追放された祈祷師は、辺境の姫騎士様に拾われる。〜戦えない僕の祈りで〝呪われ姫〟を最強の神剣使いに。戻ってこいと言われても、もう遅い〜

 中庭に、張り詰めた沈黙が落ちていた。
 勅使へまっすぐ向き直ったまま、ルカは口を開く。

「勅使様」
「……む?」

 品定めするような目が、ようやくルカへ据えられた。

「王都に、僕の居場所はありませんでした」

 まず、事実だけを置くように言う。

「三年間、ずっとです。聖杯の前に立つたび、無能だと数えられて。列の最後尾で嗤われて、要らないと……そして、雪の中に捨てられました」

 声は、不思議と凪いでいた。
 言いながら、不思議と腹の底に恨みつらみは湧いてこなかった。ただ、そうだった、という事実だけがそこにある。
 勅使が口を挟もうとするが、ルカは構わず続けた。

「でも、ここには、あるんです」

 淡く脈打つ、結界の光の糸。肩の傷を当たり前に頼んでくる兵。何も言わず、隣へ腰を下ろすガング。皺だらけの手を合わせ、守り神だと拝んでくれる、民。
 三年、無価値だと数えられ続けた祈りが。
 ここでは、人の背中を守る壁になっている。

「僕を頼ってくれる人がいて、守りたい場所がある。ここが、僕の居場所なんです。だから、ね……勅使様」

 勅使を、まっすぐに見返した。

「戻ってこいと言われても、もう遅いんですよ」

 声は、震えなかった。
 あの大聖堂で白を剥がれたとき、真実を告げる自分の声は、みっともなく震えていた。行く当てもなく、ただ正しさだけを頼りに、身ひとつで立っていた、あの日。
 だが、今日は違っていた。
 背に守るものが、はっきりとここにあるからだ。
 勅使が、言葉を失っている。恩赦を押しつけさえすれば、この追放者は涙を流して平伏する。そう信じて疑わなかったのだろう。その想定が、たった一つの静かな拒絶で、音を立てて崩れていた。その狼狽が、ルカには見て取れる。

「な……!?」

 勅使の喉から、間の抜けた声が漏れた。
 だが、腐っても王命を帯びてきた身だ。勅使はすぐに態勢を立て直した。慈悲の仮面が、ずるりと剥がれ落ちる。

「……ほ、ほう」

 その声が、低く湿ったものに変わった。

「貴様、王命を拒むと申すか。それが何を意味するか、わかっての物言いか?」

 ルカは黙って、次を待った。

「王家の召還を蹴るは、明白な反逆ぞ。……貴様ひとりの首では、済まぬかもしれぬな」

 勅使の目が、ルカの背後の砦をぐるりと嘗め回す。

「この砦の者をことごとく逆賊として殿下に奏上することも、できるのだ」

 官吏が、横から舌を滑らせる。

「祈祷師を私する辺境こそ、王国の財を私物化する咎人。……そのように、殿下へお伝えしても、よろしいのですぞ」

 やはり、そう来るか。
 ルカは腹の底で息を吐いた。
 自分ひとりの問題なら、どうとでもなる。だが、こいつらは砦ごと、民ごと、人質に取る手を選んだ。先ほどイリアの一言を凄んで封じたのと、同じやり口だ。
 いっそ、自分だけの問題にできたら。そう、一度は思う。
 だが──その『逆賊』という言葉に、イリアが前へ出た。
 その目は、もう先刻の怒りだけではない。凍てつくほど冷たく、澄んでいる。

「逆賊、ですか」

 彼女は傍らの文官へ、短く目配せをした。文官が心得たように、一枚の羊皮紙を恭しく差し出す。
 ルカにも、見覚えがあった。あの、冷たい返書だ。辺境が窮地に救援を乞い、王都がにべもなく撥ねつけた、あの一枚。

「その汚名を口にされる前に……これを、ご覧いただけますか?」

 イリアが、返書を勅使の眼前へ突きつけた。

「魔物の大群が、この辺境へ迫ったとき。私たちは正規の手順を踏んで、王都へ救援を要請しました。返ってきた答えが、これです」

 その声が、中庭の隅々までよく通る。

「『救援の要なし』。……たった、この一行きり」

 どこかで、息を呑む音がした。

「記録というものは、残るのですよ。……都合の、悪いものほど」

 イリアは、返書を握る手に力を込めた。

「守るべき民を先に見捨てたのは、どちらでしょう? 義務を先に投げ捨てたのは、どちらですか?」

 勅使の顔から、みるみる血の気が引いていく。

「見殺しにしようとした民が。不要だと追放された人間が。それでも自力で生き延びた。それを今になって、『所有物を返せ』と?」

 イリアの声は、静かなまま、けれど、抜き身の刃のようだった。

「これのどこに、父上の……国王陛下の御意思があるというのですか!」

 その一語が、中庭の空気を決定的に変えた。

「一度は見捨てた辺境から、その恩人を奪えと命じる。陛下がそんなこと仰るはずがありません。……これは、王命などではないのです。ランドが己の失態を糊塗したいがための、ただの私命でしょう?」

