キスしたら、俺の

 夜久が連れてきたのは旧校舎の空き教室だった。
 持っている鍵でドアを開ける。

 遠くから足音が聞こえてきた。

「ねぇ、こっちに来なかった?」
「朝比奈くん、なんで夜久くんと一緒なの?」
「あのツーショ、ヤバくない?」

 聞こえてきた声に、血の気が下がった。

「こっち、入って」

 夜久が俺の背中を押した。
 部屋に入ると、鍵を閉める。
 窓の下に俺を連れて座り込んだ。

「窓から見えたら、見付かる」
「そう、だね」

 俺は足を抱いて、小さくなって座った。
 しばらく静かにしていたら、女子の声は聞こえなくなった。

「……なんで、あんなことしたわけ?」

 小さな声で問い掛けた。

「あんなことって?」
「……キスだよ」

 口に出すだけで、昨日の事件が頭に浮かぶ。

「恋人に、なるため?」
「何で疑問形なんだよ。しかも、ワケわかんない」
「今はもう、恋人だから」
「……会話になってないだろ」

 僕は項垂れた。
 昨日もそうだったけど、夜久が何を言っているのか、わからない。
 しかも、会話が噛み合わない。

 何故か、夜久のほうが首を傾げている。
 僕が間違っているみたいな顔、するな。
 わけがわからないのは、お前だからな。

「じゃぁ、質問を変える。なんで、僕なの?」

 接点もない男にキスしようと思うのは、どんな心理だ。
 夜久が、ポンと手を叩いた。

「友達じゃないから、ビックリした?」
「友達でもびっくりするわ!」

 むしろ友達だったら、友達やめる勢いでビックリする。
 夜久がまた首を傾げた。

「俺は、知ってた」
「知ってたって……」

 そりゃ、同じ学年なんだから、顔と名前くらい知ってはいるだろう。
 
「顔が好きだから」
「顔? 僕の?」

 夜久が頷いた。
 
「入学式の学生代表挨拶で知った時から」
「そんなに前から?」

 今は二年の二学期だ。
 そんなに長い間、想いを秘めていたのだろうか。

「好きになるなら、絢音がいいと思ってた」

 そう、それだ。
 昨日も言っていた。

「あのさ、好きだからキスしたんじゃないの?」
「恋人になりたくて、キスした」

 もう噛み合わない。
 
「恋人は好きだからなるもんだし、キスだって好きだからしたくなるんだろ?」
「好きに、なってみたい」

 さすがの僕も、イラっとした。
 けど、同時に頭に過ったのは、別のことだった。

「夜久って、誰のことも好きになったこと、ない?」
「ない。だから、恋をしてみたい」

 夜久の手が俺の顔に伸びた。
 ビクリと逃げる頬に、構わず指を滑らせる。

「好きになるなら、絢音がいい」

 何となく、これ以上逃げる気にはならなかった。

(もしかしたら、本当に悩んでいるのかもしれない)

 行動が突飛すぎて、理解不能に思えるけど。
 本人の中では繋がっているのかもしれない。
 僕が、夜久をわからないだけで。

(だとしても、キスしていいって訳じゃないけど)

 僕は、ちょっと考えた。

「つまり、夜久は誰かを好きになりたくて、僕にキスした、と」
「碧」
「は?」
「碧がいい」
「……碧は、誰かを好きになりたいんだろ」
「絢音を好きになりたい」

 変なところだけ、頑固だ。

「そう言われても、なぁ」

 女の子とだって付き合ったことないのに、男なんて。
 性別って関係ないのかもしれないけど。
 難易度高すぎるだろ。

「……僕もないよ」
「何が?」

 夜久が僕を覗き込んだ。

「誰かを好きになったこと」

 毎日、たくさんの女の子が声を掛けてくれるけど。
 その中の誰か一人を特別だと思ったことはない。
 初恋を、僕はまだ知らない。

「だから、夜久……碧に教えられることなんて、何も」
「一緒に好きになろう」

 夜久が僕の手を両手で握った。
 思わず、体が仰け反った。

「一緒にって。僕は別に」
「俺は今、絢音の顔が好きだ。それははっきり言える」
「顔、ね。顔なら、碧も悪くない印象だけど」

 半ば呆れ気味に答えた。
 顔がいいは、よく言われるけど。
 ここまで正面切って言ってきた奴は、初めてだ。
 
「……そっか」

 夜久の表情が緩んだ。
 その顔を俺は見詰めた。
 微笑んでいる訳ではない。
 けれど、それに近い表情。

(これは、安心しているのかな)

 常に怠そうで、詰まらなそうな顔をしているのに。
 表情の変わらない男が一瞬みせた表情が、気になった。

(どうしたら、さっきみたいに笑うのかな)

 少しだけ、ほんの少しだけ、そんなことを思った。

「……付き合っても、いいよ」

 別に勢いじゃない。
 僕なりに考えた。
 今更、お友達から始めましょうなんて言ったって、どうせ聞かないだろう。
 だったら、夜久のやり方に付き合うしかない。
 
(要は、好きになれなきゃ終わるんだ)

 夜久が僕を好きになれなければ、諦める。
 それまで適当に付き合えばいい。

「もう、恋人だから」
「……そうだね」

 キスしたから、夜久の中では恋人だった。

「でも、二人だけの秘密だ。誰かに話したり、人前でその話をしたら、僕は碧を嫌いになる」

 僕の手を握る夜久の手が、ピクリと跳ねた。

「なら、言わない」
「約束だよ」

 僕は手を離すと、小指を出した。
 指先を見詰めていた夜久が、指を絡めた。

「二人だけの約束だ」

 夜久が、さっきと同じ表情をした。
 口角が上がりそうで上がらない。
 だけど、あどけない表情。

(もうちょっとで、笑いそうだったのに)

 ほんの少しだけ、残念に思った。
 小指を絡めて、指切りげんまんする。

 この日から、僕と碧の好きを見つけるお付き合いが始まった。