四限の授業が終わってすぐ、僕は立ち上がった。
「絢音、待った」
待ち構えていたように、光飛に呼び止められた。
「ごめん、今、急いでる」
「授業前、春宮に何を言われた?」
光飛の目が鋭く迫る。
その目から、僕は逃げた。
「別に、何も」
「本当に? そんな風には見えなかったけど」
「碧のこと、ちょっと聞かれて。答えに困ってただけ」
何も思い付かなくて、こんな適当な嘘しか付けなかった。
「夜久のこと? 二人の関係とか?」
「友達って言ったよ。だから、大丈夫。それじゃ、行くね」
光飛の制止を振り切って、僕は走った。
「絢音、まだ話が」
光飛の声を後ろに聞いて、走る。
(ごめん、光飛。でも言えない)
僕だけならまだしも、碧にも光飛にも迷惑になるかもしれない。
それが怖い。
僕は旧校舎を走ると、いつもの空き教室のドアを、ばっと開いた。
「碧!」
「どうかした?」
机の上にいつものように置かれた弁当を胸に抱いた。
「今日は僕、先生に呼び出されているから、もう行くね!」
「昨日はそんなこと、言ってなかった」
碧が不振感たっぷりの目を向けてくる。
「呼び出されたの、今日だから」
僕はくるりと振り返った。
碧の視線が辛い。
「あと、二者面談あるから、放課後は遅くなるし、先に帰って」
「二者面談、終わったばっかり」
ちょうど一カ月くらい前にあったばかりだ。
思えば、二者面談が終わって廊下を歩いている時に、碧に遭遇した。
(もう、そんなに経つんだ)
冬服になっても暑いなんて思っていたのに。
気が付けば、冬が始まろうとしている。
カタン、と音がして、碧が立ち上がった気配がした。
「絢音、何かあった?」
「何もないよ。ちょっと忙しいだけ」
「前も、こんな感じだった」
「前?」
「女子に壁ドンしてた時」
「うっ」
箕輪に連れまわされていた時だ。
あの時は、メッセで連絡して、碧に探し回られた。
だから、今回は会って話に来たのに。
(やっぱりメッセにすればよかった)
「今度は、誰に何言われたの?」
何か言われたこと確定で話を進めてきた。
「何も言われてない、言われてないから!」
——コンコン
僕の叫び声と同時に、扉をノックする音がした。
二人揃って、扉を眺めた。
誰かが来るなんて可能性、ほとんどない空き教室だ。
——コンコン
またノックされている。
聞き間違いじゃないらしい。
僕と碧は顔を見合わせた。
「朝比奈くーん、いますかぁ?」
その声は紛れもなく春宮悠莉だった。
「おかしいなぁ。この教室に入って行くの、見えたのになぁ」
わざとらしい独り言だ。
僕に聞かせるために言っているんだと、すぐにわかった。
「見付からないと、うっかりしちゃうかもなぁ」
僕は慌てて扉を開けた。
「何か、用?」
案の定、扉の前には春宮がいた。
春宮が、ニコリと笑む。
「やっぱりいたんだ。早く開けてくれないと」
春宮が中を覗き込んだ。
その前に、碧が立ちはだかった。
「誰?」
一瞬、春宮の表情が引き攣った。
僕の視線を感じたのか、すぐに笑顔に戻った。
「隣のクラスの春宮悠莉だよ。朝比奈くんの友達。よろしくね」
中に入ろうとする春宮を、碧が全身で拒否している。
「用事は、何?」
碧が春宮を見下ろした。
大きな碧と小さな春宮の身長差がエグい。
なのに、威圧感は春宮も負けていない。
「朝比奈くんが普段、どこでご飯食べているのかなと思って。ご一緒させてほしいなぁ」
春宮が可愛らしく小首を傾げた。
「断る、帰れ」
碧が扉を閉めた。
とりつくシマもない。
一瞬、ほっとした。
けど、春宮がこの程度で引き下がってくれるだろうか。
「え~やだぁ」
廊下に春宮の声が響く。
やっぱり、ダメだった。
