「はぁっ、はぁっ……し、死にそう……」
二度ある事は三度ある。昨日からそう心積もりはしていたし、次は誰の身体で一日を過ごすんだろうと思いながら眠りについた。
やたらイケメンな男子高校生の人生も、社会人として先生の人生も経験した。取り憑いてしまった相手の人には申し訳ない上に図々しいけれど、まるで役になりきっているかのような人生の追体験を、折角なら出来るだけ前向きに受け容れて過ごそうと俺は決めた。
それはもちろん、次に目覚めた時にその人の生活に出来るだけ、不都合が起きないことが大前提。けれど、ちょっとこの身体は別の意味で予想外だ。
夏でもないのに額にはたらりと汗の粒が垂れて、あっという間に目尻に流れ込んでくる。ワイシャツの胸ポケットに入れてきたタオルハンカチで何度拭っても、首筋も背中も、なんなら太腿の裏まで滝のように汗をかいている。
(ただの階段なのに、心臓破りみたいにキツく感じるっ!)
今朝、目が覚めて辺りを見渡すと、まず視界がものすごくボヤけていることに気がついた。眉を寄せるようにしてピントを合わせ、室内をぐるりと見渡すと、そこにあったのは、大量のプラモデルだった。
ガラスの棚に所狭しと飾られたロボットのフィギュアは、ぶつかったら一気に雪崩が起きるんじゃないかと思うほど、ギリギリのバランスをなんとか保っている。側にあったレンズの厚い眼鏡をかけると、めちゃくちゃ度が強いのもまた衝撃的だ。
学習机の上には、教科書を押しやるようにして作業用のピンセットや接着剤が置かれていて、まるでプラモデルを作るためだけに存在している部屋のようだった。憑依生活三日目の今日は、世間一般でいうところの『オタク男子』に憑りついたらしいことを、そこで俺は悟ったのである。
そして、現在の時刻は八時十五分。俺はまたしても汐見台高校の制服を着て、こうして必死に階段を上っている。一段を踏み出すたびにドスン、ドスンと全身が震えて、その度に「ふぅ」と「はぁ」を口が勝手に繰り返していた。
「おい、どけよデブ。邪魔だっつーの」
「ほんまそれ。隅っこ歩いてても、余裕で幅とってるし」
強面な上級生たちに振り返りざまにジロリと睨まれて、縮み上がる思いで「すみません」と返事をする。そう、今日借りているこの身体は少し……いや、かなりふくよかな体格なのだ。
起きてすぐにその変化に気付いた。今までで一番体が重く感じられて、動きにくい。部屋に姿見がなかったので、洗面所で鏡を覗き込んでみると、そこに立っていたのは色白でまんまるな頬をした男子だった。
癖のある茶髪。そばかすが印象的な愛嬌のある顔立ちで、なぜか勝手に口角がきゅっと上がっている。多幸感に溢れている顔、といえばいいんだろうか。表情は常に明るく微笑んでいる。
(沼田渉くん、っていう名前なんだ)
部屋にかかっていた制服ですぐに、これまでと同じ汐見台高校の生徒だと分かった。期待で胸を高鳴らせながらピンバッジと生徒手帳を確認したのだけれど――クラスは一年七組。鶴海くんと同じクラスの生徒ではない上に、いかにもスポーツマンっぽい鶴海くんと、オタク全開の沼田くんが友達である可能性は絶望的で、接点もなさそうだ。
正直、それに対して落ち込んでしまった自分がいる。神様は一体、どういう基準で憑依する相手を決めて、こんな日々を俺に過ごさせているんだろう。
考えたところで見当もつかないし、なぜ汐見台高校に通っている人たちに憑りついているのか……謎は深まるばかりだ。
「じゃあなー。白豚くん」
容姿をなじってケラケラと笑いながら歩いて行く先輩たちの背中を見送ると、俺は溜め息をついて階段を上り切り、廊下を歩き始めた。
「あ、沼っちじゃん。おはよ~」
「お、おはよう」
自分でははっきり挨拶したつもりなんだけれど、びっくりするくらい声が小さい。しかも声が……声変わりしていないんじゃないかと思うほど高い。例えるなら「合唱団でボーイソプラノをやっています」みたいな感じだ。戸惑いながらも作り笑いを浮かべてみせると、声をかけてきた男子たちはニヤニヤと笑って、俺を囲うように近づいてきた。あだ名で呼ばれたけれど、なんだか嫌な空気だ。友達とのじゃれ合いじゃない、どこか俺を小馬鹿にしているような雰囲気が漂っている。
「沼っちの汗やばくね? シャワー浴びたみたいになってるじゃん」
「いつもだよ。体育の授業の後なんてもっと濡れてるし」
「運動不足だな。アニメなんか観てないで、走って痩せた方がいいんじゃねーの」
ほら、と笑いながらお腹の肉をつままれて、ぷにっとした感触に思わず身をよじった。
「脂肪やばくね?」という声が廊下に大きく響き渡ると、近くにいた女子たちが不穏な空気を感じ取ったように、目配せしながらコソコソ話をしている。
(やめてほしいのに……怖くて言えない)
言われてすごく嫌な気持ちだと、そうはっきりと感じているのに。言い返すことは出来なくて、まるで『沼っち』の感情がなだれ込んできたように、涙の高波にじわりと呑み込まれる。その動揺の只中で、不意に彼らの背後から凛とした声が廊下に響いた。
「それって、何が面白いん」
騒いでいた男子たちが振り返った瞬間、一気に空気が凍りついた。ポケットに手を突っ込んだまま、気まずそうに目を逸らして「うざ」と小声で呟く。
「……鶴海くん」
思わず名前が口をついて出る。鶴海くんはチラッと俺を一瞥したものの、視線をすぐに外すと、絡んでいた男子たちに向かって一歩詰め寄った。
「なぁ、今の普通にいじめだと思うけど」
「は? 鶴海には関係ないだろ」
「関係ねぇよ。でもな、関係ねぇ俺が見ててムカつくくらい不愉快だって言ってんだよ。沼田が嫌がってるの、わかんねぇの? だとしたら眼科行けよ」
鶴海くんの猛攻が止まらない。まだやるのか、とでも言いたげな強い眼差しに男子たちはたじろぐと、「行こうぜ」なんて本当に悪役みたいな捨て台詞を吐いて、そそくさと教室の方へ戻って行った。
「鶴海くん、助けてくれてありがとうございます」
「え? いや別に。普通に見てて腹が立ったから、黙ってられなかっただけ」
振り返ってそう答えた鶴海くんの眉にはまだ皺が寄っていて、治まりきらない苛立ちがそのまま顔に居座っているみたいだった。まさかの登場に内心驚きはしたものの、それよりも――嬉しさの方が断然勝っている。
(会えたのは嬉しいけど、なんで毎日鶴海くんは俺の前に現れるんだろう?)
