「キスしたら、俺の」――突然のキスで、勝手に恋人宣言されました

 碧と昼休み、一緒にご飯を食べるようになってから、一ヶ月が経った。
 最近、周囲が変わり始めている。

「朝比奈、夜久が呼んでる」

 教室の出入り口から、早瀬が声を張った。
 僕は鞄を持って、立ち上がった。

「ありがとう、早瀬」
「またね、朝比奈くん」

 佐田が僕に手を振る。

「じゃぁね、また明日」

 僕も手を振って、教室を出た。

「お待たせ、碧」
「ん、待ってない」

 僕らは並んで歩き始めた。
 何となくの視線は感じるけど、前ほど気にならなくなった。
 クラスの皆には、僕と碧が友達だと浸透したみたいだ。

「今日さ、寄り道したいんだけど、いい?」
「どこ?」
「本屋さん。好きな漫画の新刊、出るんだ」
「俺も行きたい」

 僕は、周囲を確認して、碧に顔を寄せた。

「それから、お菓子の本、ちょっと見たい」

 耳元でこそっと囁く。
 僕に合わせて屈んだ碧の肩が、ピクっとした。

「ネットで調べて作ったりもするんだけど。本を見ながら作るの、好きなんだよね」

 なんて話は、まだ恥ずかしい。
 自然と声が小さくなる。
 碧が、僕の手を握った。

「碧! まだ校内……」
「早く行こう。売り切れる前に」
「お菓子作りの本は、すぐに売り切れたりしないよ」

 僕は碧に引き摺られるように歩いた。
 駅前の本屋まで、早足を強いられた。
 お陰で本屋さんには、早く着いた。

 本屋さんのお菓子作りコーナーの前で、僕は悩んでいた。

(ケーキ系もいいけど、クッキー特集も捨てがたい……マカロンも作りたいな)

 いろんな本を見比べながら、吟味する。

(碧は何が好きなんだろう。何を作っても嬉しそうだけど)

 一番好きなお菓子って、そういえば聞いたことがない。
 僕は、本に手を伸ばした。
 隣から、誰かの手が伸びてきた。

「あ、ごめんなさい」

 女の子の声が聞こえて、隣に目を向ける。
 うちの学校の制服を着た、女子生徒だった。

「こちらこそ、すみません」

 先輩かもしれないし、とりあえず敬語で話しておく。

「あれ? 隣のクラスの……朝比奈くん?」

 名前を呼ばれて、彼女を凝視する。
 どこかで見たかもしれないが、覚えがない。

「えっと……僕のこと、知ってるの?」
「知ってるというか。3組の王子様って有名だから」
「そう、なんだ」

 まさか、クラス外でも王子様と呼ばれてるとは知らなかった。
 予想しなかったわけじゃないけど、あまり意識していなかった。

「今時、王子様なんて、揶揄っているみたいで嫌だよね」

 女子生徒が、クスリと笑った。

「いや、別に」

 悪気はなさそうだけど、ちょっと胸に刺さる。

「あ、ごめんなさい。私のことなんか、知らないよね。2組の箕輪由美っていうの。夜久くんと同じクラスだよ」
「何で、碧が出てくるの?」
「仲良しでしょ。毎日、一緒にいるよね」
「よく見てるね、箕輪さん」

 箕輪が微笑んだ。

「うん、見てる」

 ニコリと箕輪が笑った。
 どうしてか、その笑みに胸が騒いだ。

「朝比奈くん、お菓子作るんだね」
「え? うん……ただの趣味だよ」
「王子様の趣味、可愛いんだ」

 箕輪がクスクスと笑う。
 何となく、引っ掛かる言い方だ。

「私も好きなんだ、お菓子作るの」
「イメージ通りだね」

 大人しそうで、可愛らしい。
 きっとこういう子がお菓子を作るほうが、似合うんだ。

「朝比奈くんよりは、イメージ壊さないかもね」
「え?」
「ねぇ、オススメってある? 夜久くんが好きそうなお菓子って、知ってる?」
「何で、碧……あ」

 可能性なんか、一つしかない。
 この子は碧が好きなんだ。
 だから、碧のためにお菓子を作りたい。

「私の気持ち、気付いちゃった? 王子様は勘が良いね」

 箕輪が困ったように笑った。

(でも何で、碧がお菓子好きって知ってるんだろう。碧は、箕輪さんに話したのかな。自分が甘党だって)

 てっきり僕だけが知っている碧の秘密だと思っていた。

(好きだから、箕輪さんから聞いたのかな)

 それは、凄い勇気だ。
 僕には真似できない。

「仲が良いなら、私に協力してくれないかな。お願い、朝比奈くん」

 可愛くおねだりされた。
 胸にチクリと棘が刺さった。

(協力、したっていいじゃないか)

 箕輪が碧と恋人になれば、僕らの恋人ごっこは終わる。
 前と同じ生活が戻ってくる。

(今の僕は、前の僕に戻りたいだろうか)

 碧との恋人ごっこを終わらせたいだろうか。
 碧が他の誰かと付き合って、平気だろうか。

「朝比奈くん?」

 声を掛けられて、我に返った。

「朝比奈くんは皆の王子様だから、私のお願いも聞いてくれるよね?」

 箕輪が小首を傾げる。
 如何にも女の子で、可愛らしい仕草だ。

(そうだよ、こういう子を好きになればいいんだ)

 中途半端な王子様の僕なんかより、可愛い箕輪と付き合えばいい。
 僕は、小さく頷いた。

「いいよ。箕輪さんに協力するよ」
「わぁ、ありがとう。やっぱり朝比奈くんは優しいんだね」

 箕輪が、花が咲くように笑う。
 僕にはない可愛らしさだ。

「絢音、決まった……ん?」

 他を見て回っていた碧が戻ってきた。
 箕輪の姿に目を留めた。

「誰?」

 その一言に固まったのは、箕輪だった。

「や、やだぁ。同じクラスの箕輪由美だよぉ」
「そうだっけ」

 碧が全く興味を示さない。
 この感じは、名前を覚える気もない。
 その態度に、僕は安心した。

(箕輪さんはきっと傷付くのに。僕、性格悪いな)

 箕輪が僕に目を向けた。

「ねぇ、私も一緒に帰っていいよね?」
「え……」

 箕輪の目が、協力しろと言っている。
 僕は言葉に詰まった。

「ダメ」

 はっきり言い切って、碧が僕の手を握った。
 そのまま、本屋の出口に向かう。

「お菓子の本は、今度」

 そう言いながら、早歩きする。
 僕は、後ろを振り返った。
 唇を噛んだ箕輪が僕を睨みつけていた。
 嫌な予感が、胸を過った。