「それは……私以外に適任がいらっしゃると思います。高橋くんとか三田さんとか。私はまだ福岡支社に来てから日が浅いですし」
私――宮永瑠璃(みやなが るり)が遠回しに拒否を示すと、目の前の課長は「いやいや」と微笑んだ。
「高橋くんも三田さんも行ったことあるのよ。あのね、これは宮永さんのための出張なの。大分工場の人達に宮永さんの顔を見せるのが、本当の狙いなんだから」
「顔、ですか?」
「ほら、これから売り出す新商品、結構スケジュールがキツそうでしょう? 工場に無理言うことが増えるだろうから、今から顔を売っておいて。そうすれば話が通じやすいからね」
「……分かりました」
言いたいことが喉まで山ほど押し寄せてきたが、無理やり飲み込んで頷く。
「たまには遠出も良いものよ。気分転換になると思うわ」
人の良さそうな笑みを浮かべた課長に「よろしくね」と肩を叩かれ、私は小さく頭を下げて自分のデスクへとすごすごと戻った。
気分転換だって。
見透かされているみたいだ。
「先輩! 大分に出張なんですね」
「あそこ良いっすよね。お土産期待してまーす」
席に座ると、福岡支社での後輩――三田ナントカさんと高橋ナンチャラくんが目を輝かせながら寄ってくる。
「期待に沿えるか分からないけれど、何か買ってくるわ」
「やったー! ありがとうございます!」
「マジで期待してますからね!」
素っ気ない私の態度も、二人は全く気にしない。
いつものことだけど、二人とも営業能力が高い。きっと気力のない先輩の士気を上げるために、声をかけてくれているのだろう。
今はそれすら耳が痛いけど。
「俺も、もっと県外出張行きてー! 長崎とか!」
「分かる! 私は鹿児島とか行きたいなー。先輩、土産話も楽しみにしてますから!」
「……えぇ、分かったわ」
こうして大分出張が決定した私は、楽しそうな後輩二人を横目に「なぜこんなことに……」と内心深いため息をついた。
***
ことの始まりは――五ヶ月前のことだった。
化粧品会社の東京本社で営業として働いていた私に、急に異動の打診が来たのだ。
『宮永さんには、色々経験して女性社員のロールモデルになってほしいんだよね。せっかく主任になったんだし』
急に部長から呼び出されたかと思えば、そんなことを言われた。
『福岡支社はこれから大きくなるし、プレイヤー以外の視点で見ても勉強になるはず。期待しているよ』
会社の一社員である私に、拒否権なんてない。
受け入れるしかなかった。
仕事で転勤なんて珍しい話じゃない。新しい土地でも頑張ろう。
……なんて、最初はそんな風にも思えていた気がする。
けれど、いざ人事異動が公表された時、私の心は打ち砕かれた。
ともに頑張ってきた同期が、同期だけが、昇格していたのだ。私は役職そのまま九州へ異動なのに。
『辞令見た? 明暗別れたね』
『宮永先輩かわいそー』
後輩たちのひそひそした声が背中に刺さる。
あぁ、私は切り捨てられたんだ。
その事実が私の胃をじんわりと重くした。
色々経験して? ロールモデルになって?
無理だ。昇格もできずに飛ばされる私をモデルにしたい後輩なんていない。
部長の言葉は単なる綺麗事だったんだ。後輩たちの憐れみの目がそれを物語っていた。
昨年主任になって浮かれていただろうか?
営業成績が悪かっただろうか?
ううん。
ちゃんと後輩の指導だってしてたし、その後輩とともに大型案件だって受注した。
自分自身の成績だって、トップではないものの3位はキープしていたから表彰だってされた。
左遷なんて……。
だけどゆっくりと落ち込んでいる暇はなかった。
引っ越し先を決めなければならなかったし、荷造りもしないといけなかったし。
電気ガス水道の停止、諸々の住所変更……目が回るような忙しさで、気がつくと私は福岡県にいた。
モチベーションが迷子のまま異動した福岡支社は、小さいけれど温かみのある人ばかりだった。
もっとギスギスした職場だったら良かったのに。
そうしたら、私のこの冴えない感情も職場のせい出来たのに。
営業成績が張り出される度にピリピリしていた本社とは全然違う。
転職したみたいな気分だった。
私みたいにトップになれない営業には、悪くない場所かもしれない。
けれど――。
『まずは、皆について色々回ってみてね』
にこにこと課長にそう告げられ、ひたすら後輩達の営業について回る日々が始まった。
まるで新入社員の頃のOJTのようだった。
『あのっ、私にも営業させてもらえませんか? ここの西側とかまだ手つかずですよね? いくつか置いてもらえそうなストアもありますし、担当地区にしていただければっ……!』
『宮永さんの担当地区? そうねえ……まずは後輩たちを見てあげてくれる? あとは、資材管理をやってもらおうかな。今、皆手が回ってなくてね』
ノルマはないが、営業の仕事も与えられない。取りに行くことすら出来ない。仕事がほしいと言ってみてもこの調子。
それどころか――。
『後輩二人の様子はどう? 気になる点があれば、何でも指摘してあげて。それと、スケジュール押してるようなら私に教えてくれる?』
ひたすら後輩のサポート業務だ。
私は二人の秘書なの?
課長も後輩も優しいけれど、自分の居場所ではないと言われている気がした。
そんな日々が三ヶ月以上も続くと気が滅入ってしまった。
業務中、時計ばかり見つめる日々。
メイクも服もご飯も適当になっていき、とても営業とは思えない見た目になっていた。
抜け出せないぬるま湯の中に私はゆっくりと沈んでいった。
そんな中での大分工場への出張。
なんの商品も売り込んでいない私が。
顔見せだって。本当にそれだけ?
