「キスしたら、俺の」――突然のキスで、勝手に恋人宣言されました

「日高、いる?」

 息を切らせて、教室の中を見渡す。
 驚いた顔の日高が振り返った。

「どうしたんだ?」
「ちょっと、来て」
「なんで……」

 困惑する日高の腕を引いて、僕は旧校舎の裏に連れて行った。
 ここなら、人も滅多に来ない。

「そんな走るか」
「だって、急ぎたくて」

 同じように走ったのに、日高はほとんど息が上がっていない。
 さすが、バスケ部だ。
 僕は、息切れが酷すぎてすぐには話せそうにない。

「大丈夫か?」

 日高が背中を摩ってくれる。
 こんな時まで優しい。

「あのね、日高。僕、ちゃんと返事したくて」

 日高の顔が強張った。

「あれは、冗談だよ。本気にしなくていいから」

 日高が顔を逸らした。

「冗談なんかじゃないだろ。誤魔化すなよ」

 腕を引いたら、逆に手首を掴まれた。

「じゃぁさ。本当に冗談じゃないって言ったら、朝比奈はどうすんの?」
「ちゃんと返事する」
「どんな返事?」

 そう問われて、僕は一瞬、言葉に詰まった。
 僕がする返事は、きっと日高が望む言葉じゃない。

「返事、できないんだろ」
「できないわけじゃ、ないけど」

 日高の望む返事はできない。
 僕らの間に、一瞬沈黙が降りた。

「……こんな風に気まずくなるのが嫌だから。冗談でなかったことにして。今まで通り、友達でいたいんだよ」

 日高が悲しそうに微笑んだ。
 胸が、ツキンと痛い。

(そこまで考えて、冗談にしてくれたんだ。なのに、僕は)

 自分の気持ちばかり優先して、突っ走った。
 やっぱり僕は、何もわかってない。

「じゃぁ、なんでキスした」

 後ろから、声がした。
 僕と日高が同時に振り返る。
 息を切らせて、碧が立っていた。

「碧……何で来たんだよ」
「寝ている絢音にキスしたの、日高だろ」

 僕の肩を掴んで引き寄せると、碧が前に出た。
 日高が、顔を強張らせた。

「朝比奈、気付いてた……?」

 日高が、自分の口を慌てて抑えた。
 咄嗟に口走ったらしい。
 
(気付いてた……ってことは、あれは夢じゃなくて、現実?)

 しかも、僕にキスした相手は碧じゃなくて、日高だったってこと?

「しっかり奪っておいて、元通りは虫が良過ぎる」

 碧の声が怒っている。
 日高が、ぐっと唇を噛んだ。

「あれは、勢いで」
「勢いで、ただの友達にキスするのか」

 日高が言葉を詰まらせた。

「……俺だって、チャンスが欲しかった」
「だったら、そう言えばいい」
「言えるワケ、ないだろ。朝比奈にとって、俺は友達なんだ」
「それ以上になりたくて、キスしたのに?」

 碧に責められて、日高が言葉を失くした。
 僕はおろおろしながら二人を見守った。
 どんな言葉をかければいいのか、わからない。

「だったら、どうすれば良かったんだよ」

 日高が呟いた。
 ぎゅっと拳を握る。

「一年の頃から、ずっと特別だった。好きだったけど、朝比奈が離れていくのが怖くて、言えなかった。今更、夜久に奪われるのなんか、本当は耐えられないんだよ!」

 日高が、碧に怒鳴りつけた。

「絢音は、俺の。奪ったのは日高」
「俺のほうが先に朝比奈が好きだった」
「俺は入学式から」
「は? 接点、ないだろ」
「そんなの、関係ない」

 日高が、わからない顔をしている。
 その気持ちはわかる。
 僕もそうだった。
 碧の言葉は慣れないと理解が難しい。

「日高のほうが、絢音と仲が良いと思う。だけど……」

 碧が僕の手を握った。

「絢音を好きな気持ちは、誰にも負けない」

 握った手から、言葉が流れ込む。

(あれ、碧……今、好きって言った?)

 僕のことを好きって言った。
 碧が、好きって言った。
 胸が震えて、ジワリと熱が滲む。
 目頭まで熱くなって、涙が零れそうになった。

「え? 朝比奈?」

 日高が驚いた顔で僕を見つめる。
 碧が振り返って、目を見開いた。

「絢音……?」
「碧が、初めて僕のこと、好きって言ったぁ」

「嬉しい」より、欲しかった言葉。
 碧の好きが、僕はずっと欲しかった。
 碧の腕が、囲うように僕を抱きしめた。

「好きだよ、絢音」

 耳元で、言葉を吹き込まれる。
 碧の指が、僕の涙を拭う。

「うん……」

 魔法にかかったみたいに、僕は素直に頷いた。

「はぁ……人のこと、煽っておいて。俺が入り込む隙なんか、最初からないじゃないか」

 日高が、深く息を吐いた。
 いつの間にか、蚊帳の外みたいにしてしまった。

「日高、僕……日高とは、友達でいたい。失いたくない、大事な友達だ」
「俺は朝比奈に、キス、したのに?」

 僕は、ぐっと息を飲んだ。

「俺も友達でいたいから、黙っておくつもりだったんだ。だけど、バラされちゃったから」

 日高が、碧をねめつける。

「本当にキスしていたら、殴ろうと思って来た」

 碧が拳を手にパンと当てる。

「待って、碧。殴るのはダメだ」

 僕は碧と日高の間に立った。

「それでも僕は、今まで通り日高と友達でいたいよ」

 さっきとは違う涙が、ジワリと滲む。

「今まで通り、ね。狡いな、朝比奈」

 日高が苦笑した。

「……ダメ?」

 日高が、僕と碧を見比べた。
 その視線を僕で止めた。

「俺も絢音って呼ばせてくれたら、今まで通りにする。俺のことも光飛って呼んでよ」

 隣の碧が、怒りのオーラを増した気がした。

「名前呼びなら、いいよ」

 元々仲が良いし、そんなに抵抗はない。
 僕はないけど。

「嫌だ」

 案の定、碧が却下した。

「夜久が来なければ、俺はキスのことを隠して大人しく身を引くつもりだったんだ。そうさせなかったのは、夜久だろ。拒否する権利、夜久にはないよ」

 自業自得感が半端ない。
 碧が何も言えなくなっている。

「俺は絢音に嫌われたくないから、これからも友達でいるけど。夜久と別れたら、また告るよ。チャンスが欲しいからね」

 日高が物騒なことを言い出した。

「そういう宣言は、ちょっと。友達っていったのに」
「その発言は地味に刺さるよ、絢音」

 そう言われると、僕も何も言えなくなる。

「別れない。絢音は、俺の恋人だ」

 碧が僕の肩を抱いた。
 顔が胸に押し当てられる。

「今は引くよ。俺だって、絢音を失うより、友達でいたいから」

 そういった日高の顔は、ちょっと切なそうで。
 振ったのは僕なのに、悲しい気持ちになった。
 抱きしめてくれる碧の温もりが、僕の悲しみや罪悪感を吸い上げてくれているみたいだった。