◆千穐楽の開幕前、父の来場◆

 舞台公演の千穐楽。楽屋入りしたシュンの胸には、昨日の対話の残響が、ひとしずくのざわめきとなって残っていた。

昨日の父との会話──

たった数行の言葉が、まるで過去から舞い戻った残響のように、心の奥に沁み続けていた。支度を整える手を止め、シュンは鏡に映る自分の顔を見つめる。額のかたち、喉仏の輪郭、まなざしの奥。

(……父さんに、似てきたな)

そう思うたび、幼い頃に投げかけられた何気ない言葉がふと甦る。それは厳しさに包まれていたけれど、今は優しさの匂いがする。

「今日は神回になる気がするな」

共演者のひとりが笑いながら声をかけてきた。

「……だな。千穐楽って、いつもと違う力が降りてくるから」

シュンも静かに頷く。舞台袖に向かう途中、ふと客席を覗き込んだ瞬間──

(……え?)

観客の波の中に、ひときわ背筋の伸びた男の姿があった。

(父さん……?)

母からは「行かないって言ってた」と聞かされていた。それなのに──父は、開演前の静けさの中、ただ黙って舞台を見つめていた。その姿を目にしたとき、心の奥から言葉が立ち上がってくる。

──『お前には、自由でいてほしかった』

あのときの、あの目。何も言わず、すべてを受け止めていた父の沈黙が、今になって胸を締めつける。

◆舞台中に起きる“異音”◆

 開演のベルが鳴り響く。舞台には、千穐楽だけが纏う特別な空気が広がっていた。それは緊張とも違う、静かな炎のような集中力。クライマックスの場面──シュンが、大切な台詞を放ったその瞬間。ZIXIは、自動で記録モードに移行していた。

《音声ログ収録中:一致率スキャン開始》

だが直後、その画面に異変が現れる。

《警告:音声の重複記録を検出》

(……重複?)

なぜZIXIが“重ね録り”と判断したのか──その答えは、舞台の上にあった。不意に胸がざわつく。舞台袖に戻った瞬間、胸騒ぎのままZIXIを手に取り、誰にも気づかれないよう再生を始めた──そこには、たしかに“もうひとつの声”が重なっていた。

(この声……)

その響きは、かつてログの中で聞いた、兄の声に酷似していた。その瞬間、時の流れが一瞬止まったような気がした。カーテンコールが訪れ、舞台は無事終焉を迎える。この千穐楽の舞台は、観る者、演じる者すべてに、どこか“異質な感動”を残した。誰も明確に言葉にはできないまま、それぞれの胸の奥に、静かに沈んでいった。舞台上では誰も気づかなかったようだが、演出家は不思議そうに呟いた。

「……今、一瞬だけだけど……セナくんの声が、二重に聞こえた気がして」

……

楽屋に戻ったあとも、共演者たちはざわめいていた。

「舞台の神が降りてたよね」
「……いや、降りたっていうより……誰かが“重なった”みたいだった」

観客のひとりも、帰り際にぽつりと呟いた。

「……主人公のあのセリフ、途中から……違う人が一緒に喋ってたように聞こえた」

終演の拍手は、どこか震えるような余韻を残していた。

──その時、ひとりの青年が劇場の後方席に立ち尽くしていた。

終演の拍手の中でも、彼の表情は微動だにしなかった。まるで、自分の“出番”を待つ者のように──。

「……やっぱり、ここか」

ユイの芝居を見つめる瞳には、何かを確かめようとする光が宿っていた。舞台の中盤、セナの声が一瞬だけ重なったとき、彼は確かに“何か”を感じていた。けれど、それはまだ──誰にも言えない“違和感”のままだった。

◆打ち上げの静寂と父の姿◆

 共演者たちの笑い声が、打ち上げ会場へと遠ざかっていく。シュンは、ただひとり舞台袖に残っていた。

(……終わったんだな)

通路の先、照明の落ちたロビーに、ひとつの影が佇んでいた。

──父だった。

「……良かったよ」

それだけを呟き、静かに視線を合わせる。その瞬間、父の瞳がシュンの喉元へと一瞬向けられた。

「……“星”が、消えているな」
「え?」
「……いや、独り言だよ」

父の声には、何か過去と未来をつなぐような揺らぎがあった。

「……ありがとう、父さん」

言葉はそれだけでよかった。

◆消えた声星と、兄の記憶の気配◆

 帰宅後、シュンは静かにシャツを脱ぎ、鏡の前に立った。喉元を指先でなぞる。かつてそこにあった、小さな“星のアザ”──声星。

(……ない)

消えていた。それは、名もなき星が旅立つような静けさだった。まるで、誰かに受け継がれていったかのように。ZIXIが、静かに起動する。

《ログ再生中:HAYATO_Overlay.mic》

再生されたのは、あの千穐楽のシーン。舞台の上で放ったシュンの声。

──そこに、もうひとつの声が重なる。

それは、録音でも記録でもない。まるで“記憶の奥”から浮かび上がってきたような感覚。

(……この身体の奥で、兄さんの“声”が目を覚ました気がした)

忘れかけていた感情、言葉にならない想い。それらすべてが、兄の“声”に導かれるように、胸に染み込んでくる。

(あの夜、あの舞台で……兄さんの声は、俺の中に棲みついた)

◆TINEからの新着メッセージ◆

 スマホが震える。TINEに、新着音声メッセージが届いていた。

差出人:非公開
メッセージ:「次は──“セツナ”の番だ。君は、もう気づいているだろ?」

(……セツナ?)

その名前を目にした瞬間、胸の奥で何かがざわりと動いた。

──既視感。いや、それ以上。

(聞いたことがある……いや、知っている)

そう、確信にも似た感覚が、脊髄を撫でるように走った。

(これは……これまでの“演出”とは違う)

物語は、新たな舞台へと進もうとしている。