俺だけが知らない君の好き





「一年生の皆さん、テニスサークルにようこそ。うちはインカレサークルなのでいろんな大学が集まっています。今日は楽しく、飲んで食べて、先輩たちや他校の人とも親睦を深めて下さい」
 低くて落ち着いた声。サークル紹介をしているだけなのに、すっかり聞き惚れた。俺だけじゃなくて、他の一年生たちもうっとりした顔で声の主を見ている。
「それではかんぱーい!」
「乾杯!」と次々に声が飛び交って、辺りが一気に騒がしくなった。
 乾杯の音頭を取ったイケメンは、入学式の日、俺に声をかけてくれた人で、経済学部三年生の朝陽さん。
「初心者、経験者とも大歓迎!テニスサークル入らない?」
その一言で、俺の中の何かが変わった気がした。うまく言えないけれど。そして気づいたらその場で頷いていた。
中学から六年間、テニスコートの上でだけは人見知りの俺も無敵で、ラケットを握れば知らない相手とも目を合わせられたし、ボールを打てば声も出せた。でも、テニスがないと友達すらもろくに作れないし、友達と呼べる人も片手で事足りる。
そんな俺が、なぜか朝陽さんに心の一部を持っていかれたまま全然戻ってこない。
交友関係初心者の俺は、この気持ちをどうにかするスキルなんかなくて、とにかく想うだけだった。ただ、一緒にテニスできたらなぁくらいは思っていたけれど。でも……
まさか三回目の活動日まで、握るのがジョッキだけになるとは思わなかった。
「こた、飲んでる?」
 斜め前の朝陽さんから声をかけられて、俺は反射的に口角を上げる。
「は、はい!大丈夫です!」
――あ、声裏返ってもた。絶対変な人や思われる。
 心の中で即座に反省会が開かれる。
こんな大人数の集まりで、ただでさえ緊張してるのに。副部長で、みんなが一目置く朝陽さんに話しかけられると、心臓が勝手に跳ねる。垂れ目がちの目でふっと微笑まれた瞬間、頭の中が真っ白になって、思わず目を逸らしてしまった。
テーブルの向こうでは、先輩たちがいい感じに酔い始めていて、誰一人としてテニスの話なんてしていない。
周りを見渡すと、一年生たちはすでに完璧な「新歓の作法」をこなしていた。
雑誌で読んだ『デキる後輩の立ち回り』を実践するなら、今しかない。
俺は膝の上でぎゅっと拳を握り、意を決して瓶ビールに手を伸ばした。
「あ、お注ぎします!」
横の席に座る男の先輩に満面の笑みを向けた。けれど緊張で指先が震えて、泡ばかりがグラスに溜まる。
「ははは、大丈夫だよ。ありがとう」
 失敗したのに、先輩は優しく微笑んで受け取ってくれた。
――まだ、何かせんとあかんよな……
「あ、だし巻き、お取りしましょうか?」
 意を決して、向かいに座る女の先輩に声をかけた。巻き髪で、指先には信じられないほど長いネイルが光っている。
「食べたいものは自分で取るから大丈夫」
 俺は見事に一言で切り捨てられた。バサバサと音が鳴りそうなほど立派なまつ毛が、瞬きのたびに揺れる。その視線は俺を素通りして、隣に座る朝陽さんに一直線やった。
――その爪、ラケット握れるんかな
 なんて場違いなことを考えている自分に、心の中でツッコミを入れる。
正直、早く帰りたい。でも、ここで空気壊すようなことはできないし、したくない。
俺はトイレに逃げ込むと、個室の鍵をかけて盛大にため息をついた。
「ふぅ……」
 拳を握りしめる。
 そう、俺はまごうことなき大学デビュー組だ。
上京前、数少ない友達に「お前、ほんまイモっぽいで。ちゃんと垢抜けな、大学でボッチやぞ」と言われる始末。
眼鏡はコンタクトに変えた。前髪も整えた。服だって、雑誌を三冊読んで揃えた。
それでも、中身までは東京についてきてくれなかった。
――あーあ、なんも変わってへんな、俺。
朝陽さんみたいに誰からも愛される陽キャなるって決めたのに、すぐコミュ障が顔を出してまう……
そんなことを考えていると、ますますここから出たくなくなる。意味もなくスマホをいじる手が止まらなくなった。
トイレから出ると、廊下の壁に朝陽さんが寄りかかって立っていた。
「えっ……朝陽さん?」
 驚いて声が裏返る。
「ずいぶん戻ってこないから、心配になっちゃって」
「す、すいません。大丈夫です」
 そんなに長い間籠ってしまったんかと思うと、気まずさが半端ない。
 ふと、顔をのぞかれた。
「……こた、帰りたい?」
「あ、えっと……」と言葉に詰まる俺を見て、朝陽さんは小さく笑った。
「じゃあ帰ろう」
「え、でも……」
 二次会、という単語が喉まで出かかる。ここで抜けたら、「あいつノリ悪い」って思われるんじゃないか?
