夕方近くになり、アリスは何となく体のだるさを感じていた。
リリスと夕食を作り終わり、食卓についたが食欲がない。
「アリス様、どうかなさいましたか?」
いつも通りアリスと一緒に食事をとっていたリリスが、食事が進まないアリスへ声をかける。
「少し、体がだるくて……。食べたくないの。今日はもう休むわ」
「お顔が赤いような……」
リリスが近づき、アリスの額へ手を当てる。
その表情がすぐに変わった。
「熱いですね」
自分でも額へ触れてみる。
確かに熱いような気はするが、手も熱を持っているせいかよく分からない。
「熱を測らないと」
リリスは独り言のようにつぶやき、慌てて体温計を持ってくる。
測り終えるまでの間にも、だるさは増していった。
やがて体温計を確認したリリスが目を見開いた。
「……四十度近くあります」
「四十度?」
数字を聞いた途端、更に具合が悪くなってくる。
「すぐにお医者さまを呼んでいただきますね」
「えぇ、お願い」
アリスはそう言ってから、ゆっくりと立ち上がり、寝室へと入っていった。
―――――――――――
塔の外にいた二名の護衛騎士は、リリスから事情を聞き、すぐに一名が王宮へ医師を呼びに向かう。
その頃、ウィルは一日の仕事を終え、王宮の食堂で簡単な夕食を済ませたところだった。
屋敷へ戻ろうと廊下を歩いていると、後ろから足早に近づいてくる気配に振り返る。
「団長」
騎士の表情を見て、ウィルは足を止めた。
「どうした」
「塔の護衛騎士から報告です。アリス様が発熱されました。四十度近い熱があるそうです」
ウィルの表情が変わる。
「医師は?」
「すでに塔へ向かっています」
「分かった」
ウィルもすぐに塔へと馬を走らせる。
塔に着き、二階へ上がっていくと、丁度リリスが階段を降りてくるところだった。
「ウィル殿下」
リリスは軽く頭を下げる。
「アリスの様子は?」
「とても辛そうにされています。熱が高いので、先ほど熱さましを飲まれました」
「医師はなんと?」
「はい、風邪だろうとのことでした。ただ、今夜は熱も高いので、二時間おきぐらいには様子を見るようにと言われました」
ウィルは頷いた。
「会いたいが、構わないか?」
「はい」
リリスは階段から降り、ウィルへ道を譲る。
――――――――
寝室へ入ってきたウィルを見て、アリスは驚いたように目を瞬く。
「ウィル様……?」
「具合は?」
「少し、だるいですが、ただの風邪ですから大丈夫です」
「そうか」
ウィルはベッドの近くまで来る。
「もう……お帰り下さい。風邪を移したら大変ですから」
ウィルはアリスの額にそっと触れてから、少し眉をひそめる。
――やはり、高いな。
「いや、風邪には子供の時以来かかっていない。オレの心配はしなくていい。今日は、ここの応接室に泊まらせてもらう」
「そんな……お疲れになりますから」
「いや、問題ない。それより、リリス一人では大変だろう」
アリスはぼんやりとした頭で、確かにそうかもしれないと思う。
「――甘えてしまってもいいのですか?」
「あぁ、当たり前だ。このまま屋敷へ戻っても心配なだけだからな」
「あの……本当はお顔を見られて嬉しいです」
アリスは本音をもらす。
その様子にウィルは口元を少しだけ緩める。
「時々、様子を見に来る。寝ていろ」
「……はい」
アリスが目を閉じるのを確認し、寝室を出ていった。
寝室を出ると、ウィルは応接室に泊まることをリリスへ伝えた。
「毛布をご用意いたします」
「いや、手間だろう。必要ない」
「すぐに、ご用意できますから」
「では、頼む。後は放っておいてくれて構わない」
リリスは頷くと、一階の物置にある箪笥から毛布を出してきて、応接室のソファーへ置く。
「すまないな」
「とんでもありません」
それから、ウィルは夜間の看病も申し出た。
「今夜はオレが見る。もう、休んでくれ」
リリスは驚いて振り返る。
「そういうわけには……。明日もお仕事へ行かれるのですよね?」
「二時間おきに様子を見るくらいなら問題ない」
「ですが……」
「明日も高熱が続く可能性はある。日中の看病を頼む」
ウィルは二階へ続く階段へ視線を向ける。
「何かあれば必ず声をかける」
リリスは少し迷ったあと、頷いた。
「……分かりました。アリス様をよろしくお願いします」
「あぁ」
リリスは、夜間に必要になりそうな物の場所を一つずつ伝えていく。
寝汗をかいた時のために、替えの寝間着も寝室の椅子の上へ用意してあった。
「もし、お一人でのお着替えが難しいようでしたら、私を呼んでください」
「分かった」
「それでは、お休みなさいませ」
「ゆっくり休んでくれ」
リリスは二階の自室へ戻っていった。
それからウィルは二時間おきに三階へ上がった。
一階で冷やしておいた氷枕を取り出し、水差しには新しい水と少量の氷を入れる。
寝室の前まで来ると、起こさない程度に控えめに扉を叩く。
返事がなければ少し待ってから中へ入り、水差しと氷枕を新しいものへ交換する。
二回目に寝室を訪れた時だった。
氷枕を交換するため、アリスの頭を持ち上げる。
「……ん……」
アリスのまぶたがゆっくりと開いた。
「……ウィル様?」
「起こしたか」
「……いえ」
