「普通カレー屋っていったらチェーン店じゃね?」
店は俺に任せて、なんて言われても大して期待してなくて、というか、別にどこの店だっていい工藤と一緒なら、なんて思っちゃっていた俺だったが、連れてこられた店にさすがに驚いてしまった。
ネパールカレーの専門店だったから。
「え、丹羽、もしかしてガチでお子様カレーしかだめなタイプだった?」
振り向いた工藤の顔が、ガキだな、と言っている。さすがにむっとして俺は顔を背けた。
「んなわけないだろ。こういうとこのカレー高いじゃん。だからちょっと」
「あー、大丈夫大丈夫。ここ知り合いの店だし。それにランチだと食べ放題で750円だから。安心しな」
知り合いの店?
引っかかりながら工藤の後ろについて店の入り口をくぐる。黒板に手書きされたメニュー、赤と黄色の暖色系のサンシェード、カフェカーテンの色はオレンジで、店内にはスパイスの香りが漂っていて一気に異国感が増す。
もしかして知り合いってネパールの人なのかな、と思ったけど、いらっしゃい、と顔を出したのはどう見ても日本人だった。
すらっと背が高く、肌の色は浅黒い。でも目鼻立ちは完全に日本のそれで、塩系だ。多分、女にもてるタイプだと思う。
「あれー、凪が友達連れて来るの珍しくない?」
ただ、浮かべられた笑みはねっとりしていて、若干含みを感じる。というかそれよりなにより。
……凪って呼び捨てかよ。
「友達ではない」
しかも工藤の答えの素っ気ないことといったら。泣きたくなるが、そこで俺は首を傾げる。
実際のところ俺達ってどういう関係になるんだろう。
やっぱりただのクラスメイトだろうか。でもただのクラスメイトがわざわざ日曜日に待ち合わせてカレー食べたりしないような。そもそも夜、森の中で地面を一緒になって掘り返しているってのがもう普通じゃない。
そういうのこいつは気にならないんだろうか。
などとぐるぐるしているうちに、塩顔の店員によってボックス席に案内された。昼少し前だけど、ちらほら客の姿がある。
「ほら、そこのカウンターから取ってきて食べるビュッフェスタイル。ラッシーとか、ヨーグルトアイスもあるからたくさん食べな。奢らないけど」
「工藤に奢られたら埋められそうだからいい」
ぼそっと言うと、工藤がにやっとした。仲良くなったような気がしてはいるけど、悪口の応酬をしていた時間が長すぎたせいか、相手を落とす言い方をしているときのほうが落ち着いてしまう。
それがちょっと情けない。
「制限時間一時間半だからさくさく食べろよ」
言いながら工藤が立ち上がる。工藤に先導されるようにカウンターに近づいて俺は思わず目を輝かせてしまった。
カレーの種類は全部で三種類。豆カレー、ポークカレー、野菜カレー。多分それぞれ正式な名前があるんだろうけど、わかりやすくするためか、手書きのざっくりとした札が鍋の近くに置かれている。普通にどれも美味そうだ。ただちょっと辛そうにも見える。
「ここのカレーそんな辛くないから。安心しな」
凪、なんて呼ばれるくらいこの店に来ているのか、皿を取り、カレーやナンを皿に盛る工藤の手には迷いがない。俺の手元の皿にもカレールーを注いでくれる。
まるで俺の不安を読み取ったみたいなタイミングでそうされて、俺はちょっと……たじろいだ。
こいつは学校では人を寄せ付けないつんけんした態度を取る。だからあまり人間に興味がない、あるいは人間を嫌いなのかと思っていた。でももしかしたらそうじゃないのかもしれない。
だってこいつはお化け屋敷で立往生していた俺にもいち早く気付いて助けにきてくれたのだから。そんなの、周りを見ていないとできなくないか?
