工藤が通っていた中学校の学区と俺の出身中学の学区は境界線が接している。だから菊塚西小学校の辺りに行ったことはあった。風景自体は俺の家の近くとそれほど変わらない。戸建て住宅、低層階のアパートがひしめく、のんびりとした市街地だ。
菊塚西小学校の裏側にあるアパートってのが何軒あるのか、ちゃんと見つけ出せるのか不安だったけど、幸いにもそれらしいアパートは一軒しかなかった。
ただ問題はこのアパートのどの部屋に工藤が住んでいるのかわからないということ。
ベランダに干してある洗濯物から判別する、とかドラマで探偵がやっていたような、と南側にずらっと並んだベランダを眺めたけど、それらしい家はない。
「これ、完全に変質者だよな……」
ああどうしよう。もういっそ一軒一軒チャイム押して回っちゃおうかな、それも十分ヤバい行動だけど。
悩んでいると、二階の部屋から誰かが降りてきた。外階段をゆっくりと下り、外へ出てくる。
年齢は多分四十代くらいでちらほら白髪が見える。背は高いけど猫背の男の人だ。もう夕方だけどこれから仕事なのか、作業着らしい服を着ている。
その人の手にした鞄からひらっとなにかが落ちた。なんだろう、レシート、ではない。なにかのカードみたいな。
「あの!」
気付かず近づいてくる男性にとっさに声をかける。億劫そうにこっちを見る彼を通り過ぎ、地面に落ちたものを拾い上げた。病院の診察券のようだ。
「これ、落としましたけど」
男性が俺と俺の手を交互に見る。そこではっとしたように足早に戻ってきた。
「すみません。ご親切に」
眼光は鋭く見えたけど、返された会釈は丁寧だった。ほっとしながら手の中の診察券を差し出す。そこで印字されている名前が目に留まった。
――工藤直孝。
不自然に動きを止めた俺を、不思議そうに男が見つめてくる。
彫りの深い顔立ちの人だ。作りは端整だと思う。でも中性的な面立ちの工藤が歳を重ねたらこの人のようになるのかというとわからない。
はっきりしているのは、この人の苗字が工藤だということ。
「あ、あの! 工藤、くんのお父さん、ですか」
「……は?」
診察券に手をかけたまま、男性の顔が固まる。不審そうに太い眉が顰められた。
「君は?」
「あ、俺、あの、工藤、くんの」
あれ、俺は工藤のなんだろう、と一瞬変な間が生まれてしまった。脳内を引っ掻き回して、クラスメイトですと言おうとしたそのときだった。
「帰れ!」
男の声がいきなり跳ね上がった。え、と思う間もなく、手にした鞄のポケットからペットボトルが出される。キャップが緩められ、勢いよく中身がこっちに向かってぶちまけられた。
「なっ……なにすっ……」
突然すぎて声が上ずってしまう。その俺の胸倉を大きな手がぐいと掴んだ。
「何の用だ! 汚らわしい!」
「はっ……?」
なんだ? なに言ってんだこのおっさん。ただめちゃくちゃ目が血走っている。ちょっとヤバい人、かも。
ぞっとしながら俺は男の手を振り解く。なにをかけられたのかわからないけど、髪がべたつく。男はまだ興奮冷めやらないのか、こっちに向かって手を伸ばそうとする。
「ちょっと、なに?」
「喧嘩?」
通りすがりの人の声が渦巻く。もしもし、警察ですか? と誰かが通報している声がした。
「なん、なんだよ……!」
飛び退った俺の耳に、工藤さんだめだって、と声が聞こえた。見れば、アパートの一階から白髪の男の人が飛び出してくるところだった。
「なにしてんの、もう」
「うるさい! こいつが……!」
「うんうん、わかったから。ちょっと落ち着こうかー……君、大丈夫? おい母さん、タオルタオル」
男の肩を慣れた仕草で抱え込みながら、六十代くらいのその人がこっちを向く。わけがわからなくて頷くしかないでいると、これ使って、と声がした。
小柄な年配の女の人が俺に向かってタオルを差し出していた。
「ああ、ずぶ濡れになっちゃって。なにがあったの?」
「いや、あの、なにがなんだか……診察券落ちてたから渡して、そしたらなんか……かけられて……あり、がとうございます」
女性から渡されたタオルを大人しく受け取りながら俺は今起こったことを思い返す。
――汚らわしい!
