◆未完成の旋律◆

 2010年、東京。レコーディングスタジオ。
ミライはヘッドフォンをつけ、マイクの前に立っていた。ガラス越しにはシュン。

「ミライ、もう一度サビから」

音楽が流れ、彼女は歌い出す──。しかし、シュンは手を挙げて演奏を止めた。

「……違う」
「何が?」
「お前の歌から、何かが抜け落ちてる」
「……そんなこと言われても」

シュンは腕を組み、じっと彼女を見つめた。

「お前の歌──まるで望月来人みたいだ」

ミライの胸がざわつく。

「……どういう意味?」
「完璧で美しい。ただ、自由に放ちたいのに、どこか感情が押し込められているようにも感じた」

その言葉を聞いた瞬間、ミライの口から思わず言葉がこぼれる。

「……お父さんみたい」

シュンの目が大きく見開かれた。

「……お父さん?」

ミライははっとして、口を手で押さえた。

「今……なんて?」

シュンの声が震えていた。

「まさかお前……望月来人の娘なのか?」

◆ミライがシュンに惹かれた理由◆
 
 ミライはシュンを見つめた。彼の音楽にどこか懐かしさを感じた理由が、今はっきりと分かった。

(……そうか。私、最初からこの人の音楽に、お父さんの影を見てたんだ)

思い返せば、シュンのプロデュースした音楽には、どこか父のスタイルに通じるものがあった。

(でも、それを認めたくなくて……ずっと考えないようにしてた)

シュンは信じられないというように、ゆっくりと椅子に座る。

「……ずっと、気になってたの」
「何が?」
「あなたの音楽。どこかお父さんに似てるって、最初に聴いた時から思ってた」

シュンは眉をひそめた。

「俺の音楽が……望月来人に?」

ミライは小さく頷く。

「音の作り方、旋律の流れ、完璧を求める感じ……まるでお父さんみたいだった。でも、何かが違ったの。あなたの音楽には、迷いがある」
「迷い……?」
「うん。お父さんの音楽は、絶対的な正解を持ってた。でも、あなたの音楽は、まるで“正解を探してる”みたいだった」
「だから私は、あなたの音楽に惹かれたのかもしれない。お父さんに似ているのに、違う。正解を探して、迷いながらも音を作ろうとしてる──それが、すごく人間らしくて、心を動かされたの」

シュンはゆっくりと息を吐いた。

「……お前のお父さんが、望月来人だったなんて、知らなかった」
「私も、言うつもりなかった。ずっと、お父さんの名前の影に隠れて生きてきたから……」
「俺は……ずっとあの人の音楽に憧れてた」
「……そうなんだ」
「ガキの頃、初めて望月来人の曲を聴いた時、衝撃を受けた。俺の中で、完璧な音楽っていうのはあの人のスタイルだった」

ミライはそっと目を伏せた。

「私も、お父さんの音楽はすごいと思ってた」
「……だけど、それが呪いになることもある」
「呪い?」
「そう、呪い。お前の歌、たしかにすごいよ。でも、まだ“自由”が足りない」

シュンはじっと彼女を見つめた。

「お前の音楽は、お前自身のものか?」

ミライは言葉を失った。

◆父の書斎──知らなかった想い◆

 シュンとの会話の後、ミライは父の書斎へ足を踏み入れた。目の前には、長年立ち入りを禁じられていた書斎の扉がある。深呼吸をして、意を決し、ドアノブに手をかける。部屋の中は静かで、空気が重かった。ミライの胸が締めつけられる。机の上には、父の日記があった。

『ミライが生まれた。こんなに嬉しいことはない。』
『初めてピアノを弾いた。下手くそだったけど、最高に楽しそうだった。』
『いつの間にか、音楽を厳しく教えることが増えてしまった。でも、本当はただ、ミライに音楽を楽しんでほしいだけなのに──。』

ミライは震える手で、カバンから封筒を取り出した。怖くて開けられなかった父の手紙──。ゆっくりと、封を切る。封を切る手が震える。

『ミライへ』

最初の一行を見た瞬間、涙が込み上げた。

『今まで厳しく音楽を教えたのは、自由に音楽をやるためには、本当の音楽を知ることが大事だからだった。だから、必要以上に厳しく当たってしまった。申し訳ない。』

ミライは手を口元に当てた。

『でも、本当はずっとお前の音楽が好きだった。お前の歌が好きだった。だから、もう自分の音楽を自由にやりなさい。』

「……何で、生きてるうちに言ってくれなかったの……」

膝から崩れ落ち、ミライは泣きじゃくった。

(……ずっと、許せなかった。お父さんは、私に完璧を求めた。私の音楽を、私の歌を、全部、お父さんの理想に押し込めた。だから、私はお父さんの音楽を憎んだ。お父さんのことを、憎んだ。)

涙が一筋、頬を伝う。

(……でも、本当は、お父さんも、迷ってたんだ。私に音楽を教えることで、お父さん自身も“正解”を探してたんだ。)

机の上には、埃をかぶった写真立てが置かれている。写真立てを手に取る。そこには、小さなミライを抱いて笑う父の姿があった。

「……こんな顔、してたんだね」
「お父さんも、ただ私に音楽を楽しんでほしかったのかな」

ミライは優しく語り掛けた。

(お父さん、私は──自由に歌うよ。お父さんの音楽を受け継ぐんじゃなくて、私の音楽を作る。)