「凪が人に親切にしてるとこ見ると、ちょっと驚く」
カレーをよそってテーブルに戻ってくる。そのタイミングで近づいてきたのは、先程の男だった。
「もしかしてさ、君って凪の彼氏だったりする?」
そっと耳元で囁かれ、ぎょっとする。首を巡らせてそちらを見ると、腰を伸ばして俺から顔を遠ざけながら男が微笑んでいた。
工藤はまだカウンターでサラダをよそっていて戻ってきていない。その状態で男は潜めた声で続けた。
「ごめんね、不躾で。もしそうなら、あの子のことお願いねって言いたかっただけだから」
「お願い、って、あの、あなたは工藤の……」
「あー、ええと、僕は凪の……神様? になるのかなあ」
「は……」
警戒を忘れて男の顔を見上げてしまう。男が言葉を探すように視線を彷徨わせた。
「ちょっと」
尖った声が投げ込まれ、空気が変わった。見れば、皿にもりもりにサラダやら唐揚げを盛った工藤が目を尖らせていた。
「紺さん、こいつに話しかけないで」
「なにそれ。やきもち? 凪でも妬くんだねえ」
「そういうんじゃないし。さっさと仕事戻れよ。店長が遊んでたらまずいんじゃないの」
「はいはい、口うるさいなあ。ゆっくりしてってね」
前半は工藤に、後半は俺に言い、男は去っていく。背の高い後ろ姿を見送っていると、はあっと工藤が溜め息をついた。
「ほんと軽っ。あんなんで店長とかあり得ない。なあ、あの人、なんか変なこと言わなかった?」
――神様、になるのかな?
「あー……いやー……」
「なに言われたかわかんないけど、気にしなくていいから」
ぴしゃりと窓を閉めるみたいな冷淡な口ぶりに口の中が苦くなった。
……神様ってなんだよ。あの人とどういう関係?
訊いてしまいたくなる。でも訊いたら絶対に工藤は機嫌を損ねる。わかる、けど。
「なんか、工藤のこと、よく知ってるみたいだったけど。昔からの知り合いとか?」
工藤は黙ってカレーをかきこんでいる。豪快な食べっぷりが眩しい。目を細めて見つめていると、三年くらい前、とぽん、と言葉が投げ出された。
「中三のときからの知り合い。俺、ここのカレーのファンだから」
「常連とかそういう話?」
「……ん」
わずかに挟まった間が、それだけじゃない、と語っていて胸の奥が軋んだ。
せっかくカレーは美味いのに。好きなやつとテーブルを挟んで昼間から一緒にいられるのに。
なんで俺の内側はこんなにぐちゃぐちゃなんだろう。
「俺、お前のこと、なんも知らないのな」
ぼそりと言うと、テーブル越しに蜂蜜色の瞳がこっちを見返してきた。まっすぐなそれを見ていられず、俺は視線をカレー皿に落とす。
「行きつけのカレー屋があることも知らなかったし」
「そりゃそうだろ。話してないし」
「あんな年上の知り合いがいることだって」
「でも、俺がわらび餅好きなことは知ってる」
いきなり言われて固まる。そろそろと目を上げると、カレースプーンを弄びながら工藤がこっちを見ていた。
「わらび餅のことはあの人、知らないよ?」
「そ……そうだとしても、なんか」
「当然だけど、俺が夜な夜なシャベル片手に森にいることも、あの人は知らない」
工藤の細い手が伸び、テーブル上のカップを取り上げる。ふわっと香ってきたのはシナモンの香り。
「丹羽しか知らないこと、いっぱいある。それじゃだめかよ」
……こいつ、ずるい。
そんなふうに言われたら、もうなにも言い返せなくなってしまうのに。出口を塞がれたみたいですごく……悔しい。
「なあ」
苛立ちから荒々しくナンをちぎっていると、かたん、と音を立ててカップがテーブルに戻された。
「このあと少し時間ある?」
「あるけど。なに?」
「一緒に行きたいとこあって」
一緒に行きたい?
