きみを呼ぶのをやめるまで

 朝起きて、学校で授業を受けて、放課後は莉子とこれでもかというほど時間を共にし、家に帰ってから亮司とゲームをして、寝る。最近はそんな生活ばかりだ。
 だが、今日は少し変わる予定。8月28日。文化祭前日なのだ。
 一高の文化祭は「白堊祭」という名前が付けられている。一高は至るところで「白堊」が使われている。應援歌なんかでも、校舎は白堊城と形容されている。台風で休校になると、白堊城陥落と表現されるらしい。
 その白堊祭が、明日に迫っていた。俺としては、文化系の行事はそこまで興味がないのだが、まあ普通に準備は手伝う。
 莉子は、クラスで和気藹々と準備する様子を、寂しそうに眺めていた。彼女のそんな表情を見るのは俺としても嫌なのだが、こればかりは仕方ない。

「なあ、明日ってコスプレOKらしいぞ。なんかやろうぜ」亮司がニヤニヤしながら近づいてくる。
「今日買って間に合うのかよ」
「ドンキ行けば大丈夫だって。それか、今通販で買えばワンチャン……」

 こういう日は、校内でスマホを使うのも許可されている。應援歌練習を乗り越えてからの一高での生活は基本、自由の一言に集約されるのだ。
 亮司は通販のサブスクを利用しているらしく、商品によっては即日配達も可能なのだそうだ。なんのコスプレならすぐ届くか、何なら笑いを取れるか、とうんうん唸りながらスクロールを始めた。おちゃらけキャラの彼らしい。サービス精神が豊富だ。正直俺は何でもいいから、任せることにしたのだった。
 さっきから、莉子が亮司のスマホを覗き込もうとしている。何がそんなに気になるのだろうか。あまり他の男に近づかないでほしい。いいやつとはいえ、亮司の周りにいたら、莉子が纏う神聖な空気が汚れてしまう。
 すると、莉子が納得したかのように頷いて、俺の頭上を飛び越えてどこかへ行ってしまった。反射的に少し頭を下げてしまう。アルゴリズム体操のような形で。

「おい、どうした? なんか飛んできたのか?」亮司にも聞かれてしまう始末。危ない危ない。最近では莉子がいないように振る舞うのに慣れてきていたから、油断していた。「虫が飛んでて」「何だよ情けねえ」とはいえ、こればかりは莉子が悪い。あとで言っておこう。

「よし、決めた。これで行こう」

 亮司が見せてきたのは、俺の想定とは違う方向であり得ないものだった。『呪術廻戦』の人気キャラ、五条悟と夏油傑のコスプレだったのだ。

「ちょっと待て。お前、自認五条悟なのか……?」
「いやいや、どう考えても俺は夏油傑側だろ。ガタイでかいし」
「は? じゃあ俺が五条悟やんの? 無理だろ。身長も足りねえし、俺肌焼けてるし。目細いのはグラサンかければ何とかなるかもだけど……いや、そもそも自認が五条だと思われるのが嫌だな」
「別によくね? みんな知ってるキャラだし、こういうのにはぴったりだと思うけど」
「マジで言ってる……?」

 五条悟は強いし格好いい。男の俺から見てもそれは間違いのない真実だ。それに、頭の回転が早くて面白いのがずるい。俺なんかがなれるわけがないだろう。
 しばらく亮司と言い合いをしていると、女子の山崎さんが近づいてきた。

「ちょっと、楽しそうなのはいいんだけどさ。買い出し行かなきゃいけないから、手伝ってくんない?」
「ああ、いいよ。な、颯介も行くだろ」
「ああ、うん」

 教室の壁に背中を預けていた体勢から、慌てて体を起こす。三人で少し離れたところにある百均に買い出しに行くことになった。スマホだけ持って、先生に外出許可証をもらい、外に出る。授業時間中に買い物に向かっているのが、何だか不思議な気分だった。
 外に出ると、もわっとした空気が肌に張りつく。莉子が静かに後ろからついてきているのを確認して、俺はなぜかほっとした。山崎さんは日焼けが嫌だとか言って、日傘を差し始める。

「ついでに五条悟のグラサンも百均でゲットできないかな」
「お前、本当にやるつもりなのか? もっと笑いを取りにいくやつあるだろ」
「ええ? なになに? 君たちもしかして五条悟と夏油傑のコスプレするの⁉︎」

 山崎さんが目を輝かせて聞いてきた。そういえば、英語部の女子たちは、彼女に影響されて少年マンガを読むようになったと莉子が言っていたような気がする。

「問題児二人、ただし最強、ねー。いいじゃんいいじゃん、似合うと思うよ?」
「『呪術廻戦』好きとしてはどうなのさ。推しとかのコスプレはやっぱりさ、それなりの人間がやらないとって思うんじゃないのか?」俺は乗り気になれず、反対側の意見を引き出そうと頑張る。なぜか、莉子が不機嫌そうな顔をしていた。
「わたしの推しは伏黒くんだから。別に気にしないよー」ニヤリと笑う山崎さんに、思わず、なんだよ、と漏れてしまった。
「ほらほらー、クマを描かなきゃいけない乙骨憂太より楽なんだし、いいじゃん」
「そういう問題じゃないだろ……」
「はい、もう買っちゃったから何言っても意味ないですー。颯介くんは黙ってお金をください」

