夏休み明け実力テストが終わった。亮司がこちらに向かって歩いてくる。
「なあ、テストも終わったし、今日はゲーム三昧しようぜ」
「ああー、ちょっと用事あるから夜まで待ってくれ」
最近は莉子と遊ぶために、亮司の誘いを断ってばかりだ。それも、現実にいてみんなから存在を認められている女子と一緒に遊んでいるのなら、恋愛にうつつを抜かして、と羨ましがられるだけなのだろうが、いかんせん、莉子は俺にしか見えていない。亮司はどんどん俺を変な目で見るようになってきた。
「本当にお前、何してんの? なんかやばい奴らに絡まれたとか? 大丈夫なん?」
「大丈夫だよ。というか、絡まれたとしてもお前に言ったって解決しねえだろ」
「いや、俺意外と顔広いし! まあまあ身長も高いしガタイもいいし? 大丈夫だろ」
「なんの話だよ」
おちゃらけキャラは今日も健在のようだった。まあまあ、とにかく夜まで待てって、とだけ言って俺は、荷物を片付けてさっさと屋上に向かった。應援團の練習も、今日はないらしい。テストを横から眺めていた莉子は、黙って屋上に着いてきた。最近では、莉子自身も教室内でいたずらを仕掛けたり、俺に話しかけたりすることは減って、基本的に静かにしている。ありがたいことだ。
「数学、ちゃんと全部埋めてたよね。私のアドバイス、聞いてくれたの?」勝ち誇ったような笑みで問うてくる。そういう顔、やめたほうがいいと思う。
「別にいいだろ、なんだって。――お前を見習っただけだよ」
「嬉しいこと言うじゃん」
仕返しをするつもりで言ったのに、素直に受け取られてしまった。本当に敵わない。
今日のテスト、国語や英語はこれまで通り、莉子から教わったことを生かして平均点を狙ったが、数学と理科は、俺史上一番頑張った。これまでの作戦をぶち壊す一手。これが吉と出るか凶と出るか、俺には想像もできない。
夕方とはいえ、夏の日は長い。傾いた太陽はオレンジ色に燃え盛っていて、俺はその光に当てられてしまいそうだった。感情に正直にぶつかっていく誰かさんみたいに情熱的な色だ。
「さっきの、あれ、大丈夫だった?」
「何が?」
「亮司くん。最近、いっつも誘いを断ってるでしょ? 大丈夫なのかなって。私のせいで颯介が嫌われたりしたら……」
「ああ、あれ? 別に大丈夫でしょ。女子グループじゃああるまいし。男同士の友情は、そう簡単に壊れたりしねえよ」
笑って答える。実際そうだろう。亮司は莉子を亡くして俺がおかしくなったんじゃないかって心配しているだけで、別に付き合いが悪いからといって外したりするような人間ではない。何年一緒にいると思っているのだ。
「……別にさ、私が颯介にしか見えないからって、私ばっかり優先しなくていいんだからね?」
「お、彼女ヅラか?」
「ちょっと、茶化さないでよ!」
「ごめんごめん。俺はしたいようにしてるだけだよ。俺にしか見えないから一緒にいるんじゃなくてさ」
夕日があたりの雲を総じて赤く染め上げている。もともとの雲が灰色の部分は、深みを持った紫に見えて美しい。影響力のあるオレンジ。
「莉子が現世にいなくたって関係ない。ずっと一緒にいよう。この先の未来、現世で生きていた世界線の莉子よりも楽しいと思ってほしいから」
幽霊に未来がないなんて、そんなことはたとえ事実であろうと認められない。くさいセリフだとは自分でも思うが、紛れもない、俺の本心だ。
「いいの?」莉子が試すような感じで聞いてくる。こういうとき、変に遠慮しないのが、こいつの好ましいところだ。
「いい」
「じゃあ、約束ね」
彼女は少し困ったように笑った。
”約束”の四文字に、中学の教室の風景が蘇ってくる。
直接的に問題に巻き込まれていなかった男の俺ですら、息がしづらかったあの教室で、一人怒りながら泣いていた莉子の姿を見てしまったあのとき。俺と莉子の間に交わされた約束があったのだ。
「見ていて気分が悪かったから。それ以外に理由ってある?」
「それでも、やらない人がほとんどだ」
「私は我慢できなかったの」
あのときも、莉子は今でもよくそうするように、眉をひそめていた。気に入らないことがあるとき。自分の理解が及ばないとき。彼女はいつだって不機嫌そうに顔を歪める。そのまっすぐさが、俺には手の届かない宝石のように思えた。
教室の窓から差し込む夕日が、彼女の髪の毛をいつもより一層明るく見せている。
「……すごいことだよ」自然と漏れ出た言葉はこれだった。
「……後先考えていなかっただけよ」
「そうだとしても……!」
「それだけ先読みができるんなら、私が泣いてたことだって誰にも言わないでよね」