汚らわしいって、なんだよ。
男性に宥められながら家の中へと戻っていく男を呆然と見送る俺にむかって、タオルを貸してくれた女性が同情めいた声を上げた。
「これ、コーヒーだねえ。染みになっちゃってる……。警察、行く?」
「え! あ……」
確かにいきなり変な液体をかけられてびっくりはしたけど、なんか危ない薬品とか排泄物とかそんなんじゃなさそうなのは香りでわかった。もちろんこれだって十分だめだけど、警察に行くなんてことになったら大事になってしまう。
大体、俺は被害を訴えるより聞きたいことがある。
「あの人って工藤さん、ですよね」
「もしかして工藤さんのお知り合い?」
「いや、あの、もしかして、って感じですけど、あの人の子どもと俺、同じクラスじゃないかと……」
「あー、そういうこと。なるほど、そう、かあ……。まあ、こういうこと、あの人前にもあったのよ。だからいきなりおうちを訪ねるのは控えたほうがいいかも」
曖昧に笑われて俺は言葉を失う。
――俺も探してた。入口。地底、行きたいから。
あいつが地底を目指す理由。それはもしかしたらこれなんじゃないのか。だとしたら俺の家に来ていきなり態度が硬化した理由も頷ける。
――そんなに母親大事なら地底なんて行かないでそばにいたら?
俺の母親を見て顔を背けたあいつ。それは……俺と自分は違うって思ったから、かも。
「なんだよそれ……」
「え?」
女性が首を傾げる。俺は慌てて首を振り、借りたタオルを突き返した。
「ありがとうございました。あの、俺、もう、これで……!」
目線の先には工藤の家があるアパート。それを視界に捉えながら俺はスマホを引っ張り出す。
――工藤、俺、今、お前の家の前に来てる。話、できない?
慌ただしく入力し、送信する。西日に光る窓々のどこかが開くのではないかと視線を彷徨わせるけど、アパートは沈黙したままだ。在宅中に家の前でこれだけの騒ぎになれば、覗いてみようと思うはずだ。つまり留守ってことなのだろうか。迷っている間にメッセージに既読が点いた。
それっきりうんともすんとも言わない。なんなんだよ、と舌打ちしてふと気付いた。
もしかしてあの社にいるということはないだろうか。ポイントDの近くのあの。
そう気付いたら居ても立ってもいられず走りだした。茶色い染みを白いシャツに盛大に刻んだ俺の姿は道行く人の注目の的だったが気にしていられなかった。
思い出すのは、これまでの工藤との時間。
一緒に地底を目指して、泥だらけで笑って、カレーを食べて、それから。
キス、して。
今工藤と顔を合わせて話さないと、そんなあいつとのこれまでの時間が全部なかったことになってしまいそうで怖かった。
けど、息せき切って駆け付けた社に工藤の姿はなかった。軋む格子戸に手をかけたまま俺は肩を上下させる。
「いない……か」
待っていれば来てくれるだろうか。でもここで夜明かしするのも……と迷ったとき、ぶるっとスマホがポケットの中で震えた。
慌てて表示を確かめる。
送信者は工藤だった。
――家になんて来るな。話あるならいつもの時間にポイントDに来い。
素っ気ない。いつも以上に冷え冷えした対応のような気がする。
「まあ、勝手に家行くのは、なし、だったよな……」
冷静になればそうだ。でも連絡全然寄越さないのも悪いんじゃないのか?