偶然、といえば偶然なのかもしれない。けれど、鶴海くん以外に遭遇する人は今のところ誰もいないし、しかも連日だ。もし明日も会えたとしたら、それはただの偶然では片付けられない。何かの縁で、鶴海くんと俺の人生が繋がっているんじゃないだろうか。
(もしくは、他に理由があるとするなら……鶴海くんは、実は物凄く霊感が強い、とか?)
浮遊霊としての俺のエネルギーを、引き寄せてしまうパワーの持ち主なのかもしれない。仮にそうだったとして、もしも俺が幽霊だと鶴海くんに見抜かれるなんてことがあれば、それこそお守りとか御札とか……悪霊(のつもりはないが)退散させられてしまうんじゃなかろうか。
「……あ、あの。鶴海くん」
「うん?」
「急で申し訳ないのですが、折り入って、お聞きしたいことがありまして」
「え……なに、いいけど。てか、なんで敬語?」
「ええと、出来れば二人で話せる場所で……」
こんな人目の多いところで『もしかして、幽霊とか視える人ですか?』と尋ねる勇気は流石にない。
バクバクと体の内側で暴れている心臓を誤魔化すように、カチャッと眼鏡のずれを直す俺に向かって、鶴海くんは不思議そうな顔のまま首を傾げた。
「朝のHRまででもいい? てか、何系の話か教えてほしい。まさか告白ではないよな?」
「こ、告白!? 全然違いますっ!」
テンパりすぎて声のボリュームを間違えた。突然の大声に鶴海くんは目を軽く見開いたものの、パッといつもの爽やかな笑顔に切り替えた。
「あっはは! ごめん、冗談だって。てか、沼田ってそんな大きな声出るんだ」
「ごっ……ごめんなさい」
「いや、なんで謝るん。なんも悪くないんだから、謝らなくていいって」
鶴海くんは一年七組の教室を曲がった先にある、渡り廊下の手前で立ち止まった。目の前にある扉には『図書室』と書かれたプレートが下がっている。
「……ここなら誰も来ないと思うんだけど」
ガラリと勢いよく開いた先、部屋の中に誰も居ないことを確認すると、俺を先に招き入れて扉を閉めてくれた。隣に視線を向ければ、形の良い唇を尖らせて、静かに息を吐き出している。
「それで、話ってなに?」
「えっと……急にこんなこと訊かれても、びっくりするとは思うんですが」
ただ両腕を身体の前で組んで片脚を後ろで交差しているだけなのに、鶴海くんはモデルみたいにかっこいい。誰も居ない図書室にふたりきり、というのは確かに告白のシチュエーションみたいだけれど、俺は下手をするとそれ以上の緊張に襲われていた。話題が話題なだけに、言葉選びは慎重じゃないと。
「あのっ、鶴海くん。実は霊感がすごく強い人だったりしませんか?」
「…………はぁ?」
「幽霊が見えるとか、気配が分かるとか。とにかく、そういう血筋といいますか、霊感体質だったりしないかなって」
「ちょっと、突然すぎて話が見えないんだけど」
「それは重々承知の上で、どうしても答えて欲しいんです」
反応にめちゃくちゃ困っている。呆れて相手にしてもらえないかも、と内心ヒヤヒヤしていたのだけれど、意外にも鶴海くんは腰に手を当てると、眉間に皺を寄せながら心当たりを探すように視線を彷徨わせ始めた。
「……あー、強いのかどうかは分かんねぇけど」
「けど!?」
「子どもの頃は、誰も居ない部屋を指差して『あそこにいる子はだれ?』って母親に聞いたことがあったらしい」
「ほっ、他には? そういう心霊っぽい体験談、あったりしませんか?」
「んー、小四の時にさ、野外活動で岩手に行ったの覚えてるか?」
その問いかけに俺は一瞬言葉に詰まったものの、すぐに「うん」と返事をした。沼田くんと鶴海くんは、小学校の同級生だったってことなのか。
危ない……ちょっとでも気を抜いて「えっ?」なんて言ったら、一気に怪しまれるところだった。
「もっ、もちろん覚えてます」
「二日目の夜に、班のメンバーで集合写真撮っただろ。家に帰ったあと、それを現像してみたら、大きな顔が写ってたんだよ。他の奴らには言わなかったけれど、そのあと母さんと寺に行って、お焚き上げしてもらったことがある」
「お焚き上げ?」
「お経を読んでもらって霊を供養する、的なやつ」
俺は一気に鳥肌が立った。それはきっと、祓われる側としての危機感からだろう。無言のまま相槌を打つように首を縦に振ると、鶴海くんはぽりぽりと人差し指で頬を掻いた。
「これは湊たちにも言ったこと無いから、あんまり周りには言いふらさないでほしいっていうか……まぁ、沼田がそんな奴だとは思ってないけどさ」
にっと笑いかける鶴海くんを前に、俺は全身の肌がひりひりするような衝撃を受けていた。
鶴海くんの霊感の強さが証明されてしまった今、なんで俺の前に毎日彼が現れるのか、分かった気がする。偶然なんかじゃない。彼しか、俺の前に何度も現れる人間はいないのだから。
――俺の成仏を手助けさせるために、神様が引き合わせているのかもしれない。
唇を固く引き結ぶと、鶴海くんは顔を覗き込んできた。
「んで、沼田はそれを聞いて何が知りたかったわけ?」
胸の中で、ふたつの感情がぐるぐると渦を巻いていた。ひとつは、自分がいったい何者なのかを知りたいという気持ち。本当の自分の名前と、こんな毎日を過ごすことになった原因を知りたい。もうひとつは、成仏して「あの世」に行くのがたまらなく怖くて、この世界にできるだけ長く留まっていたい、という気持ちだった。たとえそれが、他人の身体を借りるなんて、とんでもない日々だったとしても。