***
「もしかして……新製品の営業、させてもらえるってことかな?」
出張前日。
出張準備をしながら独り言が漏れる。
自分の声が少し嬉しそうなことに、自分で驚いた。
「そんな訳ない。期待しすぎちゃ駄目だって」
この会社に入社して六年。異動してから五ヶ月。
切り捨てられた私に任される仕事なんてない。それは身に沁みていた。
「いよいよ任せる仕事がなくなったから、お茶をにごすために出張を入れてくれたって感じでしょうね」
私は荷物をまとめると、ベッドに潜り込んだ。
……眠れない。
仕方なく、明日訪問する大分工場の資料を取り出して眺めることにした。
ちょうどいい。私の気力がないことは、仕事先の人には関係のないことだ。迷惑をかけるのだけは避けないと。
***
翌日。
よく晴れた空の下、私は特急ソニックに揺られながら窓の外を眺めていた。
初めて乗った特急電車は時折ガタガタと揺れながら私をものすごいスピードで運んでくれる。
毎日の通勤で「このまま遠くに行きたいなー」とか思う時があるけど、今がまさにその時なのかも。
そう思うと少しだけ心がワクワクと持ち上がった。
あれ? 私って意外と簡単に気分が上がるのかも。
つかの間、仕事を忘れてぼんやりと景色を眺める。
流れていく街並みが東京とは違うけれど、別によくある景色だ。
ただ、久しぶりにフルメイクをした自分が窓ガラスに映るのは、少し新鮮だった。
……悪くない、かも。
土色だった自分の顔にすこしだけ血が通って見える。
何気なく自分の顔をぼんやりと眺めていると、車窓いっぱいにキラキラと輝く別府湾の海が広がった。
遠くに見える湯けむりの街並みと青い海のコントラストに、思わず目を奪われる。
さっきまで何気ない背景だった景色が、急に色づいて見えた。
「次はー大分、大分。お降りのお客様は……」
アナウンスが聞こえて来てハッとする。周りの乗客達も荷物を下ろしたり動き出していた。
私もぞろぞろと降りる人々に続いて大分駅に降り立った。
「ちょっとお腹空いたな」
まだ十時だというのに、土産物売場には何人かが買い物をしていた。
ちらりと覗くと、「名物」と書かれたPOPと美味しそうなお菓子が並んでいる。
でも、甘いものの気分じゃない。
仕方なく私は隣のコンビニに入って、適当におにぎりを見繕った。
そのままタクシーに乗り込んで、おにぎりを頬張る。
「すっぱ……」
口の中がキュッっと縮むような感覚に、自分の買ったおにぎりが梅であることに気づく。
梅の気分じゃないけれど仕方がない。
一口食べるごとに顔をしかめながら目的の工場へと向かった。
「はじめまして、製造の八倉(やくら)です」
「営業の宮永です。今日はよろしくお願いします」
工場に着くと、製造担当の八倉さんが出迎えてくれた。
製造担当と聞いて、いかついおじ様を想像していたけれど、私より少しだけ年上の爽やかな男性だった。
「宮永さんは東京本社で営業なさってたんですよね?」
「え? あぁ、一応……はい」
「本社で鍛えた営業力、期待していますよ」
八倉さんの言葉が胸に刺さる。
今までなら笑顔で「ありがとうございます」と返せていたのに、無理やり微笑むことしかできない。
「せっかくなので、中も見ていってください。こちらです」
八倉さんにつれられて、工場内のラインをガラス越しに見学させてもらう。
私は事前資料と照らし合わせながら、どんどんと作られていく商品を眺めた。
テンポ良く流れていく商品たち。
作業員の人達が手際よく製品を箱に詰めていく。すごくスムーズだ。
……けれど、ふと違和感を覚えた。
箱詰めを終えた作業員さんが、製品を入れる大きな段ボールの束を抱えて遠くの棚へと何度も往復している。
通路が狭いせいで、すれ違うたびに足を止め、お互いに譲り合っていた。
「あの……納品用の段ボールってラインのすぐ横には置いておけないんですか?」
ふと八倉さんに尋ねると、彼は困ったように苦笑いを浮かべた。
「そうなんですよー。新商品の段ボールって大きくてかさばるでしょう? 一週間分がまとめて届くので、ライン横の作業場所にドカンと置くと邪魔になっちゃって」
「それであっちから何度も運んできているんですね」
「えぇ。二度手間なんですけど、置き場所がないからどうしようもなくて……」
八倉さんの表情から現場の苦悩が伝わってくる。
私は事前資料の出荷スケジュールと、頭の中にある福岡支社の倉庫状況を素早く照らし合わせた。
「それなら一週間分をまとめて納品するのをやめませんか?」
「そうしたいのは山々ですけど……仕入れ先から送られてくる頻度を変えるのは無理です」
私の提案に八倉さんは難しそうな顔をした。
「段ボールの納品先を一度、福岡支社の倉庫に変更させるんです。それで、支社から大分へ毎日走っている社内便用トラックで毎日使う分だけを工場へ運べば、ストックする量を減らせます」
「でも、そんなことしたら福岡支社さんの手間になりませんか?」
「私、福岡支社で資材管理を担当してるんです。トラックの荷台にはいつも余裕がありますし、届く数が少量なら作業ラインのすぐ横に置いておけますよね。支社側のスケジュール調整なら、私がやれますし」
話しているうちに八倉さんの目が輝き始める。
そして話し終わると彼は深々と頭を下げた。
「是非お願いします! 現場の人間がやりづらそうにしてるの、ずっと気になっていたんです。でも大きな問題でもないし、すぐに出来るような解決策もなくて動けなかったんですよ」
「良かった。すぐに手配しますね」
「ありがとうございます!」
八倉さんはすごく感謝してくれたけど、ありがたいのは私の方だ。
こんな自分でも出来ることがあると、思い出させてくれたのだから。
ラインの見学を終えて各工程の担当者たちに挨拶を終えると、八倉さんがタクシーを手配してくれた。
「今日はありがとうございました。すごく勉強になりました」
「こちらこそ! 宮永さんのおかげで製造ラインも効率アップ出来ます。じゃんじゃん売ってくださいね」
「……はい!」
売り出すための営業には全然携われていないけど、工場の人達をがっかりさせたくない。
だから大きく頷いた。
「そういえば、今日はもう直帰されるんですよね? 良かったら大分名物を楽しんでくださいね」
「ありがとうございます」
そう返したものの、正直ピンとこない。大分名物って何があるんだろう?