すぐさま言い返してやりたかった。けど、俺はぐっとこらえた。下手なことを言って会えなくなるほうが困る。
仕方ない。とぼとぼと社を出て自宅へと戻る。いつもよりずっと重い金属の扉を押し開けると、あら、と部屋の中から声がした。
「ちょうどよかった。今から勤務なのよー。出かける前に顔見られたわー」
洗濯物を畳んでいた母親が首を伸ばすようにしてこっちを見ている。返事をせずスニーカーを脱ぎ捨てるが、その俺を見て、ちょっと待ちなさいな、と母親が尖った声を上げた。
「あんた! シャツ、染みだらけじゃない。なにしてんの!」
「関係ねーだろって」
「いやいやいや、待ちなさいって!」
声を無視して俺は洗面所へ向かう。乱暴にシャツを脱ぎ捨て、洗濯籠に叩き込む。コーヒーで固まった前髪を搔き上げ、蛇口の下に頭を突っ込んで洗っていると、鏡に母親が映りこんだ。
「あんたまさか、いじめられてたりしないよね」
「ちげーって」
「でもかけられないとそんな染みになんないでしょうが。誰にやられたの。言いなさい」
「誰でもいいだろっての。俺が気にしてないんだからがたがた言うなよ」
ああしつこい。うんざりしながら、母親を洗面所の外へと押し出そうとする。その俺の手が不意に掴まれた。ねえ、と呼びかけてくる声がふっと低くなる。
「この間来たあの子、あんたいつから仲がいいの?」
いきなりで、返事が遅れた。
「な、んだよ、急に」
「いいから」
やっと出した声も上ずってしまう。母さんは俺の手を掴んだまま、じいっとこっちを見据えてくる。嘘偽りを絶対に許さない目だ。
悔しい。この目をされると昔から隠し事ができない。
「おんなじクラスのやつ。ちょっと前に仲良くなった。それだけ! もう放せって!」
「その同じクラスの子が、なんで偽名使ったの?」
驚きすぎて動きが止まってしまった。母さんがすっと眉を顰めた。
「あの子さ、佐藤くんじゃないよね。工藤凪くん、でしょ」
「はっ……? え、なに、言ってんの?」
驚きはあったけど、詰め寄ってくる感じが腹立つ。抗議の意味を込めてぎっと睨みつけてやったが、母さんは怯むことなく、硬い声で言った。
「こういうの言いたくないけど、あの子とは適度に距離置きな。あんたとは合わないよ」
菊塚西小学校の裏側にあるアパートってのが何軒あるのか、ちゃんと見つけ出せるのか不安だったけど、幸いにもそれらしいアパートは一軒しかなかった。
ただ問題はこのアパートのどの部屋に工藤が住んでいるのかわからないということ。
ベランダに干してある洗濯物から判別する、とかドラマで探偵がやっていたような、と南側にずらっと並んだベランダを眺めたけど、それらしい家はない。
「これ、完全に変質者だよな……」
ああどうしよう。もういっそ一軒一軒チャイム押して回っちゃおうかな、それも十分ヤバい行動だけど。
悩んでいると、二階の部屋から誰かが降りてきた。外階段をゆっくりと下り、外へ出てくる。
年齢は多分四十代くらいでちらほら白髪が見える。背は高いけど猫背の男の人だ。もう夕方だけどこれから仕事なのか、作業着らしい服を着ている。
その人の手にした鞄からひらっとなにかが落ちた。なんだろう、レシート、ではない。なにかのカードみたいな。
「あの!」
気付かず近づいてくる男性にとっさに声をかける。億劫そうにこっちを見る彼を通り過ぎ、地面に落ちたものを拾い上げた。病院の診察券のようだ。
「これ、落としましたけど」
男性が俺と俺の手を交互に見る。そこではっとしたように足早に戻ってきた。
「すみません。ご親切に」
眼光は鋭く見えたけど、返された会釈は丁寧だった。ほっとしながら手の中の診察券を差し出す。そこで印字されている名前が目に留まった。
――工藤直孝。
不自然に動きを止めた俺を、不思議そうに男が見つめてくる。
彫りの深い顔立ちの人だ。作りは端整だと思う。でも中性的な面立ちの工藤が歳を重ねたらこの人のようになるのかというとわからない。
