週明けの一限から保健体育なのは、嬉しい人も多いだろうが、俺はあまり嬉しくない。がっつり体を動かすよりも、緩やかにギアを上げていきたいからだ。
それに、予想通り、莉子の姿が見当たらない。やる気が起きないのも仕方がないだろう。紺色のジャージに着替え、だらだらと廊下を歩く。隣には同様にやる気なさげにフラフラと歩く亮司の姿。時折、後ろを振り返って天使の輪を持つボブカットが視界に入らないか確認するが、一向にその様子はなかった。
「今日、莉子さん来てないの?」
「え、なんで?」
「やたらキョロキョロしてるから。好きな子がいないんじゃあ、やる気も出ないよなと思って」
「お前に隠しごとはできねえってか」
俺は最近の出来事を一通り亮司に喋った。誰にも話すつもりはなかったのだが、莉子が離れていってしまって、相当動揺しているのかもしれない。非現実的な話に、亮司は眉をひそめながら聞いていた。もっとも、死者である莉子が現れている時点で、非現実であることには変わりはないのだが。
「っつーわけで、莉子は俺から距離を取ろうとしてるわけ。”真の別れ”ってやつを引き起こすために。俺はそんなもの望んじゃいないのにな」
「――お前、それってさ……」亮司が言い淀む。
「なんだよ?」
「いや、やっぱなんでもねえや。……お前が死んだら、俺は悲しむぜ?」
「キモいなお前」
「それは酷くねえ⁉︎」
亮司の声は真剣に響いた。だから、茶化した。
俺だって亮司といつまでもゲームしていたい。でも、申し訳ないが、それは莉子と一緒にいることの二の次であって。俺にとって莉子との関係値を保ち続けることが何よりも最優先なのだ。莉子のいない世界なんて考えられない。だから、俺は命を犠牲にしたって、少しでも一緒にいられる未来を選ぶ。
――どうやら俺は、すっかり変わってしまったみたいだ。
今時期、体育でやっている競技は、バレーボールだ。男女それぞれで四チームずつ作って、対戦していく。正直どうでもよかった。そんなことよりも、莉子を探しに行きたい。でも、俺はどうしたって臆病だから、莉子の提案なしでは学校を抜け出すなんてできないのだ。
――やっぱり俺、変わっていないかもしれない。
次の試合を待って、同じチームの亮司と他愛のない話をする。最近流行り始めた新しいFPSがやりたいだとか、ゲームの大会の実況を見ていて、見た目がかわいらしく、ゲームも上手いVtuberを見つけただとか、でもやっぱり現実の女がいいだとか、大抵の話題は亮司が引っ張り出してくるのだが、そういったなんでもないことを話し続ける。
その間でも、どうしても莉子が気がかりで、たまに女子のコートのほうを素早く見渡しては、いないとわかってがっかりするのを繰り返していた。何度目かのその行為の最中、とある女子が打ったサーブが、ものすごい勢いで反対側のコートに届くのが視界に映る。それが、信じられない動きをしたのだ。
下から打ったサーブだ。普通は、放物線上に相手コートまで届くだろう。だが、そのボールはあり得ないことに、徐々にスピードを増し、さらには意味のわからない方向に曲がった。
直感で危ないと思った。だが、その出来事はそれなりに距離がある場所で起こったから、俺にはどうすることもできなかった。
「豊岡さん大丈夫⁉︎」
他のクラスの女の子の顔に、ボールが激しくぶつかったらしい。体育館は騒然となり、男子もプレーを一時的に止める。物静かな女の子なのだろう。驚いた顔をしたまま、固まっている。その少し離れたところまで、彼女がかけていたと考えられるメガネが吹っ飛んでいっている。
