俺だけが知らない君の好き






「テニスサークルにようこそ!」
「いえーい!」
「おつかれぃ!」

テニスサークルに入って三回目の活動日。やけど、これまで俺が握ったのはラケットやなく、ジョッキばっかりやった。
入学式の日、キャンパスの桜の下で声をかけてくれたのが、経済学部三年生の朝陽さんやった。 

「経験者、大歓迎!」

物腰柔らかい話し方と爽やかな笑顔に、俺は迷わず頷いた。
中学高校と六年間、テニス部で真っ黒に日焼けした俺にとって、大学でもテニスができる。それだけで、知らん人だらけのキャンパスがちょっと心強くなった。
やのに。
俺はまだ一度もラケットを握ってない。

「こた、飲んでる?」

 斜め前の朝陽さんから声をかけられて、俺は反射的に口角を上げる。

「は、はい!大丈夫です!」

――あ、声裏返った。絶対変な人や思われた。
 心の中で即座に反省会が開かれる。
テーブルの向こうでは、先輩たちが楽しそうにコールを始めていて、誰一人としてラケットの話なんてしてへん。
周りを見渡すと、同級生の一年生たちはすでに完璧な「新歓の作法」をこなしていた。
雑誌で読んだ『デキる後輩の立ち回り』を実践するなら、今しかない。
俺は膝の上でぎゅっと拳を握り、意を決して瓶ビールに手を伸ばした。

「あ、お注ぎします!」

横の席に座る男の先輩に満面の笑みを向けたつもりやった。けれど、緊張で指先が震えて、トクトクと頼りない音を立てて泡ばかりがグラスに溜まる。

「ははは、大丈夫だよ。ありがとう」

 ――失敗した……のに、先輩は優しく微笑んで受け取ってくれた。
まだ、何かせんとあかんよな……

「あ、だし巻き、お取りしましょうか?」

 意を決して、向かいに座る先輩に声をかけた。巻き髪で、指先には信じられないほど長いネイルが光っとる。

「食べたいものは自分で取るから大丈夫」

 俺は見事に一言で切り捨てられる。バサバサと音が鳴りそうなほど立派なまつ毛が、瞬きのたびに揺れる。その視線は俺を素通りして、隣に座る朝陽さんに一直線やった。
――その爪、ラケット握れるんかな
 なんて場違いなことを考えている自分に、心の中でツッコミを入れる。
正直、早く帰りたい……でも、ここで空気壊したらあかんし。
俺はトイレに逃げ込むと、個室の鍵をかけて盛大にため息をついた。

「ふぅ……」

 拳を握りしめる。
 そう、俺はまごうことなき大学デビュー組や。
上京前、幼馴染に「お前、ほんまイモっぽいで。ちゃんと垢抜けな、大学でボッチやぞ」と言われる始末。
眼鏡はコンタクトに変えた。前髪も整えた。服だって、雑誌を三冊読んで揃えた。
それでも、中身までは東京についてきてくれへんかった。
――あーあ、なんも変わってへんな、俺。
朝陽さんみたいに、誰からも愛される陽キャになるって決めたのに。大人しく、関西の大学に行った方がよかったんかもしれん。
そんなことがふと、頭をよぎる。気づけば意味もなくスマホをいじる手が止まらなかった。
トイレから出ると、廊下の壁に朝陽さんが寄りかかって立っとった。

「えっ……朝陽さん?」

 驚いて声が裏返る。いつから、ここにおったんやろう。

「ずいぶん戻ってこないから、心配になっちゃって」

「す、すいません。大丈夫です」

 そんなに長いこと籠ってしまったんやと思うと、気まずさが半端ない。

「……こた、帰りたい?」

「あ、えっと……」と言葉に詰まる俺を見て、朝陽さんは小さく笑った。

「じゃあ帰ろう」

「え、でも……」

 二次会、という単語が喉まで出かかる。ここで抜けたら、「あいつノリ悪い」って思われるんやないか……?

「二次会は、俺が欠席を許可します」

 気づけば俺は、朝陽さんに手を引かれて店の外に連れ出されていた。そして朝陽さんは駅へと歩き出す。

「え、あの、どこへ……」

「とりあえず、ちゃんと飯食べさせる」

「へ?」

「今日、あんまり食べてないでしょ?」

「えっ……」

「付け合わせの葉っぱは結構食べてたけど、唐揚げとか一つも食べてないでしょ?」

――葉っぱって……

「……見てたんですか」

「見てたよ。だし巻き断られたあと、三分くらい箸袋折ってたのも」

 朝陽さんは肩を震わせて笑いをこらえている。っていうか、自分がダサすぎて凹む。
 ――くそっ。コミュ障が隠しきれない……

「んでさ、こた、飲み会苦手でしょ」

「あ、え、いや、あ、あああの……」

 心の内側をそのまま読まれたみたいで、うまく言葉が出てこなかった。

「ははは。大丈夫だよ」

「……っす、すみません」

「全然!責めてないよ。俺も何回新歓やんだよって思ってるからね」

 俺だけやないんや。それを聞いて、ちょっと肩の力が抜けた。
 ちらりと見た横顔は、近くで見ても隙がなかった。すっと通った鼻筋も、伏せた目元に落ちる影も、俺とは何もかも違う。
――これは同じ人間なんやろか……