心配をよそに「二次会は、俺が欠席を許可します」と言って、朝陽さんは俺の背中を押して店の外に連れ出した。そして駅へと歩き出す。
「え、あの、どこへ……」
「とりあえず、ちゃんと飯食べさせる」
「へ?」
「今日、あんまり食べてないでしょ?」
「えっ……」
「付け合わせの葉っぱは結構食べてたけど、唐揚げとか一つも食べてないでしょ?」
――葉っぱって……
「……見てたんですか」
「見てたよ。だし巻き断られたあと、三分くらい箸袋折ってたのも」
 朝陽さんは肩を震わせて笑いをこらえている。っていうか、自分がダサすぎて凹む。
 ――くそっ。コミュ障が隠しきれない……
「こた、飲み会苦手でしょ」
「あ、え、いや、あ、あああの……」
 心の内側をそのまま読まれたみたいで、うまく言葉が出てこない。
「ははは。大丈夫だよ」
「……っす、すみません」
「全然!責めてないよ。俺も何回新歓やんだよって思ってるからね」
 ――俺だけやないんや……
それを聞いて、ちょっと肩の力が抜けた。
 シャッターが閉まった商店街の中、ちらりと見た横顔は近くで見ても全く隙がなかった。すっと通った鼻筋も、伏せた目元に落ちる影も、俺とは何もかも違う。
――これは同じ人間なんやろか……
「こた?」
「あ、は、はい」
「ふふ、こたさ、俺らのサークルのこと、普通のテニサーって思ってるんじゃない?」
 俺の頭にはハテナが飛び交った。朝陽さんは何当たり前のことを言ってるんだろうか。
「そ、それ以外に何があるんですか?」 
 俺は真顔で、真面目に、真剣に聞いた。
「はははははは、やっぱり!もう、ほんとにこたは裏切らないね」
 端正な顔が、くしゃっと歪む。
「な、何がですか……」
 俺は恐る恐る聞いた。
「こた、この大学のテニスサークルなんてほとんど飲みサーだよ。本気でテニスするなら部活に入らないと。俺らの活動はテニス二割、飲み八割だよ」
「ええええ――……。そうなんですか。まじで知らんかった……」
「だろうねぇ。新歓の時、なんで居酒屋?って不思議そうな顔してたもんね。俺、初回の新歓でラケット持ってきたやつ初めて見たよ」
「ま、まじか……」
「うん。まじまじ」
「都会の作法、めっちゃむずいっす……」
「都会の作法って!でも、その時に俺、絶対この子と仲良くなろうって思ったんだよね」
 ――えっ……それってどういうこと?
