恋愛完全否定派の咲夜くん

「恋愛は無駄」という咲夜(さくや)。「恋愛はしたほうがいい」という夏花(なつか)。
 これは、高校二年生である17歳の男女二人から本当の幸せを考える物語。
 咲夜は「結婚は無駄」だという。
 咲夜はコミュニケーションを取ることを嫌い、スマホは所持しているが、SNSはやっていない。
 咲夜と夏花は小学生のころからの知り合いだ。正直、友達と呼べるかどうかはわからない。
 夏花はなんでも肯定派。咲夜は基本的に否定派。
 まるで水と油。でも、夏花は咲夜とのコミュニケーションは不快ではないと感じていた。
 咲夜の否定的な考え方は仕方がないと思っている。
 なぜならば、咲夜の家庭の事情はとても複雑だからだ。
 小学校低学年の時にお父さんが家を突然出ていったらしい。
 お母さんは、一生懸命働いていたけど、裕福な暮らしは望めない様子だった。
 そのことがあってから、咲夜の心の扉はさらに閉められてしまった。
 その過程を知っているからこそ、彼の暗い雰囲気や言動にも納得がいく。
 お父さんが借金を作ったとか、詐欺に遭ったとかでお金にも苦労している。
 生活費を援助しないお父さんとはお母さんはまだ離婚はしていないらしい。
 他の女の人のところに行ったのかもしれないのにだいぶ寛容だなと夏花は思う。
 咲夜のお母さんはお父さんを放っておけないと言っていた。
 行方もわからないし、離婚届けを出すタイミングがなかったのかもしれない。
 なんで、夫婦の形を維持しているのだろう。
 もう、形なんてないに等しいのに。

「咲夜くん、実は私、告白されちゃったんだよね」
 ちょっと得意げに話してみる。
 咲夜は顔がいいから女子に人気で告白など慣れている。
 夏花は初めての告白を男子からされた。
 夏花は正直そんなにモテるわけでもない。
 この差は何だろうと思う。
 モテるモテないは顔なのだろうか。
 人は外見至上主義というのは本当なのかもしれない。
 咲夜の鋭い切れ長の瞳がこちらを向くが、至極反応が薄い。
「恋愛は無駄だと思うよ」
 一言、投げやりにつぶやく咲夜。
「やっぱり咲夜くんはそう言うと思った」
 高校生二年生で恋愛をここまで否定する人は咲夜くらいしかいない。

「俺の両親は、離婚はしていないけど、父親は生活費や養育費を入れないし、行方も分からない。恋愛の延長に結婚があるのなら、余計な負担を強いてくる結婚なんていらない。つまり、恋愛はいらないと思うんだ。父親はどこかで他の女と一緒にいる可能性もあるから」
 諦めたような表情をする咲夜。

「他の女はお父さんと恋愛しているのなら、その女の人とお父さんは恋愛を無駄だとは思っていないのかもしれないね」
 夏花は恋愛は無駄ではないということを伝えるために、よくわからないベクトルから発言してしまう。

「離婚していないから、本来母子家庭ならばもらえるはずの児童扶養手当をもらえない。安い時給で母親は働いてなんとか生活している。これって幸せだと思うか?」
 幸せではないとは言えないな。お母さんの本当の気持ちなんて誰もわからないだろうし。と心の中で夏花は思った。
 少なくとも咲夜は不幸せだと思っているのだろう。
 夏花は咲夜と一緒にいる時の空気感は幸せだと思っていた。

 咲夜は畳みかけるように無駄だという理由を述べた。本当にそう思っているのだろう。
「恋愛は無駄が絡み合うものが多いと思う。まず面倒くさいことのひとつとして連絡をしないといけない。SNSでつながらないといけない。おしゃれをしてデートをする時間も無駄だと思う。それをもっと自分自身のために使えれば、有意義だと思うんだ」
 真剣なまなざしを向ける咲夜。

「つまり、咲夜くんはSNSで連絡するとか、デートなんかも無駄だというんだね」
 共感したら負けな気がして、共感はできないでいた。

「すぐに別れる恋人に使う時間がもったいないと思うんだよ。たとえ結婚しても、その後生活があって、子どもを育てるかもしれない。それにはお金も時間もかかる。子どもを持つかどうかも夫婦の選択肢のひとつだろ。育児なんて大変な未来しか俺には見えないんだ」
 あまりにも冷めた反応。少し前のめりになっていた恋愛への焦りが納まったような気がした。
 咲夜くらい冷めた人と話すことで、温度を通常に戻したいと思っていたのは確かだ。
 初めての恋愛に関して浮かれている夏花は過剰な興奮を冷ましたいとも思っていた。