「おーい、沼田。どうした、具合でも悪い?」
「あ……すみません、鶴海くん。あの……」
幽霊として毎日姿を変えて生きる今、俺が身近で縋れる「生きている人」は、鶴海くんしか居ない。しかも霊感があって、きっと何かしらの巡り合わせで、こうして毎日顔を突き合わせている。こんな話を鶴海くんが素直に信じてくれるとは到底思えない。それでも――俺には、鶴海くんしか頼れる人がいなかった。
「頭がおかしいと思われるかもしれないんですが」
「何だよ、急に改まって」
「俺が本当は沼田渉じゃなくて。誰かに憑りついてる幽霊だって言ったら、鶴海くんはどうしますか?」
沈黙が落ちた。数秒、鶴海くんの表情から一切の反応が消える。
「……えー、ごめん。もう一回言って。今、なんつった?」
「だから、その……俺、本当は沼田渉じゃない。幽霊なんです」
「いやいやいや、待って待って」
鶴海くんは片手を突き出して、笑いながら言葉を遮るように振ってみせた。
「マジで意味が分かんねぇんだけど」
「うん、そう思うのは当然だと思う。でも、本当に嘘はついてない!」
「お前さ、俺のことからかってる? 冗談にしちゃあんま面白くねぇけど」
「ち、違います! 疑いたくなる気持ちも分かるし、自分でもとんでもないことを言ってる自覚はあるけど、俺は本当に沼田渉じゃないんです」
どんどん険しい表情になっていく鶴海くんに向かって、身振り手振りを加えながら必死にアピールする。けれどそれが逆効果だったみたいだ。
誰かに無理やり言わされているのでは、といじめの一種を疑うように、鶴海くんはカウンターや本棚の奥の方に隠れている人がいないか探している。
「ショート動画でも隠し撮りしてんの?」
「まさか。そんなの撮ってないです」
大真面目に断言した俺を前に、鶴海くんはどうしたらいいのか分からないようだった。ひくっ、とその口元がぎこちなく引きつっている。
「俺、生きていた頃の自分自身のことは何も覚えていないんです。毎朝目覚めると知らない人に乗り移っていて。昨日は沢村先生で、おとといは湊くんで……明日もたぶん、また違う身体を借りることになるんですけど」
鶴海くんの眉間に、深い皺が寄る。今度こそ本当に理解できない、というふうに首を横に振った。
「意味わかんねえって。なんでそこで海里ちゃんと湊が急に出てくるんだよ」
「俺が、二日間ずっと――ふたりに憑いてたからです」
「んなことあるわけ……」
そこまで言いかけて、鶴海くんは黙り込んでしまった。湊くんと沢村先生の様子を思い出して、なにか引っかかるものを感じたのかもしれない。
困惑している鶴海くんに、できるだけ簡潔に俺はこれまでの話を整理した。
「簡単にまとめると、俺はもう死んでるけど、この世に未練があるせいで色んな人の身体を借りて毎日を過ごしてるんです」
言い切った瞬間、鶴海くんの表情から完全に温度が消えた。乾いた笑いを一度こぼしてから、苛立った口調で呟く。
「……マジで、笑えねぇ」
「鶴海くん」
「急に霊感だのなんだの言って、挙句の果てに『幽霊なんです』ってなに? そういう冗談には付き合う気ねぇから」
時間が無駄だった、とでも言いたげに鶴海くんは硬い表情のまま踵を返す。
図書室のドアに手を掛けた瞬間――ここで別れたらもう二度とチャンスはやってこないかも、という予感に突き動かされて、腕を咄嗟に掴んで引き留めた。
「な……っ、おい、離せって」
「おとといの放課後!」
食い下がる俺の勢いに圧倒されたように、鶴海くんは固まっている。
信じてもらうとしたら、ふたりしか知らないことを言うしかない。俺は鶴海くんの目をじっ、と見つめて訴えた。
「湊くんの身体に乗り移っていた時、鶴海くんと一緒にマックに行きました。それで、その後にふたりでガチャガチャもしました」
振りほどこうとしていた腕から、ふっと力が抜けた。
切れ長の瞳が瞬きを繰り返し、みるみるうちにまん丸になっていく。
「……っ、何で沼田がそのこと知ってんだよ」
「鶴海くんが『ガチャを回したい』って言って、二回まわしました。一個目は羊で、二個目はシークレットのウーパールーパーが出てきて」
「沼田もあそこに居たってこと? 覗き見は流石に引くんだけど」
嫌悪感を丸出しにされ、俺は慌てて首を左右にぶんぶんと振った。
鶴海くんの腕を掴んだ手には汗がじっとりと滲んでいる。けれど、それを振り払われる気配はない。
「湊くんが欲しがってたから、って。『腐れ縁の特別サービス』だって。そのあとは、帰り道にエアドロで写真を送ってくれました」
「…………」
湊くんと鶴海くんしか知らないはずのやりとりを指摘されて、どんどん鶴海くんの表情が怒りから困惑に変わっていく。
不気味、得体が知れない、怖い。その気持ちは、よく分かっているつもりだ。普段は大して仲良くもない相手に自分の行動をこんなに事細かに語られたら、誰だって気味が悪いと思うに決まっている。しかも、その相手が幽霊を自称しているのだから。
(でも、この話だけじゃまだ『沼田くん』がふたりをストーカーしていたと思われるだけかもしれない)
ごくん、と鶴海くんが生唾を飲んだのを見つめながら、俺はなんとか信じて貰うために必死で証明しようとした。二日間、湊くんと沢村先生の身体の中にいたのは自分で、こうして喋っている今もその状態が続いているのだと。
