追放された祈祷師は、辺境の姫騎士様に拾われる。〜戦えない僕の祈りで〝呪われ姫〟を最強の神剣使いに。戻ってこいと言われても、もう遅い〜

 王宮の私室で、ランド=アンセルムは窓の外を睨んでいた。
 北の街道は、今日も雪に霞んでいる。

(……遅い)

 使者を放って、もう幾日になる。指を折って数えるたび、苛立ちばかりが募っていた。
 だが、成功を疑う気持ちは微塵もない。
 脳裏には、もうその先の絵図が描き上がっていた。
 あの祈祷師を連れ戻す。辺境の勝利は、王家が育て、送り出した祈祷師の功として、書き換えられるのだ。神剣を目覚めさせた力は、次代の王たる自分の手の内に収まる。諸侯のざわめきも、民の嘲りも、あの泥に沈んだ紋章旗の汚辱も、そこですべて、雪がれるだろう。
 なにしろ、こちらは恩赦までくれてやったのだ。
 罪を赦し、手を差し伸べてやる。追放された無能にとって、これほどの誉れがあるものか。飼い主が呼んでやれば、犬は尾を振って戻る。それ以外の筋書きなど、この世のどこにもあるはずがなかった。

(あの祈祷師さえ、この手に戻れば。……諸侯も、民も、また私を見上げる。何もかもが、元へ戻る)

 卓の杯を取り、ひと口、呷った。

「使者は、まだ着かぬのか」

 控えの従者へ、振り向きもせずに問う。

「は……まだ、報せは」
「ふん。辺境の雪道だ、手間取っておるのだろう」

 鷹揚に構えて見せながら、ランドは口の端だけで笑った。
 待つのは、勝利の報せだ。ならば、多少遅れたところでどうということはない。
 そして、その報せは翌日の夕刻に届いた。
 勅使の帰還。ランドは謁見の間へ急ぎ、玉座に次ぐ席へ、堂々と腰を据えた。さあ、連れて来い。あの無能の、平伏した姿を見せてみろ。
 だが──扉をくぐった勅使は、独りだった。
 隣に、祈祷師の姿がない。後ろにも、いなかった。従者の列のどこにも、あの男の顔がない。
 それどころか、勅使そのものが、見る影もなかった。出立の日にはあれほど誇らしげだった装束が、今は薄汚れ、着ている当人はうなだれている。

「……どういうことだ」

 ランドの声が、低くなった。

「祈祷師は、どうした」

 勅使が、その場に膝をつく。額を床にすりつけんばかりに、頭を垂れた。

「も、申し上げます。祈祷師ルカは……召還を、拒みましてございます」
「……何、だと?」

 言葉の意味が、すぐには、頭に入ってこなかった。
 拒んだ。恩赦を。王家の召還を。あの、行き場もなく捨てられた無能が。

「辺境は、王命に牙を剥きました」

 勅使が、言い募る。その声は、保身の色に上ずっていた。

「あの祈祷師を渡さぬと、砦の者ども、ことごとく壁となって立ち塞がり……剣を抜けば、こちらの首が飛ぶところでございました」
「反逆だ……!!」

 ランドは、肘掛けを殴りつけて立ち上がった。

「あの田舎砦が! 王家に、弓引くというのか!!」

 怒声が、謁見の間に響き渡る。居並ぶ側近たちが、一斉に首を竦めた。
 無能の分際で。恩赦をくれてやったというのに。あの薄汚い辺境ごときが、次代の王の手を払い除けたというのか。
 煮え立つ腹の底へ、勅使がさらに油を注いだ。

「それに……その、恐れながら」

 言いにくそうに、声を落とす。

「第三王女殿下が……此度の召還は、陛下の御意思にあらず、殿下の……その、私命である、と。皆の前で、公言なさいまして」
「……私命、だと?」
「は、はい。さらには、その……救援を断った際の、返書を。記録として突きつけられ……こちらには返す言葉もなく」

 かっ、と頭に血が昇った。

「あの錆姫がぁ……ッ!!」

 ランドは、歯を剥いた。
 呪われ姫の分際で。王家に捨てられた身の分際で。よりにもよって、王太子の命を私命呼ばわり。

(拾った追放者風情に、たぶらかされおって……! 二人して、王家を愚弄する気か!!)

