「そっか……帰って来れたんだね、よかった」
夢見心地だ。もう二度と会えないと思って、少しずつその事実を受け入れ始めていたのに、こうして話せている。抱きしめたい衝動に駆られたが、実体がないことを思い出して動かしかけた手を止めた。
幽霊。今の莉子はまさにそれなのだろう。触ろうにも実体がなく、死んだあとの状態。見た目が瓦礫で潰されたときの状態でないことが幸いだろう。
「死」をあらためて実感する。俺たちの間には、どうしても乗り越えられない壁があるらしい。
「颯介、私、死んじゃったんだよね。高一なのに。若すぎだよね」おどけたように笑う莉子。返す言葉を探すのに時間がかかってしまった。「……本当だよ。若すぎるって。もっとずっと一緒にいられるもんだと思ってたんだぞ」
莉子の周りはきらきらと輝いているように感じられる。俺は少し歩いて昇降口前まで行き、階段に腰かけて、すぐ横を叩いた。莉子が遠慮がちにそこに座る。どうやら、普通に動くことはできるようだ。
「でも、こうして戻ってきてくれたんだから、大丈夫だよな?」
「――大丈夫だよ。颯介の隣にいるよ」愛おしい人は、寂しそうに微笑んだ。
「勉強とかしなくていいんだから、楽なんじゃねえの?」俺は誤魔化すように笑う。つられて莉子もくすりと笑った。
「私、別に勉強嫌いじゃなかったけどね」
「莉子が幽霊で、俺が今だけ霊感をゲットしてるってことなら、国語のテストとかお前に答えささやいてもらえば、高得点狙えるじゃん!」
「怪しまれるだけでしょ、いきなり高得点取ったら」
「そこは大丈夫。うまくやるさ」
段々と、俺も莉子も状況に順応してきたのか、それとも状況を忘れかけているのか、以前のように楽しく会話ができるようになっていく。他愛のない話ばかりだが、それすらも俺の記憶の中では煌めく一軍のものだろう。走馬灯というものが実際にあれば、真っ先に流れるはずだ。
それから空の星を見て、あれは何座だとか、あれだけ明るいなら一等星だとかなんとか言い合った。
「今見えているのはきっと、全部よだかの星だよ」
「みんな醜い容姿に絶望したってか? それはちょっと、いやあまりにも可哀想な世界じゃないか」
「でもなりたい姿になれたんだから、ハッピーエンドなんじゃないかと思うよ私は」
「そういうもんかなぁ……」
莉子の宮沢賢治好きは、死んでも変わらないようだった。ちなみに『よだかの星』も彼女に勧められて読んだのだ。俺には文学などまったくわからないが、確かによだかのように今世に満足せず来世に託そうとしたがる人間はそこら中にいる。莉子の言うこともあながち間違いではないのかもしれない。
校門の前の通りをおじさんが通った。ふと、俺のほうを見て立ち止まる。
「君。校門が開いてるからって、夜中に校内に入っちゃいかんだろう。一人で何しとるんだい」
「……?」
おじさんの言った言葉に思わず首を傾げる。一人、と言った。俺は確かに今ここで莉子と一緒にいる。隣を見ると莉子が変わらず座っている。
「一人、?」
「一人だろう? 誰かいるとでも言うのかい? おいおい、大丈夫か?」
つまり、莉子は他人には見えないのだ。俺一人しか視認できない。
「すみません。すぐ帰ります」
「そうしな。男の子だからって夜道は油断しちゃダメだぞ」
適当に礼を言うと、おじさんは去っていった。
「見えてないんだね、私のこと。まあそんな気はしてたけど」
「俺にしか見えないってことか?」
「そうじゃないかな」
なんと寂しいことだろう。俺にしか見えないだなんて。でも、同情するとともに、俺は少しだけ嬉しかった。今後、俺だけが、世界で俺一人だけが莉子を独り占めできるのだから――。
「颯介、帰るの?」
ここで、「帰っちゃうの?」などと聞かないあたりが、莉子の弱さをひた隠しにする性格の証拠だ。だから、彼女はいじめに遭っていても、教室では絶対に泣かなかった。
でも、俺は知っている。今、莉子は俺に帰ってほしくないと思っている。
「まだ帰らないよ。でも流石に夜通しいるわけにはいかないかな」
「そうだよね。……私は自分の家にでも行こうかな。どうせまだベッドとか残ってるだろうし。そこで寝るよ」
「松園まで歩いていくつもりか? この時間、バスもないだろ」
