初田ハートクリニックの法度

 今日初めて来院した男性は、初田と同じ年齢で、仕事に支障が出て悩んでいた。

「上司はその日の気分で言うことがかわって、つらいんです。割り振られた仕事だけをこなしていると、“言われたことしかできない無能”と言われます。だからできることを探してやろうとすると“指示にないことを勝手にするな”と怒鳴られる。他の人は同じことをしていて褒められる。最近は凡ミスばかりで残業することになってさらに怒られて……僕、もう仕事をしていける自信がありません」

 男性の視線はずっと膝の上で握った手に注がれていて、声に覇気がない。

 心がかなり弱っているのが見て取れた。

「それはお辛かったですね。問診票には長いこと眠れていないとありますが」

「はい。ここ三か月、夜中に何度も目覚めてしまって……」

 精神的にかなりのストレスを抱え、不眠の症状も伴っている。

 見た目にもクマがひどく、顔色が優れない。

 適応障害だ。

 まともに眠れなくなった原因が職場、それも今の上司にあるなら、そこに居続けると悪化の一途をたどる。

「あなたは今、適応障害と呼ばれる状態になっています。心が“もう頑張れない”と悲鳴を上げて、体に不調が出てしまっているんです。職場の上の人間と相談して、可能なら負担の少ない部署に転向、もしくは休職することをおすすめします」

「でもギリギリでまわっているので、僕が休んだらほかの社員に迷惑が」

「責任感が強いのは立派なことですが、睡眠不足で判断力が鈍り、失敗が増える。失敗が増えるから焦り、残業が増えて睡眠不足になる。悪循環です。あなたに必要なのは、心と体の療養。診断書を出しますから、上司に文句を言われたら“主治医の命令に逆らえません”と言っておやりなさい」

 ネルのように過眠症で困る人間もいれば、この男性のように不眠になる人間もいる。

 睡眠一つとってもちょうどいいバランスをとるのが難しい。人間とは不思議な生き物だと、初田は思う。