「キスしたら、俺の」――突然のキスで、勝手に恋人宣言されました

 光飛がスマホを取り出した。
 しきりにタップしている。

「どうせ噓なんでしょ。ネタなんかあるわけないよ。僕は何もしてないんだから」
「絢音には、何したの?」
 
 名前を呼ばれて、ドキリとする。
 立ち上がろうとしたけど、春宮に目で止められた。

「何もしてないよ。最近の絢音は僕といるのが楽しいんだよ。だから一緒にいるだけ」

 べっと春宮が舌を出す。
 
(楽しくない。全然楽しくない)

 苦しいばっかりだ。
 早くこの地獄から解放されたい。

「春宮ってバイなんだっけ?」
「そうだよ。僕は隠してないからね」
「そんで、夜久に手酷くフラれたんだっけ」

 春宮が黙り込んだ。

「一年の時、同クラだった奴が教えてくれた。お前、敵多すぎな」
「味方のほうが多いから良いんだよ」
「そんなに夜久に未練があんの?」

 春宮が、ぐっと息を飲んだ。

「……ないよ。未練なんかない」
「仕返しで、絢音を脅して利用してんだ。絢音、愛されてるもんな」
「知らないよ。どうせ気紛れじゃないの? あの夜久くんが、本気になんかなるわけないんだ」

 春宮が悔しそうに呻った。

「飽きたら、適当に捨てられるに決まってる!」
「だったら、放っておけばいいじゃん。春宮が嫌がらせする必要、ないよな。完全な私怨だろ」
「違う! そんなつもり……僕は、そんなことしてないよ」

 春宮が取り繕った。
 
「夜久と絢音を別れさせたくて、不信感煽ってんだろうけど、無駄だよ。夜久は絢音のこと、一ミリも疑ってない」
「なんで、そんな風に言えるの?」

 春宮が探るように問う。

「夜久が絢音のこと、好きだから。疑う理由がないんだって」

 光飛がスマホを見せた。
 メッセのやり取りだ。

『絢音が好き、それだけ』

 短い文章に、碧の全部が詰まっている気がした。

「何、それ……バカみたい」

 春宮の声が震えている。

「絢音は今、僕と浮気中なの! 今の絢音は僕が好きなの!」
「そんな風には、見えなかったけどな」
「絢音に選んでもらえなかったくせに、わかったようなこと言うなよ!」

 春宮が得意げに鼻で笑う。
 光飛の眉間に皺が寄った。

「なんで春宮がその話、知ってんの?」

 春宮が、しまったとばかりに表情を強張らせた。

「絢音に聞いて」
「絢音はそういう話、軽々しく他人に話したりしないよ」
「付き合っている僕だから、話してくれたんだよ。今は僕が絢音の一番だから」

 春宮が狼狽えている。
 必死に取り繕っている。
 今しかないと思った。
 僕は、思い切って立ち上がった。

「違う! 僕は話してない! 光飛のことも、碧のことも、何も話してないよ!」
「絢音、黙ってろよ!」

 春宮に怒鳴りつけられて、ビクリと体が震える。
 光飛が考え込んだ。

「だとしたら……俺と絢音が話しているところ、覗いてた?」

 光飛の推理がかなり的を射ている。
 僕は、うんうんと頷いた。

「絢音!」

 腕を引かれて、後ろから春宮に押さえつけられた。

「これ以上、余計なこと言うなよ。わかってるだろ?」

 耳元で囁かれる。
 僕は小さく頷いた。

「ねぇ、絢音。日高に教えてあげてよ。本当は夜久くんじゃなくて、僕のことが好きなんだって」

 僕は息を飲んだ。
 廊下から、足音が聞こえてきた。
 こっちに近付いてくる。

「今度は、誰?」
「夜久だろ。この場所、教えといたから」

 光飛がスマホを見せた。

「何となく、何で絢音を脅してるのか想像ついたけど。それ、意味ないよ」
「はぁ? 強がってんなよ。あんなのバレたら……」

 春宮の言葉を遮るように、扉が開いた。
 息を切らせた碧が、そこに立っていた。

「絢音!」
「碧……」

 春宮が、後ろから僕に抱き付いた。

「こんにちは、元カレの夜久くん。今の彼氏は僕だよ。絢音は、僕のだから」

 余裕の表情で、春宮が嘘を吐く。
 春宮が僕の耳に唇を寄せた。

「僕の言う通りに喋って。そうしたら、動画は消してあげる」

 僕は、頷いた。
 春宮が、僕の耳元で囁いた。

「碧……来ないで!」

 僕の声に、碧が歩み寄ろうとしていた足を止めた。

「絢音の本心を教えてあげなよ」

 春宮が僕の背中を押した。
 体が、碧のほうに、少しだけ寄った。

「もう、碧には……会いたく、ない」

 ビクン、と碧の肩が震えた。

「僕は、悠莉と付き合うから、だから……」

 最後の一言が、言えない。
 言いたくない。
 でも、言わないといけない。
 だから僕は、拳を握った。

「さよなら」

 ぼろっと、隠しようのない涙が零れた。
 
「絢音」

 碧が僕に近付こうとする。
 僕は後ろに下がった。
 碧が、動きを止めた。

(そんな顔……)

 ショックを受けた碧の顔。
 動けなくなる碧なんて、初めて見た。

(そんな顔、見たくなかった)

 悲しいのに、どうしたらいいかわからなくて。
 僕は家庭科準備室から飛び出した。

「待て、絢音!」

 光飛の止める声は、もう耳に入らなくて。

(これでいい。これで動画は消してもらえる)

 そう思うのに。
 碧の痛そうな顔だけが瞼の裏に焼き付いて、消えてくれない。
 それを振り切るように、僕は走った。