「咲夜くんは現実的だな。もっと今を楽しめばいいと思うんだけどね」
「俺は将来のために今、やるべきことをやった方がいいと思う」
「じゃあ、咲夜くんは私が恋愛しないほうがいいと思うの?」
「それは、本人の自由だろ。そもそも、俺にどうこう言う権利がないからな」
「じゃあ、好きじゃなくても付き合うことはアリだと思う?」
「俺は、時間の無駄だと思うけどな。まるで、好きでもないのに入籍だけしている俺の両親の結婚の形みたいだから。」
「じゃあ、結婚しなければいいのかな」
「そうだな」

 咲夜と夏花がしゃべっていると、スマホに通知があった。
 先日告白してきた多可橋(たかはし)という男子から告白の返事の催促が来ていた。
 少しせっかちだけど情熱的な人だという認識が夏花には芽生えていた。
 それくらい夏花を想っていてくれている人だと思っていた。
 SNSで夏花と多可橋はつながっている。知らない誰かから特別な人になるかもしれない瞬間だった。
 夏花にとって、付き合うのならばその人は特別な人になる。
 好きではない。でも、好きになるかもしれない。付き合ってみないとわからない。
 やってみなければわからないならば、殻を突き破ってしまおうという夏花の性格は付き合わないという選択肢はなかった。
 夏花自身が彼氏がいないことに対してかっこ悪いという感じがしていたのは本当だ。
 周囲の友達に恋人がいると聞いて、焦っている自分がいた。だから、恋愛否定派の咲夜に話しかけていた。
 焦った気持ちを落ち着かせてくれる咲夜は心地がいいと思っていた。
 冷めた意見がちょうどいい。焦らずにいつも達観した咲夜はとても大人びて見えていた。
 咲夜は何に対しても、熱量がない。いつも冷めていて、けだるげだった。咲夜は現実的で、夏花とはまるで水と油のようだ。
 夏花はただ、幸せな恋愛に憧れている普通の女子高校生だ。
 もちろんその先の結婚だって、夏花はうまくやれると思っていた。
 対する咲夜は顔立ちがとてもきれいで、女子に人気があるけど、塩対応で有名な人。
 子どものころから知っているから、咲夜の女子への興味がないことはわかっている。
 夏花は咲夜とは絶対に恋愛関係にならないとわかっていた。
 言い換えると、安心できる人でもあった。

「私、付き合ってみる」
「そうか」

 咲夜はこんな決断をしたにも関わらず、相変わらずのローテンション。だから、心地いいのかもしれない。
 恋愛対象として見られない安心感もまた悪くはなかった。
 美しい顔なのに、誰とも恋愛をしない咲夜と一緒にいることが、高校の中のカースト上位になったかのようで、どこかかっこいいような気がした。
 人とは違う価値観を頑なに維持する咲夜は、他の女子にはミステリアスだと映っているようだが、暗い過去を持つ悲しい人だ。
 無口な咲夜はいちいち友達にそんな不幸話をする人ではなかった。事情を知っている人はこの高校には夏花しかいない。
 その特別感を肯定している夏花。夏花が咲夜にとって特別な存在だというゆらぎない自信があった。

 結果的に夏花は恋愛対象として見てくれるという理由が嬉しくて、告白してきた多可橋と付き合うことにした。
 彼氏がいるという優越感は他に勝るものはないような気がしていた。
 一種のブランドのようなものなのかもしれない。
 彼は同じ17歳で同じ高校に存在していた。彼の素直でまっすぐな気持ちがじんとする。
 廊下ですれ違う時に、気になると思ったという理由で告白された。
 話したことはない。要するに外見が好みだったということだろうか。
 そんなにモテたことがない夏花は結構浮かれていた。
 多可橋はSNSの返信がマメな人で、夏花の返信が遅れると、催促するような文章が送られてくる。
 悪い気はしなかった。夏花のことを好きな人が寂しいと言っているだけなのだから。その不機嫌は愛情だと思っていた。

 一緒に帰るときに、多可橋は、なぜか咲夜のことを聞いてきた。
「咲夜っていう男子と仲いいって聞いたけど、イケメンでモテるらしいよな。本当に友達なのか?」
 疑り深い人のようだ。それくらい愛してくれているのだと解釈する。いわゆる嫉妬というやつだろう。
「友達とも言えない関係かな。小学校から一緒だから、知り合いの同級生って言ったほうがいいのかな」

