琵琶のほとりのクリスティ

 帳簿作業――正直に言ってしまうと、特別なことをしている予想はなかった。
 それはそうだ。帳簿なのだから。それ以上でもそれ以下でもなく、帳簿をつけているだけの、事務作業だ。
 しかし、ことここに限っては、それだけではなかった。
 はらりと垂れる髪を指先で掬い、耳元へとかける仕草。細く開かれた目元。静かな店内にあって、聞こえてくる吐息の音。
 どれも、女である私がドキドキしてしまうくらいに、絵になっていた。
 おまけに今、マスターさんは眼鏡をかけている。仕事中はかけていないからこそ、普段は見られない裏の顔を見てしまったようで、申し訳な有難い。思わず造語が生まれてしまう程だ。
 カウンター席……いいな。

「そうじっと見つめられると、緊張してしまいますね」

「そういう台詞は、せめて偽物でも相応の表情を作ってから言ってくださいよ。余裕そうで、そう見えません」

「あらあら、余裕があるように見えますか?」

「それ以外の見方が出来ない程には」

「喜ばしいことです。客商売である以上、変な表情をコロコロと見せる訳にはいきませんから」

「そういうものなんですか?」

「そういうものなんです。雫さんも、もう少し慣れてくれば、分かるようになる筈です」

 マスターさんは、ことのほかあっけらかんと言い放った。
 慣れてくれば、か。まあ確かに、まだまだ覚束ないこの身には、想像も出来ないことだ。
 しかし、マスターさんくらい自然な笑顔で、あれやこれやと正確に処理出来るようになるには、一体どれほどの時間が必要だろうか。
 いや、そもそも私にそうなることが出来るだろうか……。