「こた?」

「あ、は、はい」

「ふふ、こたさ、俺らのサークルのこと、普通のテニサーって思ってるんじゃない?」

 俺の頭にはハテナが飛び交った。朝陽さんは何当たり前のことを言っとるんやろうか。

「え、それ以外に何がある言うんですか?」

 俺は真顔で、真面目に、真剣に聞いた。

「はははははは、やっぱり!もう、ほんとにこたは裏切らないね」

 端正な顔が、くしゃっと歪む。

「な、何がですか……」

 俺は恐る恐る聞いた。

「こた、この大学のテニスサークルなんてほとんど飲みサーだよ。本気でテニスするなら部活に入らないと。俺らの活動はテニス二割、飲み八割だよ」

「ええええ――……。そうなんですか。まじで知らんかった……」

「だろうねぇ。新歓の時、なんで居酒屋?って不思議そうな顔してたもんね。俺、初回の新歓でラケット持ってきたやつ初めて見たよ」

「ま、まじか……」

「うん。まじまじ」

「都会の作法、めっちゃむずいっす……」

「都会の作法って!でも、その時に俺、絶対この子と仲良くなろうって思ったんだよね」

「……朝陽さん、変わってますね」

「ははは。そうかも。でもこたには言われたくないなぁ」

朝陽さんは声をあげて笑った。勧誘のときの爽やかな笑顔とは、なんか違う。
 俺との会話でこんなに笑う朝陽さんは、ちょっと可愛かった。

「っていうことで、こたの腹を満たすためにラーメン行こうと思ってて、そんでもう勝手に向かってるんだけど、こたはラーメン好き?」

「好き!めっちゃ好きです!」

つい、くい気味に言ってしまった。
朝陽さんは一瞬黙って、口元を手で覆った。

「好き……うん。好きでよかったよ、ラーメン……」

「はい!お好み焼きの次に好きです!特に豚骨っすね。コテコテのやつが好きです」

「今から行くとこ、豚骨あるよ」

「まじっすか!うわー、どんな麺かなぁ」

高校のときは、部活帰りによくメンバーとラーメン屋を巡った。汗をかいたあとに食べる脂の浮いた豚骨ラーメンが最高やった。

「こたは好きなことになると饒舌になるね」

「えっ、うわ、はず……俺、思ってること顔に全部出てんでってよく言われるんすよ」

「顔だけじゃなくて、声にも態度にも全部出てるよ」

「うわ、えぇ……最悪やん……」

「なんで?分かりやすくて可愛いのに」

「……可愛い?っすかね?俺はもっとスマートになりたいんですけどね。朝陽さんみたいに」

「……お、俺?」

「はい。誰とでも話せるし、服もおしゃれやし、気遣いもできるし。なによりめっちゃイケメンで大人って感じが出てるんすよ。俺も、朝陽さんみたいに……なれたらなって……思ってます……」

またぺらぺらと余計なことを話してしもたと、途中で気づく。
――さっき声にも態度にも出てるって言われたばっかりやのに……

「……ならなくていいよ」

「え?」

「こたは、そのままの方がいいと思う」

「そのままって……」

「あ、ほら。あの角の店」

 聞き返そうとしたのに、朝陽さんの指先につられて顔を上げてしまった。
店の前に着いた瞬間、俺は思わず二度見した。

「……ここ、ですか?」

 目の前にあったのは、赤提灯が半分色褪せた、お世辞にも綺麗とは言えないラーメン屋やった。
――朝陽さんが、こんな店に……?

「意外?」

俺の顔を見て、朝陽さんが笑う。

「めちゃめちゃ意外です。なんていうか、もっとおしゃれなお店に行くイメージやったんで……」

「ここが一番美味いんだよ。ほら、行こう」

引き戸の向こうには、年季の入ったカウンターと赤い丸椅子。
――うわ、めっちゃ落ち着く……
 豚骨の匂いに、麺を啜る音。なんか、それだけでほっとする。
 さっきまでずっと引きつってた頬が、今は自然に緩んでる。

「こた、なんか楽しそうだね」

「あ、いや、その……なんかこういう店の方が、性に合うっていうか……」

 空いていたカウンター席に、朝陽さんと並んで腰掛ける。

「何にする?」

「豚骨一択です!あと、餃子も……いいですか?」

「もちろん」

 朝陽さんは笑いながら、店主に向かって声をかけた。

「豚骨二つと、餃子一つで」

「あいよ!」

 威勢のいい返事が返ってくる。カウンターの向こうでは、湯気が立ち上る。
――なんか、めっちゃ腹減ってきた。
と思ったら、腹の虫がぐうっと鳴った。

「ははは、一応さっきまで居酒屋いたのにね」

「恥ずすぎる……」

ラーメンがカウンターに運ばれ、俺は豚骨の匂いを存分に堪能した。そして夢中で麺を啜ったその時、白いシャツに豚骨の汁が飛んだ。

「あっ……」
今日一日かけて築いた都会の大学生が、一滴の汁で崩壊した。

「やっぱ白、やめとけばよかった……」

「大丈夫。そこまで誰も見てないよ」

「朝陽さんは絶対見てたやないですか!」

「うん。俺は見てた」

「えぇ、もう……」

なんで朝陽さんの前ではこうも格好の悪いところばかり出てしまうんやろうか。
二人とも食べ終わって、朝陽さんは伝票を取ると、大将に二人分の代金を手渡した。

「え、待ってください。俺の分――」

「いいの、いいの」

払いますという俺の言葉にかぶせて、朝陽さんは俺の財布を手のひらで押し返す。

「もぉー、さすがにこれくらいはおごらせてくれないと。カッコつかないじゃん」

そう言って、俺の頭をポンポンすると柔らかい笑みを浮かべた。
――やることがスマートすぎる……
唐突に頭ポンポンとか、都会の人は距離感バグってんのか?
俺の中で、また朝陽さんへの尊敬が一段階上がった。