「あの、俺、と?」
「うん」
「その、どこ?」
もやもやしていたのを置いて思わず身を乗り出してしまう。
「教えたら、行ってくれる?」
「南極とかじゃないなら」
「南極より行くの難しい場所、行こうとしてるくせに」
こらえきれないみたいにくっくっと笑う。学校ではまず見せない表情だ。そう思ったら胸がじわっと熱くなった。
「……いいよ。行こっか」
声が自分でも驚くくらい甘く響いてどきっとする。
どうしよう、なんでこんな声出しちゃったんだろ、俺。
「あ、いや、ほら、行きたい、なら」
「丹羽とがいいんだよ」
言いざま工藤が伝票を持って立ち上がった。紺さん、と工藤が呼ぶと、厨房にいたあの男が紺色の前掛けで手を拭きながらレジカウンターへとやってきた。
「はいー、ランチふたり分で1,500円だけど、1,400円におまけしてあげよう」
「いいの? 雇われ店長がそんな勝手して」
「子どものくせにうるさいねえ。君もこんな子と一緒にいると疲れるでしょう」
疲れない。知った顔でいろいろ言わないでほしい。
なにか言ってやろうか、と身構えた俺を制するように工藤が言った。
「こいつは俺とは違って普通のやつなんだから話しかけないでって。ほら、丹羽、行くよ」
ぐいっと腕を取られ、引っ張られる。店を出るとき振り向くと、紺と呼ばれたあの男が、軽く眉を顰めてこっちを見ていた。
ほんと、なんなんだろう。意味がわからない。
ただ、今一番気になったのはあの男のことじゃ、ない。
「なあ」
「なに」
「俺と違って普通ってどういう意味?」
「は?」
掴まれていた手を乱暴に振り解く。工藤の眉がくっと寄せられる。さっき俺達を見送っていた紺ってあの人みたいに。
「さっきの人はお前と同じなの? 俺だけ違うの?」
「なに、どした。変だよ丹羽……」
「こっちが俺の普通なんだよ!」
日曜の繁華街。ざわざわと通り過ぎていく人波に俺の声が反響する。注がれる視線に気付いて俺も言葉を一度呑む。でも荒れ狂う気持ちは止まらない。押し殺した声に容赦なく滲んでしまう。
「地底、俺と行くって言ったのに。俺にはなんも教えてくんない。なに? 俺がチャラいから? だから信用してくんないの? 言ったじゃん。チャラいのはふりだって。俺、工藤の前ではそういうのしてないよ? ってか、できないんだよ……」
ああ、俺はなにを言っているんだろう。こんなのどうかしている。どうかしているのに。
どうしようもなくこれが俺だって感じる。
「丹羽」
くん、と袖口が引かれる。いじけた犬みたいな目をしていると自分でもわかった。俺より背の低い工藤を上目遣いに睨むと、工藤がゆらっと首を傾げた。
「なんでいきなりキレてんの? 俺、なんかした?」
「してねえけど」
なにもしてないから、なにも言ってくれないから、俺は怒っている。
俺は全部をこいつに話したのに。
「一緒に地底行くんだもん。もっと知りたいって思っちゃだめかよ」
この言い方はさすがにウザいかも。そろそろ言われるかもしれない。ああ、マジ面倒って。そうさせないためにいつものチャラい顔をするべきなんだろうか。そう思って笑顔を作りかけた。
けど、失敗した。しゅうっと吸い込まれるみたいに笑みは顔の奥へと沈んでいく。
「あーもう……俺、なんなんだろ……」
「よし」
ぼやく俺の袖に絡んでいた工藤の指にくっと力が籠る。え、と顔を上げると、工藤は袖を掴んだ自分の指先に視線を落としていた。
「今チャラい顔したら、お前と探索すんのもうやめようかなって思ってた。でも、しないな。えらい」
「……んだよ、えらいって……」
こいつはすぐガキ扱いしてくる。俺より細いくせに。小さいくせに。
それがむかつくのに……なんで俺はこいつからのガキ扱いが嫌じゃなくなっちゃったんだか。
「できないんだって。工藤の前だと、なんか」
「そっか」
色のない、そっか、をこいつはどんな思いで発したんだろう。探るみたいに見下ろす俺をすうっと工藤が見上げてくる。
「一緒に行ってくんない?」
「え、あ、さっき言ってたとこ?」
「うん」
「どこ?」
「いいとこ」
拗ねていたのに気持ちが和らぐ。この状況は図書館に誘われたときに似ている。どこかも聞かないまま俺は、いいよ、と頷く。
なんだよ、素直じゃん、くらい言われるかもと思ったけど、工藤は言わなかった。言わずに歩き出した。
指先で俺の袖口を掴んだまま。
店は俺に任せて、なんて言われても大して期待してなくて、というか、別にどこの店だっていい工藤と一緒なら、なんて思っちゃっていた俺だったが、連れてこられた店にさすがに驚いてしまった。
ネパールカレーの専門店だったから。
「え、丹羽、もしかしてガチでお子様カレーしかだめなタイプだった?」
振り向いた工藤の顔が、ガキだな、と言っている。さすがにむっとして俺は顔を背けた。
「んなわけないだろ。こういうとこのカレー高いじゃん。だからちょっと」
「あー、大丈夫大丈夫。ここ知り合いの店だし。それにランチだと食べ放題で750円だから。安心しな」
知り合いの店?
