学校に着いた瞬間から、いつもとは違う空気を感じ取っていた。教室に入ると、噂話があちらこちらで囁かれているような、そんな空気だった。俺はひとまず荷物を自席に置くと、亮司のもとへと急ぐ。
「なんかあったのか?」
「それがさ……」
こいつは情報通だ。おちゃらけキャラだが、抜け目がない。そのキャラクターを生かして、さまざまな情報をいち早く入手してくる。
曰く、二年生が階段から落ちて捻挫したらしいのだ。それだけなら別に噂にならないだろうが、その先輩の言葉が妙にオカルトチックだった。「黒い手に足を掴まれて、落とされた」と、その人はそう話していたらしい。
「……颯介にはあまり言いたくないんだが」と、変な前置きをされる。俺は、なんだよ、と先を促した。「莉子さんが死んだときの事故、あれって隕石衝突ってなってるじゃん。でも、隕石は残っていないみたいな情報もあって。今回の件でその噂が掘り返されてるみたいなんだよ」
「どういうことだよ……」
「学校が呪われてんじゃないか、だってさ。馬鹿馬鹿しいと思うんだけどな。高校生にもなってそんなこと」
「…………」
俺は何も言うことができなかった。なぜなら、俺は白堊記念館で、謎の物体を見かけているからだ。莉子が幽霊として蘇っている事実もあるわけで、呪いという表現は気に食わないが、何かしらの超常現象が学校全体に波紋を広げていると考えることはできる。
「まあ、とにかくあんまり気にすんなよ。莉子さんの件は関係ないんだし」
「ああ、そうだな」
曖昧に返事をして、席に戻った。女子のグループがちらちらこちらを見ながら話しているのは、きっと白堊記念館の件を噂しているのだろう。
俺は少しだけ気がかりで、すでに教室に来ていた莉子の顔色を窺う。だが、特段気にしている様子は見受けられない。もともと、噂話というもの自体を好ましく思わない人種だから、どうでもいいと思っているのだろう。そういうさばさばした一面が、とても好感が持てる。
それから、窓の外の白堊記念館のあたりに目線を移す。椅子に座りながらだと全貌は見えないが、半壊して中身が剥き出しになった部分は少しだけ見える。
ふと、後夜祭のときに莉子が言っていた、賢治の詩が刻まれた石碑が黒い光で覆われているという話を思い出す。やっぱり、この学校は呪われているのだろうか?
ホームルームの時間に、担任から階段で怪我をした生徒がいたから気をつけるようにと釘を刺される。ひそひそとまた噂話を始める女子にうんざりし始めた頃、担任が雑に注意を入れて、教室は瞬く間に静かになった。
授業は順調に進んでいるように見えたが、皆集中できていないような変な空気がずっと続いていた。気づいた先生もいたようだが、特に触れられることもなく、放課となったのだった。
いつも通り、北上川を眺めながら莉子と話をする。今日は一段と風が強くて、でも9月に入ったというのにまだ空気は暑いせいで、熱風に感じられた。
「なあ。女子たちが噂してたが、気にすんなよ?」
「気を遣わなくてもいいよ。気にしてないもん」
「ははっ、お前らしいよ」俺が笑うと、莉子は口を尖らせた。
「噂したって何かが判明するわけでもないんだし、無駄だと思うんだよね。それなのに、女子って噂ばっかりするから、本当に面倒」
本当に莉子らしい感想が次から次へと出てくる。
「英語部でもそうだった。女子ばかりの部活だったからさ、部室に集まったら、とりあえずまず噂。早く始めたいのに。うちの学年はまだマシだったかも? ほら、あっちゃんが仕切ってたから」
「ああ。佐々木淳子さんね」
「さん付けなんだね」
「喋ったことねえし」
「そっか。――あっちゃんは本気? っていうかガチ勢だから。先輩たちが噂して全然始まらないときとか、始めません? って声かけたりして」
莉子はいつもより饒舌だった。いや、普段も別に寡黙なんてことはないが、いつもよりも積極的に会話を続けていた。俺はそれが嬉しくて、楽しく話を聞いていたのだった。
だが、しばらくして、彼女は逆に黙りこくってしまった。
「どうした? 喋りすぎて疲れたか? 座る? あ、座っても意味ねえのか」
関係値を変えたくないとはいえ、相手は好きな人。最大限の優しさを渡すのは当たり前のことだ。
「違うの。全然疲れてないよ」珍しく俯いて言う。いつもまっすぐ前に向かって声を届けるというのに。「あのさ。噂は興味ないんだけど、階段から落ちたっていう生徒がいたのは普通に怖くて」