「車の上に捕まるとか? 幽霊だからなんとでもなるよ。颯介が家に泊めてくれる、とか言うなら別だけど」
「…………」
その一線は越えたくない。好きの一言ですら、ずっと伝えて来なかったのだ。いくら相手が幽霊になったからって、女の子を家に泊めるなんてことを許してしまったら、関係値は明らかに変化してしまう。それだけは、ダメだ。
「冗談に決まってるでしょ。なんでそこで黙っちゃうかなぁ」
「すまん。泊めるのは無理だな……」
「わかってるって。だから家に帰るよ。明日も課外でしょ? 起きたら遊びに来ようかな」
心臓が高鳴る。迷ったり、答えに窮したり、嬉しくなったり、嫉妬したり、ときめいたり。感情が派手に行ったり来たりして忙しい。それでも、悲しみに浸っていた数時間前と比べたら最高だ。
どうか、これが夢でありませんように。馬鹿げた日常でも、莉子がいるだけでいいんだ。だから、どうか、この幸せをずっとここに置いておいてください。この奇跡を、永遠のものにしてください。
「じゃあ、私そろそろ行こうかな。車の上に乗せてもらっても、松園までは割と時間かかるだろうから」
「わかった。俺も帰るよ。――明日、絶対来いよ」
「起きられたら、ね」
たとえ話し言葉でも、ら抜き言葉は使わない。それが彼女なりの言葉への敬意だ。生前と変わらない癖をまたひとつ、見つけられて安心する。
「寝不足でも無理やり起きて来い」
「意地悪はダメですよ、颯介」
「……また明日」
「また明日。おやすみ、颯介」
「おやすみ」
星はさっきよりも少しだけ動いていて、時間が結構経っていることがわかった。何時間ぶりかにスマホを開くと、午前二時を過ぎた頃だった。家を目指してもと来た道を辿り始める。
頬をつねっても、しっかり痛い。どうやら、俺は確かに莉子と会ったようだ。
明日もう一度会えるかどうかなんてわからないのだし、やっぱりギリギリまで一緒にいるべきだったか、と少し後悔する。信じ切るには頼りないような実体のない幽霊だったけれど、それでも、俺はなぜか明日以降も莉子と会える確信があった。
イヤホンからは、少し前に流行ったラブソングが流れていた。
夢見心地だ。もう二度と会えないと思って、少しずつその事実を受け入れ始めていたのに、こうして話せている。抱きしめたい衝動に駆られたが、実体がないことを思い出して動かしかけた手を止めた。
幽霊。今の莉子はまさにそれなのだろう。触ろうにも実体がなく、死んだあとの状態。見た目が瓦礫で潰されたときの状態でないことが幸いだろう。
「死」をあらためて実感する。俺たちの間には、どうしても乗り越えられない壁があるらしい。
「颯介、私、死んじゃったんだよね。高一なのに。若すぎだよね」おどけたように笑う莉子。返す言葉を探すのに時間がかかってしまった。「……本当だよ。若すぎるって。もっとずっと一緒にいられるもんだと思ってたんだぞ」
莉子の周りはきらきらと輝いているように感じられる。俺は少し歩いて昇降口前まで行き、階段に腰かけて、すぐ横を叩いた。莉子が遠慮がちにそこに座る。どうやら、普通に動くことはできるようだ。
「でも、こうして戻ってきてくれたんだから、大丈夫だよな?」
「――大丈夫だよ。颯介の隣にいるよ」愛おしい人は、寂しそうに微笑んだ。
「勉強とかしなくていいんだから、楽なんじゃねえの?」俺は誤魔化すように笑う。つられて莉子もくすりと笑った。
「私、別に勉強嫌いじゃなかったけどね」
「莉子が幽霊で、俺が今だけ霊感をゲットしてるってことなら、国語のテストとかお前に答えささやいてもらえば、高得点狙えるじゃん!」
「怪しまれるだけでしょ、いきなり高得点取ったら」
「そこは大丈夫。うまくやるさ」
段々と、俺も莉子も状況に順応してきたのか、それとも状況を忘れかけているのか、以前のように楽しく会話ができるようになっていく。他愛のない話ばかりだが、それすらも俺の記憶の中では煌めく一軍のものだろう。走馬灯というものが実際にあれば、真っ先に流れるはずだ。
それから空の星を見て、あれは何座だとか、あれだけ明るいなら一等星だとかなんとか言い合った。
「今見えているのはきっと、全部よだかの星だよ」
「みんな醜い容姿に絶望したってか? それはちょっと、いやあまりにも可哀想な世界じゃないか」