「だから……ありがとう」

涙を拭い、ミライは静かに笑った。

◆シュンのトラウマの解放◆

 翌日。
スタジオのピアノの前に座るシュンの元へ、ミライが来た。

「ねえ、シュン」
「ん?」
「あなたの音楽も、どこか抑えてる気がするの」

シュンの指が止まる。

「……」
「あなたはいつも、“正解”を探してる。でも、音楽に正解なんてないんじゃない?」

シュンは、少し驚いたようにミライを見る。

「……そんなこと、考えたことなかった」
「お父さんも、ずっと正解を求めてた。でも、最後の手紙には“自由な音楽をやりなさい”って書いてあった」
「……。」

ミライは微笑む。

「だから、シュンも自由になっていいんじゃない?」

シュンは目を伏せた。

「……俺は、音楽が怖かった」
「怖い?」
「子供の頃から、ずっと完璧を求められた。音楽は数学みたいに、“正しい答え”があるものだって思い込んでた」
「親父は官僚で、“音楽なんて娯楽にすぎない”って思ってる人間だった。でも、クラシックだけは“芸術”として認めてた」
「それで、ピアノは許されたの?」
「ああ。……俺の家では、音楽っていうのはクラシックだけだった」
「親父は、音楽を“勉強”みたいに扱っててな。正しい演奏、正しい解釈、正しい音色──それ以外は全部価値がないって」
「そんな中で、どうしてギターを?」

シュンが微かに笑う。

「きっかけは、望月来人の音楽だった」
「お父さんの?」
「ああ。クラシックだから、聴くのは許された。……でも、初めて聴いたとき、衝撃だったんだ」
「俺が知ってるクラシックって、もっと整然としてて、厳格で、感情を抑えたものだった」
「でも、来人のピアノはそれとは全く違った。クラシックなのに、自由で開放感があった。まるで型にはまった道を歩くのではなく、自分のペースで演奏しているようだった」
「音に命が宿っているようだった」
「それから、俺はクラシックの“正解”に違和感を覚えるようになった。ある日、思い切ってギターをやりたいって言ったら、“くだらん”の一言で終わりだった」
「そうなんだ」
「結局、俺はピアノをやるしかなかった。親父に逆らう勇気もなかったし、それが正しいと思い込もうとしてたんだ」

◆シュンの回想シーン──幼少期◆

 夜。静かなシュンの部屋。
母がそっとドアを開け、何かを抱えて入ってくる。

「シュン、ちょっとこっち来て」

シュンがベッドから降りると、母が布に包まれた細長いものを差し出す。

「……何?」

母は優しく微笑む。

「開けてみなさい」

シュンが恐る恐る布をほどくと、中から小さなアコースティックギターが現れる。

「えっ……!」

目を輝かせながらギターを抱え、震える指で弦を触る。

「これ……俺に?」
「シー。でも、お父さんには内緒よ」

母はそっとシュンの肩を抱く。

「あなたが音楽を好きな気持ち、私は知ってるから」
「……でも、父さんが知ったら……」
「大丈夫。あなたが本当にやりたいことなら、きっといつか分かってもらえる」
「ありがとう……母さん」

母はそっとシュンの頭を撫でる。

「さあ、寝る前にちょっとだけ弾いてみなさい」

シュンは嬉しそうにギターを構え、小さく音を鳴らし始めた──。

──回想空けて──

「だから、俺はピアノの練習をするふりをしながら、影でギターを練習した。自分の音楽を探したかったんだと思う」
「……」
「でも、ミライの歌を聴いて思った。音楽に正解なんてないのかもしれないって」

シュンはそっと目を閉じ、深く息を吸った。

◆レコーディング、二人の音楽の融合◆

 数日後。レコーディングスタジオのロビー。
シュンはミライを見つめながら、静かに言った。

「完璧な音楽なんて、もう求めなくていい。君が歌いたいように歌え。俺がその音楽を全力でプロデュースする」

ミライは微笑んだ。

「ありがとう、シュン。わかった!」

静かに息を整えるミライ。 シュンはギターを手に取り、レコーディングブースのドアを開けた。

──数分後、レコーディングスタジオ。

ミライがマイクの前に立つ。シュンが機材の前に座り、指示を出す。

「ミライ、思いっきり歌え」
「シュン、正解なんて求めないで演奏してね」

ミライは深く息を吸い込み、目を閉じる。シュンはその様子を見て集中力を高める。そして、ミライはゆっくりと歌い始めた。シュンのギターとミライの声が重なり合う瞬間、空気が弾けたような感覚があった。誰もが息をのむ「音楽」は、ここにあった。

「……これが、私たちの音」

ミライが呟く。
シュンが静かに頷いた。

「俺も……自由になってみるよ」

シュンの中で何かが変わった。抑制された子供時代の記憶と、歌声をなくしたあの日の悔しさを打ち破り、音に魂が宿った。今までとは違う──自由な音が広がっていく。シュンは笑った。

「これだよ!これが俺たちの音楽だ!」

ミライも笑う。

「うん!私たちの音楽!」

こうして、二人の音楽が、ようやく一つに溶け合った。
……そして、メジャーデビューへの道が、静かに動き出した──。