驚いて、反射的に彼女の顔を見てしまう。その顔が思ったよりも真剣で、今度は反射的に目を逸らしてしまう。
「小学生ならよくあることじゃん。歩幅も小さいし、そのくせ廊下とか階段走るし。でも、高校生だよ? 両手が塞がってたとかならわかるけど、階段から落ちて捻挫ってあんまり聞かないから……」
「そうか? 前にダンス同好会のやつが階段から落ちて足捻ったままステージ出たとか聞いたぞ」
「だから、それは両手が塞がってたって話なのよ」
「あんまり関係なくね? いろんな可能性があるだろ。――珍しいな。莉子って感情に正直だし素直だけど、それに引っ張られて建設的な議論ができなくなることはないじゃん」
「え? 今できてない?」
「できてない。というか、もっと怖がってる理由が他にあるんじゃないのか? それだけで怖がるのは変だと思う」
考え込むような仕草を見せる莉子。俺はあらゆる可能性に考えをめぐらせて、でも莉子の直感の理由を悟ることはできなかった。
ただ、やっぱり引っかかるのは、この間の石碑の話だ。
「石碑の光と関係があるんじゃないのか?」
「石碑? ああ、賢治の。……そうかも。でも、理由を探るのは無駄な気がしてきた。なんか、理屈があるわけじゃないんだと思う。直感? みたいなものだよ、多分。一目惚れの理由を考えるのと一緒」
「直感を直感だと片づけるのは、俺は反対だけどな」
「出たよ、理系」
「絶対に理由があるはずなんだ。俺たちの知識や技術では考えも及ばないだけで。この世の現象に理屈がないなんてことはあり得ない」
自分で放った言葉に違和感を覚えて、思わず首を傾げる。それを不思議そうに莉子が眺めていた。頭を必死で回して、違和感を言語化していく。
――俺はどうしてこれまで、莉子が幽霊として蘇った現象の理屈を考えようとしてこなかったんだ?
答えはすぐに出た。この問い自体に答えを出すことに意味があるわけではない。むしろ大事なのは、その理屈を探ることだろう。
俺はそのあと日が完全に暮れるまでの時間をもっぱら、莉子を質問攻めにするのに使ったのだった。数学を解くとき並みに頭を回していたからか、帰るときには軽い眩暈がしていた。
「なんかあったのか?」
「それがさ……」
こいつは情報通だ。おちゃらけキャラだが、抜け目がない。そのキャラクターを生かして、さまざまな情報をいち早く入手してくる。
曰く、二年生が階段から落ちて捻挫したらしいのだ。それだけなら別に噂にならないだろうが、その先輩の言葉が妙にオカルトチックだった。「黒い手に足を掴まれて、落とされた」と、その人はそう話していたらしい。
「……颯介にはあまり言いたくないんだが」と、変な前置きをされる。俺は、なんだよ、と先を促した。「莉子さんが死んだときの事故、あれって隕石衝突ってなってるじゃん。でも、隕石は残っていないみたいな情報もあって。今回の件でその噂が掘り返されてるみたいなんだよ」
「どういうことだよ……」
「学校が呪われてんじゃないか、だってさ。馬鹿馬鹿しいと思うんだけどな。高校生にもなってそんなこと」
「…………」
俺は何も言うことができなかった。なぜなら、俺は白堊記念館で、謎の物体を見かけているからだ。莉子が幽霊として蘇っている事実もあるわけで、呪いという表現は気に食わないが、何かしらの超常現象が学校全体に波紋を広げていると考えることはできる。
「まあ、とにかくあんまり気にすんなよ。莉子さんの件は関係ないんだし」
「ああ、そうだな」
曖昧に返事をして、席に戻った。女子のグループがちらちらこちらを見ながら話しているのは、きっと白堊記念館の件を噂しているのだろう。
俺は少しだけ気がかりで、すでに教室に来ていた莉子の顔色を窺う。だが、特段気にしている様子は見受けられない。もともと、噂話というもの自体を好ましく思わない人種だから、どうでもいいと思っているのだろう。そういうさばさばした一面が、とても好感が持てる。
それから、窓の外の白堊記念館のあたりに目線を移す。椅子に座りながらだと全貌は見えないが、半壊して中身が剥き出しになった部分は少しだけ見える。
ふと、後夜祭のときに莉子が言っていた、賢治の詩が刻まれた石碑が黒い光で覆われているという話を思い出す。やっぱり、この学校は呪われているのだろうか?
