数日後、まだ体調は万全とは言えないが、考査が始まるため、俺は無理やり登校したのだった。追試はあるらしいが、その日に受けたほうがいいと俺は思っている。
体調を崩したせいで、大して勉強はできていない。自信があるのは数学と物理基礎くらいだ。
ありがたいことに、数学の一つ目からテストは始まった。いや、二つしかない数学のうち片方が最初に終わってしまうのは、むしろ不幸なのかもしれない。とはいえ、ギアを上げる上では嬉しい時間割だった。
痛む頭を左手で押さえながら、問題用紙に解法を何パターンか書き出していく。どれも試してみて、答えまで導けそうなものに絞り、さらにその中から、最もエレガントに解き切れる解法を選び抜く。いつも通りの作業だ。さして難しくはないし、楽しい。
莉子はこの間の一件でひとしきり泣いたからか、澄ました顔で遠くから教室の様子を眺めていた。
開始から三十五分が経過したあたりだった。俺がちょうど裏面の大問二つ目に取りかかろうとしたときだった。莉子が小さく「あっ」と声を上げたのだ。彼女の性格的に、テスト中に俺を邪魔してくることはないだろう。そもそも、俺に本気を出せと言ったのはあいつなのだ。となると、何かが起こったに違いない。
頭の中に駆け巡ったのは、数学の解法だけでなく、すでに二回経験してしまった戦いのことである。作り込みが雑なホラーゲームの中を生きているようだ。学校の至るところから敵が攻撃してきて、それを願いで解決する主人公たち。またあれが起こるのか? と不安が織り混ざった疑問が浮かんだところで、遠くから微かに、低い低い歌声のようなものが聞こえてきた。
勢いよく動かしていたシャーペンが止まる。どうやら、校歌を歌っているようだ。軍艦マーチのメロディ。そして、幾重にも重なる低い声は、なんだかとても異様で不気味に感じられた。そもそも、誰が歌っているというのだろう。今はどの学年も考査中。應援團だって試験真っ只中のはずだ。
いよいよホラーらしくなってきた。
莉子はそわそわして、廊下を覗いたりしていたが、何も情報を掴めなかったのか、すぐに戻ってきて教室をうろうろと浮遊している。校歌は終わりに差しかかり、何事もなく歌い終えられた――矢先だった。身体中にバチンと電気が走ったように感じた。
次の瞬間、クラス全員が一斉に意識を失って倒れる。監督の先生すら倒れた。
俺は、その光景が信じられず、何度か瞬きを繰り返してしまった。どうやら、俺と莉子しか目を覚ましていないようだ。緊急事態だから、テスト中だろうと席を立っていいだろう、と頭の中で言い訳をしてから、急いで廊下を見に行く。テスト中はいつも静かだが、それにしても妙なほどに静かだ。紙を捲る音すら聞こえてこない。
隣のクラスを覗く。嫌な予感が当たってしまった。全員が意識を失っている。他のクラスも確かめたが、どこも同じ状況だった。そして、俺を追いかけるように廊下に出ていた莉子が、廊下の端っこを指差す。階下から、黒い光が立ち上っているのだ。
「私、下りてみてみる。颯介はそこを動かないで」莉子がすぐに動き出す。だが、俺はその顔に一瞬だけ過ぎった不安を見逃さなかった。
「職員室とかに行ったほうがよくないか? まずは現状を知らせるべきだろ」
「誰も起きてないでしょ。現に、一年生は全員こうなっているんだから。光が出ているのはこの階じゃない。ということは、どの階にも影響が及ぶほど強いって考えられるじゃん」
「確定はできないだろ! それに、そんな危ないやつ相手に、莉子が戦う必要ない!」
「ううん、あるの。私がやらなきゃいけないの」
ぐんと勢いをつけて階段を下りていく莉子。俺は手を掴んで引き留めようとしたが、その手は空を切るだけだった。「来ないでって言ってるじゃん」と言われたが、そういうわけにもいかない。仕方なくついていくことにする。
階下の二年生たちも、同様の状況のようだった。誰一人として起きていない。先生含めだ。
光の出所は、どうやら應援團の控え室らしい。莉子はまっすぐにずんずん進んでいく。怖いだろうに、不安だろうに。それでも、彼女の芯のところにずっとある、揺らがない正義感と信念でそれらを薙ぎ払い、前に踏み出していくのだ。それが、阿部莉子という人間の強いところでもあり――同時に弱いところでもあると、俺は思っている。
俺が助けなければならない。なんとしてでも、俺がやらなければいけないんだ。莉子の隣に立つのは俺で、莉子が唯一頼れる相手も俺がいい。俺にとって莉子は特別なのだから、同様に莉子にとっても俺が特別であってほしい。
関係値を明確に変えないことを望んでいるくせに、こんなにも重たい感情を要求するのは、愚かだろうか。
俺はただ、莉子を助けるつもりでついていく。彼女がすり抜けた扉を開け、控え室に入る。目の前の信じられない光景に、またか、と思った。最近はどうも信じられないことが多すぎる。
――應援團が振る旗、M旗が黒い光を纏って宙に浮いているのだ。
一体どういう原理なのだろう。人知を超えていることは確かだから、原理など考えても仕方がないのだが、一瞬考えてしまう。
たった二回しか経験していないというのに、俺たちはすっかり戦闘というものに慣れてしまったのようだ。同時に臨戦体制を取る。数学をやるときと同じくらいの集中。自分が熱を出していたことなど、完全に頭から消え去ってしまっていた。
