王子様と呼ばれる先輩を餌付けしたら、毎日会いに来るようになりました。

 体育祭の熱気が落ち着き、普段と同じ日常が戻ってきた。
 そんな僕は今日もお店で朝陽先輩と予定について話していた。

「明日の部活終わりに一緒に材料を買いに行くんですよね?」
「ああ、いつものスーパーで待ち合わせでもいいかな?」
「それだと朝陽先輩の家から遠くないですか?」
「言われてみたらそうかも」

 明日はバイトがないため、この間約束した朝陽先輩に料理を教える日だ。
 普段行くスーパーで待ち合わせするつもりだったらしいが、いつも朝陽先輩は走って家まで帰って行ってるのを知っている。

「じゃあ、あとで住所送っておくから、近くのスーパーで待ち合わせしようか」
「わかりました!」
「じゃあ、また明日!」

 明日は学校が休みのため、お弁当を作る予定もない。
 朝陽先輩を見送ると、すぐに住所が書かれたメッセージが来た。
 思っていたよりも住んでいる家は商店街から遠そうだ。
 それなのにわざわざ買い物に付き合ってくれていたのか。

『ありがとうございます』

 すぐに返事をすると、既読がついた。
 僕は仕事に戻ろうと視線を上げる。
 すると、朝陽先輩は立ち止まり手を振っていた。
 僕も手を振りかえすと、満足そうに帰って行く。
 やっぱり学校でよく見ていた朝陽先輩は僕といる時とは全く別人だ。

 翌日、集合場所のスーパーで待っていると、額に汗をかいた朝陽先輩がやってきた。

「走ってきたんですか?」
「あっ……楽しみにしていたからつい」

 少し恥ずかしそうに笑う朝陽先輩に僕もつい恥ずかしくなる。
 沈黙する時間が長くなればなるほど、何を話せばいいのかわからない。

「今日は親子――」
「今日は何を作る――」

 お互いにそう感じたのだろう。
 再び言葉が重なり、また恥ずかしくなってきた。
 チラッと視線を上げると、朝陽先輩は楽しそうに僕を見て微笑んでいた。

「買い物しようか」
「そうですね」

 僕たちはいつものように買い物かごを持ってスーパーに入る。

「朝陽先輩、サラダも買いますからね」
「うっ……」

 朝陽先輩はすぐに野菜売り場から離れようとする。
 だから、買い物する時は一緒に(・・・)買い物かごを持っている。
 僕も何を作るか考えていると、すぐに朝陽先輩を見失っちゃうからね。

「今日は親子丼とツナサラダ、お味噌汁を作ろうかなと」
「そんなに作れそう?」
「朝陽先輩は器用そうだから――」
「いや、俺はそんなに器用じゃないよ」

 王子様と呼ばれているから何でもできるイメージだったけど、そうではないようだ。
 言われてみたら、ご飯は作るより食べる専門だって胸を張るぐらいだもんね。

「なるべく簡単に作るので覚えてくださいよ」
「あぁ……」

 少し自信なさげに返事をする朝陽先輩を見て、自然と笑みが深まる。
 朝陽先輩でも苦手なことがあるんだな……。
 それが知れるだけで、なぜか僕も嬉しくなる。

 買い物を終えると、僕たちは朝陽先輩の家に向かう。
 きっと朝陽先輩なら豪邸――。

「俺の家はここだよ」

 そこにはごく普通のアパートがあった。
 僕が母さんと住んでいるアパートと特に変わりはない。
 朝陽先輩は気にすることなく、荷物を持って家の中に入っていく。

「どうぞ!」
「お邪魔します」

 少し緊張しながら玄関をくぐる。

「そんなに固くならなくていいよ。母さんは今日も夜勤だから」
「そうなんですね」

 今日は朝陽先輩と二人っきりなのか。
 さらに緊張してきた。

「直、こっち!」

 朝陽先輩に案内されてリビングへ入る。
 みんなが王子様と呼ぶイメージとは、やっぱりかけ離れていた。

「幻滅した?」

 朝陽先輩はどこか寂しそうな顔をしていた。
 そんな朝陽先輩に僕は首を横に振る。

「そんなことないですよ。幻滅というよりは知らない朝陽先輩を知れてよかったですね」
「そう言ってくれるのは直だけだよ。みんな勝手に俺のイメージを作って、王子様になるように期待をするからね」