サーブを打った子が、何度も何度も謝っていたが、あのボールを見ていた誰もが思ったはずだ。サーブが悪かったわけではない。何かしらの、超人的なことが起こったのだ。
だが、誰もそのことを口にはできなかった。俺もだ。亮司は見ていなかったらしいから、何があったん? と呑気に聞いてきたが、俺はただ、ボールが当たったらしいとしか言えなかった。
豊岡さんと呼ばれた女子は、友人に連れられて保健室へと向かったようだ。先生がホイッスルを吹き、試合を再開するように言って、体育館はまた動き出した。
俺らも試合に出たりして、特にそれ以上の変な出来事は起こらず、無事授業は終了した。誰もが油断していた、そのときだった。俺はまた、ちょうどその光景を視界の端で認識していた。
女子二人で抱えようと傾けたネットを張るポールが、勢いよく倒れ始めたのだ。俺を含め、何人かの反射神経の高い人間が、持ち場を捨てて慌ててポールを支えようと走った。だが、誰も間に合わず、笑いながら話していた女子に、後ろから直撃する。
その鈍い音に、誰もが一斉に振り返った。女子生徒の隣に大きな音を立てて転がったポール。次の瞬間、女子生徒は勢いよく倒れ込んだ。頭部から出血している。きゃー! と並んで喋っていた別の女子が叫び声を上げた。先生が駆け寄ってくる。そのすべてが、スローモーションのように見えた。
亮司が訝しげな様子でそれを眺めている。
「亮司」
「なあ、今の明らかにおかしかったよな?」
「…………」
「あのポール、自我があるように見えたんだけど、俺だけ?」
あの大きなポールを運ぶとなると、人はそれなりに慎重になるはずだ。ゆっくりと傾け、二人で支え合いながら持とうとしていただろう。いくら重力加速度があるとはいえ、あそこまでのスピードで激しく倒れるはずがない。亮司の直感はもっともだ。
「俺もそう思ったよ」
ただそう答えるしかなかった。この学校で、明らかに異変が起きている。その事実に、何度も何度も史料の文章が過ぎる。”境界の壁が緩み、黒が這い出して現世を飲み込む。”
それから、学校に救急車が来て、頭を打った女子生徒は運ばれていった。その他にも、事故現場を見ていてショックを受けた生徒が何人かいたようで、皆早退したらしい。
早退しなかった生徒も、少なからずショックを受けていた。教室に戻ると、やっぱり呪いだよ、とささやき合う女子の声が聞こえてくる。俺もそうとしか思えなくなってきた。
二限目以降、静かに授業を受けている俺の心は、いろいろな感情と考えでかき乱されていた。莉子が心配で、どこにいるか知りたい。でも、再会したところで、莉子は俺とまともに話してくれないんじゃないか? それに、学校で次々と起こっている、この”呪い”のような出来事を、莉子に見せるのは気の毒だ。きっとまた、自分のせいだと思って罪悪感を抱いてしまうのではないか。ぐるぐるといろんな考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。
――でも、会いたい。俺は莉子に会いたい。
その気持ちだけは、揺らがなかった。
放課後、ダッシュでバス停に向かい、一直線にいつもの場所を目指した。もしかしたらそこに莉子が来ているかもしれない、そんな淡い期待を持って。だが、その希望は打ち砕かれ、やっぱりそこにもいなかった。
――会いたい。一緒にいたい。
俺は犠牲を厭わず、手を組んで目を閉じ、心の中で強く願った。どこかで鳴る警鐘を無視して。莉子に会わせてください。莉子、莉子……!