 あの姫が、自分の頭でそんな口を利けるはずがない。あの祈祷師だ。あの陰気な男が、姫に妖しげな知恵を吹き込んでいるに違いない。

「兵を出せ」

 気づけば、そう口走っていた。

「辺境を討つ。反逆者どもに、王家の力を思い知らせて……」
「殿下」

 静かな声が、それを遮った。
 部屋の隅に控えていた、聖騎士団長だった。

「兵を、と仰いますが」

 団長は感情の読めない顔のまま、事実だけをそこへ置いた。

「森で失うた聖騎士は、戻りませぬ。残る兵は、王都の守りで手一杯。今、辺境へ差し向けられる兵は、ございません」
「……ぐ、ぬっ」

 言葉に詰まった。
 そうだ。兵はない。あの森で、半分を失った。
 誰のせいで、とは考えない。考えられなかった。そこへ思考が進みかけるたび、頭のどこかがぱたりと蓋を閉める。
 団長は、なおも口を開きかけて。だが、結局何も言わずに目を伏せた。
 ランドは荒い息のまま席へ沈み込んだ。
 起死回生の一手のはずだった。あの祈祷師さえ連れ戻せば、すべてが元に戻るはずだったのだ。
 その一手が、手ぶらで帰ってきた。最悪だ。

      *

 それからの数日は、ランドにとって、責め苦の連続だった。
 王都が、辺境の武勇伝で満ちていく。
 数千の魔物の大群を、わずかな守備隊で退けた辺境の砦。白銀の翼を広げる神剣。それを振るう、美しき姫騎士。そして、その剣を目覚めさせたという、祈りの者。
 噂は、市場から酒場へ、酒場から屋敷へ、屋敷から城内へと際限なく染み渡っていった。
 廊下を歩けば、下女が鼻歌をこぼしている。

「~~♪ 錆びし剣に、白銀の翼~~♪」
「やめよ!」

 ランドは、足を止めて怒鳴りつけた。

「その歌を、二度と私の前で口にするな!」
「ひっ……も、申し訳ございませんっ」

 下女は、青ざめて逃げていった。
 だが、歌は消えない。
 夜会に出れば、貴族どもが、聞こえよがしに辺境の話に花を咲かせる。守り神の姫君は、それはお美しいらしい。祈りの者は、聖杯に映らぬ力の持ち主だとか。いやはや、王都は惜しい者たちを手放したものだ。
 窓を開ければ、街から歌が昇ってくる。吟遊詩人の爪弾く弦に乗って、あの名が、繰り返し、繰り返し。

「祈りし者の名は、ルカ~~♪」

 無能と数え、要らぬと捨てた、あの名が。
 王都の空を、我が物顔で、飛び回っている。
 自分が敗軍の将として浴びた、あの侮蔑と。あの二人が浴びている、この称賛と。それが同じ王都で、同じ空の下で、同時に鳴っていた。

「触れを出せ」

 ランドは、従者に命じた。

「あの下賤な歌を、王都から一掃しろ。歌う者は、捕らえよ」

 従者は、困り果てた顔で、口ごもった。

「そ、それが……もはやあまりに広まっておりまして。今さら触れを出せば、却って……その、火に油を注ぐことになりかねぬかと」
「……役立たずめ!」

 吐き捨てたが、従者を責めたところでどうにもならないことは、ランド自身が一番わかっていた。
 歌ひとつ、止められない。
 噂ひとつ、消せない。
 次代の王の権威とは、この程度のものだったのか。

(なぜだ。なぜ、俺が沈み、あの無能が、昇っていく!? 要らぬと、捨ててやったものが……!)

 その問いを、何百度、腹の底で転がしても。
 答えには、決して辿り着かなかった。
 そして──追い打ちは、足元からも来た。
 その日、私室を訪れた宰相は、いつもと様子が違っていた。
 白い髭の老人は、一礼こそしたものの、その所作は儀礼の型をなぞっただけで、目は、少しも笑っていない。冷ややかで、事務的で、厄介な帳簿でも検分しに来たかのような気配だった。

「殿下。此度の使者の件、諸侯の間でざわめきが広がっております」
「使者の失態だ。あの無能が、役目を果たせなんだ」
「陛下も」

 宰相は、ランドの言い訳を、聞かなかったかのように続けた。

「此度の一件、いたく、ご憂慮でございます」
「なん、だと……!」

 陛下。
 その一語が、冷たい重石になって、ランドの胸へ沈んだ。
 伯父上が、憂慮。この王太子を。次なる王を。

「辺境と事を構えるは、今の王国に益はございませぬ。後始末は、こちらで進めております。殿下は、しばしお控えを」
「控えろ、だと!?」

 ランドは、気色ばんだ。

「私は、次代の王だぞ。この一件も、私が自ら……宰相、貴様までが私を軽んじる気か!!」
「……失礼いたします」

 宰相はそれ以上何も言わなかった。
 一礼し、ランドの言葉が終わるのも待たずに、背を向けて退がっていく。その背中の素っ気なさが、どんな諫言よりも、雄弁だった。

(何だ、何なのだ、あの態度は!)

 ランドは、閉ざされた扉を、呆然と睨んだ。

(誰も彼も。俺が少し躓いた途端、掌を返しおって。不忠者どもが!)

