九月の中旬の夜のこと。15日だから、十五夜なのかと思ったら、今年の満月は9月25日なのだそうだ。テレビから流れてくる天気予報を横目に、母さんと夕飯を食べる。白飯に唐揚げとサラダ、味噌汁。テーブルの真ん中に高く盛りつけられた唐揚げの山から、ひとつずつ取って自分の皿に移す。すぐに満腹になって、あまり食べられなかった。
「ごちそうさま」
「何あんた。食欲ないの? 全然食べてないじゃない」
「うーん、まあそんなとこ? 疲れてるだけだよ。でも美味かった」
「そう……早く寝なさいね」
「はーい」
適当に返事をして、部屋に戻る。シャワーを浴びる前に少しゲームをやろうと思って、パソコンを立ち上げた。
亮司に連絡しようとしたが、手を止める。どうせすぐ風呂に入るのだ、出たあとに声をかけよう。
購入したばかりのFPSを始める。最近流行り始めていて、ゲーム実況者がよくやっているらしい。亮司が勧めてくれた。最近はすぐに目が疲れるのだが、それでも楽しいから続けてしまう。若さを過信しているのは認める。
勝つのに最適な場所に降りて、最適な順路で漁る。そして、余裕を持って安地に入り、索敵。落ち着いて対処すれば、意外とキルは稼げるものだ。
そうして、いつも通りプレイしている最中。ちょうど会敵してスコープを覗きながら狙撃しようとしていたところだった。脳に鮮明な映像が浮かぶ。
『颯介! 助けて!』
一高の正門近く。立ち入り禁止のテープの内側で、薄汚い小さな竜巻に襲われている様子が見えた。声からして、莉子で間違いない。おそらくだが、莉子の視点がそのまま俺の脳内に送られてきているようだ。
そちらに気を取られていると、いつの間にか目の前のゲームは終わっており、ゲームオーバーの文字が表示されている。
俺は画面そっちのけで、すぐに外出の準備をしようと動き出す。だが、またガツンと脳内に映像が流れ込んでくる。衝撃に思わず目を固く瞑り、こめかみを押さえてしまった。
目を開くと、あたりの景色が一変している。
「逃げて!」
焦った声が聞こえて、俺は反射的に横に飛んだ。声のほうを見ると、莉子がいる。どうやら俺は一高に瞬間移動してしまったらしいこと。あたりを見回して、理解する。納得こそできないが。
だが、現状をゆっくりと咀嚼している時間はないらしい。とにかく、異様な光に包まれている宮沢賢治の石碑から飛んでくる小さな竜巻を避け続けなければならない。
「状況は?」
「わからない! 前に光っていたから、気になって来てみたら、光が強くなってて。近づいたら、急に竜巻が!」
「とにかくあれを避ければいいんだな?」
「とりあえずはそう。でも……」
莉子の言いたいことはすぐにわかった。いつまでも避けているわけにはいかないのだ。攻撃の存在自体をなんとかしなければならない。
考えているところに、また新たな竜巻がやって来る。灰色どころか茶色に濁った、不快感を伴うものだ。小さいとはいえ、人くらいの大きさはある。あれに触れたら、身動きが取れなくなって、吹き飛ばされて最悪死ぬだろう。
一度避けたら竜巻は、どうやら校舎の壁や木にぶつかって消えるようだ。
「一旦離れてみるぞ!」
「わかった!」
せーの、と合図を出し、二人同時に、振り返りながら走り始めた。だが、結構距離を取ってみても、攻撃が止む様子はない。
「ダメだよ! どうにかして止めないと!」
「屋内に入るぞ!」
莉子の手を引き、ダッシュで白堊記念館の食堂側に入る。半壊したとはいえ、石碑の近くは資料館側であるため、壁が竜巻の侵入を防いでくれると考えたのだ。予想は的中。こちらから攻撃の様子を伺うことはできないが、流石に建物の中にまで竜巻はやって来なかった。
「そ、そっか。建物に吸収されてたから……」
「それより! なんでこんな危険なこと一人でやってんだよ!」俺は思わず咎めてしまった。すると、莉子は複雑な表情を見せてから、泣きそうに顔を歪めた。慌てて謝ったが、むしろ謝られて沈黙が訪れる。
「巻き込んでごめん」莉子は俯きながら呟いた。俺はそれに、また怒りが湧いた。「なんで謝る? 俺を頼れよ! 史料読んでから、俺のもとから距離を取るとか言ってるけど、それじゃあ誰がお前を守るんだよ!」
怒りをぶつけてから、はっと我に返る。今優先すべきは敵の排除。莉子を責めるのはそのあとだっていい。
「いや、悪い。今はあの竜巻をどうにかしないとだよな」
「――私に考えがあるの」
莉子はいつもの調子を取り戻したようだった。まっすぐに俺を見つめて作戦を話し始める。
「さっきやってみたことなんだけど、ひとつ避けて、でもその途中でよろけちゃって。別の竜巻にぶつかりそうになったんだけど、必死で願ったの。やめて、こっちに来ないで! って。そうしたら、ほんの少しだけ進路を変えたように見えた」
