王子様と呼ばれる先輩を餌付けしたら、毎日会いに来るようになりました。

「直、起きて……」
 
 僕はふわふわとした夢心地のまま、温かいものに包まれていた。
 どこか心地よい匂いに安心して、無意識に柔らかな感触に頬擦りをする。

「くくく、そんなに俺の匂いが好きなのかな?」

 何かが僕の頬を触れる。
 ゆっくりと目を開けると、そこには朝陽先輩がニコニコしながら、こっちを見ていた。

「朝陽先輩……?」
「ご飯ができたよ」

 その言葉に僕はハッとする。
 いつの間にか朝陽先輩のベッドを背もたれに寝ていたようだ。

「布団をかけてもらったんですね」

 自分の体にグルグルと巻きつけてある掛け布団をベッドに戻す。
 だけど、朝陽先輩は何か言うわけでもなくニヤニヤとしていた。

「俺がかけてないことは言わないほうがいいのか……?」
「何か言いました?」
「いや、気にしなくていいよ。親子丼が冷めるから向こうに行こう」

 ボソッと何か朝陽先輩が呟いていたけど、どこかまだ覚めていない脳は聞き取れなかった。
 ゆっくりと体を動かして、僕は居間まで向かう。

「いい匂いがしますね」
「思ったよりも上手くできたかも」

 テーブルの上には湯気が上がり、できたばかりの親子丼とお味噌汁が置いてあった。
 少し親子丼に火が通り過ぎて、卵が固まってはいるけど、美味しそうなのは変わらない。
 僕が椅子に座ると、朝陽先輩がジーッと僕の方を見ていた。

「そんなに見つめられると食べづらいです」
「それもそうだね」

 今日はやけに朝陽先輩が僕を見ている気がするけど……。
 きっと感想を早く聞きたいのだろう。

「朝陽先輩が僕の食べる姿を見ているって不思議ですね」
「そうかな? 普段も直が食べている時に見ていたよ?」

 今まで見られていたとは気づかなかった。
 尚更、朝陽先輩と一緒に食べるのが恥ずかしくなってくる。

「もう朝陽先輩とは食べないです……」
「えっ……」

 チラッと見ると、親子丼を食べようとしていた朝陽先輩の手が止まっていた。
 まさかまた一緒にお弁当を食べることを期待しているとは思わなかった。
 寂しいと思っていたのは僕だけではないようだ。

「冗談ですよ」
「そうか……よかった」

 朝陽先輩は安心したように小さく息を吐いた。

「朝陽先輩、冷めちゃいますよ」
「急いで食べないとな」

 そう言って、僕たちは親子丼を口に運ぶ。
 半熟ではないため、とろけるような美味しさはないけど、どこか懐かしい味に僕はつい頬が緩んでしまう。

「んー、やっぱりこの間作ったやつの方が美味しいな」

 目の前では首を傾げているが、僕にとっては朝陽先輩が初めて一人で作った親子丼が美味しく感じた。
 それに僕が初めて一人で作った時と、同じような味がする。

「すごく美味しいですよ」
「本当か?」
「うん」

 お味噌汁もすごく美味しいかと言えば嘘になる。
 だけど、心が温まって気持ちがこもった料理だ。

「これならお母さんも喜んでくれますね」
「ああ、そうだな!」

 嬉しそうに喜ぶ朝陽先輩と目が合う。

「でも、直が一番初めに食べてくれてよかった」

 ニコリと笑う姿に僕は視線を外した。

「ぼっ……僕が朝陽先輩の料理の先生ですからね! しっかり味見しないと」

 僕はその後も朝陽先輩の料理を食べていく。
 僕が教えた料理だけど、作る人によって全く味も違ってどれも美味しい。

 食事を終え、朝陽先輩が食器を片付けようと立ち上がる。

「あっ、僕が洗いますね」
「今日は俺が招待したんだから、直は座ってて」
「でも……」
「先生には休んでもらわないとな」

 そう言って笑う朝陽先輩に、僕は思わず言葉を失う。
 いつもは僕が作ったお弁当を、朝陽先輩が嬉しそうに食べてくれる。
 それがいつの間にか僕の日常になっていた。
 だけど、今日は違う。
 朝陽先輩が僕のために作ってくれた料理を僕は味わって食べた。
 たったそれだけのことなのに、不思議なくらい胸の奥が温かくなって、くすぐったい気持ちになる。

