地底人になりたいふたり~23時、チャラ王子と氷結王子は今日もシャベル片手に待ち合わせをしています~

 工藤は飲み終わったペットボトルを仕舞いながらだるそうにこっちを眺めてくる。その顔は学校でよく見る顔だ。ひからびたミミズでも見るみたいなそんな顔。
 ああ、ようやく戻ってきたいつも通りの空気だ。こいつらしくない顔をされても困るから空気を戻そうと言葉を重ねたのは俺。
 だから、こいつの反応は間違ってない。このほうが落ち着く。いいんだ。これで。いいはず。
 なのになんでだろう。胸の内にせり上がってきた感情はいつもよりずっとどろっとしていて……。
 押し込められない。
「俺の名前、そんなじゃねえから」
 もやもやを言葉に変換したとたん、工藤の顔からすっと笑みが引いた。怪訝そうな瞳がこっちに向けられる。
「そんなふうに呼ばれたくない」
 誰にも言ったことがない本音が、口から自然にまろび出てしまって自分でも慌てる。
 工藤もさぞ驚いただろう。けど、我慢できなかった。
 だって、ここは学校じゃない。俺達はチャラ王子でも氷結王子でもなくて、ただの……。
 ただの、なんだろ。
 首を捻りかけたとき、ふうっと工藤が息をついた。
「お前、なんなの。自分が先にチャラい顔してきたくせに」
「そ、それは、そうなんだけど。なんかどんな顔していいんだかわかんなくて、つい」
「ついってなんだよ」
 呆れた声を出してから、工藤はくるっと踵を返し歩き出す。え、と慌てたが、別にどこかへ行っちゃおうとかそういうことではなかったらしく、生い茂る木の一本にもたれかかるようにすとんと腰が下ろされる。
 その工藤の手がひらひらと閃いた。
「こっち来な」
「え」
「あー、めんどい。とっととおいでって。ほら」
 おいでってなんだ。犬かなんかか俺は。
 ぞんざいな呼び方をされて微妙な気持ちにもなったけど、俺は大人しく工藤に近づいた。金色のつむじを見下ろせる場所に来た俺に向かって、工藤は自分の隣を指さす。
 理解が追いつかないまま腰を下ろす。と同時にとん、と肩に肩が触れた。わ、と慌てたが、工藤は涼しい顔のまま、膝に顎を乗せた状態で顔を向けてくる。
「俺さ、お前のこと嫌い」
「……前にも聞いた」
 はっきり言われたし、学校での態度を見てればわかるし。
 今は同じ目的があるから一緒にいるんだろうけど、そうじゃなかったらこんなふうに隣り合って座ることだってないだろう。
 こいつにとって俺はその程度の存在。そんなのわかっている。
 わかっている。でも、やっぱり寂しい。
 俺、こいつの顔、好きだし。近くで見たいし。
 っていうか。
 ――アガルタに行こう。一緒に。
 これまであんなことを言ってくれたやつはいなかった。だからめちゃくちゃ驚いたけど、うれしかった。
 周り中異星人だらけの場所で、偶然同じ星の仲間に会ったみたいで。
 だから……俺は、こいつのそばにいたいって思っちゃったんだ。こいつともっと仲良くなって。もっと。
 でもこいつは違う。それがすごく。
 ……寂しい。
「え」
 物思いにふけっていた俺の耳をすっとなにかが掠る。感触に驚いて顔を上げ、固まった。
 軍手を外した工藤が指を伸ばして俺の耳たぶを探っていた。
 ぞくっとしてしまったのは、冷えた耳たぶ以上に冷たい指先のせいか。それとも触れられたことに心がバグってしまったのか。
「ちょ! 工藤、なに……!」
「右五つ、左四つ」
「なにが!」
「ピアスの数。入学式のときは右も左も一個ずつだったのに。なあ、これどこまで増えちゃうの?」
 あたふたする俺にお構いなく、細い指先は俺の耳を辿り続ける。
「しかもピアス増えるたびにチャラさ増してるし」
 初めは片手で、やがて飽き足らなくなったのか、反対の手も伸ばされ、両耳を指で辿られる。
「それってなんで? かっこいいと思ってやってんの? むかつくんだけど、お前のチャラ顔」
「な、に、勝手なこと言ってんだよ。って、ちょ、放……」
「放さない」
 さらっと言い、工藤は耳に触れていた手を滑らせて頬を包んできた。ひやりと冷えた手にどきっとする俺の顔を覗き込む工藤は、うっすらと笑っていた。
「穴掘ってるときのお前の顔、すごくいいよ。なのになんで学校ではあんななの? せっかく顔綺麗なのに」
「おまっ……なに言ってんだよ! 大体、あんなってなに……」
「そのままでも可愛いのにふりふりの悪趣味な洋服着せられた犬みたいな」
 今度こそ俺は完全に石化する。
 綺麗? 誰が? ……俺が?