勝気な瞳が、一直線に俺を射抜く。「約束する」と、俺はそう答えたのだった。
それからというもの、日々の中で彼女を観察することが増えた。単純に気になったのだ。損得勘定ばかり優先して、コスパよく人間関係も何もかもうまくいかせようとする俺とは正反対の女の子が。
数ヶ月が経っても、彼女へのいじめは続いた。カースト上位を保っている、男ですら恐れているような高いポニーテールの女子が、わざと莉子にぶつかる。決して背の高くない莉子は、自身の体を守るのに精一杯だったのだろう、運んでいた教材と筆箱をバラバラと床に落としてしまった。
それまでの俺は、見て見ぬふりをしていたことだろう。だが、正義やら未来やら、そういう抽象的な何かの輪郭を明確に見据えているあの瞳に、俺は当てられてしまったのだ。咄嗟にしゃがんで教材を拾い、彼女に差し出した。
莉子は戸惑っていた。また、理解できないとでもいうように、眉間に皺を寄せて、ぶっきらぼうに、ありがとうと言ったのだった。俺は軽く頷くだけで、それ以上は何も喋らなかった。
助けたつもりはまったくない。守りたいと思ったわけでもなかった。ただなんとなく、ものが落ちたから拾ってあげよう、くらいの感覚だった。それと、ほんの少しの興味。
今思えば、あのときの俺たちは、あの”約束”という四文字に曖昧に結ばれていたような気がしている。だから俺は莉子を少しだけ気にかけていたし、莉子だって嫌だとは思っていなかったはずだ。
あれから、結構な月日が経った。今、隣で西日に照らされて輝いている莉子は、あのときのように怒っているわけではないだろうが、当時のまっすぐさを保ち続けている。
「莉子って、変わらないよな」
「私の時間がもう進まないことへの嫌味かしら?」
「そんなつもりじゃねえけど……ってか褒めてるんだよ。そして俺の願いでもある」
「ええー、なんかきもい」
「お前! 言葉には気をつけろよ」
弾けるように笑い出す。そうだ。幽霊だろうと何だろうと、関係ないじゃないか。こうやって一緒にいられれば十分だ。俺が年老いて爺さんになっても、莉子はずっと一高のダサい制服を着たまま、若々しい笑顔と真摯な瞳を俺に向けてくれる。それって本当に幸せなことなんじゃないのか。
湿気で汗が止まらない。でも、この暑さこそ最大限の青春という感じがした。
「なあ、テストも終わったし、今日はゲーム三昧しようぜ」
「ああー、ちょっと用事あるから夜まで待ってくれ」
最近は莉子と遊ぶために、亮司の誘いを断ってばかりだ。それも、現実にいてみんなから存在を認められている女子と一緒に遊んでいるのなら、恋愛にうつつを抜かして、と羨ましがられるだけなのだろうが、いかんせん、莉子は俺にしか見えていない。亮司はどんどん俺を変な目で見るようになってきた。
「本当にお前、何してんの? なんかやばい奴らに絡まれたとか? 大丈夫なん?」
「大丈夫だよ。というか、絡まれたとしてもお前に言ったって解決しねえだろ」
「いや、俺意外と顔広いし! まあまあ身長も高いしガタイもいいし? 大丈夫だろ」
「なんの話だよ」
おちゃらけキャラは今日も健在のようだった。まあまあ、とにかく夜まで待てって、とだけ言って俺は、荷物を片付けてさっさと屋上に向かった。應援團の練習も、今日はないらしい。テストを横から眺めていた莉子は、黙って屋上に着いてきた。最近では、莉子自身も教室内でいたずらを仕掛けたり、俺に話しかけたりすることは減って、基本的に静かにしている。ありがたいことだ。
「数学、ちゃんと全部埋めてたよね。私のアドバイス、聞いてくれたの?」勝ち誇ったような笑みで問うてくる。そういう顔、やめたほうがいいと思う。
「別にいいだろ、なんだって。――お前を見習っただけだよ」
「嬉しいこと言うじゃん」
仕返しをするつもりで言ったのに、素直に受け取られてしまった。本当に敵わない。
今日のテスト、国語や英語はこれまで通り、莉子から教わったことを生かして平均点を狙ったが、数学と理科は、俺史上一番頑張った。これまでの作戦をぶち壊す一手。これが吉と出るか凶と出るか、俺には想像もできない。
夕方とはいえ、夏の日は長い。傾いた太陽はオレンジ色に燃え盛っていて、俺はその光に当てられてしまいそうだった。感情に正直にぶつかっていく誰かさんみたいに情熱的な色だ。
「さっきの、あれ、大丈夫だった?」
「何が?」
「亮司くん。最近、いっつも誘いを断ってるでしょ? 大丈夫なのかなって。私のせいで颯介が嫌われたりしたら……」
「ああ、あれ? 別に大丈夫でしょ。女子グループじゃああるまいし。男同士の友情は、そう簡単に壊れたりしねえよ」