来る時に駅前で調査しておくんだった。
すると八倉さんは見透かしたように微笑んだ。
「フグやとり天が有名ですけど、個人的にはりゅうきゅうを食べてもらいたいなー。庶民的ですけどね」
「りゅう、きゅう……どんな料理ですか?」
名前の響き的に『琉球』しか思いつかないけれど、ここは沖縄ではない。
首を傾げると、八倉さんは「おすすめのお店教えますよ。宮永さんにはこれからもお世話になりたいんで」とスマホを取り出した。
***
八倉さんが教えてくれたのは駅前から少し離れた小さな小料理屋だった。
まだ夕方で開店したばかりのようだ。……こういう店って入りづらい、かも。
でも折角紹介してもらったし。
思いきって扉を開けると、「いらっしゃい」という明るい声に迎えられた。
「あの、一人なんですけど……」
「はい、どうぞ。狭いけど好きな席に座ってね」
やわらかい笑顔の女将さんに微笑まれ、カウンター席の端にそっと腰をおろす。
すると女将さんがお水とおしぼりを置いてくれた。
「メニューそこにあるからねー」
「えっとビールと……りゅうきゅう、というものをいただきたいのですが」
おそるおそる口を開くと、女将さんは「おや?」という顔をした。
「お客さん、この辺の人じゃないのかい?」
「出張で……この店のりゅうきゅうが美味しいと聞いたので」
「あら、嬉しいねえ。すぐ用意するわね」
トントンと包丁の小気味の良い音が店内に響いて、私はほっとため息をついた。
小さいラジオの音声が、BGM代わりに耳を通り抜けていく。
なんだろう。懐かしい雰囲気のお店だ。
夏休みにおばあちゃん家に来た時みたいな。
「あの、りゅうきゅうって沖縄の琉球のことなんでしょうか?」
なんだかリラックスしてしまった私は、ふいに女将さんに話しかけていた。
「あぁ。そういう説もあるわね。琉球の漁師に教わったって説。あと、『利休和え(りきゅうあえ)』っていうゴマ和え料理がなまったっていう説もあるのよ」
漁師? ゴマ和え?
一体どんな料理なんだろう?
頭にはてなを浮かべていると、女将さんがビールと小鉢を目の前に置いた。
「はい、どうぞ。りゅうきゅうです」
「わぁっ! これが、りゅうきゅう……」
小鉢の中にはぶつ切りのお刺身がたくさん入っていた。
その上にはゴマ、生姜、ネギ、大葉が乗せられており、醤油のようなタレがかかっている。
見るからに、見るからに、美味しそう!
「いただきます」
そっと口に運ぶと、醤油よりも甘いタレが薬味たちの風味と共に口いっぱいに広がった。
噛んだ瞬間に心地よいお刺身のぷりっとした弾力が心地よい。鯵だろうか。
脂が乗っていて力強い旨味なのに、ゴマと薬味で全然しつこくない。
「美味しい……美味しいです! ご飯が欲しくなりますね」
「ご飯、あるわよー。なんなら出汁もあるからお茶漬けも出来るからね」
「くださいっ!」
「はーい」
結局私はりゅうきゅうも追加で頼み、りゅうきゅう丼とお茶漬けの両方を楽しんだ。
「こんなに美味しいお刺身の食べ方があるなんて知りませんでした」
サービスでいただいたほうじ茶を飲みながら感嘆のため息をつくと、女将さんは嬉しそうにふふっと笑った。
「もともとはね、ちゃんとしたお刺身じゃなくて余った切れ端とかを美味しく食べるために作られたらしいわ。こんな風にすると切れ端でも美味しく食べられるでしょう?」
「切れ端……」
「大分の魚は美味しいからね。切り捨てる部分だって食べ方を工夫すればイケるってことよ」
「そう、ですね」
女将さんの言葉がストンと腹に落ちてくる。
そうか。切り捨てる部分だって、料理次第で美味しくなるんだ。
じゃあ私だって料理次第なんじゃないの?