「でもなりたい姿になれたんだから、ハッピーエンドなんじゃないかと思うよ私は」
「そういうもんかなぁ……」
莉子の宮沢賢治好きは、死んでも変わらないようだった。ちなみに『よだかの星』も彼女に勧められて読んだのだ。俺には文学などまったくわからないが、確かによだかのように今世に満足せず来世に託そうとしたがる人間はそこら中にいる。莉子の言うこともあながち間違いではないのかもしれない。
校門の前の通りをおじさんが通った。ふと、俺のほうを見て立ち止まる。
「君。校門が開いてるからって、夜中に校内に入っちゃいかんだろう。一人で何しとるんだい」
「……?」
おじさんの言った言葉に思わず首を傾げる。一人、と言った。俺は確かに今ここで莉子と一緒にいる。隣を見ると莉子が変わらず座っている。
「一人、?」
「一人だろう? 誰かいるとでも言うのかい? おいおい、大丈夫か?」
つまり、莉子は他人には見えないのだ。俺一人しか視認できない。
「すみません。すぐ帰ります」
「そうしな。男の子だからって夜道は油断しちゃダメだぞ」
適当に礼を言うと、おじさんは去っていった。
「見えてないんだね、私のこと。まあそんな気はしてたけど」
「俺にしか見えないってことか?」
「そうじゃないかな」
なんと寂しいことだろう。俺にしか見えないだなんて。でも、同情するとともに、俺は少しだけ嬉しかった。今後、俺だけが、世界で俺一人だけが莉子を独り占めできるのだから――。
「颯介、帰るの?」
ここで、「帰っちゃうの?」などと聞かないあたりが、莉子の弱さをひた隠しにする性格の証拠だ。だから、彼女はいじめに遭っていても、教室では絶対に泣かなかった。
でも、俺は知っている。今、莉子は俺に帰ってほしくないと思っている。
「まだ帰らないよ。でも流石に夜通しいるわけにはいかないかな」
「そうだよね。……私は自分の家にでも行こうかな。どうせまだベッドとか残ってるだろうし。そこで寝るよ」
「松園まで歩いていくつもりか? この時間、バスもないだろ」
「車の上に捕まるとか? 幽霊だからなんとでもなるよ。颯介が家に泊めてくれる、とか言うなら別だけど」
「…………」
その一線は越えたくない。好きの一言ですら、ずっと伝えて来なかったのだ。いくら相手が幽霊になったからって、女の子を家に泊めるなんてことを許してしまったら、関係値は明らかに変化してしまう。それだけは、ダメだ。
「冗談に決まってるでしょ。なんでそこで黙っちゃうかなぁ」
「すまん。泊めるのは無理だな……」
「わかってるって。だから家に帰るよ。明日も課外でしょ? 起きたら遊びに来ようかな」
心臓が高鳴る。迷ったり、答えに窮したり、嬉しくなったり、嫉妬したり、ときめいたり。感情が派手に行ったり来たりして忙しい。それでも、悲しみに浸っていた数時間前と比べたら最高だ。
どうか、これが夢でありませんように。馬鹿げた日常でも、莉子がいるだけでいいんだ。だから、どうか、この幸せをずっとここに置いておいてください。この奇跡を、永遠のものにしてください。
「じゃあ、私そろそろ行こうかな。車の上に乗せてもらっても、松園までは割と時間かかるだろうから」
「わかった。俺も帰るよ。――明日、絶対来いよ」
「起きられたら、ね」
たとえ話し言葉でも、ら抜き言葉は使わない。それが彼女なりの言葉への敬意だ。生前と変わらない癖をまたひとつ、見つけられて安心する。
「寝不足でも無理やり起きて来い」
「意地悪はダメですよ、颯介」
「……また明日」
「また明日。おやすみ、颯介」
「おやすみ」
星はさっきよりも少しだけ動いていて、時間が結構経っていることがわかった。何時間ぶりかにスマホを開くと、午前二時を過ぎた頃だった。家を目指してもと来た道を辿り始める。
頬をつねっても、しっかり痛い。どうやら、俺は確かに莉子と会ったようだ。
明日もう一度会えるかどうかなんてわからないのだし、やっぱりギリギリまで一緒にいるべきだったか、と少し後悔する。信じ切るには頼りないような実体のない幽霊だったけれど、それでも、俺はなぜか明日以降も莉子と会える確信があった。
イヤホンからは、少し前に流行ったラブソングが流れていた。



