琵琶のほとりのクリスティ

 男性の鋭い両目が、再びクリスさんを捉えた。
 そんなクリスさんは、心底呆れたものを見るような目を向け、少しも笑っていない。

「私の悪口を言われたくらいなら、まだ耐えられたのですけれど。そういう訳にもいきませんね」

「何やて?」

「見逃してあげたのに、と申しているのです。うちの子を悪く言わないままお店を出ていたならば、ね。その髪の毛は、その子のものでも、私でも、まして調理担当の祖母のものでもございません。当然、他のお客様のものでも」

「言いがかりやろ」

「それはどの立場から言っているのか分かりませんが――おや、お客様、随分と髪を伸ばしているようですね。綺麗に束ねて金色、かっこいいじゃありませんか」

「何や急に、気色悪い」

「お店を訪ねられた時には、そのようにしておられませんでしたよね」

「食うんに邪魔やったからな。いつものことや」

「なるほど。あら? では、お連れさんの手首に巻かれていたヘアゴムは、どこへ行ってしまったのでしょう? 普段から食べる時に邪魔なら、ご自分で持ち歩いている筈ですよね?」

 クリスさんが視線を寄越した、男性が座っていた向かいの席にいた女の人は、バツの悪そうな表情で視線を逸らした。

「その髪……黒く戻っている根本の部分は凡そ三センチ。染めたのは約二、三ヶ月ほど前ですね。おや、このカレーライスに入っている髪も、根本だけ黒く変色しているようです」

 クリスさんは、それを摘まみ上げて男性の眼前へと押し出した。

「雫さんはもっと色の濃い茶色、それも一週間ほど前に染めたばかり。根本はさほど変色しません。私は人生で一度も染めたことはない黒。祖母は全て白髪です。加えて、貴方が来店された際にいたお客様は、まだ誰も出ていってはいませんが――あら残念、金色にしている人は誰もいなさそうですね」

「だ、だったら何やねん…!」

「おや、分かりませんか?」

 ひと際穏やかに発した後で、クリスさんは目の色を変え、鋭い声音で言った。

「私のことは特に何言ってもかまわへん。せやけどな、謂れのないことでうちで雇ってる子を悪い風に言われて、店主の私が黙っとると思わんときや」

 クリスさんの言葉に、男性は捨て台詞の一つも吐かないまま、さっさと店を飛び出していった。
 バタン! 扉が強く締められる。
 嵐が去ったことを少し遅れて理解すると、私はまた、自然と涙が溢れて来てしまった。
 その場で蹲るようにして顔を隠す私に、カウンターからクリスさんがハンカチを差し出してくれる。
 一番の被害を被った当の本人は、涼しい顔をしたままカウンターから出て来た。

「すみません、雫さん。着替えてまいりますから、少しの間だけお待ちください。花音さん、申し訳ありませんが、少しの間だけ雫さんをお願い致します」

 短く言い残して、クリスさんはそのまま奥の方へと姿を消した。