きみを呼ぶのをやめるまで

 突如として、M旗は赤い布をはためかせてこちらにまっすぐ飛んできた。慌てて横っ飛びにかわす。
 過去一で危ない攻撃だ。あの速度で飛んできた棒に突かれたら、即大事故だろう。
 そして、どこかからずっとうっすらと校歌が聞こえてきているのが、なぜか緊張を高めている。鳥肌が立っているのは、不気味な雰囲気からか、それとも戦闘で意識を張り詰めているからか。

「また何か呼べばいいんだよな? 今回はなんだ?」
「わからない……」

 莉子は困惑したような顔をしながら、旗の攻撃を避けている。幽霊だから身軽ではあるだろうが、当たったらきっと悪いことが起こるとは直感しているようだった。

「これまではタイトルとか文章があったけれど、今回はないから、わからない。本当にわからない……」
「なあ、これ攻撃とかできないのか? 瞬間移動ができるなら、そういう力も使えていいだろ」
「そんな能力バトルみたいなこと……」

 俺はずっと気になっていたのだ。なぜ実体を触れられるようになったのか。なぜ、瞬間移動ができるのか。俺たちがお互いを呼び合っているだけで、そんなに超現実の出来事を起こせるだろうか。
 ――俺たちは、どこか別の世界から、力を呼んでいるんじゃないのか?
 莉子やこの黒い光が存在する世界、つまり死者の世界では、そういう力が当たり前のものとして存在するんじゃあないのか。だから、現世の人間が死者を呼ぶことで、死者は世界を越えてやって来れて、それがきっかけで、他の力やら黒い光や物体やらが次々とやって来てしまう。これが”黒が這い出して現世を呑み込む”ということなのではなかろうか。
 
「できる、かもしれない。とりあえずやってみよう」
「え?」

 戸惑っている莉子をよそに、俺はさながら超能力者、異能者のように、手のひらを前に突き出した。集中して、一つのことを願う。光の照射を、この手に。そんなことを唱えていただろうか。とにかく、何かの作品で見たような、勇者が使う光の魔法を使えないかと思ったのだ。なぜって? 敵は真っ黒い光を使っているのだから、きっと闇属性だろう。闇属性には光属性で太刀打ちするのが通説だろう?
 俺はすべての固定観念を捨て去る努力をした。考えることをやめた。いや、再現性だけを信じたから、考えてはいたのかもしれない。それも、一番理系らしい手法で。
 すると、俺が信じるままの光が手から飛び出る。だが、それは旗をかすめてほんの少しだけ軌道を変えただけで、消え去ってしまった。

「何、今の……」
「俺たちは、異界から”力”を呼んでいるんだよ! だから瞬間移動も実体に触れることもできる。俺らはあのとき、そういう力を呼んだんだ。それなら、超能力でも異能でもなんでも使えるだろ? 攻撃だってできるんだよ!」

 莉子は呆気に取られているようだった。お前もやってみなよ、と言いながら、俺は二発目の光を出すことに成功した。

「じゃあ、私も……未来圏からの風」

 低い声で、静かに、戦闘時とは考えられないほど落ち着いた声で、莉子は唱えた。あたりを、清潔な風が吹き抜けていった、ような気がした。だが、威力がほとんどなく、どう考えても戦闘向きではない。そもそも、風が吹いたのかも怪しい。俺たちのバイアスかもしれない。それくらいの弱さだ。

「いや、それじゃあ当たらないし攻撃にならないだろ」
「う、うん。ええと、じゃあ颯介がやってたやつにする」

 M旗に向けた手のひらに、力というか念を込めているようだった。ほんの一瞬だっただろうが、とてつもなく長い時間に感じられた。
 だが、一向にその手のひらから光が出ることはなかった。

「無理みたい」

 俺はこの顔を見たことがある。この世に絶望している、闇堕ち主人公の顔だ。莉子がどれだけの自己嫌悪に苦しめられているかが、垣間見えた気がした。
 そうして、微笑んだ莉子。そこに、激しく旗が飛んでくる。危ない! 言葉が出るよりも先に、体が飛び出して、莉子を庇う。
 衝撃が走った。前が見えない。何がどうなっている? 莉子は無事か?
 次の瞬間には、すべてを悟っていた。俺の右目に旗が直撃したらしい。激痛で右目を開けることができない。真っ赤な鮮血がぼたぼたとこぼれ落ちてくるのがわかる。左目で状況を把握する。旗は俺にぶつかった反動で少し遠くまで飛んでいったようだ。

「颯介!」

 莉子がほぼ絶叫のような金切り声を上げ、一旦引こうと提案する。だが、俺はこの一瞬で直感的に悟っていた。ああ、俺が戦わなければならないんだ。きっと、莉子じゃなくて、俺がやるべきなんだ、と。そして、どうすればいいかも、わかった。痛みを我慢してなんとか立ち上がり、大きく息を吸い込んだ。ズキズキと右目から尋常ではない痛みがする。でも、それすらも俺を平常心へと追い立ててくれた。
 M旗が次の攻撃に入る。こちらに向かってまっすぐに飛んでくる。飛んでいる間は軌道の変化がないから、俺は当たらない程度に避け、軌道上に手を伸ばした。俺の全動体視力と集中力をもってして、飛んでくる棒をバチン! と壁に叩きつけて手の中に収める。

「え……」
「莉子、俺が押さえるから、Mを通るように破ってくれ!」
「わ、わかった」

 彼女は、白くてほっそりした、でも膨らみのある手を使って、綺麗にM字の真ん中を通るように布を割いた。そのとき、俺の手から感じられる反発力が消え、俺が安堵して手を離すと、M旗は床に落ちて転がった。黒い光も消えている。もう、襲いかかってくることはなさそうだ。
 不気味な校歌も消え去った。
 やっぱり、俺の仮説は正しいらしい。つまりは、怪異がM旗というものを介して、力を使っているのだ。だから、M旗の本質とも言えるM字が急所だったのだろう。

「どういうこと、なの……? い、いや、そんなこと後でもいい! 颯介、右目を早く治療しないと!」
「あ、ああ。そうだな……」

 少しずつ、喧騒が戻ってきた。全員が意識を失っていたのだ。今頃学校中が上を下への大騒ぎだろう。そんなとき、俺が血だらけの右目を押さえながら教室に登場したら、どうだろう。迷惑極まりないのではないか。
 俺はそう考えて、控え室を出て、とてつもなく重い体を引きずって家に向かって歩き始めた。きっと、相当疲れていたから、判断力も鈍っていて、何が最善か考えられなかったのだろう。血迷っているとしか思えない。
 昇降口を出て、白堊記念館の横を通り過ぎる。なんだか、堪えられないほど眠い。体がしんどい。俺はどうやって家に帰ればいいのだろう?
 意識の彼方で、莉子が俺の名前を呼んでいる、ような気がした。