引っかかりながら工藤の後ろについて店の入り口をくぐる。黒板に手書きされたメニュー、赤と黄色の暖色系のサンシェード、カフェカーテンの色はオレンジで、店内にはスパイスの香りが漂っていて一気に異国感が増す。
もしかして知り合いってネパールの人なのかな、と思ったけど、いらっしゃい、と顔を出したのはどう見ても日本人だった。
すらっと背が高く、肌の色は浅黒い。でも目鼻立ちは完全に日本のそれで、塩系だ。多分、女にもてるタイプだと思う。
「あれー、凪が友達連れて来るの珍しくない?」
ただ、浮かべられた笑みはねっとりしていて、若干含みを感じる。というかそれよりなにより。
……凪って呼び捨てかよ。
「友達ではない」
しかも工藤の答えの素っ気ないことといったら。泣きたくなるが、そこで俺は首を傾げる。
実際のところ俺達ってどういう関係になるんだろう。
やっぱりただのクラスメイトだろうか。でもただのクラスメイトがわざわざ日曜日に待ち合わせてカレー食べたりしないような。そもそも夜、森の中で地面を一緒になって掘り返しているってのがもう普通じゃない。
そういうのこいつは気にならないんだろうか。
などとぐるぐるしているうちに、塩顔の店員によってボックス席に案内された。昼少し前だけど、ちらほら客の姿がある。
「ほら、そこのカウンターから取ってきて食べるビュッフェスタイル。ラッシーとか、ヨーグルトアイスもあるからたくさん食べな。奢らないけど」
「工藤に奢られたら埋められそうだからいい」
ぼそっと言うと、工藤がにやっとした。仲良くなったような気がしてはいるけど、悪口の応酬をしていた時間が長すぎたせいか、相手を落とす言い方をしているときのほうが落ち着いてしまう。
それがちょっと情けない。
「制限時間一時間半だからさくさく食べろよ」
言いながら工藤が立ち上がる。工藤に先導されるようにカウンターに近づいて俺は思わず目を輝かせてしまった。
カレーの種類は全部で三種類。豆カレー、ポークカレー、野菜カレー。多分それぞれ正式な名前があるんだろうけど、わかりやすくするためか、手書きのざっくりとした札が鍋の近くに置かれている。普通にどれも美味そうだ。ただちょっと辛そうにも見える。
「ここのカレーそんな辛くないから。安心しな」
凪、なんて呼ばれるくらいこの店に来ているのか、皿を取り、カレーやナンを皿に盛る工藤の手には迷いがない。俺の手元の皿にもカレールーを注いでくれる。
まるで俺の不安を読み取ったみたいなタイミングでそうされて、俺はちょっと……たじろいだ。
こいつは学校では人を寄せ付けないつんけんした態度を取る。だからあまり人間に興味がない、あるいは人間を嫌いなのかと思っていた。でももしかしたらそうじゃないのかもしれない。
だってこいつはお化け屋敷で立往生していた俺にもいち早く気付いて助けにきてくれたのだから。そんなの、周りを見ていないとできなくないか?