はっきりしているのは、この人の苗字が工藤だということ。
「あ、あの! 工藤、くんのお父さん、ですか」
「……は?」
診察券に手をかけたまま、男性の顔が固まる。不審そうに太い眉が顰められた。
「君は?」
「あ、俺、あの、工藤、くんの」
あれ、俺は工藤のなんだろう、と一瞬変な間が生まれてしまった。脳内を引っ掻き回して、クラスメイトですと言おうとしたそのときだった。
「帰れ!」
男の声がいきなり跳ね上がった。え、と思う間もなく、手にした鞄のポケットからペットボトルが出される。キャップが緩められ、勢いよく中身がこっちに向かってぶちまけられた。
「なっ……なにすっ……」
突然すぎて声が上ずってしまう。その俺の胸倉を大きな手がぐいと掴んだ。
「何の用だ! 汚らわしい!」
「はっ……?」
なんだ? なに言ってんだこのおっさん。ただめちゃくちゃ目が血走っている。ちょっとヤバい人、かも。
ぞっとしながら俺は男の手を振り解く。なにをかけられたのかわからないけど、髪がべたつく。男はまだ興奮冷めやらないのか、こっちに向かって手を伸ばそうとする。
「ちょっと、なに?」
「喧嘩?」
通りすがりの人の声が渦巻く。もしもし、警察ですか? と誰かが通報している声がした。
「なん、なんだよ……!」
飛び退った俺の耳に、工藤さんだめだって、と声が聞こえた。見れば、アパートの一階から白髪の男の人が飛び出してくるところだった。
「なにしてんの、もう」
「うるさい! こいつが……!」
「うんうん、わかったから。ちょっと落ち着こうかー……君、大丈夫? おい母さん、タオルタオル」
男の肩を慣れた仕草で抱え込みながら、六十代くらいのその人がこっちを向く。わけがわからなくて頷くしかないでいると、これ使って、と声がした。
小柄な年配の女の人が俺に向かってタオルを差し出していた。
「ああ、ずぶ濡れになっちゃって。なにがあったの?」
「いや、あの、なにがなんだか……診察券落ちてたから渡して、そしたらなんか……かけられて……あり、がとうございます」
女性から渡されたタオルを大人しく受け取りながら俺は今起こったことを思い返す。
――汚らわしい!
汚らわしいって、なんだよ。
男性に宥められながら家の中へと戻っていく男を呆然と見送る俺にむかって、タオルを貸してくれた女性が同情めいた声を上げた。
「これ、コーヒーだねえ。染みになっちゃってる……。警察、行く?」
「え! あ……」
確かにいきなり変な液体をかけられてびっくりはしたけど、なんか危ない薬品とか排泄物とかそんなんじゃなさそうなのは香りでわかった。もちろんこれだって十分だめだけど、警察に行くなんてことになったら大事になってしまう。
大体、俺は被害を訴えるより聞きたいことがある。
「あの人って工藤さん、ですよね」
「もしかして工藤さんのお知り合い?」
「いや、あの、もしかして、って感じですけど、あの人の子どもと俺、同じクラスじゃないかと……」
「あー、そういうこと。なるほど、そう、かあ……。まあ、こういうこと、あの人前にもあったのよ。だからいきなりおうちを訪ねるのは控えたほうがいいかも」
曖昧に笑われて俺は言葉を失う。
――俺も探してた。入口。地底、行きたいから。
あいつが地底を目指す理由。それはもしかしたらこれなんじゃないのか。だとしたら俺の家に来ていきなり態度が硬化した理由も頷ける。
――そんなに母親大事なら地底なんて行かないでそばにいたら?
俺の母親を見て顔を背けたあいつ。それは……俺と自分は違うって思ったから、かも。
「なんだよそれ……」
「え?」
女性が首を傾げる。俺は慌てて首を振り、借りたタオルを突き返した。
「ありがとうございました。あの、俺、もう、これで……!」
目線の先には工藤の家があるアパート。それを視界に捉えながら俺はスマホを引っ張り出す。
――工藤、俺、今、お前の家の前に来てる。話、できない?