 それって、俺が工藤の顔をこっそり見てたみたいに、工藤も俺の顔、見てたってこと?
 ……待って。そんなこと、そんなこと言われたら、俺。
 言われた言葉を必死に解析しようとしながら、俺は頬を赤らめる。
 胸のうちから勝手に湧きあがってくるのはあり得ないという思いと。
 ……じん、と体の中を焦がす、熱。
「ちょ、なに言ってんの。って、か、手! 手、放せって!」
 ……あああもう! どんな顔していいかわかんねえ!
 頬にかかる手を躍起になって払おうとするのに、離れてくれない。
「もしかして照れてんの?」
「う、うるさいな! いつも俺のことゴミ扱いしてくるやつに急に顔綺麗とか言われたら警戒して当たり前だろうが!」
「褒められ慣れてるくせに」
「そうだけど! そうじゃなくて!」
 ああ、もう。こいつほんとなんなんだ!
「工藤に言われるとどきどきしちゃうんだって!」
 慌てて口を押さえたけどもう遅い。工藤の顔からすっと笑みが消える。
「あのさ、ずっと訊いてみたかったんだけど」
 俺の頬を覆っていた手に力が籠る。くいっと顔を寄せられて俺はとっさに下がろうとする。でも樹にもたれているせいでそれ以上退けない。その俺に工藤はぐいぐいと顔を寄せてくる。
「丹羽、学校で俺のこと毎日見てくるけど。あれってなんで?」
 じわっと背筋が汗ばむのを感じ、俺は体を硬くする。
 どうしよう、やり過ごせるものならやり過ごしてしまいたい。入学したときからずっと見てたなんてさすがに気まずい。知られたくない。
「み、見て、ねえし! 自意識過剰なこと言うなよ!」
 ああ、ここまで言うことなかったのに。焦る俺を工藤は間近く見つめてくる。
 睫毛、めちゃくちゃ長いし。頬もめちゃくちゃつるっとしてるし。唇も懐中電灯の冷たい光の中で見ても赤くて……。
 どくどくと心臓が鳴る。いつも遠くから眺めている心の目薬が十センチと離れていない距離にあるとさすがにくらくらしてしまう。
 ああ、もう、こいつは俺のことを綺麗なんて言ってくるけど、俺なんて凡人だ。本当に綺麗っていうのはお前みたいなののことをいうんだって……なんて考えていた俺の目の前で、不意に工藤の目が揺れた。眼球だけが滑るように横に動く。
「工藤……?」
「しっ」
 鋭く制され、頬からも手が離される。その手が転がっていた懐中電灯を消す。一気に広がった闇に狼狽し俺は手を伸ばした。
「なに、急に。見えな……」
「黙れって。気付かれるだろうが」
 囁き声とともにぐいっと肩が引き寄せられた。乱暴な腕に巻き込まれるように頭が抱え込まれる。樹の幹と工藤の胸の間に体を押さえ込まれた俺の耳を、声がなぞった。
 声は男ふたりのもの。笑い合いながら通り過ぎていく。距離はかなり遠い。おそらくは森の外。舗装された道を行き過ぎただけだと思う。
 でも、真っ暗な森の中から光が漏れていたら不審に思われて通報されるかも。だから工藤はこんなことをしたんだろう、と合点がいった。
 ただそうはいっても、あまりにも近すぎる。声がじゃない。工藤と俺の距離が……!