 その後、何度か夏花が席を立った時に、多可橋にスマホを勝手に見られることもあった。
 恋人なんだから、そんなこといいよねって思ったのは事実だった。

 ある日、夏花と同じクラスの美人である沢藤(さわふじ)から「多可橋は女たらしだし、束縛しいだから、気を付けて」と言われた。
 沢藤は多可橋の元彼女らしく、別れた原因が浮気と束縛だったらしい。
「自分は浮気してるのに、私への束縛が強くて別れたんだけど、しばらく、ストーカーのように連絡が来ていたのよ。めんどくさい男。自分を好きになった女をフルのが好きな悪趣味な男よ」
 沢藤はうんざりした顔をしていたのに、急ににこりとして、話し出した。
 「私、今は彼氏がいないの。咲夜くんのファンだから、情報よろしく」と告げた。
 つまりこの情報提供と引き換えに咲夜の情報が欲しいようだった。
 多可橋のことはまだ好きではなかったけど、遊びのひとつとして捉えているのならば、別れたいと思った。
 心底、告白を断ればよかったと思う。沢藤の言っていることが全くのでたらめではないような気はしていた。
 他にも多可橋の女性関係の悪い噂は聞いたことがあった。聞かなかったことにしたかったけど、もし本当ならば、関わりたくない。
「咲夜くんの私生活は私もあまり知らないんだよね」
 すると、つまらなそうに舌打ちをして、沢藤はいなくなった。
 この人は同じクラスだけど、友達ではないんだなと感じた瞬間だった。
 利益があれば近づくけど、ないのならば関わらない、わかりやすい人だなと思う。
 本当の友達ができるのだろうかと不安になる。
 高校時代の本当の友達って作った方がいいのかな。
 でも、本当の友達なんて簡単に作れるものではない。
 欲しいから、できるわけでもなく虚しくなる。
 女子同士の対立や嫉妬やマウントに疲れるといつも咲夜と話していた。
 この関係って本当の友達と言えるのだろうか?
 本当の友達の定義なんて正解はない。
 本当の友達宣言したほうが勝ちなのかもしれないなと思う。

「ため息ついてるけど、緑化委員会の活動があるということを忘れてるんじゃないのか」
 咲夜は観察眼がある。親の顔色を伺ってきた彼の特技なのかもしれない。
 困っているとさりげなく声をかけてくれるのが咲夜だった。
 元気がないときはすっと昔から話をふってくれる人だった。
「付き合わなればよかったかもって思ってるんだよね。好きでもないのに、束縛されてるのっておかしいかなと思って」
「やっぱり恋愛は無駄だったんじゃないか。すぐ別れたほうがいい」
 やっぱりなという顔をする。恋愛が無駄という理論が勝利したかのような表情になる咲夜。
「恋愛関係になると気づくことが多いよね。多可橋君は女たらしで束縛しいらしい」
「でも、ただの噂かもしれない。人を判断する時はちゃんとよくみないとな」
 咲夜はお人よしだ。
 多可橋の悪い話が本当かどうかはスマホを勝手に見たりする自分本位な様子で本当だと感じていた。
 咲夜と夏花が二人で歩いていると、廊下ですれ違いざまに多可橋が咲夜ににらみを利かせている。
 多可橋も顔立ちはいいほうだが、更に顔もいいと言われていて人気があるのは咲夜だった。
 性格が悪いとは多可橋のことを言うのだろう。
 元々知ろうともしないで多可橋は咲夜を目の敵にしているようにも思えた。
 咲夜は相手を最初から否定しているわけではなかった。恋愛を否定しているだけだ。
「恋愛も結婚もコスパとタイパ悪いよな」
 確かに時間的に考えると無駄な時間も多い。
 そんなに簡単に割り切れるものなのだろうか。
 人生は無駄の連続で泥臭いほうが面白いような気もする。
 夏花の母親は回り道で現在大学に編入している。取りたい資格があるからお金を支払ってでも、スキルアップしたいらしい。
 それを思うと、現役大学生の時に資格を取れる大学に行けばよかったのにと思う。
 でも、年を取ってからのほうが忙しいけど、学びに実りがあるらしい。
 大変なのに、今更時間を費やして学ぶ価値があるのかも他人にはわからない領域だった。
 仕事に家事に忙しい大人が学ぶ必要ってあるのだろうか?
 高校に通学しているけど、学びを深めたいなんて思ったこともない。
 大人になると学びを深めたいなんて思うようになるのだろうか?