そう思ったら心も身体もソワソワとし始めた。
「なんか、最後にもう一杯飲みたくなってきました」
「あら、じゃあせっかくだから大分名物繋がりで、ご用意しようかしら?」
「えー気になります! 是非!」
私が手を挙げると女将さんが「なんか良い表情になってない?」なんて笑みを浮かべた。
そりゃあ良い気分になってきたんだから、間違いない。
「んふふ。女将さんのお料理が美味しかったからご機嫌になっちゃいました」
「あら嬉しいわね。はい、お待たせー。かぼすサワーです」
コトリと置かれた細長いグラスからは、シュワシュワと小さな泡が踊っている。
「それから、これも」
「ん? これは?」
女将さんがサワーの横に小皿を置いた。そこにはとり天が一つ、ちょこんと乗っていた。
「嬉しいこと言ってくれたからサービス。ほら、とり天も名物でしょ? かぼすサワーとよく合うのよ」
「わー、ありがとうございます!」
早速とり天を一口かじる。
サクッと心地よい音とともに衣が弾けた。唐揚げよりも衣が軽やかで、中の鶏もも肉は驚くほどジューシー。でも噛みごたえもあって、一口なのに満足感がすごい。
「んんー!」
そこにかぼすサワーを流し込むと、口の中が一気に爽やかな香りに包まれた。
レモンとは違う甘味が混じった酸味がちょうどいい。
シュワッとはじける炭酸が、とり天の油を流していく。
「あー……たまんないですっ!」
「でしょう? でも食べ過ぎ注意ね。あなた、さっき二杯もご飯食べてるんだから」
そう言われて、自分のお腹が満腹近いことに気がついた。
こんなにしっかりとご飯を食べたのはいつぶりだろう? なんだかエネルギーがわき上がってくる感じがする。
女将さんの料理パワーかもしれない。
「お腹いっぱいで、すごく元気出ました!」
「それは良かった。食べたら元気になれるって素敵なことよ」
「はい! ご馳走さまでした。また出張で来たら絶対に寄ります」
また絶対ここに来よう。
仕事がなくたって、ソニックが運んでくれる。
私はほろ酔いで女将さんに挨拶をすると、小料理屋を後にした。
「帰るか。私の家に」
良い気分でソニックに乗り込んだ私は、課長にメールを送り、流れゆく景色を楽しんだ。
***
「昨日はお疲れ様。倉庫の件も連絡ありがとう。問題ないから進めてちょうだい」
翌日。
会社に着いて課長に出張報告すると、彼女は上機嫌だった。
「八倉さんからも連絡が来てたの。良い仕事したじゃない」
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げると、課長がふふっと声を漏らした。
「宮永さん、なんだか変わったね。吹っ切れた顔してる」
「え?」
「本社からこっち来てから、ずっと暗ーい表情してたでしょ? 営業とは思えないくらい。だから気分転換に出張を勧めたんだけど、良かったわぁ」
もしかして、仕事を任せてもらえなかったのは私のせいだったのかも。
福岡に来て以来、私の口角はほとんど下を向いていたから。
私は課長のデスクに両手をバンとついた。
「あのっ! 私、ここに骨を埋める覚悟で頑張りますから! 営業トップを目指すつもりで精一杯励みますので!」
自分のことは自分で調理する。
切れ端はりゅうきゅうにしてしまえば良いんだ。
けれども私が叫ぶように宣言すると、課長は目を丸くした後、困ったように眉を下げた
「それは困るなぁ」
いつの間にか熱を持っていた体がスッと冷える。
コマル。
困る。
それはつまり……。
呆然と立ち尽くすと、課長は「あのね」と口を開いた。
「宮永さん。あなた、再来年にはエリアマネージャーになってもらう予定でしょ? 営業よりそっちに力をいれてほしいなあ」
「……へ?」
エリア、マネージャー?
思いもよらない単語に思考が一瞬停止した。
「そのために福岡に来たんだから……って、あれ? もしかして、聞いてない?」
こくりと頷くと、課長は「あちゃー」と手で顔をおおった。
「本社の営業部長……あいつかー!『ちゃんと将来のことも話した』って言ってたから、私すっかり伝わってると思ってたわよ。肝心なところ言葉足らずなんだから。私も違和感あったのに様子見しちゃってた……」
「あの……」
「宮永さん!」
「は、はいっ」
課長ががばりと顔を上げ、私をまっすぐ見据えた。
そして、いつもの微笑みではなく真剣な表情で私に頭を下げた。
「伝達不足で申し訳ない。宮永さんは、プレイヤーよりマネージャー向きだって上が判断したの。だからまずは少人数なこっちでマネージャーの立ち回りを学んでもらおうってこと」
もしかして『期待してる』ってエリマネとしてってこと?
私に担当エリアが与えられなかったのもプレイヤーじゃなくなるから?
