琵琶のほとりのクリスティ

「えっ、忘れ物ですか……?」

 思わず聞き返す受話器の向こうで、クリスさんが『ええ』と答えた。
 ある日の夕方、十七時半頃のことだ。

『可愛らしいタコの巾着です。中にはお化粧品の類が入っているようですが――』

「私の物で間違いないですね……クリスさん、まだお店におられますか? 取りに行っても大丈夫でしょうか?」

『ええ、構いませんよ。夕食は済まされましたか?』

「え? いえ、まだです。母も夜勤に行ってしまいましたし、まったりと自分のペースで何か適当に食べようかと」

『なるほど。では、こちらでご用意いたしましょう。せっかくですし、ご一緒にどうです?』

「えっ、良いんですか?」

『勿論です。よくよく思えば、歓迎会のようなこともしていませんでしたし。如何でしょうか?』

「い、行きます、すぐ行きます! ちゃちゃっと着替えてすぐ行きます!」

『あらあら。ふふっ。お待ちしておりますね』

 クリスさんはふわりと笑って言った。

「あっ、そう言えば――クリスさん、日本酒って飲めますか?」

『日本酒? ええ、好物ですけれど』

「良かった! 母が知り合いから貰ったお酒らしいんですけれど、その母はかなりの下戸で……お好きなら、私の挨拶代わりに持って行きなさいって、預っているものがあるんです」

『あらあら、それは嬉しいお話ですね。では、せっかくですからお言葉に甘えると致しましょうか』

「はい! では、すぐに準備して伺いますね!」

『ふふっ。夕餉の仕込みもこれからですから、焦らずゆっくりといらしてください。それでは』

 そう言って、クリスさんは通話を切ってしまった。
 ただ忘れ物を取りに行く為の筈が、歓迎会、という一言に、何を着て行こうかという思いが湧いて来てしまう。
 仕事着しか見た事はないけれど、クリスさんは私服もきっと素敵なことだろう。
 せめて、その場に在ってもおかしくないような恰好でいかないと。