錆姫。伯父の実の娘。ランドにとっては、従妹。王都が二重に見捨てた娘。

「そなたは、負けたのだ。いや……そなたが追い出した祈祷師と我が娘に、負けたのだろう」

 国王の声は、責めてはいなかった。ただ、事実だけを置いていく。だからこそ、逃げ場がどこにもなかった。

「すべては、そなたの一歩から始まった。……ほかの、誰でも、ない」

 その、刹那。
 ランドの内側で、これまで幾度となく思考を堰き止めてきた、あの蓋が。
 閉まらなかった。
 ああ。
 声にならない声が、腹の底から漏れる。

(そうだ。俺が。俺が、あの日……)

 堰が、切れた。
 これまで、あの結論の一歩手前で必ず飛びのいてきた。呪いだ、と。長官だ、と。辺境だ、と。別の物語へ跳んで、逃げてきた。
 だが、もう跳ぶ先がない。柱は、すべて折れた。逃げ場は、伯父の一言で塞がれた。
 因果が、逃げ場をなくして内側へ流れ込んでくる。
 あの神託は、まぐれではなかった。あの男を追放しなければ、遠征にはいかずに済んだ。神剣も目覚めなかった。あの旗は、泥に沈まなかった。
 すべての、始まりは。
 あの男を嗤って、白を剥いだ、己の──。

「……ぁ」

 膝が、震えた。
 立っていられない。
 だが、その崩れ落ちる寸前の、意識の片隅で。
 往生際の悪い声が、なお喚いていた。

(……なぜ、だ。なぜ、俺が。俺は次代の王で……)

 その声さえ、もう力を持たない。認めさせられた、という事実の重みに押し潰されて、言葉になりきらなかった。
 国王が、立ち上がった。
 その手が、上げられる。

「ランド=アンセルム」

 大広間が、水を打ったように静まり返った。

「そなたより、王太子の位を、剥奪する」

 衛士が、進み出た。
 ランドの胸元へ、手が伸びる。王太子の証たる、金の紋章。それが留め具から外され、取り上げられた。

「……あ、」

 声に、ならなかった。
 胸元が、軽くなる。あるべきものを失った、その空白の感触がやけに冷たかった。
 諸侯の視線が、その一点へ集まっている。位を剥がれ、証を失ったみじめな男を見物する目。
 ふと、脳裏にひとつの光景が甦った。
 数か月前の、あの大聖堂。
 聖杯の前で、白い祈祷師の証を剥ぎ取られた、一人の男。下着一枚にされ、辺境に放り出され、満座の嘲笑を浴びた、あの男。
 その男を、いちばん高い場所から笑っていたのが。
 ほかならぬ、自分だった。
 嗤った側と、嗤われた側。
 その二つの位置が今、綺麗に入れ替わっていた。
 白を剥がれた男は、辺境で選び取った居場所に立っている。紋章を剥がれた男は、王都のこの大広間で、すべてを失って立っていた。
 泥に沈んだ、あの紋章旗。出陣の朝、あれほど誇らしげにはためいていた旗。その意味が今、ここでわかった。
 ランド=アンセルムの誇りも、地位も、王太子の資格も。何もかもがあの旗と同じく、泥の底へ沈んだのだ。
 ようやく、ランドは何もかもを悟った。
 自分がどこで間違えたのかを。すべての因が、どこにあったのかを。
 だが、悟ったそのときには──もう、何もかもが手遅れだった。
 白を剥がれた、あの男がそうであったように。
 上座の国王が、剥奪を終えた甥から、ふと視線を外した。
 その目が向いた先は、北。雪深い辺境の方角。かつて見殺しにしかけた、実の娘のいる方へと。
 その視線の意味を、ランドはもはや知る由もなかった。