初田ハートクリニックの法度

 初田と礼美が話をしている同時刻。

 コウキが待合室で絵本不思議の国のアリスを読んでいると、受付のネルがカウンターから出てきた。

 黒髪を頭の左右上でお団子にまとめている。

 膝丈のワンピースにニットのカーディガンといういたってシンプルな服装。
 左胸には根津美と書かれた手書きの名札をつけている。

 そこまでは普通なのだが、ネルは左右バラバラの靴下をはいていた。
 右は短いピンク色の靴下、左はふくらはぎまである緑のハイソックス。

 靴下の間違いに気づいているのかいないのか、茶色のつっかけをペタペタいわせながらティーセットを運んできた。

「ええと、根津美さん。靴下……間違えてるよ?」

 指摘すべきか迷った末にコウキが教えると、ネルはお盆を差し出して、眠たげな声で言う。

「今はお茶の時間ですよー。もっと紅茶をたくさんどうぞ」

 コウキはちょうど、絵本を読み終えていたので、理解した。

 お茶会のセリフそのものだ。

「まだ一口も飲んでいないのだから、もっとたくさん飲めなんて失礼だよ」

「ゼロからもっと少なく飲むなんてできないでしょう?」

 コウキの返しに、ネルも絵本のセリフを続けた。

 この会話に意味なんてないのに、コウキはなんだか楽しいと感じた。

 誰かと同じ話題を共有できるというのはこういうものなのかと。