 亮司が手のひらを差し出してくる。俺はその手を押し返して、スマホ経由でお金を返す。今度は、莉子が嬉しそうな顔をしていた。何を考えているのだろうか。もしかして亮司が好きになった、とか……? いや、それだけはあり得ない。絶対に。
 それから、他愛のない話をして、ゆっくりと百均への道を歩く。ふと莉子を見ると、なんだか寂しそうな顔をしていた。自分が死んだあとの世界が、自分がいなくても変わらず回っていると知ったら、それは悲しくなるだろう。特に、山崎さんとは部活も同じで、それなりに仲がよかったはずだから尚更。
 だが、少しすると会話が途切れ、山崎さんが悲しい顔を見せる。

「ごめん。わたしやっぱりさ、立ち直れてないんだよね。教室では結構普通に振る舞ってたりするんだけど、それ以外じゃあどうしても無理で。もし、莉子がいたら、さ……きっと一緒に買い出しに来れてたじゃん……ほら、颯介くんも莉子と仲よかったからさ……」途中から涙交じりの、途切れ途切れの話し方になっている。莉子が見えていなかったら、俺ももらい泣きしていただろうが、山崎さんの後ろを当の本人がくるくると回っているのだから、どんな表情をすればいいのかわからない。
「俺も信じられねえ。でも、俺より山崎さんとか颯介のほうがしんどいと思うから……最近じゃあ颯介めっちゃ元気だけど、やっぱ気を張ってんだろ?」
「…………」

 俺はなんて答えるべきか迷った。莉子の幽霊がここにいるのだ、なんて言ったら、ついに頭がおかしくなったかと心配されて終わるだけだろう。ああ、二人にも莉子の姿が見えたら……。
 莉子はとてつもなく切ない顔をしていた。私はここにいるよ、そう叫んでいるように見える。
 すると、一陣の風が巻き起こり、金色の光が星屑のようにあたりを舞った。莉子の周りを中心にその現象が起こっていたが、莉子の姿に特に変化はなかった。

「え……?」
「嘘だろ?」

 二人の視線が、明らかに莉子を向いている。その幻の姿の輪郭を確かめるように、視線が少しずつ移動していく。呆気に取られるように、二人とも口があんぐりと開けられていた。

「もしかして、二人、私のこと見えてるの……?」莉子が期待を込めて聞く。山崎さんがそれにこくこくと頷いて肯定する。

 そのとき、ぐらりと視界が揺れて、黒いシミが視界を覆い尽くす。立ちくらみならしばらくすれば元に戻るだろうと思ったが、しばらくしても視界の黒は消えないどころか、範囲を増してどんどん侵食してきた。立っていられなくなり、歩道の真ん中でしゃがみ込む。

「颯介? 大丈夫?」

 莉子が真っ先に気づいて声をかけてくれた。地に足をつけている二人は莉子が見えるという超常現象に驚いて俺を視界の外に追いやっていたらしい。莉子の声に、二人がやっとこちらに気づき、立ち上がるのに手を貸してくれた。
 俺は歩きながら、白堊記念館で起こった出来事をかいつまんで話した。

「そんなことって、あり得るんだ……」
「現実離れしてんな。にわかには信じ難いけど、実際そこにいるしなぁ……」
「信じざるを得ないよね」

 亮司と山崎さんが顔を見合わせて首を傾げる。莉子が、ちょっとちょっと、私ここにいるんだけど! と少し怒ってみせていた。
 しばらく四人で話しながら歩く。他愛のない話をしているだけだったが、それだけで本当によかった。最高だった。何より、莉子が嬉しそうにはしゃいでいて、ほっこりする。動物が変な動きをしていて、かわいいと思わず顔を綻ばせてしまうような、そんな気持ちに似ている。
 だが、しばらくすると、生きている二人が怪訝な顔をし始めた。

「今、どこにいる? 莉子」
「また見えなくなったな」

 俺には変わらず見えている。

「ここにいるよ」俺が指をさす。だが、やはり二人には見えていないようだ。

「なんで? 今の今まで見えていたのに! 莉子、なんか喋って?」
「なんかって何喋ればいいの?」莉子が応じる。しかし、二人には声すら聞こえていないようだった。
「颯介、お前には見えてるし聞こえてるんだな?」
「ああ。さっきまでと同じ状況だよ」

 山崎さんががっくりと肩を落とす。莉子も明らかにしゅんとしてしまった。
 俺にはどうすることもできない。ただ莉子の様子を伝え、莉子の言ったことを伝言するしかない。
 結局、百均について物を買い、学校に戻るまで、いや、戻ってからも、俺以外の人間が莉子を認識できるようになることはなかった。
 俺は混乱を招かないためにも、二人にこの超常現象は内密にしておくように言っておいた。