お説教堅物術師の敗北

 翌朝、遮光性の高い絹の御簾の隙間から、柔らかな朝の光が隠し部屋の床に細い筋を作っていた。 
恐ろしいほどの高熱に浮かされ、私に必死のお説教と涙ながらの執着をぶつけてきた冬馬は、夜が明ける頃にはすっかり呼吸も落ち着き、深い眠りに落ちていた。 
国随一の天才術師の生命力は伊達ではないようで、彼の額に触れると、昨晩の焼き付くような熱さは嘘のように引き、心地のよい平熱に戻っている。

「……ん……っ」 

かすかな衣擦れの音と共に、冬馬の長い睫毛がゆっくりと震えた。 
やがて、完全に開かれたその切れ長の瞳が、数回瞬きを繰り返したあと、じっと私を捉える。その瞳には、すでに昨晩のうつろな熱はなく、いつもの聡明で、どこか人を食ったような大人の輝きが戻っていた。

「……おはようございます、お嬢様。おや、もしかして、一晩中私の看病をしてくださっていたのですか?」 

冬馬はふわりと、いつもの妖艶な、蜂蜜のように甘い笑みを唇に浮かべた。 
彼は上体をゆっくりと起こすと、長く艶やかな黒髪をさらりと肩から流し、気怠げな動作で私の頬に手を伸ばしてくる。指先が私の肌をそっと撫でる仕草は、相変わらず大人の男としての色気に満ち溢れていた。

「ありがたいことですが、一国の妃たる中宮様が、夜通し男の看病など……。もしや、私にそこまで惚れ込んで仕舞われたのですか? ……ふふ、嬉しいですが、あまり私を喜ばせないでください。また、呪力が足りないと言っておねだりしたくなってしまいます」 

彼はくすくすと低く笑い、いつものように「あざとく甘えるスパダリ」の仮面を完璧に被り直して見せた。 
昨日までの私なら、この大人の余裕たっぷりの態度に顔を真っ赤にして翻弄されるだけだっただろう。 

けれど、今の私は違う。私は彼の「本性」を、昨晩すべて聞いてしまったのだから。

「……冬馬」
「はい、何でしょう、私のかわいいお嬢様?」
「熱、完全に下がりましたね」
「ええ、お嬢様の献身的な看病のおかげです」 

私は逃げようとしない冬馬の目を、じっと真っ直ぐに見つめ返した。そして、わざといたずらっぽく微笑みながら、昨晩の彼の言葉をそのままなぞるように、一文字ずつはっきりと告げた。

「『私が……どんなに心配したか……お前が傷ついたら、俺は……っ』……。それから、『今度無茶をしたら、容赦なく朝までお説教するからな』……でしたっけ?」
「――――――――――――え?」 

冬馬の動きが、完全に停止した。 
頬を撫でていた彼の美しい指先が、空中でピきりと固まる。 
みるみるうちに、彼の涼しげな目元が驚愕に見開かれ、大人の男としての余裕に満ちていた顔が、潮が引くように焦りの色に染まっていく。

「おや、冬馬? どうしたのですか? いつもの『お嬢様、おねだりさせてください』という甘いおねだりは、もうおしまいですか?」
「あ、あの……お嬢、様……? 今の、言葉は、一体……」
「貴方が昨晩、熱に浮かされながら、それはそれは情熱的に、私に向かって怒鳴り散らした本音ですよ。私の手をギューッと握りしめて、ボロボロと涙を流しながら……『俺の言うことを聞きやしない』って、昔の冬馬みたいに、お説教してくれたではありませんか」
「う、嘘、だ……」 

冬馬の声が、情けないほどに裏返った。 
大人の男のフリをして私を翻弄していたはずの天才術師は、今や完全に、化けの皮を剥がされたただの堅物少年に戻っていた。 彼はみるみるうちに、顔だけでなく、首筋から耳の裏までを爆発しそうなほど真っ赤に染め上げ、信じられないものを見る目で私を見つめたあと、両手で自らの顔を覆ってベッドに突っ伏してしまった。

「あああああ……っ! 最悪だ……! 俺は、私は、なんてことを……っ!」
「あら、一人称が『俺』に戻っていますよ、冬馬?」
「お嬢様、お願いですから忘れてください……! あれは熱のせいです、ただのうわ言です! 私は陰陽寮の冬馬として、完璧に貴女をお守りするスパダリでなければならないのに……っ!」
「どうしてそんなに格好つける必要があるのですか?」 

私はベッドの縁に腰掛け、両手で顔を隠して丸くなっている冬馬の背中に、そっと優しく腕を回した。 
昨晩、私が彼にされたのと同じように、今度は私の側から、彼の大きな身体をきゅっと抱きしめる。

「ひゃっ!? と、お嬢様、近、近いです……っ!」
「冬馬。私は、完璧なスパダリの貴方も格好よくてドキドキしますけれど……私のことを誰よりも心配して、必死に怒ってくれた、昔と変わらない生真面目なお説教モードの貴方が、一番愛おしいと思いました。……だから、もう無理に格好つける必要なんてないのですよ」 

私の腕の中で、冬馬の身体が小さく震えた。 
やがて、彼は顔を覆っていた手をゆっくりと下ろすと、真っ赤になった顔のまま、おずおずと私を振り返った。その瞳には、あざとさも冷徹さもない、ただただ私への純粋な愛情と独占欲だけが揺らめいている。

「……本当に、忘れてくれないのですね」
「ええ、一生忘れてあげません」
「……お前は、本当に昔から頑固で、お転婆で、俺の言うことを聞かない……」 

冬馬は諦めたようにため息をつくと、今度は力強い腕で、私の腰をぐっと引き寄せた。 
ベッドの上に引きずり込まれるようにして、私は彼の胸の中にすっぽりと収まってしまう。

「冬馬……っ?」
「……お前が俺の素の姿がいいと言うなら、もう容赦しません。これからは毎日、お前の行動を全部監視して、無茶をしないように、徹底的に過保護に甘やかして縛り付けますからね」 

冬馬の低く低い声が、私の耳元で鼓膜を震わせる。 
その声は、昔のお説教口調の厳しさを含みつつも、溶けてしまいそうなほどの甘さと熱を帯びていた。

「いいですよ。貴方の後ろで、ずっと守られてあげます」
「……本当だな? 言っておきますが、俺の執着は、後宮のどんな呪いよりも強力で、一生解けませんよ?」 

冬馬は私の髪に優しく口づけを落とすと、愛おしくてたまらないというように、さらに強く私を抱きしめた。 
かつて私を縛っていた『規則』は、今や二人を永遠に繋ぐ『最高の溺愛の呪い』へと変わったのだ。
私は彼の胸の中で、この上ない幸福感に包まれながら、いつまでもその心地よい熱に身を委ねるのだった。