「昨日は、沢村先生の身体でした。保健室に怪我をした鶴海くんが来て、湊くんと喧嘩になったって打ち明けてくれた。でも、その喧嘩の原因をつくったのは俺が乗り移ってたせいなんです。俺がその前日に身体を借りたせいで、湊くんには記憶がなくて――」
「ちょっとストップ。鳥肌やばいって。何このドッキリ、マジで笑えないんだけど」
「ドッキリじゃない! 俺、本当に幽霊なんですっ」
「そんなん、信じられるわけねぇだろ!」
強い眼差しで睨まれて、どんな言葉を返したらいいのか分からなかった。
やっぱり、信じてもらうなんて無理なのかもしれない。だって俺自身、自分に起きていることを未だに信じきれていないんだから。
ガラッと扉を開いて、無言で立ち去ろうとする鶴海くんの背中へ、俺は慌てて声を掛ける。
「つ、鶴海くん待って。……これだけ、最後にこれだけ聞いて貰えませんか」
鶴海くんが廊下へ踏み出した足は、ぴたりと止まっているけれど、振り向いてはくれない。それでも俺は、両手を祈るように指を絡めて握り込み、さっきより声のボリュームを落として続けた。
「明日また別の人に変わっていたら、鶴海くんにしか分からない『合図』を送ります」
「だから、俺はお前の訳わかんない妄想に付き合う気はねぇって――」
「合図は、今ここで鶴海くんが決めて下さい。言葉でも、ハンドサインでも……分かりやすいのじゃなくて、示し合わせないと分からないような、複雑なやつがいい」
「なんで俺がそんなこと決めなきゃなんねぇんだよ。つーかそれ、沼田が他の奴に教えたら意味なくね。またからかいに来るって算段だろ」
もっともだ。正論で殴られたような気分で、俺は言葉に詰まる。だとしたら、証明する方法はもうこれしかない。
「信じてもらうためなら、また違う人の身体になっても今日と同じことをお話します。それだけじゃない。湊くんの部屋にあるものとか、マックに行った時に喋ったこととか。寝る前にやりとりしたトークも、沢村先生として会話した内容も、全部話せって言われたら、話せます」
鶴海くんは腕を組んだまま、しばらく黙り込んでいた。信じたくない、けれど無視することもできない――そんな葛藤がありありと表情に出ている。やがて、絞り出すような低い声が漏れた。
「ちょっ、マジで待って。俺も混乱してるけど、その……お前が言ったガチャの話。あれ、俺と湊しか知らねぇ話だし。海里ちゃんに話した内容もそうだろ。だから、なんつーか……信じられないけど、無視も出来ねぇっつーか」
そわそわとしながら言葉の続きを待つ俺に、鶴海くんはピースをしてみせたあと、その指先をぐにゃりと二回曲げてみせた。
「じゃあ、これにする。俺とお前のハンドサイン」
「えっ……信じてくれるんですか?」
「いや、全然。でも、このサインをした上で、明日ちがう奴に乗り移っていても質問に答えられたら……まぁ、考えてやらなくもない」
「ほ、本当に!?」
「ただし、さっきよりめっちゃ詳しく聞くから。絶対、覗きとか盗み聞きじゃ分かんねえような話な。一個でも間違えたら、この話には付き合わないし、俺にもしつこく言い寄らないって約束しろよ」
「も、もちろん! 明日は誰に変わっているか分からないけれど、今のところ全部この学校の人なので。朝イチでサインを送ります!」
「分かった、わかったって。……あー、なんで俺、こんな話に付き合ってんだ……」
独り言のように呟きながら、鶴海くんは右手でぐしゃぐしゃと前髪をかき上げた。信じられないけれど、向き合わざるを得なくて困っているようだ。
「言っとくけど、九分九厘、沼田の妄想か、なんかの悪ふざけだと思ってるから。じゃないと俺、いま幽霊と対話してるってことになるじゃん」
とてつもなく申し訳ないけれど、まさに幽霊である俺と絶賛対話中である。うずうずしながら「でも少しは信じてくれているのかな」と期待を込めた視線を送ると、ぱちっと目が合い、鶴海くんは悩ましげに瞼を手で覆った。
「なんつーか、意味わかんねぇけど放っとけねぇんだよ。だから、確かめるだけだからな」
「……うん、ありがとう」
完全に信じてもらえたわけじゃない。ただ、確かめてもいいというチャンスを貰っただけ。それだけでも、心をまるごと掬い上げてもらったような、そんな嬉しさと感謝の気持ちで満たされる。
浮ついた気持ちで頬が緩みそうになる俺に対して、鶴海くんは眉を寄せたまま真顔で溜息をつくと、「もう行くわ」と疲れ切った表情で図書室を出て行った。
二度ある事は三度ある。昨日からそう心積もりはしていたし、次は誰の身体で一日を過ごすんだろうと思いながら眠りについた。
やたらイケメンな男子高校生の人生も、社会人として先生の人生も経験した。取り憑いてしまった相手の人には申し訳ない上に図々しいけれど、まるで役になりきっているかのような人生の追体験を、折角なら出来るだけ前向きに受け容れて過ごそうと俺は決めた。
それはもちろん、次に目覚めた時にその人の生活に出来るだけ、不都合が起きないことが大前提。けれど、ちょっとこの身体は別の意味で予想外だ。
夏でもないのに額にはたらりと汗の粒が垂れて、あっという間に目尻に流れ込んでくる。ワイシャツの胸ポケットに入れてきたタオルハンカチで何度拭っても、首筋も背中も、なんなら太腿の裏まで滝のように汗をかいている。
(ただの階段なのに、心臓破りみたいにキツく感じるっ!)