「……なんだか変な感じですね」
「何が?」
「朝陽先輩が料理して僕が食べてることです」

 僕がそう言うと、朝陽先輩は少しだけ目を細めた。

「俺も同じだよ」
「えっ?」
「いつも直が作ってくれたお弁当を食べるのが好きだった。でも、俺が作ったものを直が食べてくれるのも……嬉しいんだなって」

 朝陽先輩は照れくさそうに笑った。
 学校では誰からも頼られて、いつも周りの中心にいる人。
 だけど、今目の前にいる朝陽先輩は、僕だけが知っている少し不器用な人だった。

「……朝陽先輩」
「ん?」
「また作ってください」

 朝陽先輩は驚いたように瞬きをする。
 気づけばそんな言葉が口から出ていた。

「いいの?」
「はい。今度はもっと美味しくなると思います」
「先生のお墨付き?」
「そうです」

 僕が胸を張ると、朝陽先輩は声を出して笑った。

「じゃあ、次は何を作ろうかな」
「親子丼以外にも挑戦しましょうよ」
「それなら唐揚げ?」
「いきなり唐揚げはできるかな……」
「俺も直みたいになりたいな」

 その言葉に僕の動きが止まる。
 僕みたいになりたいってどういうことだろう。

「料理ができるとかじゃなくてさ。誰かのために自然と動けるところとか」
「僕は普通ですよ」
「普通じゃないよ。だって、まだ俺のことをあまり知らないのに、栄養のことが心配でお弁当を作ってくるって言った人はいないよ」

 そういえば、お弁当を作って応援することが当たり前になっていたけど、初めは朝陽先輩の栄養面が気になって始めたことだったね。
 今でもあの時を懐かしく感じる。

「毎日お弁当を作ってきてくれて嬉しかった。試合の時もあまりバスケを知らないのに応援していたよね?」

 朝陽先輩の言葉に僕は頷く。
 僕が運動音痴で運動に興味がないことは知っているからね。

「それなのに応援にきてくれてずっと嬉しかった。ありがとう」

 朝陽先輩の言葉に胸が熱くなる。
 お弁当を作るなんて僕にとっては日常で当たり前だ。
 それなのにこんなに褒められて、ましてや朝陽先輩から言われると、どう反応していいのかわからなくなる。
 それに今日の朝陽先輩は、やけに気持ちを正直に話してくれているような気がする。
 それなら僕も――。

「……朝陽先輩の方がすごいですよ」
「俺?」
「だって、学校ではみんなに応援されてバスケも上手くて……」

 そこまで言って、僕は少しだけ俯いた。

「僕は朝陽先輩みたいに目立つことすらできないですからね」
「直」

 優しい声で名前を呼ばれる。
 顔を上げると、朝陽先輩は真剣な表情で僕を見ていた。

「俺はさ」

 少しだけ間を置いて、朝陽先輩が続ける。

「みんなが見てる俺より、直が見てくれてる俺の方が好きなんだ」
「……え?」

 意味を理解するまで少し時間がかかった。
 それはどういう意味だろうか。
 食いしん坊の姿が本当の朝陽先輩ってことかな?
 それをみんなにも知ってほしいのかな?
 でも、それはそれで僕は嫌だな。

「お弁当を食べている時も、店でコロッケを食べている時も……直だけは俺を〝王子様〟じゃなくて、ただの王子朝陽として見てくれる」

 心臓が大きく跳ねる。
 そんなふうに思ってくれていたなんて、知らなかった。
 僕は知らない朝陽先輩の一面を知れて喜んでいたぐらいだ。

「……僕も」
「ん?」
「僕も食いしん坊で自然体な朝陽先輩だから、一緒にいるのが楽しいです」

 言った瞬間、顔が熱くなる。
 変なことを言った気がして、慌てて目を逸らした。
 すると、朝陽先輩が小さく笑う。

「すごく嬉しい」

 その声があまりにも優しくて、僕はまた顔を上げる。
 朝陽先輩は笑っていた。
 いつもの爽やかな笑顔ではなく、どこか安心したような笑顔。

「また料理を教えてくれるかな?」
「もちろんです」
「じゃあ、次は失敗しないように頑張らないとなー」
「最初から完璧じゃなくてもいいですよ」
「直がそう言ってくれるなら安心する」

 綺麗に片付けられてテーブルにはお茶のみが置かれていた。
 朝陽先輩と視線を合わせるのも、どこか恥ずかしく、僕はお茶をずっと見つめる。
 料理を教えるために始まった時間だったはずなのに、いつの間にか僕たちはお互いのことを少しずつ知る時間になっていた。
 今日食べた親子丼の味を僕は忘れないだろう。
 やっぱり何か大事な日には親子丼が関わっているようだ。