「夏花、放課後迎えに行くから」
 多可橋に鋭い表情で言われる。
 この人は本当に私を好きなのだろうか?
 もしかして、好きではないのだろうか?
 ただ自分のものにしたいだけなのだろうか?
 自己肯定感がとてもとても下がっていく。
 自分には価値がないのかもしれない。
 魅力も価値もなかったらと不安に思う。
 魅力も価値も誰かが評価することでもないはずなのに、自分に自信が持てないのだった。

 夏花が咲夜に愚痴をこぼす。こぼれる愚痴はたくさんあったけど、咲夜は受けとめてくれた。
「この前、多可橋に勝手にスマホを見られてたみたい。最初は私のことを好きだから仕方ないって思っていたけど、気持ち悪いなって思って」
「女性の気を引く手段なんだと思うよ。そうやって自分を見てほしいのかもしれない」
 多可橋は、優しそうでいい人そうなのに、急に豹変する時がある。
 咲夜は常に変わらないから、隣にいると安心する。
「デートDVとか気を付けろよ」
「いずれちゃんと別れるから大丈夫」

 本当の友達としてここで宣言してみようかと夏花は咲夜に問い掛けた。
「私たちって本当の友達だよね」
「本当の友達って?」
 咲夜は不思議な顔をした。
「高校時代って本当の友達ができるんだよって聞いたことがあるけど、全然女子の友達で本音を話せる人がいなくて。でも、咲夜くんとはなんでも話せるから、本当の友達だって思ったんだけど」
「それは、少し驚いたな。まぁ、おまえがそう思うなら思ってればいいよ」
 何とも思っていないような発言は少しばかり傷つく。
 本当の友達だと思ってればいいのかな。

 何事もなく、放課後の緑化委員の仕事をしていると、多可橋がやってきた。
 人前で別れ話もできないので、とりあえず、今日は難しいと言ったけど、多可橋は待つと言っていた。
 もしかして、自分のものにならないのが嫌なのかもしれない。
 本当に好きなのは自分だけというタイプだったらと思うとこわくなる。
 自分を飾るためのアクセサリーに恋愛や恋人を利用している人もいるらしい。
 好きという言葉は本当なのか、夏花は自分で確かめるしかなかった。
 多可橋を好きになれているのかもわからなかった。
 好きではないのに、恋人という形だけ作っていることも無駄なのかもしれない。

 緑化委員会の外での作業をしていた。意外と作業に集中していて、あっという間に時間が過ぎる。
 活動中、珍しく咲夜から夏花に話しかけてた。
「父親から久しぶりに連絡が来たんだ。今度3人で家族旅行に行こうってさ。正式に離婚しようと言っている。父親は病気で先が長くないらしい。なんで別れるのに家族に会うなんて無意味なことをするんだろうな」
「家族の最後の時間だからじゃない?」
「こんないびつな形でも家族だなんてな」
 寂しそうな顔をする。

 咲夜が母親と昨日話した内容をぽつりと言った。
「結婚して後悔してないのか? って言ったんだ。そしたら、後悔していない。咲夜と生きる人生に出会えてよかったって。離婚はしないつもりと言っていた。意味がわからないよな。不幸せなはずなのに」
 緑化委員の活動は主に花壇での草取りと花を植えること。
 各クラスでひとつの花壇を作るので、周囲の人とは離れていて、咲夜と夏花は深い話も意外とできる状況だった。
 落ち着いたテンポで言葉を並べる咲夜は少し気持ちが乱れていても、あまり素振りを見せない。

「やっぱり旅行には行くべきかな?」
 珍しく、咲夜が迷いの一言を言った。

「私たちの人生は迷い、選択することから始まってると思うんだよね。自分が決めた道が正解なんだと思うよ。お母さんが結婚を決めたのも子どもを産むと決めたのも全てが自己責任なんだから」

「そうだな。夏花ってさ。たまに鋭く核心突くから、こっちがびっくりする」

 こちらを見る眼差しが、いつもより少し幼い。17歳らしい表情を久々にした咲夜。

「咲夜くんは、家族旅行に行ったら、恋愛や結婚の良さがわかるかもしれないよ」
「無理だ。俺は恋愛とか絶対に無理だ」
 少しメンタルがやられているせいなのか、今日は一段と否定に力が入る。
「この前、女子に告白されてたんじゃないの?」
「断った」
「絶対に恋愛しないつもりなの?」
「絶対なんてことはないんだと思う。恋愛って無意識に始まっているらしい。だから、自分で恋愛しないと思っていても、想いは勝手に動くらしいとネットで見かけた」

