「キスしたら、俺の」――突然のキスで、勝手に恋人宣言されました

 碧の笑顔を見てから、僕は何日かぼぉっとしていた。
 
(嬉しくて、笑ったのかな。喜んでくれた?)

 ずっと笑わなかった男が見せた笑顔は、破壊力があった。
 僕の中の何かを確実に壊した。

(僕は何を壊されたんだろう)

 わからないけど、四六時中、碧のことばかり考えている。
 体育の授業で持久走を走っている今も、頭から離れない。
 離れな過ぎて、夜もあまり眠れない。

「朝比奈、大丈夫?」

 日高に声を掛けられて、僕は振り返った。

「大丈夫だけど。ダメに見える」
「顔、真っ白だけど、気分悪いんじゃないか?」
「そうなのかな」

 そういえば、視界が揺れるし、回る。
 日高に指摘されたら、気持ち悪くなってきた。

「ごめん、やっぱ、しんどいかも」
「やっぱり。無理するなよ、止まって」

 僕は走る足を止めて、その場に蹲った。
 眩暈がするし、気持ち悪い。

「吐きそう」
「先生、朝比奈が……」

 日高が先生に話してくれている。

「朝比奈、背中に乗って」

 日高が屈んで、僕に背中を向けた。
 フワフワした意識で、僕は日高の背中に乗った。
 
「保健室、連れて行くからな」
「ありがと、ごめん」
「気にしなくていいよ」

 日高の背中が熱い。
 さっきまで走っていたからだろうか。
 今も、若干小走りだけど。
 日高に背負われて、僕は保健室に連れて行かれた。

 水分をとって、ベッドに横になる。
 途端に眠気が襲ってきた。

「熱はなさそうだね。しばらく安静にしていようか」
「はい……」

 保健の石島先生が熱を測ってくれた。
 フワフワしたまま返事する。

「朝ご飯、食べた? 夜は寝てる?」
「最近、寝不足で」
「それが原因かもね。夜更かし、しないようにね」
「はい……」

 だって眠れないんだ。
 目を閉じると、碧の顔ばかり浮かぶから。
 
「俺は職員室に行ってくるから。日高、少し付いていてくれるか?」
「わかりました」

 石島先生と日高の会話を片耳に聞く。
 意識が徐々に沈んでいく。

(あ、眠れそう)

「朝比奈」

 沈みかけた意識が、少しだけ浮いた。
 でも、返事ができない。
 声は、聞こえるのに。

「……綺麗な顔」

 日高が僕の頬に触れた。
 その触れ方が、碧に似ていた。

(どうしたんだろう、日高。普段はこんなこと、しないのに)

「朝比奈、起きてる?」

 意識はかろうじてあるけど、目が開けられない。
 声が出せない。
 眠くて、返事ができない。

「寝てる、か」

 触れていた手が、離れた。
 次の瞬間、唇に温もりが触れた。
 温かい、この感じは。
 まるで碧の唇みたいだ。

(何が、どうなって……)

 碧はこの場にいないのに。
 じゃぁ、この温もりは、誰?

(日高じゃ、ないよな。こんなこと、するわけない)

 わからないまま、僕の意識は眠りに落ちて行った。

「……絢音」

 聞き慣れた声が聞こえて、僕は目を開けた。
 目の前に碧がいた。

「碧……どうしたの?」

 まだぼんやりしている。
 でも体と頭はすっきりした気がする。

「体育の時間に倒れたって聞いて、様子見に来た」
「聞いたって、誰に?」
「日高が、教えてくれた」
「そうなんだ……今、何時?」
「もう、昼休み。授業終わってる」
「マジか」

 結構、ぐっすり寝ていたらしい。
 
「水分、取る?」
「うん、取る。喉、カラカラ」

 僕は起き上がって、ペットボトルを受け取った。
 一気に半分くらい飲み干した。
 濡れた唇を拭う。

(そういえば、あの感触は、キスだったのかな)

 ちらりと碧を窺う。
 聞きたいけど、聞きづらい。

「ここで弁当食べて良いって、石島先生が言っていたけど。どうする?」
「あー、いつもの空き教室、行ったほうがいいかな」

 何となく、ベッドの上でご飯を食べる気になれない。

「着替え、日高が持ってきてくれた」

 ベッドの足元に、僕の制服が置いてあった。

「助かる。あとでお礼言わなきゃ」
「俺が言っといた」
「そうなの? ありがと」

 僕は首を傾げつつ、碧にお礼を言った。
 制服に着替えつつ、僕は何となく話を振った。

「あのさ、碧」
「ん?」
「寝てる時、僕に……キスしてないよね?」

 碧が黙り込んだ。
 したんだろうか。
 僕は碧を振り返った。

「してない。誰かにされたの?」

 碧の顔が険しい。
 嫉妬している時の顔だ。

「そういう夢を見ただけ、かも。ここのところ、ずっと碧のことばかり考えてるから……」

 誤魔化そうとして、うっかり言わなくていいことを言った。

「俺のこと?」
「な、何でもない!」

 僕はそそくさと着替えを済ませた。

「ホラ、もう行こう」

 立ち上がった碧が、ずいと僕に迫った。

「あ、碧?」
「俺のこと、考えてる?」
「それは、だから……」

 上手い誤魔化しが思い付かない。
 僕は目を逸らした。
 碧が、僕の手首を掴んだ。

「え? 何……え!」

 そのままベッドの上に押し倒された。
 両手首を押さえつけられる。
 体を押し付けられて、身動きが取れない。

「待って、碧……」
「俺にキスされる夢、見た?」

 碧の顔が近付く。
 僕は顔を逸らした。

「そうかも、しれない。感触が、した気がして」
「感触……」

 一瞬、碧が険しい顔をした。
 その顔が近付いて、唇が重なった。

「ん……」

 いつもより濃く触れている気がする。
 ねっとりと吸い上げて、舐め上げるようなキスだ。

(何で、こんな)

 下唇を食んで、碧が離れた。

「碧……わ!」

 手首を離した碧が、僕を抱きしめた。

「俺は、絢音の全部が一番だよ」

 碧の声が切なく響いた。
 ぎゅっと胸が切なく締まった。

(さっきのキスも、今までと違う。何で? どうしたんだよ)

 今の僕には、碧の言葉に答えられる言葉がない。
 まだ、自分の気持ちがわからない。

(一緒にいると、楽。一緒にいたい。碧が良い)

 どれももう、伝えている。
 
「僕は……」

 碧の耳に口を寄せた。

「碧とキスするの、嫌じゃない」

 本当に小さな声で、囁いた。
 碧が、がばっと顔を上げた。
 その顔に薄い笑みが昇った。

「絢音、顔、真っ赤」

 碧の指が頬を滑る。
 くすぐったくて、目を細めた。

「言葉にするのは、恥ずかしいよ」
「嬉しい」

 碧がまた僕を抱きしめた。
 嬉しいという碧の言葉に、物足りなさを感じた。
 こんな風に思ったこと、ないのに。
 自分が何を欲しがっているのか、わからなかった。