「……颯介が呼んだの?」
聞き慣れた低めの声に恐る恐る目を開けると、風に明るい茶髪の切り揃えられた髪と制服のボウタイを揺らした莉子が立っていた。その表情からは、感情が読み取れなかった。あんなに自分の気持ちにまっすぐな莉子が。だからこそ、怒っていることが何よりも明確に伝わってきた。
「ごめん……」
「謝る必要はないけれど」
「どうしてここに?」
「急に強い力が働いてここに飛ばされたのよ」
「飛ばされた?」
「だから、颯介が呼んだんでしょ?」
やっぱりそうか。俺が願ったから莉子はここに来たのだ。瞬間移動のようなものだろう。『ハリー・ポッター』の姿くらましと似ている。
それから、俺はぺらぺらと喋り続けた。気まずさをかき消すために。だが、一向に莉子は話してくれない。すっかり話題が底をついてしまって、沈黙が訪れる。カラスが追いかけ合いながら鳴き声を上げている。
「じゃあ、私帰るね」
「あ、ちょっと待ってよ……」
罪悪感があった俺は、それ以上強く引き止めることはできなかった。なんだか、最近こういうことばかりだ。まだ暑さは残っているものの、風がすっかり秋めいてきて、日も短くなった。あたりはすでに暗くなっていた。
それに、予想通り、莉子の姿が見当たらない。やる気が起きないのも仕方がないだろう。紺色のジャージに着替え、だらだらと廊下を歩く。隣には同様にやる気なさげにフラフラと歩く亮司の姿。時折、後ろを振り返って天使の輪を持つボブカットが視界に入らないか確認するが、一向にその様子はなかった。
「今日、莉子さん来てないの?」
「え、なんで?」
「やたらキョロキョロしてるから。好きな子がいないんじゃあ、やる気も出ないよなと思って」
「お前に隠しごとはできねえってか」
俺は最近の出来事を一通り亮司に喋った。誰にも話すつもりはなかったのだが、莉子が離れていってしまって、相当動揺しているのかもしれない。非現実的な話に、亮司は眉をひそめながら聞いていた。もっとも、死者である莉子が現れている時点で、非現実であることには変わりはないのだが。
「っつーわけで、莉子は俺から距離を取ろうとしてるわけ。”真の別れ”ってやつを引き起こすために。俺はそんなもの望んじゃいないのにな」
「――お前、それってさ……」亮司が言い淀む。
「なんだよ?」
「いや、やっぱなんでもねえや。……お前が死んだら、俺は悲しむぜ?」
「キモいなお前」
「それは酷くねえ⁉︎」
亮司の声は真剣に響いた。だから、茶化した。
俺だって亮司といつまでもゲームしていたい。でも、申し訳ないが、それは莉子と一緒にいることの二の次であって。俺にとって莉子との関係値を保ち続けることが何よりも最優先なのだ。莉子のいない世界なんて考えられない。だから、俺は命を犠牲にしたって、少しでも一緒にいられる未来を選ぶ。
――どうやら俺は、すっかり変わってしまったみたいだ。
今時期、体育でやっている競技は、バレーボールだ。男女それぞれで四チームずつ作って、対戦していく。正直どうでもよかった。そんなことよりも、莉子を探しに行きたい。でも、俺はどうしたって臆病だから、莉子の提案なしでは学校を抜け出すなんてできないのだ。
――やっぱり俺、変わっていないかもしれない。
次の試合を待って、同じチームの亮司と他愛のない話をする。最近流行り始めた新しいFPSがやりたいだとか、ゲームの大会の実況を見ていて、見た目がかわいらしく、ゲームも上手いVtuberを見つけただとか、でもやっぱり現実の女がいいだとか、大抵の話題は亮司が引っ張り出してくるのだが、そういったなんでもないことを話し続ける。
その間でも、どうしても莉子が気がかりで、たまに女子のコートのほうを素早く見渡しては、いないとわかってがっかりするのを繰り返していた。何度目かのその行為の最中、とある女子が打ったサーブが、ものすごい勢いで反対側のコートに届くのが視界に映る。それが、信じられない動きをしたのだ。
下から打ったサーブだ。普通は、放物線上に相手コートまで届くだろう。だが、そのボールはあり得ないことに、徐々にスピードを増し、さらには意味のわからない方向に曲がった。
直感で危ないと思った。だが、その出来事はそれなりに距離がある場所で起こったから、俺にはどうすることもできなかった。
「豊岡さん大丈夫⁉︎」
他のクラスの女の子の顔に、ボールが激しくぶつかったらしい。体育館は騒然となり、男子もプレーを一時的に止める。物静かな女の子なのだろう。驚いた顔をしたまま、固まっている。その少し離れたところまで、彼女がかけていたと考えられるメガネが吹っ飛んでいっている。
