最後のときであることが察せられた。目に入る光景が、あまりにも美しかったからだ。
だから、このときだけは、せめてあと一回だけは、大好きな彼女の名前を呼ばせてほしい。俺は心の奥底から願った。すると、どこから湧き出てきたのか、俺は白い光に包まれる。声が出せるようになったのだと、直感した。
心の中のすべての感情を一緒くたにして、その愛という塊を、俺のこの世で一番大好きな二文字に載せて、声に出した。水の中で音が震えて、振動がゆったりと伝わる。
「莉子」
彼女は、今までで一番の笑顔を返してくれた。それは、光を受けて煌めく宝石のように輝いていて、夏場に花咲かせる向日葵のように清々しくて、それでいて、どこまでも美しかった。
莉子が水を蹴ってこちらに近づいてくる。いつものまっすぐな瞳で俺を捉えて、それから目を閉じた。彼女の姿が、少しずつ、少しずつ、光に変わっていっている。
もう後戻りできないのだと思った。でも、引き留めることはしなかった。
なぜなら、俺は阿部莉子という人を、愛しているからだ。
「言えなかった言葉を、言う時間をありがとう。――大好きだよ」
莉子は、その可憐な笑顔のまま、最期の言葉を告げた。その言葉は、俺がこれまで一番聞きたくなかった言葉であり、このとき一番欲しかった言葉でもあった。
俺もだよ、という言葉を、俺は最後まで返さなかった。彼女もそれをわかっていたのだろう。体が完全に光と化すまで、莉子はかわいらしい笑みを絶やさなかった。
姿が完全に消える。
「バカだなぁ、俺は。言えばよかったのに」
笑いながら、上を見上げた。何粒目かわからない大粒の涙が、また水中に溶けて消えた。
目を覚ますと、ここ数日何度も見た白い天井があった。顔の右半分が包帯で覆われていて、右目に写る景色が真っ暗で少し驚く。
俺はすぐに部屋中を見渡した。だが、莉子はいなかった。
「そうだよな。もう、いないんだよな」
ただ黙って、一人で静かに枕を濡らす。水中での感覚が、目に焼きつけた光景が、彼女の最期の言葉が、まだ鮮明に残っていて。俺は最大限の愛をもらったのだと、そう思った。
泣き腫らした目のまま、ナースコールを押した。意識を失う前とは比べ物にならないほど、体が自分のものである実感が戻ってきていて、とても軽い。右目も、元通りになった感触がある。もちろん、検査しないことには何もわからないが。
バタバタと入ってきた看護師に、状況を説明した。意味がわからないという顔をされたが、とにかくもう一度検査をしたい、包帯を外してほしい、と繰り返す。だが、何度説明しても無駄だった。
「じゃあ、園田先生を呼んでください。きっと伝わるはずです」
「またですか?」
俺があまりに真剣な顔をしているので、看護師は園田さんを呼びに行った。しばらくして、二人で戻ってくる。
「園田さん。実はあのとき、俺と美里さんの他に、もう一人あの場にいたんです」彼は目をぱちくりさせて、俺の次の言葉を待っていた。「俺が呼んだ、俺の大好きな同級生。もう死んじゃってるんですけど。その人と、さっきお別れをしてきました」
そこでやっと、園田さんは合点が行ったように頷いた。
「実は、俺は彼女と一緒にいることを選んだ代償に、熱を出して体調を崩したり、目を怪我したりしたんです。ですが、真の別れをやってきたので、もう代償は残っていない。傷は治っているはずなんです。それで、もう一度診てほしくて」
不思議そうな顔をされた。いくらあの場で、死んだはずの美里さんと再会できたとはいえ、この世界のもう一つの法則に、そう簡単に馴染めるわけではないのだ。
だが、もう俺を信じてくれているのだろう。了承してくれ、検査の手配をやってくれた。担当医には少し怒られたらしい。申し訳ない。
そして実際に、俺の体は完治していることが証明された。包帯を取った瞬間、いつも通りの世界が広がった。体調も右目の視力も、完全に回復している。担当医にも、園田さんにも仰天された。当たり前だろう、失明した患者が、元通りになったのだから。奇跡としか言い表せない。