だるさがあるのか、声にも力がない。
ウィルは新しい氷枕へアリスの頭を戻した。
「具合は?」
「だるくて……熱いです」
額へ右手を当てる。
熱さましの効果が切れてきたのか、先ほどより熱い。
「……また上がったな」
アリスは額に触れる手の冷たさに、気持ちよさそうに目を細めた。
「ウィル様の手……冷たくて、気持ちいいです」
その言葉に、ウィルは一瞬アリスを見つめる。
そして右手を額に当てたまま、空いていた左手を頬へ添えた。
「こちらもか?」
ひんやりとした手のひらに包まれ、アリスは目を閉じる。
「……はい」
しばらくすると、触れていた手にもアリスの熱が移り、次第に温かくなってきたため、ウィルは両手を離した。
アリスの視線が、ほんの一瞬離れていくその手を追った。
ウィルはベッドの傍にある椅子へ腰を下ろす。
「水は飲めそうか?」
「はい……少し」
アリスはゆっくりベッドから起き上がる。
新しく持ってきた水をコップへ注ぎ、アリスへ渡した。
「冷たくて……おいしいです」
ウィルは鏡台の上に置いてあった熱さましを手に取った。
「熱さましを飲んでおいた方がいい」
「はい」
薬を飲み終え、アリスは再び横になる。
その後も、アリスが眠るまでの間、時折短い言葉を交わした。
けれど、次第にアリスの返事が短くなっていく。
やがてウィルが言葉をかけても返事がなくなった。
見ると、アリスはいつの間にか目を閉じて眠っている。
しばらく寝顔を確認したあと、ウィルは立ち上がり、寝室を出ていった。
――――――――
早朝。
アリスは寝汗の不快感で目を覚ました。
体を起こしてみると、先ほどまでの倦怠感がかなり軽くなっている。
――熱が下がってきたのかしら。
寝間着が汗で湿っていたため、椅子に置かれていた替えのものを手に取る。
着替えている途中、扉がごく控えめに叩かれた。
「……ウィル様ですか?」
「オレだ」
「あの……今、着替えているので、少しだけお待ちいただけますか?」
「ああ。ゆっくりでいい」
アリスは時間をかけて着替えを済ませる。
「もう大丈夫です」
声をかけると、ウィルが新しい氷枕と水差しを持って入ってきた。
アリスの顔を見て、
「大分、下がったみたいだな」
「はい。随分楽になりました」
ウィルは氷枕と水差しを交換する。
「水は?」
「いただきます」
冷たい水を飲んで、アリスは息をついた。
「あの……お疲れではないですか?」
「ああ、大丈夫だ」
アリスはまだ少し心配そうだったが、それ以上は言わなかった。
「もう少し、寝ていろ」
「はい。おやすみなさい、ウィル様」
「ああ。おやすみ」
ほどなくして、アリスは再び眠りについた。
三階から下りてきたウィルは、二階から出てきたリリスと顔を合わせた。
「おはようございます。アリス様はいかがですか?」
「ああ。大分、熱は下がったようだ。今、また眠ったところだ」
リリスはほっと息をついた。
「よかった……」
二人で一階へ下りる。
「殿下、朝食になさいますか?」
「いや、大丈夫だ。王宮で食べる」
「パンとスープだけですが、私もこれから朝食をとりますから。私と同じものでよろしければ、後ほど応接室へお持ちします」
ウィルは少し考えてから頷いた。
「……そうか。なら、頼む」
「はい」
リリスが用意したのは、柔らかく煮た野菜と少量のベーコンが入った温かなスープとパンだった。
ウィルはそれを食べ終えると、もう一度三階へ上がった。
アリスが眠っていることを確認し、起こすことなく塔を後にした。
――――――――
次にアリスが目を覚ました時には、朝もだいぶ過ぎていた。
昨夜に比べれば、体は随分と楽になっている。
リリスが体温を測る。
「三十七度台まで下がっていますよ」
「よかった……」
アリスも安心して枕へ体を預けた。
「ウィル様は……?」
「もうお仕事に行かれましたよ」
「そう……」
少しだけ寂しいと思ってしまった。
――これ以上は、甘えすぎね。
「昨夜は、殿下が二時間おきに様子を見てくださったんですよ」
アリスは目を瞬いた。
「……二時間おきに?」
アリスが覚えているのは、目を覚ました二度だけだった。
――私が眠っている間にも、何度も来て下さっていたのね。
申し訳ない気持ちよりも、嬉しさの方が勝ってしまった。
けれど、すぐに別の心配が浮かんだ。
「……風邪、うつしてないかしら」
「殿下にですか?」
「ええ。何度も来てくださって……」
心配そうなアリスに、リリスは少し笑った。
「きっと大丈夫ですよ」
「そうだといいのだけれど……」
そう答えてから、今度はリリスを見る。
「リリスも、もうそんなに何度も様子を見に来なくて大丈夫よ」
「ですが――」
「もう熱も下がってきているし、寝ていれば治るわ」
アリスは枕元の水差しへ目を向ける。
「子供ではないのだし、何かあれば呼ぶわ。リリスにまでうつしてしまったら大変でしょう?」
リリスは少し考えてから頷いた。
「分かりました。でも、お食事とお薬の時間には伺いますからね」
「ええ。ありがとう」
ふと、昨夜、額と頬に触れたウィルの手を思い出した。
熱を持った肌には、その冷たさがとても心地よかった。
アリスは幸せな気分のまま、再び目を閉じた。