「朝比奈くーん、夜久くんを説得してよぉ。じゃないと僕、傷付いて何するかわかんないよ?」
ぎくりと、息が詰まった。
僕は碧が締めた扉を開いた。
「絢音?」
「一緒が良いみたいだしさ。今日だけでも……ね?」
言葉がぎこちなくなる。
僕だって、碧との秘密の空間に入ってこられるのは嫌だ。
(光飛にだって、この場所は話していないのに)
無遠慮に土足で踏み込んでくる春宮に、腹が立つ。
だけど、あの動画を握られている以上、そうは言えない。
「碧、お願い」
切実な声が出た。
碧が眉間に皺を寄せている。
「あとで、ちゃんと教えて」
そう言って、春宮を完全拒否していた体をどかした。
僕は気乗りしない手で春宮を招いた。
「春宮、どうぞ」
「わぁ、ありがとう」
春宮が遠慮なく中に入った。
「いつも、ここで二人でご飯、食べてるの? いいなぁ」
春宮がスマホを取り出した。
「写真はダメ!」
僕は思わず春宮の手元を抑え込んだ。
「えー、ケチだなぁ。夜久くんもダメ?」
「撮るなら出ていけ」
碧が春宮を摘まみ出そうとした。
「わかったよ、撮らないよ。離して」
掴んでいた襟首を、碧が離した。
小さな体が、ポトンと落ちた。
(あれ……?)
何を言うでもなく、春宮がちょっと照れた顔をしている。
てっきり、笑顔で嫌味でもいうのかと思った。
(あの反応、何?)
全然わからなくて、ちょっとだけ呆けた。
「そうそう、今日の放課後、朝比奈くんを借りるね。いつも一緒に帰っているんだし、たまにはいいよね」
「ダメだ」
にべもなく、碧が言い切った。
それはそうだろうと思う。
(一緒に帰ってることも、知ってるんだ)
それについてはクラス中が知っていると言って過言でない。
だから不思議ではないけど。
春宮とは、特に親しくもないのに覚えているのが、気持ち悪い。
「いいよね、朝比奈くん?」
春宮が僕に話を振ってきた。
碧に見えないように手元でスマホを振っている。
(動画……)
中休みに見せられた動画が頭の中をちらついた。
「今日は……春宮と帰る。碧、ごめん」
「なんで?」
碧の問い掛けは当然だ。
いつもの碧の反応だ。
「春宮が、そうしたいって」
「俺は嫌だ」
「だから、今日だけ」
「絢音は、本当にそうしたい?」
核心を突かれて、言葉を飲み込んだ。
帰りたいわけない。
また何を要求されるかわからない。
怖いけど、僕が何とかしないと。
碧も光飛も、大変なことになる。
「そう、したいよ。春宮と帰りたい!」
思ってもいないことを、僕は叫んだ。
隣で春宮が笑んだ。
「だってさ、夜久くん。朝比奈くん、借してね」
優越感たっぷりに、春宮が碧を眺めた。
「……お前の、名前、何?」
碧が春宮を睨みながら呻るように問い掛けた。
「僕の名前……覚える気もなかったんだ」
春宮が、ぽそりと呟いた。
「え……?」
「僕は春宮悠莉。朝比奈くんと同じ3組だよ」
春宮がいつもの笑顔で、もう一度自己紹介した。
「さぁ、お昼食べようよ。お腹空いちゃったぁ」
勝手に席について、春宮が食事を始めた。
僕と碧は顔を見合わせて、席に着いた。
碧の弁当を広げる。
今日は鮭フライだと、昨日話していた気がする。
食べてみたらやっぱり鮭フライだった。
(美味しい……)
碧の鮭フライが美味しくて、悲しくなる。
(僕のついた嘘、バレちゃった。どうしよう)
先生の呼び出しも、二者面談も、僕なりに会心の嘘だったのに。
そのことについて、碧は僕に追及してこない。
「お弁当まで一緒なの? すごーい。これ、フライ? 一個ちょうだい」
「え? うん……」
僕の弁当に春宮が箸を伸ばす。
その姿を、碧がピリピリしながら見詰めている。
いつもなら癒しの空間なのに。
今日は緊張しながら食べるランチになった。