荒唐無稽な話に聞こえるが、非現実的な出来事がここ最近多すぎて、信じざるを得ない。そもそも、俺がここまで瞬間移動したのだって、きっと莉子が願って俺を呼んだのだろう。
「察してると思うけど、一人ではどうしようもなくて助けてって願ったら、颯介が来た。瞬間移動? だったんだよね?」
「ああ」
「つまり、ここでも結局、呼ぶってことが大事なんだと思う」
「何を呼ぶんだ?」
莉子がすっと目を閉じる。手を前に差し出し、先ほどまでとは異なる語り口調で話し始めた。
「諸君はこの颯爽たる 諸君の未来圏から吹いて来る 透明な清潔な風を感じないのか それは一つの送られた光線であり 決せられた南の風である」
この学校に入学してから、何度も何度も聞いたフレーズだ。宮沢賢治が、一高の後輩に残した詩『生徒諸君に寄せる』。確か、あの石碑にはその冒頭のフレーズのみが刻まれている。そこで、合点が行った。
「風……」
「そうなの。でも、本来は透明な清潔な風、でしょ? あれはどう考えても汚くて、もはや風とも呼べないようなものだった。だから、石碑に向かって、本来の風を呼ぶのかなって……。でも、さっき私一人で試したときはできなかった。竜巻がちょっと減った? ような気はしたんだけど。だから、二人でやらないといけない気がするの」
なんだかかなり文学的な、かつファンタジーな要素たっぷりに思えたが、物は試しよう。俺たちは実際にやってみることにした。
行くぞ! と合図を出して一斉に記念館を飛び出し、石碑へと向かう。間近まで来ると、竜巻による猛攻撃。だが、俺も莉子も必死で避けながら、呼んだ。
「未来圏から吹いて来る、透明な清潔な風!」
二人の声が重なる。俺は心の底から願った。これ以上莉子を危ない目に遭わせないでくれ。莉子を一人で突っ走る元凶を作らないでくれ。お願いだから、莉子が俺と一緒にいられるようにしてくれ。だから、もうこの竜巻を止めてくれ。
すると、俺が避けた竜巻を最後に、新たなそれは生まれなくなった。あたりに静寂が訪れる。一陣の、気持ちのいい風があたりを通り抜けていったのを感じて、俺たちは顔を見合わせる。
安心して、力が抜けてしまった。茂みに膝をついて、先ほどから主張している頭痛を逃がそうと目を瞑る。
「ごめん、颯介。私のせいで……」
「お前のせい、じゃないから……謝るな……じゃあ、俺は帰る、から……」
なんとか喋って帰る旨を伝え、ふらつきながら歩き慣れた道を歩き出す。莉子が逡巡したのち、俺を追いかけないことにしたのが、背後から感じ取れた。
「ごちそうさま」
「何あんた。食欲ないの? 全然食べてないじゃない」
「うーん、まあそんなとこ? 疲れてるだけだよ。でも美味かった」
「そう……早く寝なさいね」
「はーい」
適当に返事をして、部屋に戻る。シャワーを浴びる前に少しゲームをやろうと思って、パソコンを立ち上げた。
亮司に連絡しようとしたが、手を止める。どうせすぐ風呂に入るのだ、出たあとに声をかけよう。
購入したばかりのFPSを始める。最近流行り始めていて、ゲーム実況者がよくやっているらしい。亮司が勧めてくれた。最近はすぐに目が疲れるのだが、それでも楽しいから続けてしまう。若さを過信しているのは認める。
勝つのに最適な場所に降りて、最適な順路で漁る。そして、余裕を持って安地に入り、索敵。落ち着いて対処すれば、意外とキルは稼げるものだ。
そうして、いつも通りプレイしている最中。ちょうど会敵してスコープを覗きながら狙撃しようとしていたところだった。脳に鮮明な映像が浮かぶ。
『颯介! 助けて!』
一高の正門近く。立ち入り禁止のテープの内側で、薄汚い小さな竜巻に襲われている様子が見えた。声からして、莉子で間違いない。おそらくだが、莉子の視点がそのまま俺の脳内に送られてきているようだ。
そちらに気を取られていると、いつの間にか目の前のゲームは終わっており、ゲームオーバーの文字が表示されている。
俺は画面そっちのけで、すぐに外出の準備をしようと動き出す。だが、またガツンと脳内に映像が流れ込んでくる。衝撃に思わず目を固く瞑り、こめかみを押さえてしまった。
目を開くと、あたりの景色が一変している。
「逃げて!」
焦った声が聞こえて、俺は反射的に横に飛んだ。声のほうを見ると、莉子がいる。どうやら俺は一高に瞬間移動してしまったらしいこと。あたりを見回して、理解する。納得こそできないが。
だが、現状をゆっくりと咀嚼している時間はないらしい。とにかく、異様な光に包まれている宮沢賢治の石碑から飛んでくる小さな竜巻を避け続けなければならない。
「状況は?」
「わからない! 前に光っていたから、気になって来てみたら、光が強くなってて。近づいたら、急に竜巻が!」
