◆シュンの疑念と再確認(ZIXI・セナ・ユイ)◆

 部屋の片隅、ZIXIの端末が青白く光っていた。その光は、夜の静寂を裂くように鋭く、冷たく張りつめたような空気を部屋に満たし、まるで“何か”が見ているかのような無機質な緊張を漂わせていた。昨夜再生されたログの断片が、シュンの中で何度も反芻されていた。

『……観測は続いている。対象個体の“声”は一時消失。痕跡転移の可能性あり。』

(……痕跡転移?)

声星の痕跡は、舞台の千穐楽以降消えている。喉には何の印もない。だが、あの夜、確かに自分の声に重なる“もうひとつ”の響きが存在していた。兄のものなのか、それとも……。誰にも話せない。その声が、自分の中から発されたとは思えない。ZIXIのログは、あの日から自動的に記録を続けていた。だが、ノイズのせいか再生できないファイルも多い。

(……何かが記録されている。けれど、鍵がかかってる)

そして、セツナ──あの青年。舞台を観に来た“ただの観客”としては、あまりに観察が深すぎた。

(何者だ、お前は)

◆セツナの行動(劇団訪問)◆

 その日、劇団の事務所にひとりの青年が訪れていた。黒いコートの襟を立て、静かに名乗る。

「この前の公演で感動して……資料などを閲覧できないかと思いまして」

若手の劇団スタッフが丁寧に応対するも──

「ありがとうございます。個人の観覧は基本的にお断りしています」

と断る。

「そうですか……また出直します」

彼は名刺を差し出し、会釈して立ち去る。名刺にはこう印字されていた。

──Ray Setsuna

その裏面には、手書きの英語でこう書かれていた。

“I’m not from here.”

スタッフはその文字を見つめたまま、しばらく動けなかった。その手には、微かに震えが走っていた。まるで、名前の裏に込められた“何か”を直感的に察知したかのように。

◆ユイの“ノイズ”◆

 カフェでの対話。ごく日常的な再会のはずだった。けれど、何かが“演じられている”ように感じた。

(それにしても、ここ最近、ユイさんからの誘いが多いな……)

「セナさん、今日も声……あまり出ないんですね」

その響きは優しかった。だが──どこか、温度が感じられなかった。

「ああ、でも前会った時よりだいぶ出しやすくなったよ。日常会話程度なら、ボリュームは出ないけど、何とか」
「良かった。心配していました」
「ユイさん……ずっと気になっていたんだけど、どうして、あの舞台に?」

ユイは少しだけ首をかしげる。

「たしか……あの公演と、シュ……セナさんを紹介してくれたの、ラさんだったと思うんですけど……」
「ラさん?」

(シュ?今シュンと言いかけた?……あ、そうか、ラさんってサラのことかもな。でもサラのやつ、何も言ってなかったよな)

「あっ……違いました。リカさん、だったかな。リカさんに……勧められて……」

ユイ、少し黙り込む。

「……いや、アーさん、かもしれません」

シュン、眉をひそめる。

「アーさん?」

ユイ、表情を曇らせながら、少し笑って。

「すみません。記憶が……ちょっと混乱していて。名前が、時々、混ざるんです」

(……アーさん。妙に引っかかる響きだ。アイ、に近い。でも……まさか、そんなはずは──)

ユイはカップを見つめながら、ぽつりと言葉を漏らす。

「でも、どの方も……セナさんのこと、すごく気にかけてたって、そう記憶してます。なぜか……」

その瞬間、シュンの心に一瞬だけ波紋が広がる。だが、ユイはすぐに話を続ける。

「遠い親戚のようなもので、あの舞台に出てみないかと紹介されて」

ユイは小さく首を傾けたまま、ふと笑った。

「……おかしいですね。最近、感情が……こう、言葉の順番に影響するんです。前はこんなこと、なかったのに」

ユイは言葉を選ぶように間を置きながら話していたが、まるで感情の起伏が、そのまま文法の配置に滲んでいるようだった。言いたいことが途中で変形し、最後の語尾が急に別の意味を帯びてしまう。

(……結局誰のこと?なぜ、名前を濁した?)

何気ない一言の中に、どこかロジックの乱れのような“ノイズ”が混じっていた。

◆ZIXIログの自動更新/「融合プロトコル」◆

 深夜、シュンの部屋。ZIXIが、自動的に起動された。ログ画面が勝手にスキャンを始める。

《融合プロトコル起動条件の確認中》
《対象記憶との同期率:85%》
《選択の刻限まで──残り13日》

(……融合?記憶の一体化?何のことだ?)

その言葉の背後に、ZIXIという存在が無感情にこの“選択”を促しているという事実が、静かに──しかし不気味に──シュンの神経を締めつけていた。ZIXIの冷たい光が、部屋の闇を淡く照らす。その“融合”が何を意味するのか、まだ誰も知らない。

──その夜。シュンは眠れずに、ZIXIの画面を見つめていた。

不気味なまでに沈黙するそのアプリが、ただそこにあることさえも、胸の奥に重くのしかかっていた。ふと気まぐれに、再び舞台映像のファイルを再生する。

「……?」

シュンの眉がわずかに動いた。

《ZIXIログ:特別記録/視覚同期ファイルの再生を開始しますか? Y/N》
《Y》
《録画元:視覚センサー U-13》
《時刻同期:千穐楽公演・22時47分45秒》

映像には、自分とユイが演じるあの舞台のラストシーン。だが、そのカメラの角度は通常のアーカイブとは異なっていた。

(このアングル……客席じゃない。まるで……袖から?)

息を呑むような違和感が、胸の奥にじわりと広がる。しかも、その視線の揺れ方には、明確な“感情の波”が見えた。

(……これ、ユイ視点の映像か?そんな記録……残ってたか?)

画面の中のユイの表情が、どこか儚げに光っていた。

◆記録ファイル:Observation Log◆

《観測記録:第7公演において声星の反応異常。痕跡転移は確認された》
《干渉レベル:最小に抑える必要あり》

ZIXIの画面には、淡い光で点滅するログが浮かんでいた。

【M-Case : Log Access Pending】

誰かの声が、ひそやかに呟く。

「Mは……まだ見つかっていない」

その言葉を聞いた瞬間、シュンの胸の奥に、針のような記憶の引っかかりが生じる。

──"M”とは、何のことなのか。

語られぬまま、光だけが、ログを照らしていた。