慌ただしく入力し、送信する。西日に光る窓々のどこかが開くのではないかと視線を彷徨わせるけど、アパートは沈黙したままだ。在宅中に家の前でこれだけの騒ぎになれば、覗いてみようと思うはずだ。つまり留守ってことなのだろうか。迷っている間にメッセージに既読が点いた。
それっきりうんともすんとも言わない。なんなんだよ、と舌打ちしてふと気付いた。
もしかしてあの社にいるということはないだろうか。ポイントDの近くのあの。
そう気付いたら居ても立ってもいられず走りだした。茶色い染みを白いシャツに盛大に刻んだ俺の姿は道行く人の注目の的だったが気にしていられなかった。
思い出すのは、これまでの工藤との時間。
一緒に地底を目指して、泥だらけで笑って、カレーを食べて、それから。
キス、して。
今工藤と顔を合わせて話さないと、そんなあいつとのこれまでの時間が全部なかったことになってしまいそうで怖かった。
けど、息せき切って駆け付けた社に工藤の姿はなかった。軋む格子戸に手をかけたまま俺は肩を上下させる。
「いない……か」
待っていれば来てくれるだろうか。でもここで夜明かしするのも……と迷ったとき、ぶるっとスマホがポケットの中で震えた。
慌てて表示を確かめる。
送信者は工藤だった。
――家になんて来るな。話あるならいつもの時間にポイントDに来い。
素っ気ない。いつも以上に冷え冷えした対応のような気がする。
「まあ、勝手に家行くのは、なし、だったよな……」
冷静になればそうだ。でも連絡全然寄越さないのも悪いんじゃないのか?
すぐさま言い返してやりたかった。けど、俺はぐっとこらえた。下手なことを言って会えなくなるほうが困る。
仕方ない。とぼとぼと社を出て自宅へと戻る。いつもよりずっと重い金属の扉を押し開けると、あら、と部屋の中から声がした。
「ちょうどよかった。今から勤務なのよー。出かける前に顔見られたわー」
洗濯物を畳んでいた母親が首を伸ばすようにしてこっちを見ている。返事をせずスニーカーを脱ぎ捨てるが、その俺を見て、ちょっと待ちなさいな、と母親が尖った声を上げた。
「あんた! シャツ、染みだらけじゃない。なにしてんの!」
「関係ねーだろって」
「いやいやいや、待ちなさいって!」
声を無視して俺は洗面所へ向かう。乱暴にシャツを脱ぎ捨て、洗濯籠に叩き込む。コーヒーで固まった前髪を搔き上げ、蛇口の下に頭を突っ込んで洗っていると、鏡に母親が映りこんだ。
「あんたまさか、いじめられてたりしないよね」
「ちげーって」
「でもかけられないとそんな染みになんないでしょうが。誰にやられたの。言いなさい」
「誰でもいいだろっての。俺が気にしてないんだからがたがた言うなよ」
ああしつこい。うんざりしながら、母親を洗面所の外へと押し出そうとする。その俺の手が不意に掴まれた。ねえ、と呼びかけてくる声がふっと低くなる。
「この間来たあの子、あんたいつから仲がいいの?」
いきなりで、返事が遅れた。
「な、んだよ、急に」
「いいから」
やっと出した声も上ずってしまう。母さんは俺の手を掴んだまま、じいっとこっちを見据えてくる。嘘偽りを絶対に許さない目だ。
悔しい。この目をされると昔から隠し事ができない。
「おんなじクラスのやつ。ちょっと前に仲良くなった。それだけ! もう放せって!」
「その同じクラスの子が、なんで偽名使ったの?」
驚きすぎて動きが止まってしまった。母さんがすっと眉を顰めた。
「あの子さ、佐藤くんじゃないよね。工藤凪くん、でしょ」
「はっ……? え、なに、言ってんの?」
驚きはあったけど、詰め寄ってくる感じが腹立つ。抗議の意味を込めてぎっと睨みつけてやったが、母さんは怯むことなく、硬い声で言った。
「こういうの言いたくないけど、あの子とは適度に距離置きな。あんたとは合わないよ」