 三年、記録も証言も、自分には一つの味方もしなかった。聖杯の弾き出す数字だけが、すべてだった。
 その記録が、今は自分の側にある。
 イリアの声が、一分の隙もなく王都を追い詰めていくのを、ルカは隣で聞いていた。その凛とした横顔を頼もしく思うほど、胸の底がじんと熱を持つ。
 記録を突きつけられ、勅使が言葉に詰まる。
 その目が、ちらりと背後の護衛の騎馬へ動いた。
 ルカは、それを見逃さなかった。法で詰められたなら、次は力ずくで。そんな算段が、その目の動きに透けている。
 しかし、その前に砦が動いた。
 ガングがずいと進み出て、勅使一行とルカとの間に立ちはだかる。

「連れて行きたきゃ、力ずくか?」

 剣の柄に手をかけたまま、低く言い放つ。

「……なら、まずはこの俺を通してからにしな」

 かつて、王都から来たルカを疑い、叩き出そうとした男が。その男が怒り、壁の形になってルカの前に立っている。
 ひとり、またひとりと、兵が続いた。

「祈祷師様は、渡さねえ」
「俺たちの恩人だ」

 そして、避難民たちも。グラッテの老人が、皺だらけの両手を広げて、勅使の前へ立った。

「この人がいなけりゃ……わしらは、とっくに魔物の腹の中だ」

 声は、掠れている。だが、退く気配は微塵もない。

「連れて、行かせやしねえ」

 中庭を埋めた誰もが、一歩も退かなかった。その声なき気迫が、じわじわと勅使一行を押し包んでいく。
 勅使が、たじろいだ。
 護衛は、十数騎。だが、この砦は違う。兵も、民も、ひとり残らず、壁になっている。ここで剣を抜けば、辺境のすべてを敵に回すことになる。その現実に、勅使はようやく気づいたようだった。
 三年、誰の隣にも立てなかった自分の前に。
 今は、これだけの背中が並んでいる。
 守るために、ここにいるはずなのに。気づけば、自分のほうが守られていた。

(……やば。泣きそうだ)

 胸の奥が、熱いもので塞がっていく。
 法では無効。力では届かない。そして、ルカの拒絶も、揺らがない。
 三つの道を、すべて塞がれて。
 勅使は、これ以上押せば自分の首が絞まると悟ったらしい。慈悲の仮面も、逆賊の恫喝も、この辺境には通じなかった。
 しばらく歯を食いしばって黙り込んでから、勅使は吐き捨てた。

「……よかろう」

 その声には、隠しようのない悔しさが滲んでいた。

「だが、この無礼は殿下に一部始終奏上させてもらう。辺境が、王家に牙を剥いたと。後悔しても、知らぬぞ」

 悔し紛れの、脅しだった。ルカには、そうとしか聞こえない。
 踵を返しかけた官吏が、ふと足を止めた。
 記憶を手繰るような目で、ルカをうかがう。あの聖杯の前の顔と、今、目の前に立つ祈祷師とが、その中で繋がりかけているようだった。

「ん……? 貴殿、どこかでお会いしたことがあるか?」

 ルカは、会釈を返しただけで答えなかった。

『最低ランク、と読み上げたのを覚えていますか?』

 そう問い詰めることも、できる。だが、言わなかった。それを言わずにおけることが、今の自分のささやかな余裕だ。

(……覚えていなくて、いいよ。もう、どうだって、いいんだ)

 官吏は腑に落ちない顔のまま背を向けた。
 一行が、門を出ていく。
 来たときの、あの権威は、すっかり色褪せていた。装飾ばかりが過剰な背中が、雪原の彼方へ小さくなっていく。
 頭を下げて見送る者は、誰ひとりいなかった。
 一行が完全に見えなくなると、中庭にどっと安堵が広がった。
 兵が、民が、口々にルカへ声をかけてくる。よくやった、と。祈祷師様のお陰だ、と。その温かさに、頬を掻きながら応じて。
 それでも、ルカの目は自然と、隣のイリアへ向いていた。
 喧騒が少し落ち着いて、二人だけの間合いに戻ったころ。
 イリアが、ふと遠慮がちに口を開く。

「……本当に、よかったのですか? 王都に、戻らなくて」

 その声には、まだあの夜の名残があった。失いたくないと縋った、あのときの。
 ルカは迷わず、首を横に振った。

「うん。もう迷ってないよ」

 そして、イリアへ向き直って言った。

「僕はね。拾ってもらったからここに残るんじゃないんだ」

 行く当てがなくて、この人に拾われた。あのときは、それしか道がなかった。
 でも、今は違う。

「ここがいいから、残るんだ。……イリア様の隣が、僕の居場所だから」
「──ッ!?」

 その言葉に、イリアの碧い瞳が大きく見開かれた。
 見る間に、その頬が朱に染まっていく。

「……だ、だからッ。そういうのがずるいって、言ってるじゃないですかッ」
「え?」

 ルカがきょとんとすると、イリアは耳まで赤くして俯いた。

「そういうことを……さらっと、言わないでください……っ」

 頬を染めて俯く、姫騎士様。
 どうして彼女がそんな顔をするのかはわからないが、まあいいか、とルカは視線を彼女から逸らす。

(これが……僕の、居場所なんだ)

 三年前、雪の中に捨てられたとき、何もかも終わったと思った。世界のどこにも、自分の居場所なんてないのだと。
 だが、あの日があったから、今、ここにいる。
 ここは、拾われた場所じゃない。
 自分で、選び取った場所だ。
 白い息が、二人の間でゆっくりと溶けていく。中庭にはいつのまにか、穏やかな昼の光が戻ってきていた。