◆朝の静けさと、ZIXIのログ通知◆

 早朝、カーテン越しの柔らかな光が部屋に差し込んでいた。シュンは静かに目を覚ますと、枕元のスマホに手を伸ばす。画面には、ZIXIからの新着通知が表示されていた。

《新しい記憶ログが開示可能です:2003年8月15日 今井家・居間》

(2003年……俺、23歳の頃か? そんな記憶、あったか?)

表示された日付と場所は、記憶の片隅にもなかった。だが、ZIXIが提示するものには、必ず意味がある。まるで記憶が、今この瞬間を選んで開かせているかのように──。シュンは深呼吸して、再生ボタンを押した。

◆開かれた記憶:父と母の会話◆

 再生されたのは、くぐもった環境音と共に、聞き慣れた両親の声だった。

『……ハヤトの話はやめて』
『でも、あいつは……あの子は“持ってる”。それが怖いんだ』
『シュンには、同じ思いをさせたくないの』

会話は短く、しかし重かった。

(……今のは……母さん?)

ハヤト。あの名前が、また出てきた。

“あの子は持ってる”。

──持ってる?何を?

父の声は、演技の才能を指していたのか、それとも……。
シュンは無言でスマホを伏せた。ZIXIは、ただ記録を再生しているだけのはずなのに、その音声は心の奥を激しく揺さぶった。

◆母のまなざしと沈黙の朝食◆

 シュンは思い立って、夜公演だけの日に実家に向かった。父は不在で、母が一人、朝食の準備をしていた。

「久しぶりね。舞台、頑張ってるのね」
「……まあね。観に来たら?」
「ううん、いいの。私は……こうしてるだけで十分」
「俺、母さんに観に来て欲しい」
「母さんも本当は観に行きたいけど、お父さんが……」
「そか……」

──俺は、それ以上言わなかった。

和やかな朝食。けれど、母の視線には何かがあった。優しさの奥に、張りつめたものを感じた。

「……母さん。俺って、小さい頃、何か……隠されてたことある?」

箸を持つ手が、ふと止まる。

「どうしたの、急に」
「ん?なんとなく。最近、昔のことが……思い出されてきて」

母は、笑ってごまかした。

「あなたはあなたよ。昔も今も、何も変わらないわ」

笑ったその目が、まるで本当の感情を覆い隠すように、わずかに泳いだ。

(本当に……そうだろうか)

◆父の書斎に残された断片◆

 食後、シュンは無意識に父の書斎に足を運んだ。そこには古いアルバムと、舞台関係の資料が無造作に置かれていた。積まれた紙束の中から、一枚のチラシがこぼれ落ちる。

《特別演劇公演:出演 今井ハヤト》

──今井ハヤト?!

(やっぱり……)

裏面には、手書きのメモが残されていた。

《HAYATO. It's all for your future. - Dad》

(父さん……全部知ってたんだ)

兄は居たんだ。本当に生きていたんだ。そして父は、その兄を“未来のために”何かに差し出した。ふと、棚の奥に貼られていたメモが目に入った。

《クラシック以外は禁止。あえて逆らわせるために、厳しく育てること。ギターは母から贈るように》

(なにこれ?これは……父さんの手書き? まさか、ロックをやらせるために?)

もう一枚、黄色く色褪せた紙にこう書かれていた。

《クラシックの声帯特性は、国家プロジェクトにより記録・分析される恐れあり。シュンの喉を守ること。》

(……俺がロックを選んだのも、父さんの“演出”だったってことか。あんなに厳しい父さんが、裏ではそんなことを……。母さんに“優しさの役”を託してたのか)

──その紙片に記された言葉は、やがて“声”にまつわる、ある計画の断片へと繋がっていくことになる。

◆ZIXIの映像ログ:少年ハヤト◆

 自宅に戻ると、ZIXIが自動的に再起動し、新たなログを表示した。

《再生中:Visual Log - HAYATO_Stage_Prototype.mov》

映し出されたのは、舞台稽古の様子。10代の少年ハヤトが、舞台上でセリフを吐き出す。

──これが、ハヤト、いや兄さんの姿……俺に、似ている。

『──ありがとう、じゃ足りないんだよ!』

演出家の声が響く。

『まるで記憶をなぞってるみたいだ。演技じゃない……まるで未来を演じてる』

カメラがパンすると、稽古場の隅に立つ父の姿が映っていた。厳しくも静かな目で、ハヤトを見守っていた。

(父さん……)

言葉にできない何かが、胸に迫ってきた。

◆自分の“原点”と向き合う◆

 その夜、シュンはZIXIのログをすべて閉じて、静かにギターを手に取った。

(なんで、俺は演じる道に戻ったんだっけ……)

最初は逃げ道だった。ミライとの別れ、音楽の挫折。でも今は違う。演じることの奥に、誰かの声を感じる。誰かの“意志”をつなごうとしている感覚。

(兄さん……)

遠い過去が、今の自分に重なってくる。

◆新たなページの気配◆

 TINEに、ユイからの新着メッセージが届いた。

《明日、もうひとつの“脚本”をお渡ししますね》

──もうひとつの脚本?何を言っているんだ。

そう思い、そのメッセージを見つめながら、シュンはZIXIの画面に映った自分の記録に呟いた。心の奥で何かが反発する。運命ではなく、自分の意思で選びたいという願い──。

「俺はもう……誰かに演じさせられるだけの人生じゃない」

夜は深く静かに、更なる“記憶”を連れてやってくる。シュンは、この記憶の交錯が、更なる“再構築”を引き起こす事になるとは、その時は知る由もなかった。