サポートだと思ってた業務って、進捗管理に近かったかも……。
課長の説明に、ここ数ヵ月のことが走馬灯のように頭をよぎった。
「そ、そうだったんですね……」
体からへなへなと力が抜けていく。
なんだ。
そうだったのか。
それなのに私は――。
「だ、大丈夫? ショックだったわよね?」
「いえ。私、エリマネに挑戦したいです。だから、今後ともご指導お願いします」
今度は私が深々と頭を下げる。
エリマネ。やってやろうじゃん。
もう怖くない。
私はなんにだってなれるんだから。
***
自席に戻ると、高橋くんと三田さんがすっと近づいてきた。
「先輩、もしかして自分が左遷されたとか思ってたんすか?」
「ちょっと! 失礼でしょ! 先輩、気にしないでくださいね」
高橋くんの言葉に、三田さんが彼をはたいた。
私は思わず笑みがこぼれる。
「良いの。その通りだから」
ちらりと彼らの胸元のネームプレートを見る。
高橋基樹くん。三田美麗さん。どちらも気づかいの出来る良い後輩だ。
「……私、態度悪かったよね。ごめんなさい。これらは心機一転努めますので、改めてよろしくお願いします」
「じゃー、歓迎会しなきゃっすね」
「それだ。バタバタして流れちゃってたもんね。先輩、なにか食べたいものとかありますか?」
二人が楽しそうに私に笑いかける。
「じゃあ、福岡名物食べたいな。こっちに来てから、まだ何も名物らしいもの食べていないから」
「それならラーメンだ!」
「それは二次会でしょ。最初はもつ鍋とか海鮮系とかでしょ」
わいわいと二人が福岡名物を挙げる。
きっと、福岡名物も飛びきり美味しいんだろうな。
【完】
私――宮永瑠璃(みやなが るり)が遠回しに拒否を示すと、目の前の課長は「いやいや」と微笑んだ。
「高橋くんも三田さんも行ったことあるのよ。あのね、これは宮永さんのための出張なの。大分工場の人達に宮永さんの顔を見せるのが、本当の狙いなんだから」
「顔、ですか?」
「ほら、これから売り出す新商品、結構スケジュールがキツそうでしょう? 工場に無理言うことが増えるだろうから、今から顔を売っておいて。そうすれば話が通じやすいからね」
「……分かりました」
言いたいことが喉まで山ほど押し寄せてきたが、無理やり飲み込んで頷く。
「たまには遠出も良いものよ。気分転換になると思うわ」
人の良さそうな笑みを浮かべた課長に「よろしくね」と肩を叩かれ、私は小さく頭を下げて自分のデスクへとすごすごと戻った。
気分転換だって。
見透かされているみたいだ。
「先輩! 大分に出張なんですね」
「あそこ良いっすよね。お土産期待してまーす」
席に座ると、福岡支社での後輩――三田ナントカさんと高橋ナンチャラくんが目を輝かせながら寄ってくる。
「期待に沿えるか分からないけれど、何か買ってくるわ」
「やったー! ありがとうございます!」
「マジで期待してますからね!」
素っ気ない私の態度も、二人は全く気にしない。
いつものことだけど、二人とも営業能力が高い。きっと気力のない先輩の士気を上げるために、声をかけてくれているのだろう。
今はそれすら耳が痛いけど。
「俺も、もっと県外出張行きてー! 長崎とか!」
「分かる! 私は鹿児島とか行きたいなー。先輩、土産話も楽しみにしてますから!」
「……えぇ、分かったわ」
こうして大分出張が決定した私は、楽しそうな後輩二人を横目に「なぜこんなことに……」と内心深いため息をついた。
***
ことの始まりは――五ヶ月前のことだった。
化粧品会社の東京本社で営業として働いていた私に、急に異動の打診が来たのだ。
『宮永さんには、色々経験して女性社員のロールモデルになってほしいんだよね。せっかく主任になったんだし』
急に部長から呼び出されたかと思えば、そんなことを言われた。
『福岡支社はこれから大きくなるし、プレイヤー以外の視点で見ても勉強になるはず。期待しているよ』
会社の一社員である私に、拒否権なんてない。
受け入れるしかなかった。
仕事で転勤なんて珍しい話じゃない。新しい土地でも頑張ろう。
……なんて、最初はそんな風にも思えていた気がする。
けれど、いざ人事異動が公表された時、私の心は打ち砕かれた。
ともに頑張ってきた同期が、同期だけが、昇格していたのだ。私は役職そのまま九州へ異動なのに。
『辞令見た? 明暗別れたね』
『宮永先輩かわいそー』
後輩たちのひそひそした声が背中に刺さる。
あぁ、私は切り捨てられたんだ。
その事実が私の胃をじんわりと重くした。
色々経験して? ロールモデルになって?
無理だ。昇格もできずに飛ばされる私をモデルにしたい後輩なんていない。
部長の言葉は単なる綺麗事だったんだ。後輩たちの憐れみの目がそれを物語っていた。
昨年主任になって浮かれていただろうか?
営業成績が悪かっただろうか?
ううん。
ちゃんと後輩の指導だってしてたし、その後輩とともに大型案件だって受注した。
自分自身の成績だって、トップではないものの3位はキープしていたから表彰だってされた。
左遷なんて……。
だけどゆっくりと落ち込んでいる暇はなかった。
引っ越し先を決めなければならなかったし、荷造りもしないといけなかったし。
電気ガス水道の停止、諸々の住所変更……目が回るような忙しさで、気がつくと私は福岡県にいた。
モチベーションが迷子のまま異動した福岡支社は、小さいけれど温かみのある人ばかりだった。
もっとギスギスした職場だったら良かったのに。
そうしたら、私のこの冴えない感情も職場のせい出来たのに。
営業成績が張り出される度にピリピリしていた本社とは全然違う。
転職したみたいな気分だった。
私みたいにトップになれない営業には、悪くない場所かもしれない。
けれど――。
『まずは、皆について色々回ってみてね』
にこにこと課長にそう告げられ、ひたすら後輩達の営業について回る日々が始まった。
まるで新入社員の頃のOJTのようだった。
『あのっ、私にも営業させてもらえませんか? ここの西側とかまだ手つかずですよね? いくつか置いてもらえそうなストアもありますし、担当地区にしていただければっ……!』
『宮永さんの担当地区? そうねえ……まずは後輩たちを見てあげてくれる? あとは、資材管理をやってもらおうかな。今、皆手が回ってなくてね』
ノルマはないが、営業の仕事も与えられない。取りに行くことすら出来ない。仕事がほしいと言ってみてもこの調子。
それどころか――。
『後輩二人の様子はどう? 気になる点があれば、何でも指摘してあげて。それと、スケジュール押してるようなら私に教えてくれる?』
ひたすら後輩のサポート業務だ。
私は二人の秘書なの?
課長も後輩も優しいけれど、自分の居場所ではないと言われている気がした。
そんな日々が三ヶ月以上も続くと気が滅入ってしまった。
業務中、時計ばかり見つめる日々。
メイクも服もご飯も適当になっていき、とても営業とは思えない見た目になっていた。
抜け出せないぬるま湯の中に私はゆっくりと沈んでいった。
そんな中での大分工場への出張。
なんの商品も売り込んでいない私が。
顔見せだって。本当にそれだけ?