「とにかくあれを避ければいいんだな?」
「とりあえずはそう。でも……」
莉子の言いたいことはすぐにわかった。いつまでも避けているわけにはいかないのだ。攻撃の存在自体をなんとかしなければならない。
考えているところに、また新たな竜巻がやって来る。灰色どころか茶色に濁った、不快感を伴うものだ。小さいとはいえ、人くらいの大きさはある。あれに触れたら、身動きが取れなくなって、吹き飛ばされて最悪死ぬだろう。
一度避けたら竜巻は、どうやら校舎の壁や木にぶつかって消えるようだ。
「一旦離れてみるぞ!」
「わかった!」
せーの、と合図を出し、二人同時に、振り返りながら走り始めた。だが、結構距離を取ってみても、攻撃が止む様子はない。
「ダメだよ! どうにかして止めないと!」
「屋内に入るぞ!」
莉子の手を引き、ダッシュで白堊記念館の食堂側に入る。半壊したとはいえ、石碑の近くは資料館側であるため、壁が竜巻の侵入を防いでくれると考えたのだ。予想は的中。こちらから攻撃の様子を伺うことはできないが、流石に建物の中にまで竜巻はやって来なかった。
「そ、そっか。建物に吸収されてたから……」
「それより! なんでこんな危険なこと一人でやってんだよ!」俺は思わず咎めてしまった。すると、莉子は複雑な表情を見せてから、泣きそうに顔を歪めた。慌てて謝ったが、むしろ謝られて沈黙が訪れる。
「巻き込んでごめん」莉子は俯きながら呟いた。俺はそれに、また怒りが湧いた。「なんで謝る? 俺を頼れよ! 史料読んでから、俺のもとから距離を取るとか言ってるけど、それじゃあ誰がお前を守るんだよ!」
怒りをぶつけてから、はっと我に返る。今優先すべきは敵の排除。莉子を責めるのはそのあとだっていい。
「いや、悪い。今はあの竜巻をどうにかしないとだよな」
「――私に考えがあるの」
莉子はいつもの調子を取り戻したようだった。まっすぐに俺を見つめて作戦を話し始める。
「さっきやってみたことなんだけど、ひとつ避けて、でもその途中でよろけちゃって。別の竜巻にぶつかりそうになったんだけど、必死で願ったの。やめて、こっちに来ないで! って。そうしたら、ほんの少しだけ進路を変えたように見えた」
荒唐無稽な話に聞こえるが、非現実的な出来事がここ最近多すぎて、信じざるを得ない。そもそも、俺がここまで瞬間移動したのだって、きっと莉子が願って俺を呼んだのだろう。
「察してると思うけど、一人ではどうしようもなくて助けてって願ったら、颯介が来た。瞬間移動? だったんだよね?」
「ああ」
「つまり、ここでも結局、呼ぶってことが大事なんだと思う」
「何を呼ぶんだ?」
莉子がすっと目を閉じる。手を前に差し出し、先ほどまでとは異なる語り口調で話し始めた。
「諸君はこの颯爽たる 諸君の未来圏から吹いて来る 透明な清潔な風を感じないのか それは一つの送られた光線であり 決せられた南の風である」
この学校に入学してから、何度も何度も聞いたフレーズだ。宮沢賢治が、一高の後輩に残した詩『生徒諸君に寄せる』。確か、あの石碑にはその冒頭のフレーズのみが刻まれている。そこで、合点が行った。
「風……」
「そうなの。でも、本来は透明な清潔な風、でしょ? あれはどう考えても汚くて、もはや風とも呼べないようなものだった。だから、石碑に向かって、本来の風を呼ぶのかなって……。でも、さっき私一人で試したときはできなかった。竜巻がちょっと減った? ような気はしたんだけど。だから、二人でやらないといけない気がするの」
なんだかかなり文学的な、かつファンタジーな要素たっぷりに思えたが、物は試しよう。俺たちは実際にやってみることにした。
行くぞ! と合図を出して一斉に記念館を飛び出し、石碑へと向かう。間近まで来ると、竜巻による猛攻撃。だが、俺も莉子も必死で避けながら、呼んだ。
「未来圏から吹いて来る、透明な清潔な風!」
二人の声が重なる。俺は心の底から願った。これ以上莉子を危ない目に遭わせないでくれ。莉子を一人で突っ走る元凶を作らないでくれ。お願いだから、莉子が俺と一緒にいられるようにしてくれ。だから、もうこの竜巻を止めてくれ。
すると、俺が避けた竜巻を最後に、新たなそれは生まれなくなった。あたりに静寂が訪れる。一陣の、気持ちのいい風があたりを通り抜けていったのを感じて、俺たちは顔を見合わせる。
安心して、力が抜けてしまった。茂みに膝をついて、先ほどから主張している頭痛を逃がそうと目を瞑る。
「ごめん、颯介。私のせいで……」
「お前のせい、じゃないから……謝るな……じゃあ、俺は帰る、から……」
なんとか喋って帰る旨を伝え、ふらつきながら歩き慣れた道を歩き出す。莉子が逡巡したのち、俺を追いかけないことにしたのが、背後から感じ取れた。