今朝、目が覚めて辺りを見渡すと、まず視界がものすごくボヤけていることに気がついた。眉を寄せるようにしてピントを合わせ、室内をぐるりと見渡すと、そこにあったのは、大量のプラモデルだった。
ガラスの棚に所狭しと飾られたロボットのフィギュアは、ぶつかったら一気に雪崩が起きるんじゃないかと思うほど、ギリギリのバランスをなんとか保っている。側にあったレンズの厚い眼鏡をかけると、めちゃくちゃ度が強いのもまた衝撃的だ。
学習机の上には、教科書を押しやるようにして作業用のピンセットや接着剤が置かれていて、まるでプラモデルを作るためだけに存在している部屋のようだった。憑依生活三日目の今日は、世間一般でいうところの『オタク男子』に憑りついたらしいことを、そこで俺は悟ったのである。
そして、現在の時刻は八時十五分。俺はまたしても汐見台高校の制服を着て、こうして必死に階段を上っている。一段を踏み出すたびにドスン、ドスンと全身が震えて、その度に「ふぅ」と「はぁ」を口が勝手に繰り返していた。
「おい、どけよデブ。邪魔だっつーの」
「ほんまそれ。隅っこ歩いてても、余裕で幅とってるし」
強面な上級生たちに振り返りざまにジロリと睨まれて、縮み上がる思いで「すみません」と返事をする。そう、今日借りているこの身体は少し……いや、かなりふくよかな体格なのだ。
起きてすぐにその変化に気付いた。今までで一番体が重く感じられて、動きにくい。部屋に姿見がなかったので、洗面所で鏡を覗き込んでみると、そこに立っていたのは色白でまんまるな頬をした男子だった。
癖のある茶髪。そばかすが印象的な愛嬌のある顔立ちで、なぜか勝手に口角がきゅっと上がっている。多幸感に溢れている顔、といえばいいんだろうか。表情は常に明るく微笑んでいる。
(沼田渉くん、っていう名前なんだ)
部屋にかかっていた制服ですぐに、これまでと同じ汐見台高校の生徒だと分かった。期待で胸を高鳴らせながらピンバッジと生徒手帳を確認したのだけれど――クラスは一年七組。鶴海くんと同じクラスの生徒ではない上に、いかにもスポーツマンっぽい鶴海くんと、オタク全開の沼田くんが友達である可能性は絶望的で、接点もなさそうだ。
正直、それに対して落ち込んでしまった自分がいる。神様は一体、どういう基準で憑依する相手を決めて、こんな日々を俺に過ごさせているんだろう。
考えたところで見当もつかないし、なぜ汐見台高校に通っている人たちに憑りついているのか……謎は深まるばかりだ。
「じゃあなー。白豚くん」
容姿をなじってケラケラと笑いながら歩いて行く先輩たちの背中を見送ると、俺は溜め息をついて階段を上り切り、廊下を歩き始めた。
「あ、沼っちじゃん。おはよ~」
「お、おはよう」
自分でははっきり挨拶したつもりなんだけれど、びっくりするくらい声が小さい。しかも声が……声変わりしていないんじゃないかと思うほど高い。例えるなら「合唱団でボーイソプラノをやっています」みたいな感じだ。戸惑いながらも作り笑いを浮かべてみせると、声をかけてきた男子たちはニヤニヤと笑って、俺を囲うように近づいてきた。あだ名で呼ばれたけれど、なんだか嫌な空気だ。友達とのじゃれ合いじゃない、どこか俺を小馬鹿にしているような雰囲気が漂っている。
「沼っちの汗やばくね? シャワー浴びたみたいになってるじゃん」
「いつもだよ。体育の授業の後なんてもっと濡れてるし」
「運動不足だな。アニメなんか観てないで、走って痩せた方がいいんじゃねーの」
ほら、と笑いながらお腹の肉をつままれて、ぷにっとした感触に思わず身をよじった。
「脂肪やばくね?」という声が廊下に大きく響き渡ると、近くにいた女子たちが不穏な空気を感じ取ったように、目配せしながらコソコソ話をしている。
(やめてほしいのに……怖くて言えない)
言われてすごく嫌な気持ちだと、そうはっきりと感じているのに。言い返すことは出来なくて、まるで『沼っち』の感情がなだれ込んできたように、涙の高波にじわりと呑み込まれる。その動揺の只中で、不意に彼らの背後から凛とした声が廊下に響いた。
「それって、何が面白いん」
騒いでいた男子たちが振り返った瞬間、一気に空気が凍りついた。ポケットに手を突っ込んだまま、気まずそうに目を逸らして「うざ」と小声で呟く。
「……鶴海くん」
思わず名前が口をついて出る。鶴海くんはチラッと俺を一瞥したものの、視線をすぐに外すと、絡んでいた男子たちに向かって一歩詰め寄った。
「なぁ、今の普通にいじめだと思うけど」
「は? 鶴海には関係ないだろ」
「関係ねぇよ。でもな、関係ねぇ俺が見ててムカつくくらい不愉快だって言ってんだよ。沼田が嫌がってるの、わかんねぇの? だとしたら眼科行けよ」
鶴海くんの猛攻が止まらない。まだやるのか、とでも言いたげな強い眼差しに男子たちはたじろぐと、「行こうぜ」なんて本当に悪役みたいな捨て台詞を吐いて、そそくさと教室の方へ戻って行った。
「鶴海くん、助けてくれてありがとうございます」
「え? いや別に。普通に見てて腹が立ったから、黙ってられなかっただけ」
振り返ってそう答えた鶴海くんの眉にはまだ皺が寄っていて、治まりきらない苛立ちがそのまま顔に居座っているみたいだった。まさかの登場に内心驚きはしたものの、それよりも――嬉しさの方が断然勝っている。
(会えたのは嬉しいけど、なんで毎日鶴海くんは俺の前に現れるんだろう?)