 ネットで恋愛について見かけているということは、恋愛に興味がないわけではないのだろう。
 ふと夏花は思った。絶対に恋愛関係にならないなんて、そんなことはないのかもしれないと。
 勝手に片思いすることもあるし、気持ちが変わることもある。
 それは、恋愛完全否定派の咲夜だって同じことだ。

 夏休みを目前に咲夜の気はだいぶ重かった。家族を裏切った父親との再会。
 父親は余命わずかで、最後になるであろう家族旅行。
 そんな不安な気持ちを唯一話せたのは夏花だった。
 本当の友達って憂鬱な気持ちを話すことができる相手のことをいうのだろうか?
 だったら、本当の友達なのかもしれない。
 夏休みに両親が出会ったという向日葵畑がある丘に旅行に行くことになった。
 その前の晩、咲夜は胃が痛くなり、吐き気に襲われた。
 眠りについたが、怖い夢を見て全身が汗だくになった。
 冷房がついているはずの部屋で、息苦しい真夏の夜を一人過ごしていた。
 こんな時、誰かと話したら、少し気が軽くなるのかもしれない。
 夏花の電話番号を知っていたので、夜中に電話をかけようかと本気で思った。
 気持ちがとても荒れて、弱気になっていた。
 父親に会うだけでこんなに心がやられるとは、咲夜は思った以上に父親が大嫌いだということに気づいた。
 会う必要なんてないけど、母親が喜ぶ顔を見たいという気持ちが一番だった。
 こんな家族でも、一応本物の親なのだ。
 SNSをやっていないので、心の苦しさを吐き出す手段もなく、ただ、電話帳の唯一の同級生の名前が入っている夏花というページを開く。でも、指をタップして深夜に電話をするほどの勇気もなく、ただ、夜空を眺めていた。景色は意外と明るく、ビルの電気がたくさん灯っていた。一人ではないという気がする。瞳を閉じると暗闇の世界。

 朝はいつもより早起きをして、約束の向日葵畑に向かう。
 気が重いながらも、現地に向かうと向日葵畑の前に痩せた男性が立っていた。
 実の遺伝子を持つであろう父親の全身が見えた。背は思っていたほど高くはなく、幼少期に見えていたほど体は大きくはなかった。
 近くで見ると、体調が悪そうで青ざめた肌色だった。
 こんなに小さい人だっただろうか。
 いつのまにか咲夜のほうが大きくなっていた。

「大きくなったな」
 なにを父親面しているんだろうと思う。
 母親は嬉しそうだった。それが普通の考えでは理解できないことだった。
 本当の愛とでもいうのだろうか。これが家族愛なのだろうかと自問自答する。
 咲夜に向かって父親にも聞こえるように母親は話し始めた。
「お母さんは、この結婚は正解だと思ってるのよ」
「こんないびつな形の結婚、おかしいだろ」
「私にとってはこれが最善なの。夫が最後に戻って来た場所は私だから。それでいいと思ってる。離婚届けは出さないし、病気なら支えようと思う」
「とんだお人よしだな」
「子どもを産むことができて、毎日が楽しい。お母さん、仕事が楽しいのよ。安い給料だけど、パートから契約社員になって、やりがいもあるし」
 仕事が好きだったのかと初めて知る。生活していくために必死で嫌々仕事をしていたのかと思っていたけど、楽しかったのか。
 初めて知る気持ちに驚きも入り混じる。
「私にとって、この仕事を選んだことが正解だと思ってる」
 咲夜の母親はスーパーのパートから今は契約社員となって、新人の指導をしたり、店舗の企画案を出していると聞いていた。
 正解は本人にしかわからないのかもしれない。
 周囲のみんなが不正解だと言っても、本人がこれでいいと思えば、それが正解なのだと咲夜は理解した。
 17歳の夏、考え理解する。咲夜の母親が少しおかしいのかもしれないとも思えた。こんな環境がいいとも思えない。
 でも、三人でいるときの空間は妙に馴染みがあって空気が落ち着いていた。変だなと思いながら、時間は流れた。