「凪が人に親切にしてるとこ見ると、ちょっと驚く」
カレーをよそってテーブルに戻ってくる。そのタイミングで近づいてきたのは、先程の男だった。
「もしかしてさ、君って凪の彼氏だったりする?」
そっと耳元で囁かれ、ぎょっとする。首を巡らせてそちらを見ると、腰を伸ばして俺から顔を遠ざけながら男が微笑んでいた。
工藤はまだカウンターでサラダをよそっていて戻ってきていない。その状態で男は潜めた声で続けた。
「ごめんね、不躾で。もしそうなら、あの子のことお願いねって言いたかっただけだから」
「お願い、って、あの、あなたは工藤の……」
「あー、ええと、僕は凪の……神様? になるのかなあ」
「は……」
警戒を忘れて男の顔を見上げてしまう。男が言葉を探すように視線を彷徨わせた。
「ちょっと」
尖った声が投げ込まれ、空気が変わった。見れば、皿にもりもりにサラダやら唐揚げを盛った工藤が目を尖らせていた。
「紺さん、こいつに話しかけないで」
「なにそれ。やきもち? 凪でも妬くんだねえ」
「そういうんじゃないし。さっさと仕事戻れよ。店長が遊んでたらまずいんじゃないの」
「はいはい、口うるさいなあ。ゆっくりしてってね」
前半は工藤に、後半は俺に言い、男は去っていく。背の高い後ろ姿を見送っていると、はあっと工藤が溜め息をついた。
「ほんと軽っ。あんなんで店長とかあり得ない。なあ、あの人、なんか変なこと言わなかった?」
――神様、になるのかな?
「あー……いやー……」
「なに言われたかわかんないけど、気にしなくていいから」
ぴしゃりと窓を閉めるみたいな冷淡な口ぶりに口の中が苦くなった。
……神様ってなんだよ。あの人とどういう関係?
訊いてしまいたくなる。でも訊いたら絶対に工藤は機嫌を損ねる。わかる、けど。
「なんか、工藤のこと、よく知ってるみたいだったけど。昔からの知り合いとか?」
工藤は黙ってカレーをかきこんでいる。豪快な食べっぷりが眩しい。目を細めて見つめていると、三年くらい前、とぽん、と言葉が投げ出された。
「中三のときからの知り合い。俺、ここのカレーのファンだから」
「常連とかそういう話?」
「……ん」
わずかに挟まった間が、それだけじゃない、と語っていて胸の奥が軋んだ。
せっかくカレーは美味いのに。好きなやつとテーブルを挟んで昼間から一緒にいられるのに。
なんで俺の内側はこんなにぐちゃぐちゃなんだろう。
「俺、お前のこと、なんも知らないのな」
ぼそりと言うと、テーブル越しに蜂蜜色の瞳がこっちを見返してきた。まっすぐなそれを見ていられず、俺は視線をカレー皿に落とす。
「行きつけのカレー屋があることも知らなかったし」
「そりゃそうだろ。話してないし」
「あんな年上の知り合いがいることだって」
「でも、俺がわらび餅好きなことは知ってる」
いきなり言われて固まる。そろそろと目を上げると、カレースプーンを弄びながら工藤がこっちを見ていた。
「わらび餅のことはあの人、知らないよ?」
「そ……そうだとしても、なんか」
「当然だけど、俺が夜な夜なシャベル片手に森にいることも、あの人は知らない」
工藤の細い手が伸び、テーブル上のカップを取り上げる。ふわっと香ってきたのはシナモンの香り。
「丹羽しか知らないこと、いっぱいある。それじゃだめかよ」
……こいつ、ずるい。
そんなふうに言われたら、もうなにも言い返せなくなってしまうのに。出口を塞がれたみたいですごく……悔しい。
「なあ」
苛立ちから荒々しくナンをちぎっていると、かたん、と音を立ててカップがテーブルに戻された。
「このあと少し時間ある?」
「あるけど。なに?」
「一緒に行きたいとこあって」
一緒に行きたい?