そうして、莉子のいない世界での、俺の人生がスタートしたのだった。
だから、このときだけは、せめてあと一回だけは、大好きな彼女の名前を呼ばせてほしい。俺は心の奥底から願った。すると、どこから湧き出てきたのか、俺は白い光に包まれる。声が出せるようになったのだと、直感した。
心の中のすべての感情を一緒くたにして、その愛という塊を、俺のこの世で一番大好きな二文字に載せて、声に出した。水の中で音が震えて、振動がゆったりと伝わる。
「莉子」
彼女は、今までで一番の笑顔を返してくれた。それは、光を受けて煌めく宝石のように輝いていて、夏場に花咲かせる向日葵のように清々しくて、それでいて、どこまでも美しかった。
莉子が水を蹴ってこちらに近づいてくる。いつものまっすぐな瞳で俺を捉えて、それから目を閉じた。彼女の姿が、少しずつ、少しずつ、光に変わっていっている。
もう後戻りできないのだと思った。でも、引き留めることはしなかった。
なぜなら、俺は阿部莉子という人を、愛しているからだ。
「言えなかった言葉を、言う時間をありがとう。――大好きだよ」
莉子は、その可憐な笑顔のまま、最期の言葉を告げた。その言葉は、俺がこれまで一番聞きたくなかった言葉であり、このとき一番欲しかった言葉でもあった。
俺もだよ、という言葉を、俺は最後まで返さなかった。彼女もそれをわかっていたのだろう。体が完全に光と化すまで、莉子はかわいらしい笑みを絶やさなかった。
姿が完全に消える。
「バカだなぁ、俺は。言えばよかったのに」
笑いながら、上を見上げた。何粒目かわからない大粒の涙が、また水中に溶けて消えた。
目を覚ますと、ここ数日何度も見た白い天井があった。顔の右半分が包帯で覆われていて、右目に写る景色が真っ暗で少し驚く。
俺はすぐに部屋中を見渡した。だが、莉子はいなかった。
「そうだよな。もう、いないんだよな」
ただ黙って、一人で静かに枕を濡らす。水中での感覚が、目に焼きつけた光景が、彼女の最期の言葉が、まだ鮮明に残っていて。俺は最大限の愛をもらったのだと、そう思った。
泣き腫らした目のまま、ナースコールを押した。意識を失う前とは比べ物にならないほど、体が自分のものである実感が戻ってきていて、とても軽い。右目も、元通りになった感触がある。もちろん、検査しないことには何もわからないが。
バタバタと入ってきた看護師に、状況を説明した。意味がわからないという顔をされたが、とにかくもう一度検査をしたい、包帯を外してほしい、と繰り返す。だが、何度説明しても無駄だった。
「じゃあ、園田先生を呼んでください。きっと伝わるはずです」
「またですか?」
俺があまりに真剣な顔をしているので、看護師は園田さんを呼びに行った。しばらくして、二人で戻ってくる。
「園田さん。実はあのとき、俺と美里さんの他に、もう一人あの場にいたんです」彼は目をぱちくりさせて、俺の次の言葉を待っていた。「俺が呼んだ、俺の大好きな同級生。もう死んじゃってるんですけど。その人と、さっきお別れをしてきました」
そこでやっと、園田さんは合点が行ったように頷いた。
「実は、俺は彼女と一緒にいることを選んだ代償に、熱を出して体調を崩したり、目を怪我したりしたんです。ですが、真の別れをやってきたので、もう代償は残っていない。傷は治っているはずなんです。それで、もう一度診てほしくて」
不思議そうな顔をされた。いくらあの場で、死んだはずの美里さんと再会できたとはいえ、この世界のもう一つの法則に、そう簡単に馴染めるわけではないのだ。
だが、もう俺を信じてくれているのだろう。了承してくれ、検査の手配をやってくれた。担当医には少し怒られたらしい。申し訳ない。
そして実際に、俺の体は完治していることが証明された。包帯を取った瞬間、いつも通りの世界が広がった。体調も右目の視力も、完全に回復している。担当医にも、園田さんにも仰天された。当たり前だろう、失明した患者が、元通りになったのだから。奇跡としか言い表せない。
そうして、莉子のいない世界での、俺の人生がスタートしたのだった。