***
「もしかして……新製品の営業、させてもらえるってことかな?」
出張前日。
出張準備をしながら独り言が漏れる。
自分の声が少し嬉しそうなことに、自分で驚いた。
「そんな訳ない。期待しすぎちゃ駄目だって」
この会社に入社して六年。異動してから五ヶ月。
切り捨てられた私に任される仕事なんてない。それは身に沁みていた。
「いよいよ任せる仕事がなくなったから、お茶をにごすために出張を入れてくれたって感じでしょうね」
私は荷物をまとめると、ベッドに潜り込んだ。
……眠れない。
仕方なく、明日訪問する大分工場の資料を取り出して眺めることにした。
ちょうどいい。私の気力がないことは、仕事先の人には関係のないことだ。迷惑をかけるのだけは避けないと。
***
翌日。
よく晴れた空の下、私は特急ソニックに揺られながら窓の外を眺めていた。
初めて乗った特急電車は時折ガタガタと揺れながら私をものすごいスピードで運んでくれる。
毎日の通勤で「このまま遠くに行きたいなー」とか思う時があるけど、今がまさにその時なのかも。
そう思うと少しだけ心がワクワクと持ち上がった。
あれ? 私って意外と簡単に気分が上がるのかも。
つかの間、仕事を忘れてぼんやりと景色を眺める。
流れていく街並みが東京とは違うけれど、別によくある景色だ。
ただ、久しぶりにフルメイクをした自分が窓ガラスに映るのは、少し新鮮だった。
……悪くない、かも。
土色だった自分の顔にすこしだけ血が通って見える。
何気なく自分の顔をぼんやりと眺めていると、車窓いっぱいにキラキラと輝く別府湾の海が広がった。
遠くに見える湯けむりの街並みと青い海のコントラストに、思わず目を奪われる。
さっきまで何気ない背景だった景色が、急に色づいて見えた。
「次はー大分、大分。お降りのお客様は……」
アナウンスが聞こえて来てハッとする。周りの乗客達も荷物を下ろしたり動き出していた。
私もぞろぞろと降りる人々に続いて大分駅に降り立った。
「ちょっとお腹空いたな」
まだ十時だというのに、土産物売場には何人かが買い物をしていた。
ちらりと覗くと、「名物」と書かれたPOPと美味しそうなお菓子が並んでいる。
でも、甘いものの気分じゃない。
仕方なく私は隣のコンビニに入って、適当におにぎりを見繕った。
そのままタクシーに乗り込んで、おにぎりを頬張る。
「すっぱ……」
口の中がキュッっと縮むような感覚に、自分の買ったおにぎりが梅であることに気づく。
梅の気分じゃないけれど仕方がない。
一口食べるごとに顔をしかめながら目的の工場へと向かった。
「はじめまして、製造の八倉(やくら)です」
「営業の宮永です。今日はよろしくお願いします」
工場に着くと、製造担当の八倉さんが出迎えてくれた。
製造担当と聞いて、いかついおじ様を想像していたけれど、私より少しだけ年上の爽やかな男性だった。
「宮永さんは東京本社で営業なさってたんですよね?」
「え? あぁ、一応……はい」
「本社で鍛えた営業力、期待していますよ」
八倉さんの言葉が胸に刺さる。
今までなら笑顔で「ありがとうございます」と返せていたのに、無理やり微笑むことしかできない。
「せっかくなので、中も見ていってください。こちらです」
八倉さんにつれられて、工場内のラインをガラス越しに見学させてもらう。
私は事前資料と照らし合わせながら、どんどんと作られていく商品を眺めた。
テンポ良く流れていく商品たち。
作業員の人達が手際よく製品を箱に詰めていく。すごくスムーズだ。
……けれど、ふと違和感を覚えた。
箱詰めを終えた作業員さんが、製品を入れる大きな段ボールの束を抱えて遠くの棚へと何度も往復している。
通路が狭いせいで、すれ違うたびに足を止め、お互いに譲り合っていた。
「あの……納品用の段ボールってラインのすぐ横には置いておけないんですか?」
ふと八倉さんに尋ねると、彼は困ったように苦笑いを浮かべた。
「そうなんですよー。新商品の段ボールって大きくてかさばるでしょう? 一週間分がまとめて届くので、ライン横の作業場所にドカンと置くと邪魔になっちゃって」
「それであっちから何度も運んできているんですね」
「えぇ。二度手間なんですけど、置き場所がないからどうしようもなくて……」
八倉さんの表情から現場の苦悩が伝わってくる。
私は事前資料の出荷スケジュールと、頭の中にある福岡支社の倉庫状況を素早く照らし合わせた。
「それなら一週間分をまとめて納品するのをやめませんか?」
「そうしたいのは山々ですけど……仕入れ先から送られてくる頻度を変えるのは無理です」
私の提案に八倉さんは難しそうな顔をした。
「段ボールの納品先を一度、福岡支社の倉庫に変更させるんです。それで、支社から大分へ毎日走っている社内便用トラックで毎日使う分だけを工場へ運べば、ストックする量を減らせます」
「でも、そんなことしたら福岡支社さんの手間になりませんか?」
「私、福岡支社で資材管理を担当してるんです。トラックの荷台にはいつも余裕がありますし、届く数が少量なら作業ラインのすぐ横に置いておけますよね。支社側のスケジュール調整なら、私がやれますし」
話しているうちに八倉さんの目が輝き始める。
そして話し終わると彼は深々と頭を下げた。
「是非お願いします! 現場の人間がやりづらそうにしてるの、ずっと気になっていたんです。でも大きな問題でもないし、すぐに出来るような解決策もなくて動けなかったんですよ」
「良かった。すぐに手配しますね」
「ありがとうございます!」
八倉さんはすごく感謝してくれたけど、ありがたいのは私の方だ。
こんな自分でも出来ることがあると、思い出させてくれたのだから。
ラインの見学を終えて各工程の担当者たちに挨拶を終えると、八倉さんがタクシーを手配してくれた。
「今日はありがとうございました。すごく勉強になりました」
「こちらこそ! 宮永さんのおかげで製造ラインも効率アップ出来ます。じゃんじゃん売ってくださいね」
「……はい!」
売り出すための営業には全然携われていないけど、工場の人達をがっかりさせたくない。
だから大きく頷いた。
「そういえば、今日はもう直帰されるんですよね? 良かったら大分名物を楽しんでくださいね」
「ありがとうございます」
そう返したものの、正直ピンとこない。大分名物って何があるんだろう?