「あの、俺、と?」
「うん」
「その、どこ?」
もやもやしていたのを置いて思わず身を乗り出してしまう。
「教えたら、行ってくれる?」
「南極とかじゃないなら」
「南極より行くの難しい場所、行こうとしてるくせに」
こらえきれないみたいにくっくっと笑う。学校ではまず見せない表情だ。そう思ったら胸がじわっと熱くなった。
「……いいよ。行こっか」
声が自分でも驚くくらい甘く響いてどきっとする。
どうしよう、なんでこんな声出しちゃったんだろ、俺。
「あ、いや、ほら、行きたい、なら」
「丹羽とがいいんだよ」
言いざま工藤が伝票を持って立ち上がった。紺さん、と工藤が呼ぶと、厨房にいたあの男が紺色の前掛けで手を拭きながらレジカウンターへとやってきた。
「はいー、ランチふたり分で1,500円だけど、1,400円におまけしてあげよう」
「いいの? 雇われ店長がそんな勝手して」
「子どものくせにうるさいねえ。君もこんな子と一緒にいると疲れるでしょう」
疲れない。知った顔でいろいろ言わないでほしい。
なにか言ってやろうか、と身構えた俺を制するように工藤が言った。
「こいつは俺とは違って普通のやつなんだから話しかけないでって。ほら、丹羽、行くよ」
ぐいっと腕を取られ、引っ張られる。店を出るとき振り向くと、紺と呼ばれたあの男が、軽く眉を顰めてこっちを見ていた。
ほんと、なんなんだろう。意味がわからない。
ただ、今一番気になったのはあの男のことじゃ、ない。
「なあ」
「なに」
「俺と違って普通ってどういう意味?」
「は?」
掴まれていた手を乱暴に振り解く。工藤の眉がくっと寄せられる。さっき俺達を見送っていた紺ってあの人みたいに。
「さっきの人はお前と同じなの? 俺だけ違うの?」
「なに、どした。変だよ丹羽……」
「こっちが俺の普通なんだよ!」
日曜の繁華街。ざわざわと通り過ぎていく人波に俺の声が反響する。注がれる視線に気付いて俺も言葉を一度呑む。でも荒れ狂う気持ちは止まらない。押し殺した声に容赦なく滲んでしまう。
「地底、俺と行くって言ったのに。俺にはなんも教えてくんない。なに? 俺がチャラいから? だから信用してくんないの? 言ったじゃん。チャラいのはふりだって。俺、工藤の前ではそういうのしてないよ? ってか、できないんだよ……」
ああ、俺はなにを言っているんだろう。こんなのどうかしている。どうかしているのに。
どうしようもなくこれが俺だって感じる。
「丹羽」
くん、と袖口が引かれる。いじけた犬みたいな目をしていると自分でもわかった。俺より背の低い工藤を上目遣いに睨むと、工藤がゆらっと首を傾げた。
「なんでいきなりキレてんの? 俺、なんかした?」
「してねえけど」
なにもしてないから、なにも言ってくれないから、俺は怒っている。
俺は全部をこいつに話したのに。
「一緒に地底行くんだもん。もっと知りたいって思っちゃだめかよ」
この言い方はさすがにウザいかも。そろそろ言われるかもしれない。ああ、マジ面倒って。そうさせないためにいつものチャラい顔をするべきなんだろうか。そう思って笑顔を作りかけた。
けど、失敗した。しゅうっと吸い込まれるみたいに笑みは顔の奥へと沈んでいく。
「あーもう……俺、なんなんだろ……」
「よし」
ぼやく俺の袖に絡んでいた工藤の指にくっと力が籠る。え、と顔を上げると、工藤は袖を掴んだ自分の指先に視線を落としていた。
「今チャラい顔したら、お前と探索すんのもうやめようかなって思ってた。でも、しないな。えらい」
「……んだよ、えらいって……」
こいつはすぐガキ扱いしてくる。俺より細いくせに。小さいくせに。
それがむかつくのに……なんで俺はこいつからのガキ扱いが嫌じゃなくなっちゃったんだか。
「できないんだって。工藤の前だと、なんか」
「そっか」
色のない、そっか、をこいつはどんな思いで発したんだろう。探るみたいに見下ろす俺をすうっと工藤が見上げてくる。
「一緒に行ってくんない?」
「え、あ、さっき言ってたとこ?」
「うん」
「どこ?」
「いいとこ」
拗ねていたのに気持ちが和らぐ。この状況は図書館に誘われたときに似ている。どこかも聞かないまま俺は、いいよ、と頷く。
なんだよ、素直じゃん、くらい言われるかもと思ったけど、工藤は言わなかった。言わずに歩き出した。
指先で俺の袖口を掴んだまま。



