きみを呼ぶのをやめるまで

 二日間の白堊祭は、瞬く間に終わってしまった。後夜祭が始まり、亮司とともに第一体育館でノっていたが、俺は余韻に浸るには賑やかな場所にいるより、静かなところにいたほうがいいだろうと思って、教室に戻った。莉子は俺についてきた。
 クラスメイトは帰ったか後夜祭で盛り上がっているかの二択なのだろう、教室には誰もいない。グラサンを外すと、すっかり外は暗くなっていることに気づく。
 焦げ茶色の床、その中で一際浮いて見える限りなく白に近い茶色の机、見るからに冷たそうな机の足、美術部所属の子が精一杯デコった黒板、そして微かに聞こえてくる歓声。そのどれもが非日常を体現しているようだ。
 いつもの席の場所には、間仕切りが置かれていた。それをどかして、窓を開ける。窓枠に両腕を重ねるようにして置き、さらにその上に顎を乗せた。

「五条悟の格好でやってたら様になって見えるけど、グラサン外してたらなんか変に見えるわ」

 笑いながら莉子が、音もなく隣にやって来る。この二日間、結構な時間をこの距離感で過ごした。生前よりも少し近い。
 ドン! と遠くから何かの音が聞こえた。視界の端で何かが動いた気がしたが、それに気づくのに数秒かかった。

「――花火だ!」

 遠くで、パッと花火が上がった。数秒後、またドン! と音が響く。

「そういえば、毎年この時期は上がってるよな」
「駅前だよね。8月は毎週上がるんだよ」

 ちょうどいいね、と言って莉子は屈託のない笑みを見せた。

「あのさ、颯介。私……」

 何かを言い淀んでいる。俺の頭の中で勝手に警鐘が鳴る。だめだ、この先を聞いてはいけない。取り返しがつかないことになる。そんな気がする。
 そして、それを感じ取ったのは俺だけではなかったようだった。

「いや、ごめん。何でもない。今のは忘れて」

 自嘲するように笑って、莉子は俺と同じ体勢になる。静かな幸福。これでいいのだ。お互いにそう思っていたと確信できる。
 花火から目線を外して、何やら目を凝らしている。

「なんかあるのか?」
「あれ……何だろう」

 莉子が指差した先には、白堊記念館の入り口の石碑がある。

「え、あれは石碑だろ? 宮沢賢治の言葉が刻まれてる。というか、お前が教えてくれたんじゃん」
「違う違う。それは知ってるよ。違くて、その石碑がなんか……黒い、光? みたいなのに包まれているの」
「光? 俺には見えないな。普通に石碑があるだけに見える」
「じゃあ私にしか見えないってこと? 何だろう……怖いな……」

 莉子は明らかに、その”何か”に怯えているようだった。どうすればその恐怖を取り除いてあげられるだろうか、と俺は思案したが、何らいい方法が思いつかない。
 無理やり、ひとつの提案を捻り出す。

「なあ、白堊祭の代休あるじゃん。どこか遠出しないか?」
「月曜日? どこ行くの?」
「いや、特に決めていないけど、普段は行けないような遠くに。沿岸とか行ってもいいかもしれない」

 可憐で勝気な少女は、目をぱちくりさせた。珍しいその仕草に、目を離すことができない。

「沿岸、かあ。確かに海を見るのはいいかもしれない。浄土ヶ浜とか?」
「おお、いいじゃん。宮古だったよな、確か。行ったことないからわからんけど」
「そうだったと思う。私も行ったことないや」
「じゃあむしろちょうどいいな。まだ海水浴客はいるだろうけど、知り合いはいないだろうから、人の目気にしなくていいし」
「じゃあ決まりだ」

 またひとつ、約束が増えた。
 なんだか、莉子が引いた團みくじの「輝かしい未来が待っています」という言葉が、本当のことのように感じられて、俺はその未来の眩しさに目をすぼめてしまった。
 隣の彼女が石碑をちらちら気にしているのには、見て見ぬふりをして。