初田ハートクリニックの法度

 本日最後の患者が帰り、初田はマスクを取って二階の居住スペースに移動する。

 一足先に戻っていたネルが鼻歌をうたい、おたまで鍋の灰汁(あく)をすくう。

「初斗にいさん、お風呂沸いてるよ。ご飯ができる前に入ってきたら?」

「ありがとう、ネルさん。そうさせてもらうよ」

 いつもならネルと手分けして夕食を作るが、今日はネルの厚意に甘えることにした。

 浴室に入って向かいには鏡が備え付けられている。

 初田は鏡から目をそらす。自分でも平也じゃないかと思うくらい同じ顔で、嫌になる。

 ネルが駅前で平也と遭遇してから、かなりの日数が経っていた。

 あのあと警察に目撃情報を提供したはいいものの、平也は全く捕まる気配がなかった。

 どこにいるかもわからないのに、鏡を見ればいつもそこに平也の顔があるのだ。

 我慢ならず、拳で鏡像を叩いた。

 じん、と痛みが広がる。

 シャワーのレバーを引いて、苛立った気分ごと洗い流す。