偶然、といえば偶然なのかもしれない。けれど、鶴海くん以外に遭遇する人は今のところ誰もいないし、しかも連日だ。もし明日も会えたとしたら、それはただの偶然では片付けられない。何かの縁で、鶴海くんと俺の人生が繋がっているんじゃないだろうか。
(もしくは、他に理由があるとするなら……鶴海くんは、実は物凄く霊感が強い、とか?)
浮遊霊としての俺のエネルギーを、引き寄せてしまうパワーの持ち主なのかもしれない。仮にそうだったとして、もしも俺が幽霊だと鶴海くんに見抜かれるなんてことがあれば、それこそお守りとか御札とか……悪霊(のつもりはないが)退散させられてしまうんじゃなかろうか。
「……あ、あの。鶴海くん」
「うん?」
「急で申し訳ないのですが、折り入って、お聞きしたいことがありまして」
「え……なに、いいけど。てか、なんで敬語?」
「ええと、出来れば二人で話せる場所で……」
こんな人目の多いところで『もしかして、幽霊とか視える人ですか?』と尋ねる勇気は流石にない。
バクバクと体の内側で暴れている心臓を誤魔化すように、カチャッと眼鏡のずれを直す俺に向かって、鶴海くんは不思議そうな顔のまま首を傾げた。
「朝のHRまででもいい? てか、何系の話か教えてほしい。まさか告白ではないよな?」
「こ、告白!? 全然違いますっ!」
テンパりすぎて声のボリュームを間違えた。突然の大声に鶴海くんは目を軽く見開いたものの、パッといつもの爽やかな笑顔に切り替えた。
「あっはは! ごめん、冗談だって。てか、沼田ってそんな大きな声出るんだ」
「ごっ……ごめんなさい」
「いや、なんで謝るん。なんも悪くないんだから、謝らなくていいって」
鶴海くんは一年七組の教室を曲がった先にある、渡り廊下の手前で立ち止まった。目の前にある扉には『図書室』と書かれたプレートが下がっている。
「……ここなら誰も来ないと思うんだけど」
ガラリと勢いよく開いた先、部屋の中に誰も居ないことを確認すると、俺を先に招き入れて扉を閉めてくれた。隣に視線を向ければ、形の良い唇を尖らせて、静かに息を吐き出している。
「それで、話ってなに?」
「えっと……急にこんなこと訊かれても、びっくりするとは思うんですが」
ただ両腕を身体の前で組んで片脚を後ろで交差しているだけなのに、鶴海くんはモデルみたいにかっこいい。誰も居ない図書室にふたりきり、というのは確かに告白のシチュエーションみたいだけれど、俺は下手をするとそれ以上の緊張に襲われていた。話題が話題なだけに、言葉選びは慎重じゃないと。
「あのっ、鶴海くん。実は霊感がすごく強い人だったりしませんか?」
「…………はぁ?」
「幽霊が見えるとか、気配が分かるとか。とにかく、そういう血筋といいますか、霊感体質だったりしないかなって」
「ちょっと、突然すぎて話が見えないんだけど」
「それは重々承知の上で、どうしても答えて欲しいんです」
反応にめちゃくちゃ困っている。呆れて相手にしてもらえないかも、と内心ヒヤヒヤしていたのだけれど、意外にも鶴海くんは腰に手を当てると、眉間に皺を寄せながら心当たりを探すように視線を彷徨わせ始めた。
「……あー、強いのかどうかは分かんねぇけど」
「けど!?」
「子どもの頃は、誰も居ない部屋を指差して『あそこにいる子はだれ?』って母親に聞いたことがあったらしい」
「ほっ、他には? そういう心霊っぽい体験談、あったりしませんか?」
「んー、小四の時にさ、野外活動で岩手に行ったの覚えてるか?」
その問いかけに俺は一瞬言葉に詰まったものの、すぐに「うん」と返事をした。沼田くんと鶴海くんは、小学校の同級生だったってことなのか。
危ない……ちょっとでも気を抜いて「えっ?」なんて言ったら、一気に怪しまれるところだった。
「もっ、もちろん覚えてます」
「二日目の夜に、班のメンバーで集合写真撮っただろ。家に帰ったあと、それを現像してみたら、大きな顔が写ってたんだよ。他の奴らには言わなかったけれど、そのあと母さんと寺に行って、お焚き上げしてもらったことがある」
「お焚き上げ?」
「お経を読んでもらって霊を供養する、的なやつ」
俺は一気に鳥肌が立った。それはきっと、祓われる側としての危機感からだろう。無言のまま相槌を打つように首を縦に振ると、鶴海くんはぽりぽりと人差し指で頬を掻いた。
「これは湊たちにも言ったこと無いから、あんまり周りには言いふらさないでほしいっていうか……まぁ、沼田がそんな奴だとは思ってないけどさ」
にっと笑いかける鶴海くんを前に、俺は全身の肌がひりひりするような衝撃を受けていた。
鶴海くんの霊感の強さが証明されてしまった今、なんで俺の前に毎日彼が現れるのか、分かった気がする。偶然なんかじゃない。彼しか、俺の前に何度も現れる人間はいないのだから。
――俺の成仏を手助けさせるために、神様が引き合わせているのかもしれない。
唇を固く引き結ぶと、鶴海くんは顔を覗き込んできた。
「んで、沼田はそれを聞いて何が知りたかったわけ?」