 夏休みが終わって、夏花が咲夜に話しかける。
 咲夜も話したい気持ちはあった。
 不安な時に、何度も電話をしようと思ったことはもちろん話すつもりはない。
 一度も咲夜から夏花に電話をかけることはなかった。
 咲夜の家庭の事情を知っているのは夏花だけだったから、気持ちを話せる相手は一人しかいなかったので、夏休み明けを心待ちにしていた。夏花は咲夜の電話番号を知ってはいたけど、直接電話をするほどの用事もなく一度もかけたことはなかった。
 咲夜は人とつながることが嫌いなのだと思っていた夏花の配慮でもあった。
 咲夜はコミュニケーション完全否定派だったから。
「家族旅行どうだった?」
「風景写真SNSに載せたから、フォローして」
「咲夜がSNS?」
「撮った写真載せてみた。母親が父親の病気の看病で忙しそうだけど、すごく楽しそうでさ。みんなが間違っていると思える相手と結婚したのに、正解だったなんていっててさ。仕事も楽しいから、幸せなんだって。俺、写真撮るの好きなんだけど、ネットで共有したらもっと世界が広がるかなって思ってさ。写真の感想あったらコメントして」
 思わずフォローする。二度とないかもしれないから、すぐにつながった。
 コミュニケーション完全否定派の咲夜がどうしたんだろうと思う。
 SNS経由なら、いままでよりも連絡しやすいなと夏花は思った。
 ハードルが下がったことで少し距離が近づいたように思えた。
「17歳の夏、新しいこと始めてみようって思って。完全否定してばかりではだめだよな」

 スマホに広がる咲夜の撮影した風景。美しい空、美しい景色が広がっていた。
 夏休み中、色々な風景を撮影していたらしい。
 最近作成したアカウントなのに、フォロワー数がすごくて、少しばかり驚く。
「SNSは負担にならない程度ならありかなっていうのが俺の正解」
 次に花火の写真が並ぶ。
「花火大会に行ったの? 意外」
「俺の名前の由来は花火なんだって。咲夜って夜に咲くって書くだろ。花火のことを指しているらしい。母親が結婚を申し込まれた夜がこの市内で毎年やっている花火大会の日だったらしくて、二人とも今年の花火大会に行きたいって言っててさ」
 花火を夜に咲く花と表現するなんて、少しおしゃれな感じがした。
「私の名前って夏の花で夏花なんだけど、私も名前の由来が花火らしいんだよね。花火っていう名前も考えたらしいけど、結局夏花になったらしい」

 意外なる花火つながりに少しばかり縁を感じた。
 この広い世界偶然なんてたくさんあることを知っているのに、私たちは偶然の一致を喜ぶことが多い。

 夏休み明けの咲夜の表情はとても満足気で心に余裕ができたような感じがした。
 行くべきか迷っている時とは大違いだ。

「俺は両親の結婚は否定派だけど。結婚していなかったら、俺はこの世界にいないんだよな。結構矛盾してるよな」
「そうだね。私も彼氏とは揉めながらお別れしたよ。同時につきあっていた女子もいたみたい。でも、別れたくないってしばらくストーカーみたいに連絡が来て大変だった。結果的にブロックしたけど。恋愛はなんでも受け入れるとか外見だけで付き合うっていうのは間違いかなって思うんだよね。これは私が感じたことだけどね」
 恋愛って思ったように進まないことを実感した。
 恋が甘いものばかりでもないことはこの交際で気付いた。
「今は家族の時間が確かにあるんだよ。ずっと一緒にいなかったのに、息がぴったりでさ。夫婦ってわかんないな。実際家出をして何をしていたのかは、俺にはわからないしな」

 汗ばむ季節はまだ続きそうだけど、二人は少しだけ変化した。

 突然夏花はカフェの写真を見せられる。最近撮影したようだ。すごく雰囲気のいいお店。
「幸せの形は人それぞれだと思う。たとえそれが大変なことでも、本人が楽しいと思えれば、正解なのかもしれないな。俺、カフェでバイト始めようと思って」
 その言葉に意外性を感じる。
「人と関わりたくないって言ってたのに?」
「俺は成長するんだよ」
「私、カフェに遊びに行くよ。働く咲夜くんも見て見たいし」

 咲夜は家族三人の生活を受け入れているようだった。
 ひと夏の間に成長した咲夜の後姿は少し大人びていた。
 もしかして、咲夜が恋愛もありだという日もいつか来るのかもしれないと夏花は思った。
 なぜならば、人間は変化し成長する生き物だから。 
 本当の友達かどうかは今後の二人次第だとお互いに思う。
 でも、一緒にいて楽しいならば、それが正解だ。