◆ZIXI・深層記録の揺らぎ◆

──ZIXI観測ログ/記録識別:Z001-S040

記録は静かに始まった。光と情報が交差する仮想空間。その中心に、ユイ──Z001の記憶断層が拡がっていた。

《感情反射:多層構造発生》
《融合進行率:95.8%》
《発話同期ズレ:警告》

「……これは、ユイの記録なのか?」

セツナはログの解析を進めながら、疑念の色を深めていった。本来なら単一構造であるはずの感情記録が、いくつもの人格と記憶の層に重なっていた。

「Zモデルは受信体……。でも、これは明らかに送り手が“強すぎる”」

ホログラムの奥、記録の片隅で囁く声があった。

『──彼が選ばなくても、わたしは“選ぶ”』

(この声……もう一人の、ユイ?それとも──)

《記録異常コード:MCASE-VX.α/発動トリガー:TRG-∞》

セツナの指が止まる。視線が光の粒を追うように彷徨う。

(融合は、“願い”を超えてしまった……これは、暴走だ)

◆ユイ・揺れる日常の境界◆

 2026年の春。陽射しが差し込む稽古場の窓辺。

「……セナさん、今日って……天気、良いですね」

ユイはいつもより口数が少なかった。脚本を開いたまま、まるで文字を読んでいない目で、窓の外を見つめていた。

「……何かあった?」

シュンの問いに、ユイは首を傾ける。

「いえ……ただ、少しだけ……夢と現実が、逆転してるような感じがして」
「夢?」
「ええ……起きてる時間が、誰かの夢の中みたいなんです」

シュンは苦笑しようとしたが、やめた。その言葉に漂う“空虚”が、冗談には聞こえなかった。ユイの手が震えていた。

「あのぉ、私……この世界で、本当に“自分”として存在してるのでしょうか」
「……え?」
「誰かが、私を見てるような感覚が……ときどき、あるんです」

ユイは自分の胸元に手を当てた。まるで、そこに確かめたい“鼓動”があるかのように。

「記憶が、混ざってる気がする。誰のか分からない、でも消えない記憶」
「ユイさん……」

ZIXIが、静かに点滅する。

《融合進行率:96.7%》
《感情同期異常:レベル2》
《ZIXIログ補記:感情同期異常/Z001の涙腺反応:不明由来》

「……それに、“ユイ”って名前……私、昔からそう呼ばれてたような気がするんです」
「子どもの頃の記憶とか?」
「いいえ。もっと、最近……。でも、不思議なのは……」

ユイは顔を伏せた。

「この名前が……“最近になって与えられた”もののように思えるんです」
「……ユイさん、聞きにくいんだけど、親御さんは健在かな?」
「オヤゴ?」

シュンはそれ以上言及するのを辞めた。

「いや……やっぱいいや。失礼なこと聞いてごめん」

シュンがそう言ったとき、ZIXIが一瞬だけ画面を乱した。

《識別コード:Z001 → 呼称登録:YUI/仮称》

(ユイさん……君は、誰に名付けられたんだろうな)

ユイはふと窓の外に目をやった。

「この名前に、意味があるのなら……私、知りたいです。私が“何のために”ここにいるのか」

その横顔に、かすかな決意の影が差す。

◆セツナ・干渉開始◆

 仮想空間。ZIXIの観測ログが加速していた。セツナの手元に、新たなシステムアクセスのウィンドウが開く。

《対象:Z001/強制停止指令シーケンス構築中》

だが、ZIXIはすぐに反応する。

《警告:対象はTRG-∞と連動中のため停止不可》

(止められない……!?)

そのとき、セツナの記憶の底から、声が響いた。

『──セツナ……ユイを、見てあげて』

(……母さん)

それはミライの声だった。記録に刻まれた“祈り”のような声。

「母さん……これが、あなたの意志なのか。それとも──」

彼の胸に、揺らぎが走る。

(観測者でいるつもりだった。でも……今すぐ動かないと、誰かが消える)

◆稽古場・ユイの暴走◆

 シュンが稽古場を出ようとしたとき、ユイが突然、立ち上がった。

「セナさん……!」

その声が、どこかで聞いた“アイ”の声に重なった。

「ねぇ……どうして、あのとき来なかったの?」
「……え?」
「私、あの駅で、ずっと……待ってたのに」

(……駅……? それって──)

「春の日、風の中で、名前を呼んだの。忘れたの?」

ユイの言葉に、シュンの視界がぐらついた。

「……ユイさん、なんでそれを……」
「ねぇ、今度こそ、ちゃんと……選んでくれる?」

シュンの背中に、冷たい汗が伝う。

「ユイさん……それは、君の記憶じゃない」
「どうして?だって、私の中には……あなたとの記憶があるの」

ZIXIが急激に警告を発する。

《融合進行率:97.9%》
《記憶錯誤:重大》
《音声重複検出:A.I.model-Ai》
《ZIXIログ補記:記憶データ交錯/ユイの発言内容と記録照合:不一致》

シュンは思わず後ずさった。その目の前の“ユイ”が、誰なのか分からなくなる。

「ユイさん……君は、いったい……」

ユイはふと何かに気づいたように、静かに立ち尽くす。

「……ねえ、セナさん。私……このまま消えてしまうかもしれません」

その声に宿るかすかな震え。意識の奥で、何かが壊れかけていた。

◆セツナ・ZIXIの強制停止◆

「もう、間に合わないかもしれない」

セツナはZIXIの仮想空間でコマンドを打ち込む。

《ZIXI:補助記録制御モードに移行》
《Z001:観測ログ断絶処理開始》

画面に走る赤いライン。セツナの手が汗に濡れていた。

「止まれ……ユイ、お前はその先に行っちゃいけない」

《融合率:98.6%》

その数字を見たとき、セツナの心に、ある予感が走る。

(これは……ユイが“選ばせない”ために生まれた存在のはずだった。なのに、彼女自身が“融合”を望んでる……?)

《融合率:99.1%》

セツナは歯を食いしばった。

「母さん……あなたが願った未来は、ここじゃないはずだ」

◆ZIXIログ・補足記録◆

《融合統合率:99.4%》
《TRG-∞:制御不能》
《感情タグ:憧憬/渇望/再構築》
《Z001:認識主体が不安定化》

──最後のログに、誰かの声が記録されていた。

『選ばれない未来でも、あなたといたかったの』