 そう罵ってはみるものの、足の下の地面が音もなく滑り出している。その冷たい心地だけは、どう罵っても拭えなかった。
 極めつけは、その夜の側近の報告だった。

「殿下。祈祷庁の者どもが、妙なことを、申しております」
「妙なこと、だと?」
「は。あの追放された祈祷師の神託は、正しかった、と。あの壊滅を、事前に言い当てていたのだ、と」

 ランドは、杯を持つ手を止めた。

「大聖堂におった祈祷師の多くが、口を揃えておるとか。自分は初めから、あの神託が只事ではないと見ておった。あれを嘲り、退けたのは、長官と……その、殿下の御判断であった、と」

 かちり、と杯が卓を鳴らした。
 嗤っていたのは、あの者たちではないか。
 聖杯の前で、列の後ろで、揃いも揃ってあの男を無能と囃し立てて。それが今になって初めから見抜いていたなどと、過去をぬけぬけと塗り替えて。剰え、責任をこちらに押し付けてくるとは。

「……何を、今さら」

 ランドは、絞り出すように言った。

「あれは、まぐれだ。偶然に決まっておろう」
「ですが、殿下。街でも、噂が……あの祈祷師は、真の神託を告げたがゆえに追放された、と。それが、まことしやかに……」
「黙れ!」

 卓を、殴りつけた。
 真の神託。告げたがゆえに追放。その言い方では、そのように話が進めば、行き着く先は、ひとつしかない。壊滅の因は、警告を退けた者にある、と。

(この俺にある、と……!)

 喉の奥が、ひやりと冷えた。
 だから、ランドはいつものように跳んだ。その結論の一歩手前で、別の説明へと飛びついた。

「いや。違う。そうではない」

 そうだ。見えてきたぞ。

「あれは……呪いだ」

 口にした途端、その言葉がぴたりと嵌った気がした。

「あの男が、我らの遠征を呪ったのだ。去り際に、敗北の神託などと縁起でもない言葉を吐き、我らに呪いをかけた。だから、負けた。……そうだ。そうに決まっている!」

 側近が、当惑げに目を泳がせる。だが、ランドは、もう聞いていなかった。

(そうだ。俺は悪くない。悪いのは、呪いをかけたあの祈祷師。王家をたぶらかす、あの妖術使いだ)

 ふと、思い出した。

「……そういえば、長官はどうした? 祈祷庁の不始末、当の長官が申し開きに来んのは、どういう了見だ」
「は……それが。此のところ、体調が優れぬと申され、屋敷に籠もったきりに……」
「ふん。使えぬ男よ」

 鼻を鳴らしはしたが、胸の隅に、小さな引っかかりが残った。あの、揉み手ばかりの男が、この局面で顔を見せぬとは。
 だが、それを深く辿るより先に、憎悪が思考を塗り潰していった。
 そして、その夜半。
 ランドは、独り私室にいた。
 杯は、もう何杯目かわからない。酔いは少しも回ってこなかった。
 耳の奥で、四方の音が鳴っている。
 止まらぬ歌。消えぬ噂。祈祷師どもの証言。宰相の、冷たい背中。そして、姿を見せぬまま迫ってくる、伯父上の憂慮。
 それらが、じわりじわりとこの部屋の壁を内へ押してくる気がした。
 ……わかっている。
 本当は、どこかでわかっているのだ。
 あの神託は、まぐれではなかった。あの男を追放しなければ、遠征は勝っていた。あの姫のもとに送らなければ、神剣は目覚めなかった。すべての始まりは、自分にある、と……。

(認めてしまえば、楽になれる、だと?)

 ランドは杯を握り締めた。

(ふざけるな!)

 認めれば、どうなる。この失墜のすべてが、自分の判断の誤りから始まったと認めることになるではないか。次代の王が、無能と嗤って捨てた男に頭を下げることになる。それは、ランド=アンセルムという人間の、全否定だ。
 だから、認めることだけは絶対にできない──。
 その代わりに、ランドは物語を塗り重ねる。
 辺境は、反逆した。あの祈祷師は、王家を呪う妖術使いだ。姫は、たぶらかされた。王太子は、嵌められた。ランド=アンセルムとは、被害者なのである。
 そうだ。それでいい。それなら、自分は悪くない。
 窓の外から、また、あの歌が昇ってきた。

「祈りし者の名は、ルカ~~♪」
「……黙れ!」

 ランドは、立ち上がり、窓を、力任せに閉ざした。

「黙れ、黙れっ!!」

 だが、歌は止まらなかった。
 閉ざした硝子の向こうで、旋律はなおも高く澄んで昇っていく。
 ランドは、独り歯噛みした。
 まだ、挽回できる。辺境の増長も。失った威信も。伯父上の不興も。何もかも、必ずこの手に取り返してみせる。そう信じて疑わなかった。
 だが、その足元が、もう崩れ始めていることに。
 四方から迫るあの声が、己の首を静かに絞め始めていることに。
 ランドだけが、まだ気づいていなかった。