追放された祈祷師は、辺境の姫騎士様に拾われる。〜戦えない僕の祈りで〝呪われ姫〟を最強の神剣使いに。戻ってこいと言われても、もう遅い〜

 その日の夕刻、出撃の編成が告げられた。
 イリアが直率する、少数精鋭。名を呼ばれた者たちが、次々と前へ出る。
 ルカの名は、そこになかった。
 砦に残り、結界の維持と避難してきた民の保護に当たる。それが、ルカに与えられた役目だった。
 配置としては、完璧だ。結界を保てるのはルカしかいないし、民の避難はまだ続いている。砦こそが、最後の生命線だ。どこを取っても、反論の隙がなかった。合理的で、正しい。
 正しすぎるがゆえに、ルカには、その下にあるものが透けて見えてしまった。
 その夜。人が引けたのを見計らって、ルカはイリアの傍らに立った。

「……編成の中に、僕の名前が、なかったね」
「あなたには、砦をお願いしたいんです。結界の維持は、あなたにしかできません。それが、最も合理的で──」
「イリア様。本当に、それだけ?」

 問うと、イリアの言葉が途中で止まった。
 彼女は目を伏せる。しばらく、蝋燭の炎を見つめていた。それから、絞り出すように声を落とす。

「……この戦場で、あなたを守り切る自信が、ありません」
「それは、隊長としての意見?」
「それは……ッ」

 イリアの声が、少しずつその形を変えていく。凛とした隊長の声から、もっと素の、頼りない声へ。

「私が……嫌なんです。ルカを、失いたくありません」

 言ってしまってから、彼女ははっと口をつぐんだ。
 自分の言葉に、自分で狼狽えている。頬に朱が差していた。慌てて顔を背け、けれど、逃げ場を探すように、その手が神剣の柄を握りしめる。
 ルカの心臓が、またあの調子で跳ねた。
 けれど、ここでルカも退くわけにはいかない。
 その気持ちが嬉しいからこそ、尚更だ。

「僕も、連れて行ってほしいんだ」
「い、嫌です。理由は、今言ったじゃないですか」
「うん。でも、それは姫様個人の意見だよね。隊長としての意見なら、違うはずだ。そうだろ?」

 イリアが言葉に詰まる。ルカは静かに、けれど一つずつ、理由を積んでいった。

「まず一つ。僕の祈りは、姫様の誓いが燃えてる場所でこそ、一番深く届く。あの村でもそうだった。砦から祈るのと、姫様の隣で祈るのとじゃ……鎖に届く深さが、全然違うんだ」

 これは、ルカ自身、あの戦いで身に沁みたことだ。誓約の祈りは、遠くからでは痩せる。誓いの熱の、すぐ傍で燃やしてこそ、その本領が出ると思えた。

「それから、二つ目」

 ルカは、北の方角へ顔を向けた。

「あの群れの真ん中に、黒く脈打つ〝何か〟がいる。あれの正体と、核が視えるのは……たぶん、僕だけだ。呪具で操られてる群れなら、その核を断てば束ねてる糸が切れて崩せる。逆に言えば、僕の目がなかったら、時間稼ぎのはずの戦いがただの消耗戦になる。姫様の兵が、無駄にすり減るだけになるんだよ」

 イリアの睫毛が揺れた。
 そして、ルカは最後の一つを口にする。先夜、自分が彼女に告げた言葉を、そのまま自分自身に突きつけるように。

「それに……言ったよね。あなたの弱いところは、全部、僕が引き受けるって。姫様が一番危ない場所に立つのに、僕だけ安全な壁の中でぬくぬくしてるなんて。そんなの、できるわけないよ」

 ルカは、まっすぐに彼女と向き合った。剣を持たない、その両手をそっと握り込んで。

「僕は、剣を振れない。でも──あなたのために、祈れる」
「ルカ……」

 イリアは何も言えずに、ルカを見つめ返していた。
 その瞳が、ゆっくりと潤んでいく。反論の言葉を探して、けれど、もうどこにも見つからないというように。
 やがて彼女は、深く長い息を吐いた。

「……本当に」

 声が、震えていた。

「本当に、ずるい人ですね。あなたは」

 それは、敗北の宣言だった。同時に、承諾でもあった。
 ただし、隊長としての格は手放さない。彼女はすぐに顔を引き締めて、条件を突きつけてくる。

「いいですか。あなたは、陣の中央から、一歩も動かないこと。護衛には、ガングの班をつけます。少しでも危うくなったら、迷わず退いてください。……この三つを守れないなら、やっぱり、置いていきますからね」
「うん。約束するよ」

 ルカは素直に頷いた。守られる場所から、守る場所へ。戦えない自分が、それでもあの人の隣に立つための、細い一本の道が、そこに通った気がした。

       *

 出撃は、明くる未明と決まった。
 夜明け前、ルカは自室で静かに支度を整えた。
 祈祷陣を刻むための、小ぶりの刀。刃こぼれがないか、指で確かめる。清めた水を詰めた、革の水袋。腰に括りつけると、その重みが、あの村の戦いを生々しく甦らせた。血の一滴で陣を描き、典礼文を唱えた、あの朝を。

(……また、あの場所に立つんだな)

 怖くない、と言えば嘘になる。膝は、少しだけ笑っている。それでも、指はちゃんと動いた。
 中庭には、出撃部隊が整列していた。白い息が、篝火の明かりの中でいくつも立ち上っている。見送る兵たち。柵の内側から祈るように手を合わせる、民の顔。
 ガングが、ルカの隣を通りざま、ぶっきらぼうに言った。

「おい、祈祷師。陣から一歩も動くなよ。てめえが倒れたら、この結界ごと砦が終わる。……守ってやるから、勝手に死ぬんじゃねえぞ」

 その声は相変わらず無骨だった。だが、そこに滲むものが、以前とは別のものになっている。承認と、庇護と。

「はい。ありがとう、ガングさん」

 北の地平を、ふと見上げた。
 夜明け前の薄闇。その果てで、地平線が黒く盛り上がって見える。山がひとつ、増えたかのように。地の底から、ずう、ずう、と遠い足音のような地鳴りが伝わってくる。
 あれが、来る。
 ルカの隣で、イリアが白銀の柄に手を添えた。ルカは祈りの指を静かに握り込む。
 並び立つ、二人。
 剣を持つ姫と、剣を持てない祈祷師。

(僕は、戦えない)

 白い息を、ひとつ吐く。

(それでも、この人の隣でなら……)

 東の空が、藍を、ほんの少しだけ薄めはじめていた。
 夜と朝の、境目。祈りが、いちばん通る刻限が近い。
 やがて号令がかかり、小さな部隊は、雪を踏んで北へと動き出した。