胸の中で、ふたつの感情がぐるぐると渦を巻いていた。ひとつは、自分がいったい何者なのかを知りたいという気持ち。本当の自分の名前と、こんな毎日を過ごすことになった原因を知りたい。もうひとつは、成仏して「あの世」に行くのがたまらなく怖くて、この世界にできるだけ長く留まっていたい、という気持ちだった。たとえそれが、他人の身体を借りるなんて、とんでもない日々だったとしても。
「おーい、沼田。どうした、具合でも悪い?」
「あ……すみません、鶴海くん。あの……」
幽霊として毎日姿を変えて生きる今、俺が身近で縋れる「生きている人」は、鶴海くんしか居ない。しかも霊感があって、きっと何かしらの巡り合わせで、こうして毎日顔を突き合わせている。こんな話を鶴海くんが素直に信じてくれるとは到底思えない。それでも――俺には、鶴海くんしか頼れる人がいなかった。
「頭がおかしいと思われるかもしれないんですが」
「何だよ、急に改まって」
「俺が本当は沼田渉じゃなくて。誰かに憑りついてる幽霊だって言ったら、鶴海くんはどうしますか?」
沈黙が落ちた。数秒、鶴海くんの表情から一切の反応が消える。
「……えー、ごめん。もう一回言って。今、なんつった?」
「だから、その……俺、本当は沼田渉じゃない。幽霊なんです」
「いやいやいや、待って待って」
鶴海くんは片手を突き出して、笑いながら言葉を遮るように振ってみせた。
「マジで意味が分かんねぇんだけど」
「うん、そう思うのは当然だと思う。でも、本当に嘘はついてない!」
「お前さ、俺のことからかってる? 冗談にしちゃあんま面白くねぇけど」
「ち、違います! 疑いたくなる気持ちも分かるし、自分でもとんでもないことを言ってる自覚はあるけど、俺は本当に沼田渉じゃないんです」
どんどん険しい表情になっていく鶴海くんに向かって、身振り手振りを加えながら必死にアピールする。けれどそれが逆効果だったみたいだ。
誰かに無理やり言わされているのでは、といじめの一種を疑うように、鶴海くんはカウンターや本棚の奥の方に隠れている人がいないか探している。
「ショート動画でも隠し撮りしてんの?」
「まさか。そんなの撮ってないです」
大真面目に断言した俺を前に、鶴海くんはどうしたらいいのか分からないようだった。ひくっ、とその口元がぎこちなく引きつっている。
「俺、生きていた頃の自分自身のことは何も覚えていないんです。毎朝目覚めると知らない人に乗り移っていて。昨日は沢村先生で、おとといは湊くんで……明日もたぶん、また違う身体を借りることになるんですけど」
鶴海くんの眉間に、深い皺が寄る。今度こそ本当に理解できない、というふうに首を横に振った。
「意味わかんねえって。なんでそこで海里ちゃんと湊が急に出てくるんだよ」
「俺が、二日間ずっと――ふたりに憑いてたからです」
「んなことあるわけ……」
そこまで言いかけて、鶴海くんは黙り込んでしまった。湊くんと沢村先生の様子を思い出して、なにか引っかかるものを感じたのかもしれない。
困惑している鶴海くんに、できるだけ簡潔に俺はこれまでの話を整理した。
「簡単にまとめると、俺はもう死んでるけど、この世に未練があるせいで色んな人の身体を借りて毎日を過ごしてるんです」
言い切った瞬間、鶴海くんの表情から完全に温度が消えた。乾いた笑いを一度こぼしてから、苛立った口調で呟く。
「……マジで、笑えねぇ」
「鶴海くん」
「急に霊感だのなんだの言って、挙句の果てに『幽霊なんです』ってなに? そういう冗談には付き合う気ねぇから」
時間が無駄だった、とでも言いたげに鶴海くんは硬い表情のまま踵を返す。
図書室のドアに手を掛けた瞬間――ここで別れたらもう二度とチャンスはやってこないかも、という予感に突き動かされて、腕を咄嗟に掴んで引き留めた。
「な……っ、おい、離せって」
「おとといの放課後!」
食い下がる俺の勢いに圧倒されたように、鶴海くんは固まっている。
信じてもらうとしたら、ふたりしか知らないことを言うしかない。俺は鶴海くんの目をじっ、と見つめて訴えた。
「湊くんの身体に乗り移っていた時、鶴海くんと一緒にマックに行きました。それで、その後にふたりでガチャガチャもしました」
振りほどこうとしていた腕から、ふっと力が抜けた。
切れ長の瞳が瞬きを繰り返し、みるみるうちにまん丸になっていく。
「……っ、何で沼田がそのこと知ってんだよ」
「鶴海くんが『ガチャを回したい』って言って、二回まわしました。一個目は羊で、二個目はシークレットのウーパールーパーが出てきて」
「沼田もあそこに居たってこと? 覗き見は流石に引くんだけど」
嫌悪感を丸出しにされ、俺は慌てて首を左右にぶんぶんと振った。
鶴海くんの腕を掴んだ手には汗がじっとりと滲んでいる。けれど、それを振り払われる気配はない。
「湊くんが欲しがってたから、って。『腐れ縁の特別サービス』だって。そのあとは、帰り道にエアドロで写真を送ってくれました」
「…………」
湊くんと鶴海くんしか知らないはずのやりとりを指摘されて、どんどん鶴海くんの表情が怒りから困惑に変わっていく。