 心臓が不自然に収縮を始めるのを止められない。掌にも汗をかいてきて、たまらず俺は工藤の腕をきゅっと握る。
「大丈夫」
 囁き声がさっき工藤に触れられたピアスをそろっとなぞった。
「すぐ行っちゃうから。大人しくしてな。いい子だから」
「いい子って……ガキ扱いすっ……」
 言い返そうとする俺の後ろ頭がくっと引き寄せられる。そうされて言葉が工藤の肩口で消えた。その俺の鼻腔に甘い香りが満ちる。なにかの花みたいな。これって、工藤の、匂い?
 しかも。
 細い体の中から音が聞こえてくる。規則正しくて、でもちょっとだけせわしない。
 これ、工藤の心臓の音……?
 それが俺の心音と重なるみたいに響いてくる。
 とっ、とっ、とっ。
 とく、とく、とく。
 重なる鼓動に耳を傾けているうち、たまらなくなってきた。とっさに工藤の腕を掴んでいた手に力を込める。
 工藤が横目で俺を見たような気がした、次の瞬間、
 俺の後ろ頭に当てられていた工藤の手がそうっと俺の頭を、撫でた。
「行ったな」
 ふうっと工藤の腕が俺の頭から解かれた。声にはなんの引っかかりもない。
 でも、俺は顔が上げられない。
 ……なに、今の。
 俺の混乱を置いてきぼりに、ぱちん、と音を立てて懐中電灯が点けられる。白い光に照らされて一瞬周囲が白んだ。それでも顔を上げられない俺の耳を声がなぞる。
「やっぱいいわ」
 目をしばしばさせながら確かめた視界に飛び込んできたのは。
「夜見る丹羽の顔」
 工藤。
 白金色の前髪がさらっと夜風に乱される。それを片手で搔き上げ、工藤がこっちを見ていた。
 儚くて危うい、ほかの誰とも違う笑みを浮かべて。
 ……瞬間、これまでで一番大きく心臓が痛んだ。
「もー、やめろよー。そういうの。ハズいから、マジで」
 動揺した俺が張り付けたのは、工藤が嫌いと言ったチャラい仮面だった。じゃらっと揺れる左耳のリングピアスをいじりながら工藤を流し見る。
 だって、こうでもしないと……会話、できない。
「あー、悪い、俺、宿題まだ終わってなかったの思い出した。今日もう帰るわ」
 こんなの絶対不自然だ。それは工藤も感じたかもしれない。目尻が綺麗に切れた目が不審そうにゆっくりと瞬きをしたから。
 けどもうなにを言っていいかもわからなかった。だからその工藤の顔から顔を背け、俺は慌ただしくスコップを掴んだ。放り出していたリュックを肩に負い立ち上がる。
「じゃな」
 工藤はなにも言わない。それをいいことに俺はその場から逃げ出した。
「俺、なにやってんだろ……」
 普段とは違う別れ方をしてしまったし、連絡来なくなっちゃうかも。不安いっぱいだったけど、杞憂だったようで、明け方に工藤からメッセが届いた。
 ――今度からは宿題くらい済ませとけ。そんなじゃいつまで経ってもアガルタに行けねえぞ、くそが。
 笑っちゃうくらい工藤の顔をした文字だった。
「なんだよ、あいつ」
 こっちがこんなに気にしてんのに、この気遣いゼロのメッセはどうだろう。げんなりしたとき、追加でぽっとスマホがメッセを受信する。ん、と薄目で見て……飛び起きた。
 ――勉強、わかんないとこあるなら言いな。教えてやるから。
「わけ、わかんねえ……」
 嫌味ったらしくて。こっちを馬鹿にしていて。
 氷結王子の匂いがする文字。一方で氷と真逆の熱も感じさせる言葉。
 自室のベッドの上、俺は枕に顔を押し付ける。
 ――やっぱいいわ。夜見る丹羽の顔。
 夜の俺の顔がいいと言う工藤。でもそれはむしろお前のほうだと思う。
 工藤の夜の顔を知れば知るほど、俺は工藤が気になっちゃっている。
 あいつのことなんてなにも知らないのに。
 ――丹羽くんは、自分の顔面が凶器だって知っておいたほうがいいよ。
「もうこういうの、やだったんだけどな……」
 零れた苦い呟きが枕に沁み込んでいくのを感じながら、俺は聞こえてきた声から硬く耳を閉ざした。