ホームルームの時間に、担任から階段で怪我をした生徒がいたから気をつけるようにと釘を刺される。ひそひそとまた噂話を始める女子にうんざりし始めた頃、担任が雑に注意を入れて、教室は瞬く間に静かになった。
授業は順調に進んでいるように見えたが、皆集中できていないような変な空気がずっと続いていた。気づいた先生もいたようだが、特に触れられることもなく、放課となったのだった。
いつも通り、北上川を眺めながら莉子と話をする。今日は一段と風が強くて、でも9月に入ったというのにまだ空気は暑いせいで、熱風に感じられた。
「なあ。女子たちが噂してたが、気にすんなよ?」
「気を遣わなくてもいいよ。気にしてないもん」
「ははっ、お前らしいよ」俺が笑うと、莉子は口を尖らせた。
「噂したって何かが判明するわけでもないんだし、無駄だと思うんだよね。それなのに、女子って噂ばっかりするから、本当に面倒」
本当に莉子らしい感想が次から次へと出てくる。
「英語部でもそうだった。女子ばかりの部活だったからさ、部室に集まったら、とりあえずまず噂。早く始めたいのに。うちの学年はまだマシだったかも? ほら、あっちゃんが仕切ってたから」
「ああ。佐々木淳子さんね」
「さん付けなんだね」
「喋ったことねえし」
「そっか。――あっちゃんは本気? っていうかガチ勢だから。先輩たちが噂して全然始まらないときとか、始めません? って声かけたりして」
莉子はいつもより饒舌だった。いや、普段も別に寡黙なんてことはないが、いつもよりも積極的に会話を続けていた。俺はそれが嬉しくて、楽しく話を聞いていたのだった。
だが、しばらくして、彼女は逆に黙りこくってしまった。
「どうした? 喋りすぎて疲れたか? 座る? あ、座っても意味ねえのか」
関係値を変えたくないとはいえ、相手は好きな人。最大限の優しさを渡すのは当たり前のことだ。
「違うの。全然疲れてないよ」珍しく俯いて言う。いつもまっすぐ前に向かって声を届けるというのに。「あのさ。噂は興味ないんだけど、階段から落ちたっていう生徒がいたのは普通に怖くて」
驚いて、反射的に彼女の顔を見てしまう。その顔が思ったよりも真剣で、今度は反射的に目を逸らしてしまう。
「小学生ならよくあることじゃん。歩幅も小さいし、そのくせ廊下とか階段走るし。でも、高校生だよ? 両手が塞がってたとかならわかるけど、階段から落ちて捻挫ってあんまり聞かないから……」
「そうか? 前にダンス同好会のやつが階段から落ちて足捻ったままステージ出たとか聞いたぞ」
「だから、それは両手が塞がってたって話なのよ」
「あんまり関係なくね? いろんな可能性があるだろ。――珍しいな。莉子って感情に正直だし素直だけど、それに引っ張られて建設的な議論ができなくなることはないじゃん」
「え? 今できてない?」
「できてない。というか、もっと怖がってる理由が他にあるんじゃないのか? それだけで怖がるのは変だと思う」
考え込むような仕草を見せる莉子。俺はあらゆる可能性に考えをめぐらせて、でも莉子の直感の理由を悟ることはできなかった。
ただ、やっぱり引っかかるのは、この間の石碑の話だ。
「石碑の光と関係があるんじゃないのか?」
「石碑? ああ、賢治の。……そうかも。でも、理由を探るのは無駄な気がしてきた。なんか、理屈があるわけじゃないんだと思う。直感? みたいなものだよ、多分。一目惚れの理由を考えるのと一緒」
「直感を直感だと片づけるのは、俺は反対だけどな」
「出たよ、理系」
「絶対に理由があるはずなんだ。俺たちの知識や技術では考えも及ばないだけで。この世の現象に理屈がないなんてことはあり得ない」
自分で放った言葉に違和感を覚えて、思わず首を傾げる。それを不思議そうに莉子が眺めていた。頭を必死で回して、違和感を言語化していく。
――俺はどうしてこれまで、莉子が幽霊として蘇った現象の理屈を考えようとしてこなかったんだ?
答えはすぐに出た。この問い自体に答えを出すことに意味があるわけではない。むしろ大事なのは、その理屈を探ることだろう。
俺はそのあと日が完全に暮れるまでの時間をもっぱら、莉子を質問攻めにするのに使ったのだった。数学を解くとき並みに頭を回していたからか、帰るときには軽い眩暈がしていた。