笑って答える。実際そうだろう。亮司は莉子を亡くして俺がおかしくなったんじゃないかって心配しているだけで、別に付き合いが悪いからといって外したりするような人間ではない。何年一緒にいると思っているのだ。
「……別にさ、私が颯介にしか見えないからって、私ばっかり優先しなくていいんだからね?」
「お、彼女ヅラか?」
「ちょっと、茶化さないでよ!」
「ごめんごめん。俺はしたいようにしてるだけだよ。俺にしか見えないから一緒にいるんじゃなくてさ」
夕日があたりの雲を総じて赤く染め上げている。もともとの雲が灰色の部分は、深みを持った紫に見えて美しい。影響力のあるオレンジ。
「莉子が現世にいなくたって関係ない。ずっと一緒にいよう。この先の未来、現世で生きていた世界線の莉子よりも楽しいと思ってほしいから」
幽霊に未来がないなんて、そんなことはたとえ事実であろうと認められない。くさいセリフだとは自分でも思うが、紛れもない、俺の本心だ。
「いいの?」莉子が試すような感じで聞いてくる。こういうとき、変に遠慮しないのが、こいつの好ましいところだ。
「いい」
「じゃあ、約束ね」
彼女は少し困ったように笑った。
”約束”の四文字に、中学の教室の風景が蘇ってくる。
直接的に問題に巻き込まれていなかった男の俺ですら、息がしづらかったあの教室で、一人怒りながら泣いていた莉子の姿を見てしまったあのとき。俺と莉子の間に交わされた約束があったのだ。
「見ていて気分が悪かったから。それ以外に理由ってある?」
「それでも、やらない人がほとんどだ」
「私は我慢できなかったの」
あのときも、莉子は今でもよくそうするように、眉をひそめていた。気に入らないことがあるとき。自分の理解が及ばないとき。彼女はいつだって不機嫌そうに顔を歪める。そのまっすぐさが、俺には手の届かない宝石のように思えた。
教室の窓から差し込む夕日が、彼女の髪の毛をいつもより一層明るく見せている。
「……すごいことだよ」自然と漏れ出た言葉はこれだった。
「……後先考えていなかっただけよ」
「そうだとしても……!」
「それだけ先読みができるんなら、私が泣いてたことだって誰にも言わないでよね」
勝気な瞳が、一直線に俺を射抜く。「約束する」と、俺はそう答えたのだった。
それからというもの、日々の中で彼女を観察することが増えた。単純に気になったのだ。損得勘定ばかり優先して、コスパよく人間関係も何もかもうまくいかせようとする俺とは正反対の女の子が。
数ヶ月が経っても、彼女へのいじめは続いた。カースト上位を保っている、男ですら恐れているような高いポニーテールの女子が、わざと莉子にぶつかる。決して背の高くない莉子は、自身の体を守るのに精一杯だったのだろう、運んでいた教材と筆箱をバラバラと床に落としてしまった。
それまでの俺は、見て見ぬふりをしていたことだろう。だが、正義やら未来やら、そういう抽象的な何かの輪郭を明確に見据えているあの瞳に、俺は当てられてしまったのだ。咄嗟にしゃがんで教材を拾い、彼女に差し出した。
莉子は戸惑っていた。また、理解できないとでもいうように、眉間に皺を寄せて、ぶっきらぼうに、ありがとうと言ったのだった。俺は軽く頷くだけで、それ以上は何も喋らなかった。
助けたつもりはまったくない。守りたいと思ったわけでもなかった。ただなんとなく、ものが落ちたから拾ってあげよう、くらいの感覚だった。それと、ほんの少しの興味。
今思えば、あのときの俺たちは、あの”約束”という四文字に曖昧に結ばれていたような気がしている。だから俺は莉子を少しだけ気にかけていたし、莉子だって嫌だとは思っていなかったはずだ。
あれから、結構な月日が経った。今、隣で西日に照らされて輝いている莉子は、あのときのように怒っているわけではないだろうが、当時のまっすぐさを保ち続けている。
「莉子って、変わらないよな」
「私の時間がもう進まないことへの嫌味かしら?」
「そんなつもりじゃねえけど……ってか褒めてるんだよ。そして俺の願いでもある」
「ええー、なんかきもい」
「お前! 言葉には気をつけろよ」
弾けるように笑い出す。そうだ。幽霊だろうと何だろうと、関係ないじゃないか。こうやって一緒にいられれば十分だ。俺が年老いて爺さんになっても、莉子はずっと一高のダサい制服を着たまま、若々しい笑顔と真摯な瞳を俺に向けてくれる。それって本当に幸せなことなんじゃないのか。
湿気で汗が止まらない。でも、この暑さこそ最大限の青春という感じがした。