 チヤホヤされるのも結構大変なんだね。
 いつもニコニコとしているけど、朝陽先輩は相手を傷つけないようにしていたのだろう。

「どこか適当に座ってて」

 朝陽先輩は買ってきたスーパーの袋から果物を取り出し、小さな仏壇の前に置いた。
 そこには一枚の写真。
 まだ幼い少年と、肩を組んで笑う男性が写っていた。
 目元も笑った顔もどことなく朝陽先輩によく似ている。
 僕は何も聞かず、静かに仏壇の前へ歩み寄った。

「お邪魔します」

 僕の家にも亡くなった父の仏壇が置いてあるけど、挨拶もしないのは失礼だもんね。
 小さく手を合わせると、隣で朝陽先輩の息を呑む気配がした。

「ありがとう」

 隣にいた朝陽先輩は少しだけ驚いたように笑っていた。

「勝手にすみません」
「ううん。きっと喜んでいると思う」

 笑っている朝陽先輩の顔は少しだけ寂しそうに笑っていた。
 僕はそれ以上は何も聞かないことにした。
 こっちから深く聞いても、あまりいいことではないからね。

「よし、それじゃ料理しようか」
「はい!」

 気持ちを切り替えるように僕は鞄からエプロンを取り出して着る。
 もちろん家から持参してきたいつも使っているものだ。

「直ってそういうのが好きなのか?」

 僕が着けたエプロンには、ハムスターが土下座している絵が描かれていた。
 どこか変わっているけど、母さんがプレゼントしてくれた大事なエプロンだ。

「可愛いのでお気に入りですよ」
「俺も実は変わったTシャツが好きなんだ」

 そう言って、ジャージから着替えてきたのは、リスがムンクの叫びのように絶叫しているTシャツだった。

「くくく、土下座も珍しいですけど、絶叫も珍しいですね」

 いつもは制服かジャージばかり着ていたから、ついその姿に笑ってしまった。
 朝陽先輩の見たことない姿は新鮮だな。

「それがいいんだけど、母さんからは絶対に外で着ない方がいいって言われててさ」

 きっと朝陽先輩のイメージとはかけ離れているからだろう。
 まだ会ってはないけど、息子を心配する母の顔が想像できる。

「じゃあ、まずは材料を切っていきましょうか」

 普段の僕なら、作りながら材料を切っていくが、料理に慣れていない朝陽先輩は先に用意しておいた方がバタバタしなくていいだろう。
 って言っても用意するのはお味噌汁の具材と親子丼に入れる玉ねぎぐらいだ。
 サラダは荷物も重くなるからカット野菜を買った。

「鶏肉は一口大に切って、玉ねぎは薄切りにします」

 僕が一度切って見本を見せると、朝陽先輩も隣で同じように切っていく。
 その様子を僕はジーッと見つめる。
 この間までは僕がジーッと見つめられながら、ダンスを教えてもらっていたのに、今では僕が教える側だ。

「お味噌汁の長ねぎと豆腐も食べやすいサイズでこんな感じに」

 僕は手のひらに豆腐を乗せて切っていると、朝陽先輩は怯えるような顔をしていた。

「直、手のひら切ってないか?」
「さすがに真下に押し込むだけじゃ切れないですよ。怖ければ包丁の反対でも大丈夫です」

 僕は半分に切った豆腐を朝陽先輩の手に載せる。

「本当に大丈夫なのか?」

 ビクビクしながら豆腐を切る朝陽先輩がなぜか可愛く見える。
 まるで怯える犬みたいで、撫でたくなってしまう。
 そんなことをしたら、怒られそうだからやらないけどね。

「ちゃんと切れましたね」
「無事に生き残ったな」

 全ての材料を切り終えた朝陽先輩は大きく息を吐いていた。
 まるで戦場に出ていたかのような言い方だ。
 でも、あまりにも包丁を使い慣れていないと、怖いと思うだろう。
 不器用だと聞いていたけど、ゆっくりやれば特に危ない場面はなさそうだ。

「親子丼もお味噌汁も簡単に味付けするから、言った通りに覚えてくださいね」
「よし、これからが二回戦だな!」
「くくく、まるでバスケの試合みたいですね」

 僕の隣では朝陽先輩が楽しそうに笑っていた。
 料理が楽しいと思えてもらえてるならよかった。
 気合いを入れ直して、僕たちは鍋に水を入れて火をつけた。