 とは言えず、「……朝陽さん、変わってますね」と誤魔化した。
「ははは。そうかも。でもこたには言われたくないなぁ」
朝陽さんは声をあげて笑った。勧誘のときの爽やかな笑顔とは、なんか違う。
 俺との会話でこんなに笑う朝陽さんは、ちょっと可愛かった。
「っていうことで、こたの腹を満たすためにラーメン行こうと思ってて、そんでもう勝手に向かってるんだけど、こたはラーメン好き?」
「好き!めっちゃ好きです!」
つい、くい気味に言ってしまい自分の頬が火照っていく。
朝陽さんは一瞬黙って、口元を手で覆った。
「好き……うん。好きでよかったよ、ラーメン……」
「あ、えっと、お好み焼きの次に好きです……特に豚骨。コテコテのやつが好きです」
「ふふ、今から行くとこ、豚骨あるよ」
「まじっすか!うわー、どんな麺かなぁ」
高校のときは、練習帰りによく部活メンバーとラーメン屋を巡った。汗をかいたあとに食べる脂の浮いた豚骨ラーメンが最高やった。
「こたは好きなことになると饒舌になるね」
「えっ、うわ、はず……俺、思ってること顔に全部出てんでってよく言われるんですよね」
「顔だけじゃなくて、声にも態度にも全部出てるよ」
「うわ、えぇ……最悪やん……」
「なんで?分かりやすくて可愛いのに」
 ――えっ……
「……可愛い?っすかね?俺はもっとスマートになりたいんですけどね。朝陽さんみたいに」
「……お、俺?」
 朝陽さんの瞳が、明らかに揺れた。
「はい。誰とでも話せるし、服もおしゃれやし、気遣いもできるし。なによりめっちゃイケメンで大人って感じが出てるんすよ。俺も、朝陽さんみたいに……なれたらなって……思ってます……」
またぺらぺらと余計なことを話してしもたと、途中で気づく。
――さっき声にも態度にも出てるって言われたばっかりやのに……
朝陽さんは目を丸くしたあと、口元を手で覆った。
「……そんな、めっちゃ褒めてくれんじゃん」
 そう言ったきり、朝陽さんは視線を落とした。耳の先が、ほんの少し赤く染まっている。
「……ならなくていいよ」
「え?」
「こたは、そのままの方がいいと思う」
 顔を上げたときにはもう、いつもの余裕そうな朝陽さんだった。
「あの、そのままって……」
「あ、ほら。あの角の店」
 聞き返そうとしたのに、朝陽さんの指先につられてしまった。
店の前に着いた瞬間、俺は思わず二度見した。
「……ここ、ですか?」
 目の前にあったのは、赤提灯が半分色褪せた、お世辞にも綺麗とは言えないラーメン屋だった。
――朝陽さんが、こんな店に……?
「意外?」
俺の顔を見て、朝陽さんが笑う。
「正直、めちゃめちゃ意外です。なんていうか、もっとおしゃれなお店に行くイメージやったんで……」
「ここが一番美味いんだよ。ほら、行こう」
引き戸の向こうには、年季の入ったカウンターと赤い丸椅子。
――うわ、めっちゃ落ち着く……
 豚骨の匂いに、麺を啜る音。なんか、それだけでほっとする。
 さっきまでずっと引きつっていた頬が、今は自然に緩んでいる。
「こた、なんか楽しそうだね」
「あ、いや、その……なんかこういう店の方が、性に合うっていうか……」
 空いていたカウンター席に、朝陽さんと並んで腰掛ける。
 ――距離が近い……
「何にする?」
「いやぁ、豚骨一択ですかね。あ、でも餃子もうまそう」
「頼もうよ。一緒に餃子食べよ」
 朝陽さんは店主に向かって声をかけた。
「すいません。豚骨二つと、餃子一つで」
「あいよ!」
――なんか、めっちゃ腹減ってきた。
と思ったら、腹の虫がぐうっと鳴った。
「ははは、一応さっきまで居酒屋いたのにね」
「恥ずすぎる……」
ラーメンがカウンターに運ばれ、俺は豚骨の匂いを存分に堪能した。そして夢中で麺を啜ったその時、白いシャツに豚骨の汁が飛んだ。
「あっ……」
今日一日かけて築いた都会の大学生が、一滴の汁で崩壊する。
「やっぱ白、やめとけばよかった……」
「大丈夫。そこまで誰も見てないよ」
「朝陽さんは絶対見てたやないですか!」
「うん。俺は見てた」
「えぇ、もう……」
なんで朝陽さんの前ではこうも格好の悪いところばかり出てしまうんだろうか。
二人とも食べ終わって、朝陽さんは伝票を取ると大将に二人分の代金を手渡した。
「え、待ってください。俺の分――」
「いいの、いいの」
 払いますという俺の言葉にかぶせて、朝陽さんは俺の財布を手のひらで押し返す。
「もぉー、さすがにこれくらいはおごらせてくれないと。カッコつかないじゃん」
 そう言って、俺の頭をポンポンすると、ふっと目を細めて笑った。
 ――やることがスマートすぎる……
 唐突に頭ポンポンとか、都会の人は距離感バグってんのか?と思いつつも、頭に触れた手の感触はいつまでも消えてくれなかった。