サーブを打った子が、何度も何度も謝っていたが、あのボールを見ていた誰もが思ったはずだ。サーブが悪かったわけではない。何かしらの、超人的なことが起こったのだ。
だが、誰もそのことを口にはできなかった。俺もだ。亮司は見ていなかったらしいから、何があったん? と呑気に聞いてきたが、俺はただ、ボールが当たったらしいとしか言えなかった。
豊岡さんと呼ばれた女子は、友人に連れられて保健室へと向かったようだ。先生がホイッスルを吹き、試合を再開するように言って、体育館はまた動き出した。
俺らも試合に出たりして、特にそれ以上の変な出来事は起こらず、無事授業は終了した。誰もが油断していた、そのときだった。俺はまた、ちょうどその光景を視界の端で認識していた。
女子二人で抱えようと傾けたネットを張るポールが、勢いよく倒れ始めたのだ。俺を含め、何人かの反射神経の高い人間が、持ち場を捨てて慌ててポールを支えようと走った。だが、誰も間に合わず、笑いながら話していた女子に、後ろから直撃する。
その鈍い音に、誰もが一斉に振り返った。女子生徒の隣に大きな音を立てて転がったポール。次の瞬間、女子生徒は勢いよく倒れ込んだ。頭部から出血している。きゃー! と並んで喋っていた別の女子が叫び声を上げた。先生が駆け寄ってくる。そのすべてが、スローモーションのように見えた。
亮司が訝しげな様子でそれを眺めている。
「亮司」
「なあ、今の明らかにおかしかったよな?」
「…………」
「あのポール、自我があるように見えたんだけど、俺だけ?」
あの大きなポールを運ぶとなると、人はそれなりに慎重になるはずだ。ゆっくりと傾け、二人で支え合いながら持とうとしていただろう。いくら重力加速度があるとはいえ、あそこまでのスピードで激しく倒れるはずがない。亮司の直感はもっともだ。
「俺もそう思ったよ」
ただそう答えるしかなかった。この学校で、明らかに異変が起きている。その事実に、何度も何度も史料の文章が過ぎる。”境界の壁が緩み、黒が這い出して現世を飲み込む。”
それから、学校に救急車が来て、頭を打った女子生徒は運ばれていった。その他にも、事故現場を見ていてショックを受けた生徒が何人かいたようで、皆早退したらしい。
早退しなかった生徒も、少なからずショックを受けていた。教室に戻ると、やっぱり呪いだよ、とささやき合う女子の声が聞こえてくる。俺もそうとしか思えなくなってきた。
二限目以降、静かに授業を受けている俺の心は、いろいろな感情と考えでかき乱されていた。莉子が心配で、どこにいるか知りたい。でも、再会したところで、莉子は俺とまともに話してくれないんじゃないか? それに、学校で次々と起こっている、この”呪い”のような出来事を、莉子に見せるのは気の毒だ。きっとまた、自分のせいだと思って罪悪感を抱いてしまうのではないか。ぐるぐるといろんな考えが浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。
――でも、会いたい。俺は莉子に会いたい。
その気持ちだけは、揺らがなかった。
放課後、ダッシュでバス停に向かい、一直線にいつもの場所を目指した。もしかしたらそこに莉子が来ているかもしれない、そんな淡い期待を持って。だが、その希望は打ち砕かれ、やっぱりそこにもいなかった。
――会いたい。一緒にいたい。
俺は犠牲を厭わず、手を組んで目を閉じ、心の中で強く願った。どこかで鳴る警鐘を無視して。莉子に会わせてください。莉子、莉子……!
「……颯介が呼んだの?」
聞き慣れた低めの声に恐る恐る目を開けると、風に明るい茶髪の切り揃えられた髪と制服のボウタイを揺らした莉子が立っていた。その表情からは、感情が読み取れなかった。あんなに自分の気持ちにまっすぐな莉子が。だからこそ、怒っていることが何よりも明確に伝わってきた。
「ごめん……」
「謝る必要はないけれど」
「どうしてここに?」
「急に強い力が働いてここに飛ばされたのよ」
「飛ばされた?」
「だから、颯介が呼んだんでしょ?」
やっぱりそうか。俺が願ったから莉子はここに来たのだ。瞬間移動のようなものだろう。『ハリー・ポッター』の姿くらましと似ている。
それから、俺はぺらぺらと喋り続けた。気まずさをかき消すために。だが、一向に莉子は話してくれない。すっかり話題が底をついてしまって、沈黙が訪れる。カラスが追いかけ合いながら鳴き声を上げている。
「じゃあ、私帰るね」
「あ、ちょっと待ってよ……」
罪悪感があった俺は、それ以上強く引き止めることはできなかった。なんだか、最近こういうことばかりだ。まだ暑さは残っているものの、風がすっかり秋めいてきて、日も短くなった。あたりはすでに暗くなっていた。