来る時に駅前で調査しておくんだった。
すると八倉さんは見透かしたように微笑んだ。
「フグやとり天が有名ですけど、個人的にはりゅうきゅうを食べてもらいたいなー。庶民的ですけどね」
「りゅう、きゅう……どんな料理ですか?」
名前の響き的に『琉球』しか思いつかないけれど、ここは沖縄ではない。
首を傾げると、八倉さんは「おすすめのお店教えますよ。宮永さんにはこれからもお世話になりたいんで」とスマホを取り出した。
***
八倉さんが教えてくれたのは駅前から少し離れた小さな小料理屋だった。
まだ夕方で開店したばかりのようだ。……こういう店って入りづらい、かも。
でも折角紹介してもらったし。
思いきって扉を開けると、「いらっしゃい」という明るい声に迎えられた。
「あの、一人なんですけど……」
「はい、どうぞ。狭いけど好きな席に座ってね」
やわらかい笑顔の女将さんに微笑まれ、カウンター席の端にそっと腰をおろす。
すると女将さんがお水とおしぼりを置いてくれた。
「メニューそこにあるからねー」
「えっとビールと……りゅうきゅう、というものをいただきたいのですが」
おそるおそる口を開くと、女将さんは「おや?」という顔をした。
「お客さん、この辺の人じゃないのかい?」
「出張で……この店のりゅうきゅうが美味しいと聞いたので」
「あら、嬉しいねえ。すぐ用意するわね」
トントンと包丁の小気味の良い音が店内に響いて、私はほっとため息をついた。
小さいラジオの音声が、BGM代わりに耳を通り抜けていく。
なんだろう。懐かしい雰囲気のお店だ。
夏休みにおばあちゃん家に来た時みたいな。
「あの、りゅうきゅうって沖縄の琉球のことなんでしょうか?」
なんだかリラックスしてしまった私は、ふいに女将さんに話しかけていた。
「あぁ。そういう説もあるわね。琉球の漁師に教わったって説。あと、『利休和え(りきゅうあえ)』っていうゴマ和え料理がなまったっていう説もあるのよ」
漁師? ゴマ和え?
一体どんな料理なんだろう?
頭にはてなを浮かべていると、女将さんがビールと小鉢を目の前に置いた。
「はい、どうぞ。りゅうきゅうです」
「わぁっ! これが、りゅうきゅう……」
小鉢の中にはぶつ切りのお刺身がたくさん入っていた。
その上にはゴマ、生姜、ネギ、大葉が乗せられており、醤油のようなタレがかかっている。
見るからに、見るからに、美味しそう!
「いただきます」
そっと口に運ぶと、醤油よりも甘いタレが薬味たちの風味と共に口いっぱいに広がった。
噛んだ瞬間に心地よいお刺身のぷりっとした弾力が心地よい。鯵だろうか。
脂が乗っていて力強い旨味なのに、ゴマと薬味で全然しつこくない。
「美味しい……美味しいです! ご飯が欲しくなりますね」
「ご飯、あるわよー。なんなら出汁もあるからお茶漬けも出来るからね」
「くださいっ!」
「はーい」
結局私はりゅうきゅうも追加で頼み、りゅうきゅう丼とお茶漬けの両方を楽しんだ。
「こんなに美味しいお刺身の食べ方があるなんて知りませんでした」
サービスでいただいたほうじ茶を飲みながら感嘆のため息をつくと、女将さんは嬉しそうにふふっと笑った。
「もともとはね、ちゃんとしたお刺身じゃなくて余った切れ端とかを美味しく食べるために作られたらしいわ。こんな風にすると切れ端でも美味しく食べられるでしょう?」
「切れ端……」
「大分の魚は美味しいからね。切り捨てる部分だって食べ方を工夫すればイケるってことよ」
「そう、ですね」
女将さんの言葉がストンと腹に落ちてくる。
そうか。切り捨てる部分だって、料理次第で美味しくなるんだ。
じゃあ私だって料理次第なんじゃないの?