「絢音、待った」
待ち構えていたように、光飛に呼び止められた。
「ごめん、今、急いでる」
「授業前、春宮に何を言われた?」
光飛の目が鋭く迫る。
その目から、僕は逃げた。
「別に、何も」
「本当に? そんな風には見えなかったけど」
「碧のこと、ちょっと聞かれて。答えに困ってただけ」
何も思い付かなくて、こんな適当な嘘しか付けなかった。
「夜久のこと? 二人の関係とか?」
「友達って言ったよ。だから、大丈夫。それじゃ、行くね」
光飛の制止を振り切って、僕は走った。
「絢音、まだ話が」
光飛の声を後ろに聞いて、走る。
(ごめん、光飛。でも言えない)
僕だけならまだしも、碧にも光飛にも迷惑になるかもしれない。
それが怖い。
僕は旧校舎を走ると、いつもの空き教室のドアを、ばっと開いた。
「碧!」
「どうかした?」
机の上にいつものように置かれた弁当を胸に抱いた。
「今日は僕、先生に呼び出されているから、もう行くね!」
「昨日はそんなこと、言ってなかった」
碧が不振感たっぷりの目を向けてくる。
「呼び出されたの、今日だから」
僕はくるりと振り返った。
碧の視線が辛い。
「あと、二者面談あるから、放課後は遅くなるし、先に帰って」
「二者面談、終わったばっかり」
ちょうど一カ月くらい前にあったばかりだ。
思えば、二者面談が終わって廊下を歩いている時に、碧に遭遇した。
(もう、そんなに経つんだ)
冬服になっても暑いなんて思っていたのに。
気が付けば、冬が始まろうとしている。
カタン、と音がして、碧が立ち上がった気配がした。
「絢音、何かあった?」
「何もないよ。ちょっと忙しいだけ」
「前も、こんな感じだった」
「前?」
「女子に壁ドンしてた時」
「うっ」
箕輪に連れまわされていた時だ。
あの時は、メッセで連絡して、碧に探し回られた。
だから、今回は会って話に来たのに。
(やっぱりメッセにすればよかった)
「今度は、誰に何言われたの?」
何か言われたこと確定で話を進めてきた。
「何も言われてない、言われてないから!」
——コンコン
僕の叫び声と同時に、扉をノックする音がした。
二人揃って、扉を眺めた。
誰かが来るなんて可能性、ほとんどない空き教室だ。
——コンコン
またノックされている。
聞き間違いじゃないらしい。
僕と碧は顔を見合わせた。
「朝比奈くーん、いますかぁ?」
その声は紛れもなく春宮悠莉だった。
「おかしいなぁ。この教室に入って行くの、見えたのになぁ」
わざとらしい独り言だ。
僕に聞かせるために言っているんだと、すぐにわかった。
「見付からないと、うっかりしちゃうかもなぁ」
僕は慌てて扉を開けた。
「何か、用?」
案の定、扉の前には春宮がいた。
春宮が、ニコリと笑む。
「やっぱりいたんだ。早く開けてくれないと」
春宮が中を覗き込んだ。
その前に、碧が立ちはだかった。
「誰?」
一瞬、春宮の表情が引き攣った。
僕の視線を感じたのか、すぐに笑顔に戻った。
「隣のクラスの春宮悠莉だよ。朝比奈くんの友達。よろしくね」
中に入ろうとする春宮を、碧が全身で拒否している。
「用事は、何?」
碧が春宮を見下ろした。
大きな碧と小さな春宮の身長差がエグい。
なのに、威圧感は春宮も負けていない。
「朝比奈くんが普段、どこでご飯食べているのかなと思って。ご一緒させてほしいなぁ」
春宮が可愛らしく小首を傾げた。
「断る、帰れ」
碧が扉を閉めた。
とりつくシマもない。
一瞬、ほっとした。
けど、春宮がこの程度で引き下がってくれるだろうか。
「え~やだぁ」
廊下に春宮の声が響く。
やっぱり、ダメだった。