不気味、得体が知れない、怖い。その気持ちは、よく分かっているつもりだ。普段は大して仲良くもない相手に自分の行動をこんなに事細かに語られたら、誰だって気味が悪いと思うに決まっている。しかも、その相手が幽霊を自称しているのだから。
(でも、この話だけじゃまだ『沼田くん』がふたりをストーカーしていたと思われるだけかもしれない)
ごくん、と鶴海くんが生唾を飲んだのを見つめながら、俺はなんとか信じて貰うために必死で証明しようとした。二日間、湊くんと沢村先生の身体の中にいたのは自分で、こうして喋っている今もその状態が続いているのだと。
「昨日は、沢村先生の身体でした。保健室に怪我をした鶴海くんが来て、湊くんと喧嘩になったって打ち明けてくれた。でも、その喧嘩の原因をつくったのは俺が乗り移ってたせいなんです。俺がその前日に身体を借りたせいで、湊くんには記憶がなくて――」
「ちょっとストップ。鳥肌やばいって。何このドッキリ、マジで笑えないんだけど」
「ドッキリじゃない! 俺、本当に幽霊なんですっ」
「そんなん、信じられるわけねぇだろ!」
強い眼差しで睨まれて、どんな言葉を返したらいいのか分からなかった。
やっぱり、信じてもらうなんて無理なのかもしれない。だって俺自身、自分に起きていることを未だに信じきれていないんだから。
ガラッと扉を開いて、無言で立ち去ろうとする鶴海くんの背中へ、俺は慌てて声を掛ける。
「つ、鶴海くん待って。……これだけ、最後にこれだけ聞いて貰えませんか」
鶴海くんが廊下へ踏み出した足は、ぴたりと止まっているけれど、振り向いてはくれない。それでも俺は、両手を祈るように指を絡めて握り込み、さっきより声のボリュームを落として続けた。
「明日また別の人に変わっていたら、鶴海くんにしか分からない『合図』を送ります」
「だから、俺はお前の訳わかんない妄想に付き合う気はねぇって――」
「合図は、今ここで鶴海くんが決めて下さい。言葉でも、ハンドサインでも……分かりやすいのじゃなくて、示し合わせないと分からないような、複雑なやつがいい」
「なんで俺がそんなこと決めなきゃなんねぇんだよ。つーかそれ、沼田が他の奴に教えたら意味なくね。またからかいに来るって算段だろ」
もっともだ。正論で殴られたような気分で、俺は言葉に詰まる。だとしたら、証明する方法はもうこれしかない。
「信じてもらうためなら、また違う人の身体になっても今日と同じことをお話します。それだけじゃない。湊くんの部屋にあるものとか、マックに行った時に喋ったこととか。寝る前にやりとりしたトークも、沢村先生として会話した内容も、全部話せって言われたら、話せます」
鶴海くんは腕を組んだまま、しばらく黙り込んでいた。信じたくない、けれど無視することもできない――そんな葛藤がありありと表情に出ている。やがて、絞り出すような低い声が漏れた。
「ちょっ、マジで待って。俺も混乱してるけど、その……お前が言ったガチャの話。あれ、俺と湊しか知らねぇ話だし。海里ちゃんに話した内容もそうだろ。だから、なんつーか……信じられないけど、無視も出来ねぇっつーか」
そわそわとしながら言葉の続きを待つ俺に、鶴海くんはピースをしてみせたあと、その指先をぐにゃりと二回曲げてみせた。
「じゃあ、これにする。俺とお前のハンドサイン」
「えっ……信じてくれるんですか?」
「いや、全然。でも、このサインをした上で、明日ちがう奴に乗り移っていても質問に答えられたら……まぁ、考えてやらなくもない」
「ほ、本当に!?」
「ただし、さっきよりめっちゃ詳しく聞くから。絶対、覗きとか盗み聞きじゃ分かんねえような話な。一個でも間違えたら、この話には付き合わないし、俺にもしつこく言い寄らないって約束しろよ」
「も、もちろん! 明日は誰に変わっているか分からないけれど、今のところ全部この学校の人なので。朝イチでサインを送ります!」
「分かった、わかったって。……あー、なんで俺、こんな話に付き合ってんだ……」
独り言のように呟きながら、鶴海くんは右手でぐしゃぐしゃと前髪をかき上げた。信じられないけれど、向き合わざるを得なくて困っているようだ。
「言っとくけど、九分九厘、沼田の妄想か、なんかの悪ふざけだと思ってるから。じゃないと俺、いま幽霊と対話してるってことになるじゃん」
とてつもなく申し訳ないけれど、まさに幽霊である俺と絶賛対話中である。うずうずしながら「でも少しは信じてくれているのかな」と期待を込めた視線を送ると、ぱちっと目が合い、鶴海くんは悩ましげに瞼を手で覆った。
「なんつーか、意味わかんねぇけど放っとけねぇんだよ。だから、確かめるだけだからな」
「……うん、ありがとう」
完全に信じてもらえたわけじゃない。ただ、確かめてもいいというチャンスを貰っただけ。それだけでも、心をまるごと掬い上げてもらったような、そんな嬉しさと感謝の気持ちで満たされる。
浮ついた気持ちで頬が緩みそうになる俺に対して、鶴海くんは眉を寄せたまま真顔で溜息をつくと、「もう行くわ」と疲れ切った表情で図書室を出て行った。