体調を崩したせいで、大して勉強はできていない。自信があるのは数学と物理基礎くらいだ。
ありがたいことに、数学の一つ目からテストは始まった。いや、二つしかない数学のうち片方が最初に終わってしまうのは、むしろ不幸なのかもしれない。とはいえ、ギアを上げる上では嬉しい時間割だった。
痛む頭を左手で押さえながら、問題用紙に解法を何パターンか書き出していく。どれも試してみて、答えまで導けそうなものに絞り、さらにその中から、最もエレガントに解き切れる解法を選び抜く。いつも通りの作業だ。さして難しくはないし、楽しい。
莉子はこの間の一件でひとしきり泣いたからか、澄ました顔で遠くから教室の様子を眺めていた。
開始から三十五分が経過したあたりだった。俺がちょうど裏面の大問二つ目に取りかかろうとしたときだった。莉子が小さく「あっ」と声を上げたのだ。彼女の性格的に、テスト中に俺を邪魔してくることはないだろう。そもそも、俺に本気を出せと言ったのはあいつなのだ。となると、何かが起こったに違いない。
頭の中に駆け巡ったのは、数学の解法だけでなく、すでに二回経験してしまった戦いのことである。作り込みが雑なホラーゲームの中を生きているようだ。学校の至るところから敵が攻撃してきて、それを願いで解決する主人公たち。またあれが起こるのか? と不安が織り混ざった疑問が浮かんだところで、遠くから微かに、低い低い歌声のようなものが聞こえてきた。
勢いよく動かしていたシャーペンが止まる。どうやら、校歌を歌っているようだ。軍艦マーチのメロディ。そして、幾重にも重なる低い声は、なんだかとても異様で不気味に感じられた。そもそも、誰が歌っているというのだろう。今はどの学年も考査中。應援團だって試験真っ只中のはずだ。
いよいよホラーらしくなってきた。
莉子はそわそわして、廊下を覗いたりしていたが、何も情報を掴めなかったのか、すぐに戻ってきて教室をうろうろと浮遊している。校歌は終わりに差しかかり、何事もなく歌い終えられた――矢先だった。身体中にバチンと電気が走ったように感じた。
次の瞬間、クラス全員が一斉に意識を失って倒れる。監督の先生すら倒れた。
俺は、その光景が信じられず、何度か瞬きを繰り返してしまった。どうやら、俺と莉子しか目を覚ましていないようだ。緊急事態だから、テスト中だろうと席を立っていいだろう、と頭の中で言い訳をしてから、急いで廊下を見に行く。テスト中はいつも静かだが、それにしても妙なほどに静かだ。紙を捲る音すら聞こえてこない。
隣のクラスを覗く。嫌な予感が当たってしまった。全員が意識を失っている。他のクラスも確かめたが、どこも同じ状況だった。そして、俺を追いかけるように廊下に出ていた莉子が、廊下の端っこを指差す。階下から、黒い光が立ち上っているのだ。
「私、下りてみてみる。颯介はそこを動かないで」莉子がすぐに動き出す。だが、俺はその顔に一瞬だけ過ぎった不安を見逃さなかった。
「職員室とかに行ったほうがよくないか? まずは現状を知らせるべきだろ」
「誰も起きてないでしょ。現に、一年生は全員こうなっているんだから。光が出ているのはこの階じゃない。ということは、どの階にも影響が及ぶほど強いって考えられるじゃん」
「確定はできないだろ! それに、そんな危ないやつ相手に、莉子が戦う必要ない!」
「ううん、あるの。私がやらなきゃいけないの」
ぐんと勢いをつけて階段を下りていく莉子。俺は手を掴んで引き留めようとしたが、その手は空を切るだけだった。「来ないでって言ってるじゃん」と言われたが、そういうわけにもいかない。仕方なくついていくことにする。
階下の二年生たちも、同様の状況のようだった。誰一人として起きていない。先生含めだ。
光の出所は、どうやら應援團の控え室らしい。莉子はまっすぐにずんずん進んでいく。怖いだろうに、不安だろうに。それでも、彼女の芯のところにずっとある、揺らがない正義感と信念でそれらを薙ぎ払い、前に踏み出していくのだ。それが、阿部莉子という人間の強いところでもあり――同時に弱いところでもあると、俺は思っている。
俺が助けなければならない。なんとしてでも、俺がやらなければいけないんだ。莉子の隣に立つのは俺で、莉子が唯一頼れる相手も俺がいい。俺にとって莉子は特別なのだから、同様に莉子にとっても俺が特別であってほしい。
関係値を明確に変えないことを望んでいるくせに、こんなにも重たい感情を要求するのは、愚かだろうか。
俺はただ、莉子を助けるつもりでついていく。彼女がすり抜けた扉を開け、控え室に入る。目の前の信じられない光景に、またか、と思った。最近はどうも信じられないことが多すぎる。
――應援團が振る旗、M旗が黒い光を纏って宙に浮いているのだ。
一体どういう原理なのだろう。人知を超えていることは確かだから、原理など考えても仕方がないのだが、一瞬考えてしまう。
たった二回しか経験していないというのに、俺たちはすっかり戦闘というものに慣れてしまったのようだ。同時に臨戦体制を取る。数学をやるときと同じくらいの集中。自分が熱を出していたことなど、完全に頭から消え去ってしまっていた。