「朝比奈くーん、夜久くんを説得してよぉ。じゃないと僕、傷付いて何するかわかんないよ?」
ぎくりと、息が詰まった。
僕は碧が締めた扉を開いた。
「絢音?」
「一緒が良いみたいだしさ。今日だけでも……ね?」
言葉がぎこちなくなる。
僕だって、碧との秘密の空間に入ってこられるのは嫌だ。
(光飛にだって、この場所は話していないのに)
無遠慮に土足で踏み込んでくる春宮に、腹が立つ。
だけど、あの動画を握られている以上、そうは言えない。
「碧、お願い」
切実な声が出た。
碧が眉間に皺を寄せている。
「あとで、ちゃんと教えて」
そう言って、春宮を完全拒否していた体をどかした。
僕は気乗りしない手で春宮を招いた。
「春宮、どうぞ」
「わぁ、ありがとう」
春宮が遠慮なく中に入った。
「いつも、ここで二人でご飯、食べてるの? いいなぁ」
春宮がスマホを取り出した。
「写真はダメ!」
僕は思わず春宮の手元を抑え込んだ。
「えー、ケチだなぁ。夜久くんもダメ?」
「撮るなら出ていけ」
碧が春宮を摘まみ出そうとした。
「わかったよ、撮らないよ。離して」
掴んでいた襟首を、碧が離した。
小さな体が、ポトンと落ちた。
(あれ……?)
何を言うでもなく、春宮がちょっと照れた顔をしている。
てっきり、笑顔で嫌味でもいうのかと思った。
(あの反応、何?)
全然わからなくて、ちょっとだけ呆けた。
「そうそう、今日の放課後、朝比奈くんを借りるね。いつも一緒に帰っているんだし、たまにはいいよね」
「ダメだ」
にべもなく、碧が言い切った。
それはそうだろうと思う。
(一緒に帰ってることも、知ってるんだ)
それについてはクラス中が知っていると言って過言でない。
だから不思議ではないけど。
春宮とは、特に親しくもないのに覚えているのが、気持ち悪い。
「いいよね、朝比奈くん?」
春宮が僕に話を振ってきた。
碧に見えないように手元でスマホを振っている。
(動画……)
中休みに見せられた動画が頭の中をちらついた。
「今日は……春宮と帰る。碧、ごめん」
「なんで?」
碧の問い掛けは当然だ。
いつもの碧の反応だ。
「春宮が、そうしたいって」
「俺は嫌だ」
「だから、今日だけ」
「絢音は、本当にそうしたい?」
核心を突かれて、言葉を飲み込んだ。
帰りたいわけない。
また何を要求されるかわからない。
怖いけど、僕が何とかしないと。
碧も光飛も、大変なことになる。
「そう、したいよ。春宮と帰りたい!」
思ってもいないことを、僕は叫んだ。
隣で春宮が笑んだ。
「だってさ、夜久くん。朝比奈くん、借してね」
優越感たっぷりに、春宮が碧を眺めた。
「……お前の、名前、何?」
碧が春宮を睨みながら呻るように問い掛けた。
「僕の名前……覚える気もなかったんだ」
春宮が、ぽそりと呟いた。
「え……?」
「僕は春宮悠莉。朝比奈くんと同じ3組だよ」
春宮がいつもの笑顔で、もう一度自己紹介した。
「さぁ、お昼食べようよ。お腹空いちゃったぁ」
勝手に席について、春宮が食事を始めた。
僕と碧は顔を見合わせて、席に着いた。
碧の弁当を広げる。
今日は鮭フライだと、昨日話していた気がする。
食べてみたらやっぱり鮭フライだった。
(美味しい……)
碧の鮭フライが美味しくて、悲しくなる。
(僕のついた嘘、バレちゃった。どうしよう)
先生の呼び出しも、二者面談も、僕なりに会心の嘘だったのに。
そのことについて、碧は僕に追及してこない。
「お弁当まで一緒なの? すごーい。これ、フライ? 一個ちょうだい」
「え? うん……」
僕の弁当に春宮が箸を伸ばす。
その姿を、碧がピリピリしながら見詰めている。
いつもなら癒しの空間なのに。
今日は緊張しながら食べるランチになった。



