琵琶のほとりのクリスティ

「あれ? でも、それならおじいさんの使っていたイーゼルやカンバスは?」

「あ、それなら、映らなくて当然かと」

 善利さんが答える。

「当然?」

「はい。人物画や風景画を描く時、被写体となる対象が正面に見えるよう、イーゼルは自分の斜め前に置くのが普通なんです。祖父は左利きだったので、左側にイーゼルを置いていた筈です。だから、今みたいに右側から私が倒れるようにして寝ていたなら、イーゼルは映り込まないんですよ」

「なるほど、そういうことか。さすが美術系、よく知ってるね」

「い、いえ、それほどでも」

 短くそう言って、善利さんはしばし、風景と写真とを交互に眺めていた。

「……そう言えば、ごめんなさい、私途中からすごく馴れ馴れしい話し方だったかも……こういうところが駄目だって言われたのに」

 いつからだったか、遠慮のない砕けた口調に変わってしまっていた。
 こういうところが、馴れ馴れしいって陰で言われていたところだったのに。

「いえ、構いません。私の方が幾つも年下ですから」

「いや、でも……」

「それに私、一人っ子なもので。おじいちゃんじゃない、甘えられるような人、と言うか、妹尾さんは心を許せそうな方だなって思いますから。勿論、来栖さんも。だから、そのままでお願いします。よろしければ、これからも」

「そ、そう? なら、このままで……」

「はい。妹尾さんの働きなくしては、今のような気持ちにはなれなかったと思います。ありがとうございました」

「いや、私は殆ど何も……クリスさんのお陰やって」

「いえいえ、それは違いますよ、雫さん」

 と、私たちの会話をただ黙って聞いていたクリスさんが割って入って来た。

「確かに、答えを示したのは私だったのかも知れません。けれど、道中の善利さんとの付き合い方、アレがなければ、今の心持ちも随分と変わってたことでしょう。打算的ではなく心に歩み寄ってくれること、それが嘘偽りでないことを証明するかのように必死になって共に真相究明へと努めたこと――どれも、替えの効かない貴女だけの強みですよ」

「く、クリスさん…!」

 そういう恥ずかしいことをさらっと言うの、ほんとにやめて欲しいんだけどな。
 でも――うん。今なら、少しくらいは胸を張れるかも。
 以前のままの私じゃない。私も、ちょっとは成長出来てるんだ。

「さて、そろそろ戻りましょうか。少し陽も傾いて来ましたし」

「ですね。あっ、そうだ善利さん。嫌じゃなかったらでいいんだけど、お店に戻ったら連絡先交換しない?」

「嫌だなんてとんでもない。後で、私の方から願い出るつもりでしたから。それに、喫茶店の方にもちゃんと客としてお邪魔したいので」

「そうだったんだ。じゃあ、よろしくね」

「はい。これからも、どうぞよろしくお願いいたします」

 ペコリと頭を下げる善利さん。
 その姿に私は、しっかりとしていながらも、どこかまだ子どもっぽさが隠れて見えた。
 ついさっき、無意識に『祖父』じゃなくて『おじいちゃん』って言ってるのが聞こえてしまったからかな。
 そんなことを思いながら、私は二人とともに公園を後にした。




 お店に戻った私たちは、クリスさんの淹れた珈琲を楽しみながら、連絡先を交換した。
 そうしてしばらく、何でもない会話に花を咲かせている間、クリスさんは私たちのことを温かい目で見守っていた。

 程よい疲れと達成感、そしてクリスさんの淹れた珈琲。
 今日はよくよく眠れそうだ。