琵琶のほとりのクリスティ

 翌朝。
 知らない天井と、知らない家具、そして知らない香りが、寝起きの脳を一気に覚醒させた。
 そっか。
 私、昨日はここでお泊りさせてもらったんだ。

「朝……珠子さん、もういない……クリスさんも」

 珠子さんは仕込みがあるから、という話は聞いていたけれど、まさかクリスさんもここまで早起きだったとは。
 と言うか、今何時だろう。

「五時半……」

 やっぱり、早起きだった。
 大きくしっかり伸びをして身体を起こしてやると、クリアになった頭は、昨夜のことを思い出した。

『ほんまおおきに、つゆさん』

 あの優しくて悪戯で素敵な笑みが、脳裏に蘇る。

「~~~~っ!」

 何だか無性に恥ずかしくなってきた。
 昨日はお酌ついでに私もまったりしてしまっていたから、すっかりとそんなことは抜け落ちてしまっていた。
 あんな顔で、あんなことを言われちゃったら……うぅ。

「あんな顔で……」

 恥ずかしい。けれど、優越感はある。
 あんな顔、私しか知らないんだろうな。
 常連さんも、ひょっとしたら珠子さんも、知らない顔なのかも知れない。

 ……なんか得した気分。

 顔を洗って私服に着替えて、借りていた寝間着は、言いつけ通り洗濯機に入れてから、私はお店の方へと降りた。
 階段の仲程から、既に良い香りが漂っていた。
 厨房の方に、珠子さんの背中を見つけた。
 仕込みをしながら、新聞を読んでいる。日課、なのだそうだ。

「おはようございます、珠子さん」

 声を掛けると、振り返り、柔和な笑みを浮かべる珠子さん。
 そう言えばそうなのだけれど、クリスさんと珠子さんの笑い方って、凄く似てるなぁ。

「おはよう、雫ちゃん。汐里の晩酌に付き合っとったみたいやけど、そのあとちゃんと眠れた?」

「あ、はい、それはもう…! お部屋、凄く良い香りだったので……あれ? クリスさんはどちらへ?」

 フロアにも厨房にもその姿がないことに気が付いた。

「あの子は散歩や。毎朝の日課なんよ。今さっき出ていったばっかりやから、追いかけたら出会える筈やで」

「ほんとですか! いっ、行ってきます!」

「気ぃつけて行くんやで。店出たら右、日牟禮(ひむれ)八幡宮の方やで」

「はい! 行ってきます、珠子さん!」

「はーい、行ってらっしゃい」

 珠子さんの言葉を背に受けながら、私は急いでお店を飛び出した。