そう思ったら心も身体もソワソワとし始めた。
「なんか、最後にもう一杯飲みたくなってきました」
「あら、じゃあせっかくだから大分名物繋がりで、ご用意しようかしら?」
「えー気になります! 是非!」
私が手を挙げると女将さんが「なんか良い表情になってない?」なんて笑みを浮かべた。
そりゃあ良い気分になってきたんだから、間違いない。
「んふふ。女将さんのお料理が美味しかったからご機嫌になっちゃいました」
「あら嬉しいわね。はい、お待たせー。かぼすサワーです」
コトリと置かれた細長いグラスからは、シュワシュワと小さな泡が踊っている。
「それから、これも」
「ん? これは?」
女将さんがサワーの横に小皿を置いた。そこにはとり天が一つ、ちょこんと乗っていた。
「嬉しいこと言ってくれたからサービス。ほら、とり天も名物でしょ? かぼすサワーとよく合うのよ」
「わー、ありがとうございます!」
早速とり天を一口かじる。
サクッと心地よい音とともに衣が弾けた。唐揚げよりも衣が軽やかで、中の鶏もも肉は驚くほどジューシー。でも噛みごたえもあって、一口なのに満足感がすごい。
「んんー!」
そこにかぼすサワーを流し込むと、口の中が一気に爽やかな香りに包まれた。
レモンとは違う甘味が混じった酸味がちょうどいい。
シュワッとはじける炭酸が、とり天の油を流していく。
「あー……たまんないですっ!」
「でしょう? でも食べ過ぎ注意ね。あなた、さっき二杯もご飯食べてるんだから」
そう言われて、自分のお腹が満腹近いことに気がついた。
こんなにしっかりとご飯を食べたのはいつぶりだろう? なんだかエネルギーがわき上がってくる感じがする。
女将さんの料理パワーかもしれない。
「お腹いっぱいで、すごく元気出ました!」
「それは良かった。食べたら元気になれるって素敵なことよ」
「はい! ご馳走さまでした。また出張で来たら絶対に寄ります」
また絶対ここに来よう。
仕事がなくたって、ソニックが運んでくれる。
私はほろ酔いで女将さんに挨拶をすると、小料理屋を後にした。
「帰るか。私の家に」
良い気分でソニックに乗り込んだ私は、課長にメールを送り、流れゆく景色を楽しんだ。
***
「昨日はお疲れ様。倉庫の件も連絡ありがとう。問題ないから進めてちょうだい」
翌日。
会社に着いて課長に出張報告すると、彼女は上機嫌だった。
「八倉さんからも連絡が来てたの。良い仕事したじゃない」
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げると、課長がふふっと声を漏らした。
「宮永さん、なんだか変わったね。吹っ切れた顔してる」
「え?」
「本社からこっち来てから、ずっと暗ーい表情してたでしょ? 営業とは思えないくらい。だから気分転換に出張を勧めたんだけど、良かったわぁ」
もしかして、仕事を任せてもらえなかったのは私のせいだったのかも。
福岡に来て以来、私の口角はほとんど下を向いていたから。
私は課長のデスクに両手をバンとついた。
「あのっ! 私、ここに骨を埋める覚悟で頑張りますから! 営業トップを目指すつもりで精一杯励みますので!」
自分のことは自分で調理する。
切れ端はりゅうきゅうにしてしまえば良いんだ。
けれども私が叫ぶように宣言すると、課長は目を丸くした後、困ったように眉を下げた
「それは困るなぁ」
いつの間にか熱を持っていた体がスッと冷える。
コマル。
困る。
それはつまり……。
呆然と立ち尽くすと、課長は「あのね」と口を開いた。
「宮永さん。あなた、再来年にはエリアマネージャーになってもらう予定でしょ? 営業よりそっちに力をいれてほしいなあ」
「……へ?」
エリア、マネージャー?
思いもよらない単語に思考が一瞬停止した。
「そのために福岡に来たんだから……って、あれ? もしかして、聞いてない?」
こくりと頷くと、課長は「あちゃー」と手で顔をおおった。
「本社の営業部長……あいつかー!『ちゃんと将来のことも話した』って言ってたから、私すっかり伝わってると思ってたわよ。肝心なところ言葉足らずなんだから。私も違和感あったのに様子見しちゃってた……」
「あの……」
「宮永さん!」
「は、はいっ」
課長ががばりと顔を上げ、私をまっすぐ見据えた。
そして、いつもの微笑みではなく真剣な表情で私に頭を下げた。
「伝達不足で申し訳ない。宮永さんは、プレイヤーよりマネージャー向きだって上が判断したの。だからまずは少人数なこっちでマネージャーの立ち回りを学んでもらおうってこと」
もしかして『期待してる』ってエリマネとしてってこと?
私に担当エリアが与えられなかったのもプレイヤーじゃなくなるから?
サポートだと思ってた業務って、進捗管理に近かったかも……。
課長の説明に、ここ数ヵ月のことが走馬灯のように頭をよぎった。
「そ、そうだったんですね……」
体からへなへなと力が抜けていく。
なんだ。
そうだったのか。
それなのに私は――。
「だ、大丈夫? ショックだったわよね?」
「いえ。私、エリマネに挑戦したいです。だから、今後ともご指導お願いします」
今度は私が深々と頭を下げる。
エリマネ。やってやろうじゃん。
もう怖くない。
私はなんにだってなれるんだから。
***
自席に戻ると、高橋くんと三田さんがすっと近づいてきた。
「先輩、もしかして自分が左遷されたとか思ってたんすか?」
「ちょっと! 失礼でしょ! 先輩、気にしないでくださいね」
高橋くんの言葉に、三田さんが彼をはたいた。
私は思わず笑みがこぼれる。
「良いの。その通りだから」
ちらりと彼らの胸元のネームプレートを見る。
高橋基樹くん。三田美麗さん。どちらも気づかいの出来る良い後輩だ。
「……私、態度悪かったよね。ごめんなさい。これらは心機一転努めますので、改めてよろしくお願いします」
「じゃー、歓迎会しなきゃっすね」
「それだ。バタバタして流れちゃってたもんね。先輩、なにか食べたいものとかありますか?」
二人が楽しそうに私に笑いかける。
「じゃあ、福岡名物食べたいな。こっちに来てから、まだ何も名物らしいもの食べていないから」
「それならラーメンだ!」
「それは二次会でしょ。最初はもつ鍋とか海鮮系とかでしょ」
わいわいと二人が福岡名物を挙げる。
きっと、福岡名物も飛びきり美味しいんだろうな。
【完】



