「キスしたら、俺の」――突然のキスで、勝手に恋人宣言されました

 その日は一日、何も頭に入らなかった。
 だけど、日高の態度はいつも通りで。
 ぎこちないのは僕のほうだった。

「朝比奈、教室移動だよ」
「あ、うん、わかった」

 バタバタと教科書を準備していたら、ペンケースを落とした。

「あ……」

 落ちたペンケースを拾い上げて、日高が渡してくれた。

「はい」
「ありがと」

 俯きながら受け取った。
 日高の顔が見られない。

「朝比奈、いつも通りにしててよ」

 日高の台詞に、僕は顔を上げた。
 困った顔で、日高が笑んでいた。

「日高、僕……」
「ほら、行こう」
「……うん」

 日高に促されて、僕は立ち上がった。

「何々? 二人、喧嘩でもした?」

 後ろから声を掛けられて、振り返った。
 クラスメイトの春宮悠莉が興味津々な顔をしていた。
 同じグループでもないし、普段はあまり話さない男子だ。
 声を掛けてくるのは、珍しい。

「喧嘩なんかしないよ。朝比奈、行こう」

 日高が僕の腕を引っ張った。

「つまんなーい。話そうよ」

 春宮を置いて、日高がズンズン歩いていく。

「アイツ、気を付けたほうがいい。噂の元って言われてる」

 日高が小さな声で教えてくれた。

「そうなの?」
 
 学年に一人はいそうな可愛い系男子だと思っていた。
 実際、春宮は女子の友達が多くて、僕とは違う意味でいつも囲まれている。

 僕は少しだけ後ろを振り返った。
 春宮が僕と目を合わせて、ニコリと笑んだ。

(無害そうな笑顔なのに)

 あの可愛い笑顔の裏に何が隠れているのだろう。
 そう考えるとちょっと怖い。
 僕は遅れないように日高に付いて歩いた。


 昼休みは、いつもの通り、旧校舎の空き教室に行った。
 折角、碧が唐揚げ弁当を作ってきてくれたのに、上の空だ。

「絢音、何かあった?」
「うん、あった」

 僕はぼんやりと答えた。

「何があったの?」
「日高に告られた」
「は?」

 碧があからさまに顔を顰めた。

「でも、返事する前に撤回された」
「撤回?」
「うん……やっぱ冗談って」
「それ、本当に冗談?」

 碧の問い掛けは、僕の気持ちと同じだった。
 あの時の日高は冗談の顔じゃなかった。

「……違うと思う」

 真剣に好きだと告げようとしてくれたんじゃないだろうか。
 僕が変な顔をしたから、途中でやめたんじゃないのか。
 自分がどんな顔をしていたか、わからないけど。

(日高は真剣だった)

 だからあんなに辛そうな顔をしていたんだ。
 僕はきっと、日高を傷付けた。
 なのに、返事すらまともにできなくて。

(何か誤解させていたら、嫌だ)

 男だからとか、日高が嫌だとか、そう言うんじゃない。
 そんな風に思われたくない。
 だけど、僕は日高に何て言うんだろう。

(碧の顔が浮かんだから……って、言うのか?)

 それも違う気がする。
 返事をしたいのに、なんて言えばいいのか、わからない。
 僕は机に突っ伏した。

「絢音⁉」

 碧にしては珍しく、驚いた声が聞こえた。

「僕、どうしたらいいのかな」
「断る」
「それは、そうかもだけど」
「絢音は俺の恋人だから」
「そう、だけど」

 お互い、好きを見付けるまでの恋人ごっこだ。
 だけど、碧はそう思っていない。
 だから、僕を恋人っていうけど。

(碧はいまだに僕に好きって言わない)

 僕のこと、好きになれていないんじゃないのかな。
 だから、言わないんだ。
 だったら、この恋人ごっこ自体、続ける意味はあるんだろうか。

(日高だったら、どうかな)

 一年の時から友達で、ずっと一緒にいる。
 気心の知れた相手だ。
 だけど、恋人は。

(少し違う気がする)

 日高とは、友達として隣にいるほうが、しっくりくる。

(そうだ……友達でいたいんだ)

 日高は失いたくない大切な友達だ。
 それを伝えるべきなんだ。
 自分の中で、結論が出た。
 僕は、すっくと立ちあがった。

「絢音?」
「日高に、返事してくる!」
「は? 今から? 一人で?」
「うん、行ってくる!」
「待って、絢音!」

 僕は教室を出て、自分のクラスに走った。
 碧の声は、今の僕の耳には入らなかった。